今に始まったことではないが、ヒット曲やアイドルのことを、社会の風潮と結びつけて論じる大学教授がいて、しばしばマスメディアに登場する。あれって本人達は真面目なんだろうか。それとも小遣い稼ぎの一手段としてやっていることなのだろうか。本当のところは分からない。しかし、受け取る側の我々が真剣に捉えることは、まずないような気がする。以下に紹介する新聞記事も、その類なのだろうか。ただし、学会か何かのシンポジウムで発表するらしく、その点は驚きだが。
8月18日付けの朝日新聞夕刊の10面を開くと、「男性ボーカル、裏声時代」という記事が載っている。この記事は、ある大学教授が、最近の男性歌手が、高いキーで唄うことに注目し、それは、性差が薄れたことや「軽薄短小」が流行していることの反映だと結論付けた論文が基になっている。
だが、この議論は単なるこじつけとしか思えない。安直な結論に走ったという感想しか持てないのである。
まず、前提となっている最近の男性歌手が、高いキーで唄うこと
についてである。声域の変化については、既に90年代後半に指摘されていたことであり、「何を今更」という気がする。とはいえ、くだんの教授は50年代から約10年ごとに男性、女性それぞれ30のヒット曲を選び、各年代ごとに曲の最高音の平均値を出した、とされている。きちんとデータを取ったいう点は、評価しても良いだろう。
問題は、上記の現象を社会背景と関連付けているところである。昔と今を対比させると、以下のようになるのだそうだ。
(1)50〜60年代は、「低音の魅力」が売り物であった。そして世の中は高度経済成長時代で、重厚長大型の産業が好調で、逞しさや男らしさがもてはやされた時代だった。
(2)今は、情報化社会で、技術も「軽くて薄い」が人気であり、そんな風潮に合わせて、男性の声も細く高くなった。
(3)一方の女性は、裏声を使って女らしく歌うことを求められていない。表声を張り上げる女性歌手の活躍は、女性の社会進出を映している。
首をかしげたくなるような論調だが、言わんとすることは理解できなくもないので、これらに対して批判を加えたい。
●上記(1)、(2)に示されている重厚長大と軽薄短小の対比であるが、社会現象の一面しか見ていないのではないか、と言いたくなる。50〜60年代よりも、最近になってサイズが大きくなった物は沢山ある。例えば自家用車、テレビである。洗濯機や冷蔵庫もそうだ。
●次に、(2)の文章の後半は、「細く高い声がもてはやされるようになった」、と読みかえるべきだろうが、だとしても無理な話である。そんなことを述べるよりも、性差意識の薄れや、ポップ・ミュージックにおけるマッチョイズムの衰退と関連付ければ済む話だと思うが。
●(3)の文章だが、「裏声を使って女らしく歌う」、という表現は理解に苦しむ。何故、女性が裏声で歌うことが「女らしさ」につながるのだろうか。別に地声でも変わらないような気がするが
●そもそも、男性と女性とでは裏声に関する意味合いが異なると思う。女性が裏声を使ったとしても、それは高い声域で歌うことに他ならないが、男性の場合は、「もう一つの声」である。しかも、その場合「もう一つの性」という意味合いも含んでしまう。逆に、女性が低い声を出せば、「もう一つの性」が表現できるかと言うと、これは物理的に不可能という説がある(低音の限界は体格に依存するらしい)。
結局、この教授の説は、「受ける声域」を産業構造にまで結び付けてしまったところが問題なのである。「性差意識の薄れ」で留めておけば良かったのだ。ただし、それは別段目新しい発見ではないのだが。
(2001-8-26)
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