つい先日、朝日新聞に50代の学校教員からの投書が載っていた。投稿の意図は、「新しい歴史教科書を作る会」が編集した教科書が採択されることを憂い、悩んでいる、ということであったと思う。その点に関しては理解できたのだが、文章の後半で繰り広げられた論調に対しては大きな違和感を覚えた。特に以下の2点である。
(1)「先輩教師は、戦前の教科書に墨を塗って(中略)苦い経験をしています
(2)「もし、この教科書が採択さることにでもなれば(中略)私は墨で塗りつぶすでしょう」
まず(1)についてだが、この文章からは、先輩教師は自主的に教科書に墨を塗ったように読めてしまう。だが、事実はそうだったのか。GHQからの(強制的)指令によって、仕方なく黒塗りにした教師だって沢山いたのはないか。
結果として、当時の教師は被害者であったと言う面ばかりが強調されているのである。たとえそれが投稿者の真意で無かったとしてもである。
だが、それ以上に問題視したいのは、(2)の方であろう。ここでは解決法として、問題箇所を黒塗りにしてしまうことしか挙げていないのである。これでは、「臭いものに蓋」の発想である。それに、戦後から50年以上も経過したというのに、当時の解決法しか思い浮かばないというのも、「困ったもの」である。もちろん、投稿者は、例えばの話として「黒塗り」を引き合いに出している、と考えられなくもないし、あるいは、ユーモアのつもりなのかもしれない。しかし、そういう面で成功しているとは言い難い。
それ以上に、教科書に墨を塗ることの弊害として、以下の2点を指摘しておく。
<1>そもそも、くだんの教科書は、市販までされている。さらに編集した「作る会」は、マスコミに対してもそれなりの影響力を持っているし、出版社自体が大マスコミの一グループ企業である。そのような状況下において、教員が「黒塗り」をやれば、もうこれは「作る会」側にとって、格好の宣伝材料になるであろう。曰く、「言論・思想の弾圧だ、ファシズムだ」と。
<2>また、生徒達が黒塗り教科書など受け取ったら、当の生徒達は、黒塗りにされた箇所に対して、他よりも関心を示す可能性が高い。大人から見てはいけないと言われたことに対して、より多くの関心を持つのが子供だろう。結果として、市販本が売れることに手を貸すことになってしまうではないか。
そもそも、教育委員会で採択された教科書に墨を塗るくらいの勇気があるのなら(本当にそんなことをしたら、恐らく相当の処分が下るだろうが)、別の本を使って授業を進められるではないか。
(追記)その後、やはり朝日新聞の「声」欄に、「あなたの意見は『臭いものに蓋』ですよ」という意味の反論が載った。分かる人は分かっているのですね。(8/3)
(2001-7-30)
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