この前、ある芸能記者が、TVのワイドショーのことを「分かりやすいから」という理由で支持・称賛していた。もちろん、本人を養っているのがワイドショーであるから、支持することは当たり前であるが。
しかし、「分かりやすい」ということは必ずしも「良いこと」ではないと思うのである。以下に、その根拠を書くことにする。
そもそも、分かりやすさの基準というのは、個々人としてはあるとは思うが、それは大多数の共通認識なのであろうか。この問いから始めなければならないと思う。
例えば、私が「分かりやすい」と思うのは、
(1)話の中に、馴染みの薄い専門用語が少ない。あったとしても、直後に解説が付く。
(2)前提、結論が明確であり、中途段階も論理的に説明されている。
(3)客観的事実と主観とが明確に分かれている。
あたりの基準を満たしている場合である。
しかし、世間一般に流布している「分かりやすい」というイメージは、上記(1)〜(3)とは随分離れているように思える。つまり、
(a)専門用語を喩え話で置き換える。
(b)前提や論理的手続きを飛ばして、結論だけを言う。
(c)結論は断定調でかつ短い。
などなど、である。こういう話をする人が「分かりやすい」と見られているようである。実際TVで重宝されている人には、大抵(a)〜(c)が当てはまるようだ。しかし、(a)〜(c)どれを取っても危ういことに思えてならない。
(a)喩え話で置き換える
喩え話が理解できても、本質を理解したことにはならない。しかし、喩え話を理解した時点で、「本質までも理解したつもり」になってしまう危険性がある。
(b)前提や論理的手続きを飛ばして、結論だけを言う。
演説では、前提や途中の論議が長いと飽きられる。TVでは、時間内に結論までたどり着かない恐れがある。したがって、前提などを省略し、結論だけ言う人が支持されがちである。だが、結論だけ聞いて正しく判断できる人(それには結論に対する拒絶も含まれる)は、話し手よりも深遠な知識と理解力があるのである。TVの視聴者と発信者との関係は、これではない。
(c)結論は断定調でかつ短い。
結論が「Aの可能性があり、Bの可能性もある。Cの可能性もまだ捨て切れない」であったら、「それでは結論とは言えない」と突っ込まれるのがオチである。しかし現実には、「まだ調査中であり、よく分かっていない」という状況が非常に多いはずである。
私も含めて、「分かった」と思った時点でそれ以上考えることをやめてしまいがちである。つまり、(a)〜(c)に当てはまる分かりやすさ、いわゆる世間一般での分かりやすさは、聞き手の「思考停止」を促していると言ってもいい。そしてそれは巧妙な情報操作でもある。
(2001-5-12)
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