誤解を与える記事にはモノ申さねば

 朝日新聞夕刊の文化欄において、 「この10年」 と題する連載が現在行なわれている。さる8月17日はポップス国内編であったが、この記事が前半では冷静に筆を進めていながら、後半で安直な方向に流れているのが気になった。そこで今回はこれを取り上げることにする。
 この記事は大衆新聞に載ったものであるから、ポップ・ミュージック・マニアでない人を対象としている。従って、読者に誤解を与えるような粗雑な論の進め方は駄目だと思う。だから、本来このサイトに載せても、大した意味は無さそうだが、どうにも収まらないので載せることにした。
 断っておくが、この記事を書いた記者がトンデモない人だとか、そういうことを書きたかったのではない。恐らくは何処にでもいる一人の社会人なのだと思う。だからこそ、私は気になるのである。

(1)序盤(導入部)
 サブタイトルと冒頭に総括が出ているのだが、それは 「歌謡曲死してJポップ誕生す」 である。その後に続くのはこの10年の日本ポップスの足跡だが、これはまあいい。ビジュアル系なる安直なネーミングを使っていないことにも好感が持てる。個別に検証すると頷けない部分もあるのだが(例:けだるさを漂わせる・・・マライア・キャリーらの。あの人、けだるくないんですが)。

(2)中盤
 まず、Jポップ制作者側が意識しているのは常に欧米のロック・ポップスであるとの断定がある。それはその通りなので構わないのだが、引き続く
「かりにJポップが歌謡曲からの進化であっても、欧米に向けての進化だ」
という下りには引っ掛かりを覚えた。というのは、Jポップ以前にしても、大部分で欧米(もっと正確に記すならば英米であろう)を意識していたからである。ただし、80年代までのテーマは、英米のヒット曲をいかにして日本人好みの歌に作り変えるかであったのに対し、90年代においては、いかにして英米と対等の音を出すかに変わってきたことが大きな違いだと思うが(更に、目標が英米のヒット曲ではなく、自分たちの好みの英米の音楽になったことも重要だと思う。これには旧譜のCD化が大きく関与していると考えられる)。この記事を書いた記者は、その方向性に疑問を感じているのではないかと思えるが、その意見自体は尊重するとしても、あの分量(A4一枚程度)で言及するのには無理がありはしないか。それはポップスだけに収まるような論点ではないからだ。

 その次の、
「この10年は80年代に欧米で生まれた円熟期のロックやヒップホップが流入し、定着していった過程と読み取ることも出来る」
については、全面否定はしないものの、粗雑な書き方に思える。これでは、大部分のミュージシャンが80年代の欧米音楽の焼き直しをやっているようにも読めるからだ。しかし、現状は必ずしも「80年代の」ではないと思う。
 続く、萩原氏のコメント、
「欧米で起きたムーブメントが10年くらい遅れて日本で開花する、というサイクルが」
については、一寸大雑把過ぎるという印象がある。多分、編集者がカットしたのだろうが。いずれにしても、欧米との関連で論を展開するならば、この10年で欧米のポップ・ミュージックに何が起こってきたのかを併記しなければ、読者に誤解を与えるばかりだろう。

(3)終盤
 まず、今井氏のコメント、
「音楽は膨大な情報の1つ、友人とつきあうためのアイテムの1つに過ぎなくなった側面がある」
がある。これは、全くその通りで、私も残念に思うのだが、続く記者の文が、変である。
「半ば消費財となり、聴き手もリスナーからユーザーに変質。いきおい、みんなが聴く曲、国民的ヒットが影をひそめた。」
この文の前半は今井氏と同様のことを述べているのだろう。問題は後半である。あまりにも強引に論を展開している。なるほど、一見中立を装っているが、ここでの記者の意図は丸見えである。
(a)リスナーとしての主体性があれば、音楽が情報の1つではなく、もっと重要なものになる。その場合、他人が何を聴くかは関係無くなるだろう。逆から見れば、主体性が無いからこそみんなが同じ曲を聴くのではないか。
(b)「国民的〇〇」などという物言いは、実に気持ち悪い。何故そのようなものが必要なのか、さっぱり分からない。かつて国民的ヒット曲があったとして(そんなものが存在したとは私には到底思えないが)、それはTVというメディアによる情報統制の結果ではないか(今もそういう面では怪しいけど)。
 この後の記者の言い分については、その通りだと思うので、省略する。
 
(4)添付資料
 3人の音楽評論家(今井智子、小倉エージ、萩原健太の3氏)がそれぞれ 「10年を読み解く5作品」 を挙げている。まず、何故この3氏が、という疑問が湧くが、理由を詮索することに意味が無さそうなので、やめておく。ただ、3氏とも洋楽の評論家として出発していることくらいは挙げておきたい。
 さて、今井、小倉の両氏がアルバムを挙げているのに対し、萩原氏がシングルを挙げていることについては、つい深読みしたくなる。あくまで私の勝手な憶測に過ぎないのだが、今井、小倉両氏は既にアルバムの時代であるという認識があり、一方の萩原氏には、「時代を象徴するポップスはあくまでもシングルから」というこだわりがあるのかもしれない。いずれにしても、
(a)宇多田ヒカルを小倉、萩原両氏が挙げている他は、全くダブリが無い、
(b)ビーイング、小室、つんく関係については、小倉氏がB'zを挙げたのみ、
という2点が興味深かった。特に(b)については、この3氏からすれば挙げそうに無いとも思えるが、「10年を読み解く」という観点から見て適切であったのか、少々疑問である。恐らく、3氏からすれば、社会現象という切り口ではなく、何らかの意味で「それだけに終わらなかったもの」を挙げたかったからだろうが(ビジネス上の戦略を除く)。

(2000-8-19)

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