頂上に着いたら捨てよう?

 日本は、責任者が責任を取らない国である。これはしばしば言われることであるが、私が日々実感していることでもある。少しばかりふざけた言い方になってしまうが、
「私には責任がある。しかし責任は取らない」
「口出しは大いにする。しかし責任は取らない」
というのが責任者の本音のように思える。もちろん、統計データを取った訳ではないから、例外はあるだろうが、責任を取ったからと言って、それは当たり前のことをしたに過ぎず、立派な行為だと誉める必要など全くないと思う。むしろ、本来取るべき人が下の者に責任を押し付けているというのが、大方の実情だと思う。ただし、ここに欺瞞があって、下の者が責任を取り、トップが安泰であった場合、これも「恥さらし」となるから、結局は誰も責任を取らないという形に落ち着くことが多い。
 また、責任を取る場合でも、その理由は甚だおかしなものであることが殆どである。代表例が、「世間をこれ以上騒がせるわけにはいかないから」である。これは裏の読み方をすれば「自分では悪いと思っていないのだが、仕方なく」である。だから、後を継いだ人が上手く行かなくなると、「あいつにやらせたから駄目になったんだ」といった、これまたおかしな発言が本人の口から漏れることにもなる。自分のせいで、誰がやっても手に負える状態ではなくなったとは、微塵も思わないのであろう。
 では、何故責任ある者が責任を取ろうとしないのだろうか。考えられる理由は幾つかある。

(1)責任感のある人はトップに立てない
 日本では減点主義が主流である。これは即ち、成果を上げてもプラスにはならず、失敗した時だけマイナス・ポイントが付くという仕組みである。従って、上がって行く人が、事なかれ主義かまたは責任回避主義である可能性が大きくなる。当然、トップには責任感のない人しか立てないことになる。
 ところで、最近流行り出した「成果主義」という耳ざわりの良い言葉がある。これは一見すると、減点主義ではなく加点主義のような錯覚を受けるが、果たして字面通りであろうか。私は甚だ怪しいと思うし、以前にも増して巧妙になっただけだと思う。実態は基準点をオフセットしただけの話ではないだろうか。つまり、達成不可能な目標を定め、そこを基準にして評価するのである。これならば、ほぼ全員が減点になる。それだけのことである。

(2)責任を取ることが恥
 トップの失態が白日の下にさらされたのだから、それだけで恥といえば恥だが、人間である以上は、失敗することも多々あって然るべきなのである。ところが、これを勘違いして、「責任を取ることが恥だ」と考えている輩が多いようだ。

(3)権限の委譲が不明確
 ある程度の規模を持った組織の場合、下に権限を委譲しなければ、トップはパンクしてしまう。そこで下に権限を委譲することになるのだが、実は委譲などしていないのが実情ではないか。「鶴の一声」というのが肯定的な意味合いで使われることが多いが、ベンチャー企業ならいざしらず、大組織において「鶴の一声」が正確な判断を下すとは思えない。何故なら、大組織のトップが細かいことに通じているわけではないし、そんなことはそもそも不可能だからである。結局はその場の思い付きで間違った判断を下し、大勢の部下を混乱させているだけなのだ。
 逆に下の者からすれば、「権限など無いに等しい」のである。であるならば、下の者はどうするかというと、黙って付き従うのみである。そうして自分が上に立った時に強権を発動しようと考えるのである。ところが、こういう人の場合、権力を行使することが第1目的となりがちである。せっかく忍耐を重ねて掴んだ地位であるから、出来るだけ手放したくないのが人情だとして、責任は取りたくないと考えるようになる。

(4)老害
 日本の場合、トップに立つのが遅い。これは年功序列とも無関係ではないのだが、年老いて権限を握った場合、1度失敗すれば、カムバックするチャンスが皆無となる。そこであれこれ理由を付けて責任を回避し、地位にしがみつくことになる。

(5)院政
 これは(4)に含めるべきかもしれない。トップの上に帽子というか、事務的には責任の無い人がいつまでも居座っていることがしばしば見られる。「顧問」とか「相談役」などという肩書きを持つ人達である。某政党にも「最高顧問」なる老人達がいて、裏で権力を行使しているのは周知の事実である。結局、「トップといえども最高責任者に非らず」、「権力は持っているが、責任者に非らず」という図式が出来上がっているので、誰も責任を取らないのである。そして、この院政を揺るぎないものにしているのが、イエスマンの登用だろう。
 さて、こんなことを書くと、「老人を大切にしろ」などという反論が返ってくるかもしれない。しかし、それは完全に的を外している。老人を大切にすることは老人に権力を持たせ続けることではないのである。要するにそれは年功序列を積極的に肯定しているに過ぎない。

 しかし、こんなことを私が今更掲げなくとも、大方の人は現状の酷さに気付いているはずだと思う。結局、私も含め何も変えられないのだが、既に私もそういう醜い路線のレールに乗ってしまったのだろうな。

(2000-8-14)

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