敗軍の将は兵を語らず
 
 
 股くぐりで有名な韓信が、背水の陣を布いて趙軍を破ったときのこと
である。魏から趙へむかった韓信の悩みの種は、セイケイ(河北省セイ
ケイ県)の狭道であった。どうしても通り抜けねばならない通路ではあ
ったが、あまりにも狭いので、大部隊の行進には不便だった。隊列がの
びて、兵力が分散したところを趙軍に攻められたら、韓信の智略をして
も防ぎようがなかったのだ。しかも、趙には、広武君李左車という優秀
な軍略家がいた。彼がこの狭道に着眼しないはずがない。事実、広武君
は、韓信の部隊がこの狭道にさしかかったときに一挙に撃滅するように
と、成安君陳余に建言した。ところが、儒学を好んで正義の戦いを呼号
していた成安君は、広武君の建言を聴かなかった。
 
 かくて、セイケイの狭道を突破した韓信は、やすやすと趙軍を破るこ
とができたのであるが、この戦いにあたって、韓信は、広武君を殺さず
に生け捕ることを全軍に指令した。戦い終って広武君が面前にひきださ
れたとき、韓信は厚く彼を礼遇して言った。
 
 「これから北のかた燕を伐ち、
  東のかた斉を伐とうと思いますが、
  どうしたら成功できるでしょうか?」
 
 「『敗軍の将は以て勇を言うべからず、
   亡国の大夫は以て存(国を保つ道)を図るべからず』
  と聞いております。
  いま、私は戦い敗れて、
  あなたの捕虜になっている始末です。
  どうして大事をはかる資格がありましょうか。」
 
 「いや、それは御謙遜というものです。
  私は、
  『あの百里奚という賢人が、
   虞(小国名)にいたが虞はほろび、
   秦にいったら秦は諸侯に覇を称えた』
  と聞いております。
  百里奚は、
  虞にいたときは愚者で、
  秦にいってから智者になったわけではありません。
  虞は彼を登用せず、
  秦は彼の計謀を聴いたという相違です。
  成安君が、
  もし、あなたの計謀に従っていれば、
  いまごろは、
  私があなたの捕虜になっていたことでしょう。
  幸か不幸か、
  あなたの計謀が実現されなかったため、
  こうして、
  私にあなたの教えを請う機会が生まれたのです。
  私は、心底から、あなたの教えに従う覚悟です。
  どうか謙遜なさらずに、
  御高見を披瀝なってください。」
 
 韓信の熱意は、ついに広武君をうごかした。広武君は心を傾けて燕・
斉討伐の術策を説いた。その術策に従って、やがて、韓信は燕・斉を滅
ぼしたのである。
 
 
 この話は、『史記』の「淮陰候列伝」にある。「敗軍の将は、以て勇
を言うべからず、亡国の大夫は、以て存を図るべからず。」から、「敗
軍の将は兵を語らず」が出た。
 
 
 
 
河出書房新社昭和38年1月30日発行の
「中国故事物語」246pageに記載されています。
 
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