後醍醐天皇綸旨T

★原文★

被 綸旨○

前相模守平高時法師、不顧国家軌範猥背君臣之禮儀掠領於諸国令労苦万民。

僣乱之甚、何事如之乎。己為朝敵不遁天罰為却彼凶党、所被挙義兵也。早相

催出羽陸奥両国軍勢可企征伐。勲功之賞、宜依請者天気如此。悉之。

                        元弘三年四月十七日  左中将(花押)

  結城参川前司館

 

★かんたん解説★

 この文書は元弘三年四月十七日(1333)に、後醍醐天皇が結城宗広の長男

である三河前司結城親朝に下された綸旨です。そのときの奉者は左中将の千種

忠顕である。この年は、後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆の名和長年のもとに

いており、足利尊氏も幕府方より朝廷方にうつって、天皇方の勢力が増大した時

期であります。

 この文書は後醍醐天皇が北条高時の僣乱を責められ、結城親朝に対して陸奥

と出羽の両国の兵士を率いて北条氏を討伐するために攻め上げなさいという旨

を仰せになったものです。

 注意最初の「○」は解読不能ではなく、漢字変換不能でありまして、正規の文

書には書かれています。字は「にんべんに「称」ののぎへんの無いもの」です。

 

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