もともと商人の生まれで、大商人の森山新蔵の庇護をうけて薩摩藩士の家来となり士分を得る。示現流の達人であった。1859年の薩
摩藩有志挙兵突出計画のときには鰹船2隻を購入しての薩摩脱藩を考え、船長になるが計画は中止となる。1862年の島津久光上洛に
は、軽輩のために随行できず自費で上洛する。しかし寺田屋事件は終わっていて失望、以後京都で暗殺活動に従事する。まず、九条家の
家令島田左近を暗殺、さらに九条家家臣の宇郷重国、本間精一郎などを暗殺し「暗殺の隊長」の異名をとった。1863年に公卿の姉小路
公知暗殺が発生して、現場の刀から容疑者として逮捕される。京都西町奉行所の取り調べでは否認するが、証拠の刀を示されるとそれを
奪い取って切腹した。 |