1901(明治34)年、四国香川県から祖父・留吉は3歳の時、父才蔵と共に、人跡未踏の北海道の開拓の志を立て和寒の地に入植。その後1921(大正8)年、大和の現在地に移住する。父は昭和21年分家初代目として現・平里の地にて農業に従事する。4人兄弟の長男で父が分家して留辺蘂にて2代目(1948年生)。
 趣味であった弓道では、昭和56年に留辺蘂弓道会に入会。留辺蘂町体育協会のスポーツ優秀選手賞を6回受賞する。昭和60年、「第40回わかとり国体」で成年の部(3名)に北海道代表選手として選考され、堂々の総合4位の成績は、いまだに北海道勢ではこれに勝る成績はない。昭和63年全国勤労者弓道大会では、北見営林支局チーム(長谷川、松村、佐藤、橋本、秋山)として、予選で私は8射8中の皆中。合計40射19中で予選通過しベスト8の快挙を成し遂げる。平成元年、「第44回はまなす国体」では、各地区で行われた予選会を勝ち抜き、最終選考大会が開催地である留辺蘂弓道舘で行われ、近的8射7中。遠的8射8中。合計16射15中という最高的中にて晴れて息子共々6名の強化選手に選考される。強化合宿において3名の枠を目指して親子での熾烈な骨肉の争いの結果、息子が出場権を勝ち取り、堂々遠的の部で4位となった。創立40周年記念弓道大会が、平成4年に日本武道館で開催されたが、日本武道館での試合が弓道選手としての最後の舞台となった。
 その年、難病である頚椎の後靭帯骨化症の手術を受けるが神経が逃げず症状が悪化する。平成7年、頚椎の2番から7番に骨盤の骨を埋める前方固定術を受け奇跡的に成功する。しかし、二度と弓の引ける体には戻らなかった。


命名の由来
 ルペシペかルペシュペかで迷いました。rupeshpe・ルペシュペはアイヌ語で越路・サロマ川へ越す路。ru−pes−pe・ルペシペはアイヌ語で山を越えて向こう側の土地へ降りて行く道のある川。
 もともとは「山越えする道路沿いの川」を指していたのですが、いつの間にか「川に沿って下る道」になり「峠を越えて川沿いに沢を下ったところ、あるいはその上り口」に変わっていったのです。いずれにしても、留辺蘂町側からみれば「サロマベツ川流域へ行く道」な訳で、役場の町名の由来でも、アイヌ語で、道のことを「ルー」超える道を「ルペシュペ」と称し、本町の場合は佐呂間別川へ越す道の意味で、ペをベにし、シュペをシベにして「ルベシベ」と訳し、さらに漢字の「留辺蘂」をあて、今日に至っているということです。
趣味
趣味…庭木、ガーデニング、剣道初段、弓道五段(鳥取国体総合4位)
 

主要著書
 
1999年4月 1999年12月 2000年1月
2000年9月 2002年5月 2002年6月
2003年11月 2005年10月 2006年1月
2006年8月 2007年1月 2007年1月


文献リスト
 「ルペシュペ」を執筆するにあたり参考にした文献類は数多い。その中で、特に読者にとって参考になるであろう書物について、下記のものを挙げておきたい。また、リンクしてくださっている皆さんや掲載している記事は、すべて許可を頂いています。
@島崎洋路「山造り承ります」川辺書林、1999年
A林  啓太「森の探偵入門」全国林業改良普及協会
B中川重年「雑木林探検入門」全国林業改良普及協会
C伊藤幸也「林業体験入門」全国林業改良普及協会
D「平成11年度国有林業務研究発表集」林野庁
E「林材安全2000年1月号」林材業労災防止協会
F高木善之「地球は今…全3巻」栄光教育分化研究所、1997年
G岡島成行「林野庁解体論」洋泉社、1997年
H笠原義人「よみがえれ国有林」リベルタ出版、1996年
I植村武司「林野庁解体」日本経済評論社、1994年
J川庄大三郎「森は泣いている」酪農事情社、1996年
K高橋健「森と生きる」ポプラ社、2000年