Mountain Trekking編

第6日目('97.5.12)
チョムロンからタラパニへ

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 AM6:30ぐっすり眠りすかっと起きる。外はもったいないほどの快晴。中庭へ向かって階段を下りる。見上げると、右からマチャプチャレ、アンアプルナ、ヒウンチュウリすべてがはっきり見えた。二人で顔をばしゃばしゃと洗い、Mr.Bに勧められるままに中庭のかさつきのかわいいテーブルで食事をとることにした。朝食は、ミルクティーとツナ・チーズ・トマトサンドウィッチ(一人分)+持ってきたカロリーメイト+プルーン一個ずつ。言い忘れていたが、ここのチャイ=ミルクティーはめちゃめちゃおいしかった。ミルクがカプチーノのように泡立てられていて非常にこくがある。日本でもこのようにおいしいのは飲んだことがない。考えてみれば、ミルクティーは毎日飲んでいるが、同じ味のものはない。薄すぎ、ミルクが固まって沈んでいる、いくら何でも砂が入りすぎ・・・勿論おいしいものもあるが、まさにそれぞれの「味」だった。ここでもキャプテンソースをつけて食べる。
  食後、山を眺めながら、研治一服、加奈恵ぼーっとしていると、オーナーのキャプテンが"ミスター林を知っているか"と聞いてきた。地球の歩き方やニュースステーションの特集で見聞きした、チョムロンに水力発電装置を作り電気を通した林さんのことである。そういえば、このロッジには、他にはなかった豆電球が部屋についていて、昨晩PM7:00から1時間ほど電気がついていた。
  キャプテン(これは昔グルカ兵として香港などに行っていたことから名付けられている)は、林氏がチョムロンに来て電気をつける作業をしている間、お金のない林さんをサポートし部屋や食事を提供したことから、彼がネパールを出ざるを得なくなったときまでのことを、簡単に説明してくれた。ちなみに彼の英語はかなりブロークンだった。話し終わると、彼は本を一冊持ってきてくれた。その本は、「ヒマラヤ チョムロン村に電気をつけた日本人の記録・・・村に灯がついた」(山と渓谷社)という。そこには、林氏とキャプテンの写真もあった。本を読む限り彼の行動はあまりにも凄すぎて私たちには理解できない。彼は、誰に頼まれるでもなく自分の意志のみで行動を開始、資金難、けがなど様々な困難に直面しながらも、日本に帰ってお金を貯めてはまたネパールに戻って来て、電気の普及を試みる。そのひたむきな姿が、村人の共感を呼び、やがて、世界各国の人の共感を呼ぶに至り、志半ば遂げる。しかし、最後には、ACAP(アンアプルナ自然保護地域プロジェクト)との間の意志の相違が表面化し、キャプテンのオーナーに、"I'll not come back Nepal again."といって去っていったという。
  自分の意志だけで行ってきた人間は、他人の意志との競合の中で、自分の意志を妥協することが出来なかったのだろう。彼は、NGOでもなく、ODAでもなく、本当の意味でのボランティアというものを実行して見せたのだと思う。資金もなく、技術もなく、言葉すら満足でない中、一人でどこまで出来るのか?ボランティアというものの意味は非常に難しいと思う。とにかく、帰国後、この本を購入し、じっくりと読んでみたいと思う(日本に帰ってこの本を問い合わせてみると絶版になっていたため、図書館で借りて読んだ。幾度もの困難に出会いながら突き進む精神力、体力はすごい)。
 チェックアウト後、オーナー、Mr.Bに別れを告げ、AM8:00出発。kanaがチェックアウト手続きをしていると、現地のポーター達が、大きな荷物を背負っているkenを指して、"彼にはポーター代いくら払っているのか"と聞いてきたので、"Just food and tea."と答え、大受けした。kanaは、偉大なるポーターとして褒め称えたつもりだったが、kenは、なんと失礼な!と怒っていた。


チョムロンからタラパニの間の
段段畑

 チョムロンの上へ上へと登る。なんて村だと思い、息を切らしていたが、振り返ると相変わらずアンナプルナ、マチャプチャレの山並みが見え、いい町だなと思い、心が和んだ。実際、景色もきれいで、人なつこく暖かい良い村だった。林さんの温かさのお陰かな?かなり登ると思っていたが、足が慣れてきたのか、あっと言う間に上へ到着(AM8:30)。高度差200mであった。そこから山腹を巻いて西へと歩いていく。途中小学校の生徒とすれ違い、"ナマステ""what time?"と聞かれ"9:00"と応えながら進んでいく。中には、目の前でコマを回していく子もいる。学校の始業は、AM10:00らしい。しかしこの少年達は一体どこから来ているのだろうか。前にも後ろにも上にも下にも家はない。谷向こうのあの家からか。まさか!!
 山腹を巻いて約1時間だらだらとアップダウンしながら歩いていくと、一気に下り、吊り橋を渡る。渡ってしばらく行くと、後ろからポーターが凄い勢いで私たちを追い越していく。その先に、男二人女二人のグループが分かれ道を前に止まっていた。"Which way?"と聞くと"We were waiting for you"という答えが返ってきた。とにかくこのままこうしていてもしょうがないので、ポーターと同じ下の道を通ることにした。その先に集落が見え、そこでパスが途切れているように見えた。4人組はまたも立ち止まり、一体どう行けばよいのか村人に尋ねている。しかし、何故かはっきりした答えが得られない。何故だろうか?このときは疑問に思ったが、この理由は後で判明する。kenが"タラパニ?"と聞くと、女の子が干していた麦の上を歩いて行けと教えてくれる。そう難しいことではなかった。とにかくその通りにすると直ぐ先にパスが現れる。しかし、その先で更に二手に分かれている。ここで私たちは確信のもとに適当に一つの道を選択し歩き続けた。後ろの4人はまだ悩んでいる。彼らのことは忘れて歩き続けることにした。
 約AM10:00目の前に学校出現。道が学校を囲むように進んでいる。歌声が聞こえる。よく見ると全校生徒約30人くらいと先生が普通の庭のような校庭に集合し、整列し、校歌らしきものを斉唱していた。しかし、この歌は本当は何なのだろうか。ネパールの子ども達は、歩きながら、遊びながら、勉強しながらもいつも歌を歌っている。きっと算数の九九だって歌で覚えているに違いない。そんなことを考えながら歩いていると、校庭の横でドネーションを頼まれた。山の生活の予算を甘く見すぎ、今後の生活が心配な懐寂しい二人だったので、5ルピーしか出せなかった。"日本人か"と念を押して聞かれたのも、今まで見た日本人に比べて貧しそうに見えたためだろう。心の中ですまないと思い、今度来る時はちゃんと寄付したいを思いつつ、笑顔で別れた。道はここから一気に1850mまで下り、吊り橋を渡り、ずっと見えていた迎えの山を一気に登る。それを考えると、急に疲れが出て、暑さが身にしみた。何せ地図上では一気に約2700mまで900m近く登ることになっている。
 AM10:00覚悟を決めて出発。坂を下り吊り橋を渡り登る。メジャーなパスではなく、人通りが少ないのか、先の道は全然見えない。とにかく目の前の道を歩き始めた。途中、小川で皿洗いの女の子に会い、"タラパニ?"と聞くと、来た方向を指す。更に念を押してもやはり今来た道を指す。戻りたくないという思いでもう一度聞くと、進む方向を指してくれた。不安を覚えつつもどっちでもいいんだと、前に進むことにした。今になって思えば、彼女の最初の指図を素直に聞いておくべきだった。道は、民家へと登っていき、その先は、段々畑をまっすぐ上に貫いている。そこにいたおばさんに、"タラパニ?"と聞くと、やはり元来た道を指す。しかし、"You can go this way."と英語で答え、その上へ貫くまっすぐな道を指してくれた。彼らの畑の中を突っ切っていくことに抵抗を覚えたが、戻ることは考えられず。"ショートッカット"と呼ぶにはあまりに険しい道を進むことになった。これは、トレッキングというよりは、梯子登りだった。手と足を使い、時にふらつき、高鳴る心臓の音に注意しながら、ひたすら登った。この間、二人とも無言で、ただがむしゃらに力を振り絞った。
 約30分で景色の良い無人の休憩所到着(AM11:30)、椅子も屋根もあり休む。高さ2400m、非常に見晴らしが良く、風も適度、涼しい。疲れと心地よさで、kana睡魔におそわれる。ふと下を見ると、例の4人が正しいパスを通っているが、また分岐点で立ち止まり、悩んでいるようだった。相変わらずのよう。15分程休憩後、出発。更に登りはきつくなり、牛をよけ、糞を越え、道は森の中へと入っていく。ここからは、泥道を、木を越えながら行く。尾の長い真っ黒な変わった鳥もいる。前方に青空が開け、ピークだと思わせるが、本当のピークはなかなか来ない。何度も裏切られた後に、PM0:30、2700mに達したときに本当の尾根が現れ、ロッジが目に入った。
 早速、キャプテン・ロッジで紹介してもらったパノラマホテルを探すと、てっぺんにあった。小綺麗だが、肝っ玉母さん風のオーナーが出てきて早速チェックイン。しかし、通常トレッカーが来るのより早かったらしく、まだシーツも外に干してあり、中庭では若者が一人敷き詰められた青菜をのんびりと棒でたたいている。その音は、若者から近所のおばさん3人に引き継がれ、PM3:00位に全て片づけられた。ミルクティーをポットでオーダーし、持ってきたビスケットと何故かポークと書かれたコンビーフで昼食とする。その後、kanaは洗濯、kenは明日のルート確認を行った。




パノラマホテル
(背後にパノラマが広がる)
    そこへ、午前中に出会った例の4人組登場。私たちより3時間ほど遅れている。メンバーは、フランス男1、マルタ出身スキンヘッド男1、オランダガール2だった。フランス男はすぐさま話し始める。早速昼食をオーダーする事にしたらしいが、その後も話し続ける。彼はインドからネパールへ入って来て、トレッキングの期間が後僅かしかないらしい。彼は、フリーランスで、19才から32才に至るまで、フランスとこのような旅の生活を繰り返している。彼は、しばらく冬の服を着たことがないと言っている。マルタ君は、同じくとても聞きづらい英語だったが、世界一周旅行中。インドからやってきて、今後タイ、オーストラリア、アメリカへと渡る。オランダガールズは、一人はタフ、もう一人は弱い。
 フランス男はランチが来ても話し続ける。彼には、発音の難多々あり。特に、地名を発音するときに致命的となることもある。例えば、"チョムロン"と聞いても判ってもらえなかったが、"ショムロホーン"とフランス流で聞いていたらしい。上海は"ジャンガイ"、アンコールワットは"ウンコルワッ"という調子で、理解するのに時間がかかった。村人に道を聞いても教えてもらえないのはこのためだったようだ。でも、人懐っこくいい人だった。彼の頭の中には、各国の安宿及びやすくておいしいレストランの地理的情報とプライスが、アップデイトされて用意されている。こと、インド、タイに関しては非常に詳しい。日本食とチャイニーズが好きで、タイで安くておいしい日本食屋さんがバンコクのシーロムロードのロビンソン地下一階にあると教えてくれた(タイにいったときにのぞいてみたが、気が進まず試していない。というのも、タイでは、大好物のタイ料理しか食べていない)。これからタイに行くというオランダガールズにとって、貴重な情報源となるだろう。その他、彼の特長としては、常にホットシャワーを求めていたということ。昼食後、翌朝出発前(このときは、シャワーが使えるようになるまで1時間も待っていた。)、ホットシャワーを浴びていた。以上、非常にインパクトの強かった彼について記しておく。
 暗くなってから、私たちはディナーを取る。kenは、マカロニ、kanaはヌードルスープ。量は少な目だが味はおいしかった。4人組はPM3:00に着いてから昼食を取ったため夜はPM7:00以降にして欲しいとわがままを言った。ネパールでは、暗くなると寝て、明るくなると起きる。夜はランプをつけなくてはならず、食事の用意一つとっても大変でエネルギーを消費するし、もう少し現地の人のことも考えてあげるべきだと思う。私たちは、PM8:00まで、主に今まで旅行してきたことなどについて話した。話の内容は興味深くおもしろかった。しかし、フランス男はよく話し、止まらない。その後、暗闇の中で大地に向かって歯を磨いたが、月明かりで陰が出来るほど明るかった(昔は影踏みしたなあ)。そのせいか星はよく見えなかった。彼らも寝静まると、シンとした。山の頂上で静かな夜が過ぎた。

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