2004.8.28-29 目黒パーシモンホール 誰でも参加できるポ−タブルオ−ケストラ







大友良英さん主催のワークショップ。素晴らしい経験をさせてもらった2日間。「演奏できるもの、できそうなもの、あるいは演奏したいものを、楽器・楽器以外を問わずお持ちください。たとえば、ラジオ等の家電製品でもかまいません。但し、セッティングが大変なものや、PAを必要とする楽器、声の参加はご遠慮ください。また笛、ハ−モニカ、鈴、カスタネット等の学校教材はなるべくお避けください。」との趣旨で集まった総勢64名のオーケストラ。そこにはプロの音楽家として大友良英(ギタ−他)、高良久美子(ヴァイブラフォン、パーカッション)、 石川高(笙)、西陽子(筝)、 大蔵雅彦(サックス、リ−ド)、 イトケン(玩具、パ−カッション)、Sachiko M(サインウェイブ)も参加している。高周波を素で聞き分ける小学生から若そうに見える50代まで、大友さんを知ってる人も知らない人も集まっての即興演奏集団であった。
集まった楽器も多種多様。植物の気持ちが分かる機械を分解して微小ノイズ発生器にしてしまった人やネギや大根を切る人、小学6年生の女の子がアルトホルンなんていう珍しい楽器で参加したりしていた。かくいうKDMは吉祥寺で買い集めた民族楽器と100円ショップで集めたガラクタのような打楽器を持っていき、また会場でイトケンさんが用意していたパーカッションをいくつか借りての参加だった。
1日目。
まずは基本的なレクチャーからはじまる。「音」とは何か。「音楽」とは何か。大友さんの簡潔で科学的な説明が簡単なパフォーマンスとともに行われた。かなり小さい子供もいたのだが、その全員がすぐに理解できるくらい分かりやすく、そして楽しい講義だった。学校の音楽教育を受けても、各ジャンルの音楽専門誌を熟読してもここで話されたようなことを学ぶことは出来ない。しかしもっとも根源的で真理に近い内容だったと言える。超簡単に要約すれば、「音とは振動である」そして「振動を感じた人がそれを認識したものが音楽である」ということだ。休憩を挟んで、様々な条件を出したり引っ込めたりしながら、音を出していく。それぞれの楽器の音や演奏に好奇心を刺激されて、徐々に参加者が高揚していくのがわかった。まるで遊んでいるようにしながら徐々にルールを作っていく。思えば小さい頃に仲間で遊びながら人との距離間や個性や自己を見つけていくのもこうした感覚だったかもしれない。大友さんは三々五々音を出させたりおしゃべりをしながら、厚紙に大雑把に演奏を支持するマークや簡単な単語をマジックでほとんど思いつきで書き付けていく。それを上げたり下げたりして指示を出すわけだ。
言うまでもなく自由というのはアプリオリにあるものではない。むしろ自由は制度に依拠する。もしくは自由は制度化されなくては自由であることを認識できない。蹴る地平がなくては飛び上がることは出来ないのである。大友さんがジョン・ゾーンの「コブラ」に対して、高く評価する一方で、高度にそして巧妙に組織化されたアメリカ的な自由(反抗まで組織化されている)の窮屈さをどこかで感じていたように、ある自由は同時にある不自由をも抱えなければならない。細かい分析や展開ははしょりまくって、ここではその「ある不自由さ」をざっくりと「制度」と言ってしまおう。1日目のワークショップは、対話や実践の中からその「制度」を模索する試みであったわけだ。
しかしこの試みの面白いところは、不自由さ、制度の中で如何に自由であるか、という感覚を皆が共有していくプロセスであると同時に、「気分」に支配されるべき領域、不自由さが破綻する可能性(あるいは逸脱の契機)を如何にして確保するか、を共有するプロセスでもあったことである。言うまでもなく、そのプロセスをオーガナイズする大友さんにはこれまでのワークショップや自身の演奏活動で築き上げた「技術」があった。2日目の演奏後、チェロで参加された方と打ち上げでお話しした際も「大友さんは(クラシックの文脈でいうところの)マエストロである」という言い方で妙に納得してしまったのだが、まるで伝説の名指揮者のように、音楽(あるいは場)を作り上げる技術を持っていたと思う。状況を完全に自らの指揮下に置くと同時に、そこから逸脱していくようにして特別な「何か」(それはしばしばロマン派的な精神性と名指されがちだが、KDMはもっと曖昧に「気分」くらいにこれを名指すことを好む)を生じさせる力を生み出す技術である。また、音楽演奏に関しての素人やバックボーンが一律でない人間を広く募って音楽をやってしまおうとする発想自体に、逸脱の指向性があるだろう。大友さんのような人がこのようなワークショップを折に触れて開催するのは、教育や啓蒙がテーマなのではなく、彼自身の音楽にそうした異物を挿入するという目的が一方にあるだろうと思う。自らの不自由さをどこかで破綻させる他者としてのワークショップ。
1日目の終わりに、大友さんの作品「コール レシオ」(日本初演)への参加者が募られた。当初はプロの音楽家のみで演奏するつもりだったが、良い機会なのでワークショップメンバーからも何人か参加してもらおうとのことだった。やや自信がなかったがこんな機会は滅多になかろうと、KDMも志願して参加させてもらった。
2日目。
1日目に決めたルールの再確認。1日目からは比べ物にならないほど見事な集団即興になっていた。パラダイムが変わっていくというのはおそらくこういうことなのだろう。本番には200人近い聴衆が入り、聴き手と演奏者の混在状態になった(規模は小さいが、ANODEの形式である)。1曲目「コール レシオ」。大友さんのストイックさが良く出た作品で、ギリギリと演奏者を拘束しつつ、まるで何事でもないように(日常のように)演奏することを要求する作品である。さらに事故・運動をも招き入れていく手腕とプロの音楽家の凄みを存分に味わえた。2曲目はワークショップ参加メンバー全員を加えての「GRID」。大友さんの優れたリードによって、演奏者全員がほとんど忘我の喜びと興奮を得ることが出来た素晴らしい時間だった。聴き手の方はどうだっただろうか。今回ばかりは想像がつかない。音楽的には、集団即興で全員が反応した際にかえって個々の音響の面白さを打ち消しあってしまう局面があったこと(大蔵さんの音が消されてしまうのは痛かった)などは課題だったかもしれない。無論、結果論ではあるが。
撤収作業と打ち上げでは、何人かの方と連絡先を交換させていただき、演奏の話やその人の音楽経験などを語り合い、相当楽しかった(w)(それに某明オケ関係者とも遭遇!世間は狭い・・・)またライヴ会場などで会いましょうね! それに高良さんとは、不躾にも芳垣話や打楽器話、狭い音楽業界話などをさせていただき、こちらも勝手に親近感をアップさせて頂きました(^^; こういう経験をすると、ライヴやCDでも音楽の聴き方が更に変化してくるんですよね〜。近々ライヴでもまたお目に掛からせて頂かせてござ候まします。(日本語滅茶苦茶になるくらい嬉しかったんですってマヂでw)
最後は「コール レシオ」で使用した楽譜にサインをもらい(西さんと石川さんはお帰りになられて、もらえなかったけど・・・)、ミーハー気分全開で帰途についたのでした。