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マーラー:交響曲「大地の歌」(シェーンベルグ&リーン編曲室内楽版)

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 シャウロン・アンサンブル

コルネリア・カリッシュ(A)クリスティアン・エルスナー(T)(IPPNW CONCERTS)

 

初ものシリーズ。初・室内楽版マーラー。

室内楽の楽しみがようやく身に沁みてきた昨今。贔屓のW=メスト(これはモーストと表記するのが本当らしいですが・・)が指揮をしていることも手伝い、こういうCDを聴くのもいいものでございます。基本的に、もともとでかい編成の曲を室内楽編成でやると細かいところや曲の骨格を露わにしてくれて面白いので楽しいです。

 

編成はヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、クラリネット1、ファゴット1、フルート1、オーボエ(イングリッシュホルン)1、ホルン1、打楽器2、ピアノ1、ハーモニウム・チェレスタ1。

比較というかフルオケ版も聴きたくなって所有するベルティーニ&ケルン放響盤(これ好きなんす)を聴いてみましたけど、KDMは室内楽盤の面白さをさらに倍してドン!という結果になりました。

室内楽だと、フルオケの豪華な「カラオケ」にあわせて朗々と歌い上げるみたいな感じじゃなくて、声楽も含めてのアンサンブルが緊密に行われていて、個々の楽器が割り当てられている音の存在感が増す感触があります。フルオケだとどうも個別性が「全体」の中に分散してしまうようなところがありますが、室内楽みたいなことやってると全体と部分はほとんど直結していて、聴き手も含めて、その音楽に接する者の意識が集中していく緊張感と一体感があります。

 

実際に演奏をするときも、「室内楽(あるいはアンサンブル)はほんとに勉強になる」ってなことを言いますが、別にリッスンオンリーな人でも、室内楽やアンサンブルを注意深く聴くことで、音楽をより多角的に聴くことが出来るようになるんじゃないか、とこのCDを聴きつつそんなことを感じました。

別にでかい編成のが全体の音楽を聴いたり、多くのソフトを聴けば多角的な聴き方ができるわけじゃなくて、ここで「多角的」と言ったのは、聴き手の意識のチャンネル色や雰囲気、迫力などと同時に細部のアンサンブルや呼吸、技術を聴き取ることができるという意味です。音楽の楽しみ方は同一のソフトからいくつも導き出せます。それには聴き手の方が様々な方向へ「耳」を移動させるような能動的な聴き方が必要なわけです。つまりソフトの「価値」は、受け手次第で様々に引出せるってことなんですよね。

 

最近ある掲示板で、ブラインドで聴いたウィーン・フィルの演奏をサイトウキネンと間違って、なおかつ「やっぱりザンデルリンクやヴァントが最高だね」みたいなことを公言してはばからない音楽ファンがいるんだゼ〜みたいなことを読みました。よりによってWPOとサイトウキネンを混同するってあまりにもセンスのない間違いじゃないですか?個々の楽器や演奏者において、まったく個性が違いますからね。オケの音の差はわからないのに指揮者による差はわかるなんてことあるかいな?そういう差は音を通してしかわからないはずなのに。

そういうのって最も鼻持ちならないタイプの聴き手だと思います。限定された視野、そして自ら可能性を狭めてしまっている音楽へ向き合う視座、そしてそれを音楽に押し付けてしまう耳。

 

KDMのテーマは、それでも硬直しがちな自分の意識をいろんな種類の音楽を聴き、いろんな聴き方を試すことで一生懸命解きほぐすことにあるといっても過言じゃないかもしれません。

初ものシリーズも、その一環となれば良いのですが。

(2001.10.19)

 

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