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NAM JUNE PAIK:「WORKS 1958−1979」(SUB ROSA)

 

あ、1979年てKDMの生まれた年だ!

てゆーか伸二が生まれた年だ!それから高原と永井雄一郎と小笠原と中田浩二と・・・・

 

まあ、いいんだが、ナム・ジュン・パイク。坂本龍一の「Toribute to N.J.P」 のNJPとは彼のこと。

韓国生まれで日本に来てドイツにもアメリカにも行った人。とりあえずこのあたりから適当に見てみてください。

 

作品名を見てもマース・カニングハムとかジョン・ケージとかプリペアド・ピアノとかそういう方面の言葉が出てくる。ある意味、ひとつの「時代」を感じさせるクラシカルな単語の束。ビデオアートでの評価が高い人だけど、音楽でもシェーンベルグを勉強したとかクールな経歴を持っている。

 

1曲目「PREPARED PIANO FOR MERCE CUNNINGHAM(1977)」

鐘のように金属化されたピアノが奏でるサマータイム・・・。KDMは、こういうの、好き。お盆の夕暮れにふるさとのお寺でこれを流したらきっと美しいんじゃなかろうか。ナム・ジュン・パイクをアジアに回収するのはあんまりいいことじゃないかもしれんけど、イメージしたらかなり気分良かった。

2曲目「HOMMAGE A JHON CAGE(1958-59)」

3曲目「SIMPLE(1961)」

テクノロジーが軋んでた時代って、あったんですよね。それまでの音楽が単にテクノロジーとぶつかるだけでビリビリとノイズを発していた時代。それ以後のポストモダンな、のっぺりとした「現在」の通奏低音として、この軋みをどこかで維持したいという欲望がKDMにはあります。暴力的というより、どこか子守唄のように。

4曲目「DUETT PAIK/TAKIS(1979)」

ナム・ジュン・パイクのピアノ即興とヴォイス、それから金属の彫刻(オブジェのようなものか?)でのパフォーマンスのコラボ。バッハのようにはじまって演歌っぽくなっていく即興、奥深く響くヴォイス、そして金属音。演歌っぽさがぬぅぅっと出てくるとき、早く金属音で遮ってほしくなるKDMがどこかにいます・・・。そして、金属音で遮られてはじめて、安心してその物悲しさを受容する気になる天邪鬼。そして、またバッハへと帰っていく韓国生まれの男。それを聴くKDM。ああ、バロックですね。ゆがんでいく時間感覚・・・。

5曲目「ETUDE FOR PIANOFORTE(1959-60)」

楽器のピアノフォルテではなく、弱く、強く、弱く、強くのリズムをテクノロジカルに反芻するノイズ。系列としては2曲目、3曲目と同じ。

(2002.12.3)

 

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