今は無き学舎(小学校編)

 KAZZは小学校時代に1度転校しているため、2つの小学校に通ったことになる。ここで紹介するのは、卒業までの3年間を過ごした一関市立一関南小学校の懐かしい学舎である。
 残念ながら、一関南小は校舎老朽化のため隣接校庭に新校舎を新築・移転し、2000年1月に旧校舎は取り壊された(旧校舎は1957年竣工で、木造校舎としては最後期のものであろう)。
 ここでは、取り壊し直前の、沢山の思い出の詰まった学舎の写真を紹介する。本ページの背景写真も、KAZZの6年生時代の教室の前の廊下を写したものである(撮影時は会議室に転用)。
 なお、突然の訪問にも関わらず、校舎撮影を快く許可下さった教職員の皆様及び撮影にご協力頂いたPTA及び児童の皆様に感謝申し上げたい。
 涙のみであり、言葉も出ない。

 なお、写真をクリックすると、この画面よりも大きな写真が表示される。

正面玄関
4年生通用口

北校舎(管理棟)の正面玄関であり、一般来客が使用する出入り口である。我々児童は、ここを使用する機会は少なかった。

こちらは、4年生在籍時(小生転校直後)に使用していた通用口である。ここも、我々児童達の喧嘩の場として「使用」された。

旧4年C組教室
旧4年C組教室

転校後、初めて学んだ教室である。授業中に落書き遊びをしていて先生に首根っこを捕まれたこともあった。

同じく4年C組教室を廊下側から眺める。初冬の淡い午後の日差しが懐かしさを増幅させる

旧4年C組入り口
旧6年B組教室

撮影時は1年C組となり、なんと小生の従兄弟の娘と、黒犬のSYOJIの息子さんが学んでいた。歴史は繰り返す。

小生の現在は、ここに端を発するといっても過言では無い。撮影時は、児童数の減少により、会議室に転用されていた。

旧6年B組前廊下
テレビ放送スタジオ

背景写真の元の画像である。ここに何度立たされたことか・・・なんどここで喧嘩したことか・・・20世紀の思い出。
しかし、古いながらも校舎全体が小ぎれいである。清掃が行き届いている。まだまだ、最近の子供達も捨てたものではないと感じさせられる。古い校舎がきれいに保たれている状態は貫禄すら感じさせる。

昭和40年代初頭から校内テレビ放送を実施していた小学校は全国でも数えるほどだったと思う。おそらく、何かのモデル校だったのだろう。又は、岩手県の政治力か?
結局、ビデオの普及とともに、放送コンテンツはビデオ制作へ移行し、現在の職員も生放送が行われていたことはご存知無い方が多いようである。

北校舎1階水飲み場
埴輪

ここで喉を潤したのだ。級友達と水かけ合戦もやった。生意気な下級生に因縁をつけたりしたのもこの場所。

かつては図書館に置いてあった(?)と記憶している埴輪のレプリカ。新校舎移転を前に、廊下の棚の上に仮置きしてあった。

中庭
職員室

南北校舎、屋内体育館、西校舎(正面の鉄筋校舎)に口の字に囲まれた中庭。植え込みと金魚の池が美しい、憩いの場だった。

ここによく正座させられた。なんともバツの悪いものであった。途中から嫌になり、職員室内を立って歩き回って、さらに叱られた。

職員室前のトイレ
屋内体育館(屋体)

6年生の時は、ここのトイレを使用した。職員も使用するため、先生の悪口をトイレで言うのは勇気が必要だった。

略称「屋体」。卓球部の小生はお馴染みの場所だった。6年生の時に「ここでロックをやりたい」と思ったのが過ちの始まり。

児童達
校門(正門)

土曜の午後に居残って作業をしている児童達にモデルになってもらった。真面目そうでとてもチャーミングな女の子達だった。恥ずかしそうな表情だが、「変なオジサン」と感じただろう。健やかに育って欲しい。

これを外すわけにはいかないだろう。但し、これは現在も正門として使用されている。旧国道4号(奥州街道)に面した正門であり、多くの児童を迎え、また送り出した、優しくも威厳のある存在である。

この学舎は小生の音楽人生の原点。
生涯、忘れることは無いであろう。

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