奥の細道
芭蕉最北の宿・一関市
なんのことはない。2000年8月のKAZZの帰省日記に過ぎない。
しかしながら、芭蕉最北到達地で立ち寄った施設等、一般的な「芭蕉本」では見られない内容も含まれているので、是非、ご覧頂きたい。
どうしてもKAZZの生い立ちに絡めてあるので、しつこい内容かもしれないが、ジモティー達も知らないようなスポットも含まれている。
一関市の歴史

一ノ関城趾(釣山公園)より市街地を見下ろす
一関藩3万石の城下町であるが、年輩の方には大河ドラマ「もみの木は残った」の舞台としてご記憶の方もおられるかもしれない。
仙台藩の祖、伊達政宗の側室の子として生まれた伊達兵部宗勝は、一関城主となってから仙台藩(62万石)からの30万石奪取を企むが、原田甲斐らの命を賭した行動によって阻まれ、伊達兵部は土佐へ流刑となった。
しかし、この事件を機に、一関藩は3万石の小藩ながら独立大名格を与えられるに至った。藩主には坂上田村麻呂の流れを汲む田村氏が命ぜられ、明治維新までこの地を納めることになる。
明治維新後、廃藩置県によって一関県となり、田村氏居城敷地内に一関県庁が置かれた。その後、数回の県名変更の後、盛岡県と合併して現在の岩手県となった。
1948年に、当時の一関町及び周辺1町2村が合併、市制を施行して一関市となった。
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