Shobi World Forum

 1999年10月24日、東京国際フォーラムにて、尚美学園主催の"Shobi World Forum第1回 音楽カンファランス「音楽ステージの未来」−21世紀の芸術とエンターテイメントのゆくえ−"が開催されました。そのフォーラムに、パネリストの一人として大島ミチルさんが出席されました。僕も見に行きましたので、フォーラムで行われた議論を報告します。
 一応メモは取ってきたのですが、興味を持った部分に限られています。したがって、時系列に沿って議論の流れを報告することはしません。議論の総論から各論に入り、パネリストの発言を紹介するという形にします。また、いちいち誰の発言だ、というところまでも記録していません。そのため、発言した人を間違えて紹介してしまうことがあるかもしれません。もし、フォーラムに参加された方で、誤りに気づかれた場合、僕までお知らせください。

 このフォーラムでは、副題にあるように、21世紀を迎えるにあたって、音楽をめぐる環境−−教育、コンサートのプログラム、ビジネス、そしてアーティストのあり方など−−がどう変わるべきか、さまざまな問題が定義され、パネリストの意見が交わされました。
 パネリストは、大島さんのほかに、ニュースキャスターの小宮悦子さん(一応、敬称は「さん」で統一しておこう)、ホリプロのプロデューサーである鈴木正勝さん、音楽家であり、東京芸術大学の教授でもある原田茂生さんの4人です。コーディネーターは、放送作家の渡辺健一さんです。

 コーディネイターを含む、出席者全員の共通した認識として「このままではいけない」という思いがあったように感じます。
 たとえば、デジタル技術の発達によって、「綺麗な音」がどこでも聞けるようになりました。クラシックのコンサートに人を引き付けるためには、「音」以外の付加価値を加える必要が生じてきます。
 その課題に対し、クラシックのファンではない人を引き付けるための様々な方法−−プログラムの組み方を工夫する、作品の解説を行う、など−−が提案されました。そのためには、美術館と同様、コンサートホールにおいても、学芸員(キュレーター)が必要だという意見も出されました。ホリプロの鈴木正勝さんからは、プログラムだけではなく、照明にも凝り、そのコンサートを観客に印象づけるのはどうか、という提案もありました。
 また、アーティストに関わる人の意識の変革も必要だという意見も出されました。
 国体など、地方自治体のイベントの音楽も数多く担当されている大島さんが指摘しておられましたが、自治体の担当者は「問題を起こしたくない」という考えゆえ、言われたことしかやらないそうです。何かアーティスト側から提案しても、「前例がない」という理由で却下されることが多いと言われました。
 しかし、アーティスト自身、ともすれば、マネージャーは自分に仕事を持ってくるものだ、と考えていることが多いそうです。アーティストが、自分自身で、新しい表現方法を提案する、いわばプロデューサー的な能力が必要だという意見が出されました。
 音楽教育という面では、実際に教壇に立っておられる原田健一さんから、興味深い話を聞くことができました。
 昔、日本の作曲家、指揮者が名をあげるためには、ヨーロッパに留学し、そこで勉強する必要があったといいます。そして、日本に帰り、帰朝演奏をし、勉強の成果を発表したそうです。しかし、今は、音楽の「西高東低」は崩れ、日本人が西洋人相手に、西洋音楽を教えることも珍しくはなくなってきたとのことです。そうなると、これまであった「権威」というものは崩れていくことになるのでしょう。これからは、「どこの学校へ行ったのか」ではなく、あくまで作品自体で、音楽家の価値を決める時代になると思います。
 テクノロジーという観点では、パネリストの中で、もっとも現代音楽の制作の場に近いであろう大島さんから、最新の状況が提示されました。
 現在のレコーディングの現場では、日本で収録した音楽をインターネット経由で海外に送り、海外のミュージシャンがそれにあわせて演奏することも行われているそうです。それだけではなく、遠隔地同士をネットワークを結んで、双方リアルタイムで演奏することも可能だそうです。しばらく前に、坂本竜一がインターネットを使ったライブを行ったことは知っていましたが、それはすでに目新しいことではない、ということです。近い将来、このような技術が一般化すれば、音楽をめぐる様々な物理的条件が大きく変化することになるでしょう。
 そして、音楽そのものも変容を迫られているという話題もありました。これだけ文化的交流が容易になった現在、ヨーロッパの文化にアジアの文化を取り込むこと、またその逆も珍しいことではなくなってきました。そのような状況下では、文化の違いによる、言い換えれば「珍しさ」による価値は低くなるでしょう。ヨーロッパの民族楽器も、アジアの民族楽器も同じように扱うようになったときに、音楽の良し悪しを決めるのは、あくまでも音楽家の才能、音楽そのものになるという指摘がありました。大島さんがイタリアで曲の収録を行ったときに、現地のスタッフに、(大島さんの)音楽はアメリカ的で面白い、と言われたそうですが、まさに大島音楽の先進性を表すエピソードでしょう。
 そして、これから大切なのは、自分が何を表現したいのか、強く思うこと、また、内容だけではなく、伝える姿勢、態度も大事にすることである、とまとめられました。

 ディスカッション開始時は、ともすれば原田さんが多く話しがちで(というよりもコーディネーターが原田さんに話を振りがちで)、大島さんにも話を回せー!と密かに思っていました(笑)。しかし、後半では、大島さんもアーティストの周囲の環境について興味深い意見を示され、結果的にはバランスよく各パネリストが発言していたのではないでしょうか。それぞれのパネリストの立場の違いも良い形で表れて、面白く、有意義な議論になったと思います。

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