2000年3月11日更新 はじめまして! 2000年12月14日更新 人物小伝〜プロフィール〜 がっちゃん あのがっちゃんの素顔がわかる!? ブリブリ伝説 相棒(バイク)達の軌跡がわかる! |
風の旅人 〜プロフィール〜 『一路平安』♪旅のコーナー♪担当者 本名:いぐち ひでき 出身地:大阪府 年齢:31才くらいでしょう |
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![]() 旅のし過ぎで投獄された″風の旅人″ |
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| 大阪生まれの大阪育ちである。コテコテのギャグを口から発し、人々を凍らせるのを得意とする。でも、たまに喋る人生論は結構評判であったりもする。1999年12月24日のクリスマスイブにサラリーマンを辞め、雇用保険で食いつないでいる。早く働かないとお天道さんと労働者諸君に申し訳ないとは思いつつも、胃潰瘍の治療に専念しているという大義名分があるので安心してダラダラと毎日を過ごしている。現在、狭い部屋を広くしたいと思い収納術に凝っている(随分広くなったので自己満足に浸っている)。彼は料理好きで、イベント好きも手伝ってたまに花見やバーベキュー大会、花火大会などを企画し、無理やりみんなに出席してもらうという性癖がある。一応自分ではみんな喜んでもらっていると思っている。 |
| 彼の今までの人生を振り返ってみよう 小学生では、いつも学級委員を任せられていた、というのはウソでいつも図書委員を自分で立候補し、お昼休みや放課後になると図書室へ意味もなく出没しては本を読んでいた。彼のお気に入りの本は『シートン動物記』『ファーブル昆虫記』『椋鳩十先生のシリーズ本』である、と書けばカッコいいが『ロン先生の虫眼鏡』や『釣りキチ三平』という漫画をよく読んでいたと思う。どちらにしても動物や昆虫好きであったことは間違いない。それを裏付けるように、よく裏のお寺で昆虫を取っては怒られていたものである。原因はお堂に勝手に上がり込んだり、お墓の上を走り回ったりしたからだ(これは昆虫好きとは関係なかった。ただの腕白坊主である)。本の読みすぎなのか、いや当時流行りだしたテレビゲーム『木こりの与作』を友達の家で(もちろん家は貧乏だからそんなテレビゲームはない)やりすぎて小学4年生でメガネをかけることになる。当時、視力回復センターに行かなかったことが悔やまれるくらい、今はビン底レンズである。 |
| ”電気クラブ”ってどこの中学校にもあったのかなあ? 中学生になり、小学校から続けていた野球に力を入れて頑張っていけばよかったものの、その頃は運動が嫌いで中学校に入学すると同時に野球はやめて”電気クラブ”なるものに入部する。父が自営業で電気関係の仕事をしていたのもあり、『ラジオ技術』や『トランジスタ技術』などの本をわけもわからぬまま読んでいるふりをしているうちになんだかその方面に興味が湧き、なんだか分からないまま入部したが、やはりなんだか分からないクラブであった。”電気クラブ”らしいことといえば古いテレビやラジオを分解したりするだけでなんか作った覚えがない。あ、そういえばひとつあった。みんなでゲルマニウムラジオなるものを作ったが、これが電池ナシのボリュームナシでラジオが聞こえてきたから驚いた。原理はなんだかよく分からなかった。普段の”電気クラブ”はこんなことばかりしてるわけではなかった。校内暴力で壊れた校舎や教室を直したり、技術の授業で作成の遅れている友達の作品の手伝いをしたりしていた。なんだか”電気”とはほど遠いことをやっていた。しかし、そんなことをしていて一度だけ校長先生に誉められたことがある。市内のお祭りにつかうパレード車の作成を手伝ったとかで賞状までもらった。これはさすがに当時の”電気クラブ”の部員しかもらえなかった賞状だったので、今も珠算検定の賞状や習字の賞状より大事にしている。 |
| 「おーい、お茶!」 受験戦争が激しくなる前の時代に生まれた僕(僕だけがそう思ってたのかも知れない)は、あんまり勉強もせずに大阪府立の高校に入学した。自宅から約1時間20分もかかる電車通学だったが、電車通学に憧れていたのでなんの苦痛もなく毎日、車内で参考書を読んで通学していたわけがなく、イビキをかいてヨダレを流して通学していた(一体なにに憧れてたんだか・・)。そんな長い通学時間を理由にして彼は″帰宅部″を選んだ。クラブ活動をせず、ただ帰るだけである。しかし、当時ゲームセンターが帰宅途中にあり、そこで『ギャラガ』や『ゼビウス』に夢中になり、よく最高得点を競っていた。彼の高校は基本的に弁当持参だったが、昼休みになるとその日の日直が一階の食堂にお茶をとりに行くことになっていた。しかし日直がたまにお茶を取りに行かない時があるのだ。彼は弁当にお茶がないとご飯を食べれない性分なのでよくブツブツ言いながら自分で取りに行った。そうしたらいつのまにか彼がずっとお茶を取りに行くことになっていた。これがまた3年間続く。当時『少年ジャンプ』に掲載の《北斗の拳》が流行り、「お前はすでに死んでいる」という言葉を教室内のあちこちで聞いた(話は変わるがタイピング練習ソフト《北斗の拳》はそんなわけで彼にとってはなんだか気になる存在だ)。そんなものだから毎週月曜日の朝に『少年ジャンプ』を買って学校に持っていけば、みんなで読みまわして雑誌はすぐにボロボロになった。そういえば彼ばかり『少年ジャンプ』買ってたような・・・。そんなこんなで3年が過ぎ、高校時代のほとばしる青春を経験できなかった。実に悔やまれるのである。 |
| バイクでコーナーリングするときは「カメ!」と叫ぼう。気合い入るよ 知らないうちに大阪府内の山奥にある大学に、彼は合格していた。聞けば作家の『宮本輝』も同じ大学なんだそうだ(彼と同じ大学と書かれる『宮本輝』は災難である。すまんが諦めてくれい)。この頃に、彼はバイクという衝撃的な乗り物に出会うことになる。『モトチャンプ』や『ヤングマシン』といったバイク雑誌を読んでは「ああ、僕もこんなバイクに乗りたいなあ」と思うようになった。話は全然変わるが『モトチャンプ』の中で掲載されていた《マルチくん》という4コママンガは面白かったなあ。いや、なつかしい。で、先ずは原チャリ(50ccバイク)の免許を取った。そして当時流行りのスポーツタイプのゼロハン、YAMAHA RZ50を買った。あの時は平忠彦に憧れていてヘルメットは平忠彦カラーのを買ったっけなあ・・・。そして大学の裏手の山によく走りに行ったものである。当時『バリバリ伝説』というバイクマンガにのめりこんでいて、よくその主人公の真似をして走った。そういえばその主人公は必殺技の《ガードレールキックターン》というコーナーリングテクニックを持っていて、その真似をしようかと思ったがあれは高速でコーナーを曲がるためにガードレールを蹴って曲がっていくという技なので、さすがにそれは真似するのはやめておいた。あの山で転倒した時、一緒に走っていた友達が往復100キロ離れた僕の家まで送ってくれたことは、今でも忘れられない出来事だ。その一年後には中型二輪免許を取得し、すぐに限定解除の試験を受けに試験場へ通い、6回目に漸く取得した。当時は大型二輪という免許の区分がなく中型(400ccまでしか乗れない)という限定を解除してもらう試験があった。今でこそ教習所で大型免許取得がポピュラーになったが、当時は教習所で取得することもできず、また限定解除試験に対応した教習所も少なく、その教習料金もすごく高かったので僕のような貧乏人は教習所に通うこともなく自分のバイクYAMAHA RZ50に乗って、よく近所で一本橋や安全確認の練習をしたもんである。免許をもらってすぐに、無謀だとは思ったが僕は50ccバイクからいきなりナナハン(750cc)のバイクに買い換えた。HONDA VF750Fである。当時、そのバイクは″人間味のないエンジン″とか″ハンドリングがよくない″などと言われた不人気車で、かなり安く購入できた覚えがある。そのバイクに乗って初めて北海道へ行ったのだが2ヶ月の旅の計画が、トラックにバイクを巻き込まれて、2日であえなく終了。バイクは廃車にするほど凄まじく壊れたが、僕は足を捻挫するだけだった。思えばあのバイクが僕の身代わりになってくれたのである。合掌。今もそのバイクのキーとエンジンの部品は形見として大事に持っています。 |
| ″ローン″″ローン″″ローン″! そしてサラリーマンになると僕はすぐに、友達が入社した自動車会社で全額ローンでTOYOTA セリカ GTRという車を購入した。「これからバンバンお金も稼げるやん」とも思い、追っかけこれまた全額ローンでYAMAHA RZV500Rというバイクも購入した。そして、それが悪夢の始まりとは誰も知る由はなかった。車を買って10ヶ月たったある日の早朝、僕は気持ちよく車を走らせていた。そこはよく知ってる道で、もう少し走るとS字カーブになってるはずだ。いつものように走っていたと思っていたら、少し、いやかなりスピードを出しすぎてカーブに進入していたようだった。車は自らの車重と遠心力に耐え切れずタイヤをスッリプさせた。ぼくはすぐにステアリングを車の流れる方向に回したが、アクセルを少し戻してしまったため急にタイヤのグリップが回復、見る間にスピンしてしまった。かなりの衝撃でしばらくよく分からなかったが、気が付いたときは車は進行方向と反対側を向き、キチンとかけていたシートベルトは外れていた。なんとか自走で自分の駐車場までたどりついたが、タイヤのホイールは曲がり車軸も折れていた上に車体も弓なりにゆがんでいた。修理の見積もりを取ったら最低でも100万円はかかる、と言われ、やむなく廃車に。しかし、世の中には色々な商売があるものだ。その廃車するしかない車を買い取ってくれる所があるのだ。しかしそんな高価に買い取ってくれるはずもなく、10数万円をキャッシュでもらっただけである。まだあと5年と2ヶ月のローンを残して車は僕の手元からなくなってしまった。不幸は続くものである。そういえばその年は厄年だったなあ。次はバイクがまたもや左折巻き込みにやられてしまったのだ。これも、3年のローンを残して僕の手元から去っていってしまった。手元に移動手段が一度に両方なくなると不便である。そう思った僕は、さすがに車を買う資金力はなかったので、バイクを再びローンで購入した。HONDA CB750Fである。これで、トリプルローンになってしまった。まあいい、これからどんどん稼ぐでえ〜!と気合を入れたらバブルが崩壊してしまった。それからすべてのローンを返すまで、ドン底の生活をすることになった。会社の先輩に食事をタカりまくる日々が続いた。先輩、その節は大変お世話になりました。出世払いしますから、と僕は言っていたのに出世もせずに退職してしまいました。食い逃げしてゴメンナサイ。 |
| 人生、″谷あり″″谷あり″でも頑張るぞ! その後、漸くローンも綺麗サッパリなくなり、一生懸命仕事して、少しはお金が貯まってきたかなあ、と思ったら急性肝炎と胃潰瘍で入院となった。体の丈夫さと、飲みっぷりと食べっぷりの良さだけが取り柄の僕がそんな病気になるとは思いもしなかった。仕事のストレスが原因ということもあり、僕は長く続いたサラリーマン生活にピリオドを打ったのでした。というわけでちょっと不幸が続きすぎやぞ!少しはいい事まわしてえなあ神さん(こんなときだけ神さまのせいにして・・・)。というわけで今年は絶対幸せになるぞ、と。 |