ガンジーの糸車通信
by 片山佳代子(メール)
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No.37 2012年5月16日発行
春ですね。種まきの季節です。しかし、秋田は暖かいかと思うと、急に肌寒くなったりするので、なかなか綿の種を蒔けないでいました。でも、そろそろ蒔かないと・・・。
寒さに比較的強いベニバナと藍の種は、先月(4月)下旬、雪解けと同時に蒔きました。肌寒さをものともせず、本葉も出始め、少しずつ育ってきています。
震災・原発事故… そして秋田県でも、震災がれきの焼却が始まってしまいました。これから先どうなっていくのだろう、という不安はあります。でも、だからこそ、地道な取り組みが求められているとも言えます。「たとえ世界が明日滅びようとも、私は今日リンゴの木を植えるだろう」(宗教改革者ルターのことば)の精神で、私は今日も生きていたいのです。
避難するか、しないか
子どもたちを被曝から守るためにTeam二本松を設立し、食品の放射線量を測定するなどの活動をされている佐々木道範氏の講演を聴く機会がありました。鎌仲ひとみ監督の映画『内部被ばくを生き抜く』にも出演されている方です。重い、重い苦悩の現実がそこにありました。コーヒーを飲むか、紅茶にするかのような些細なことではない、子どもの命にかかわる重い選択を日々迫られ、残酷なことに、時間は刻々と過ぎていきます。しかも、いつ終わるともしれない…出口が見えない状況です。
「どうして避難しないの?」と、軽々しく言ってはならないことにも気づかされました。父親が仕事を捨てて避難することは本当に難しいです。母子避難となった場合、子どもたちの身体は守れても、心が壊れてしまうかもしれません。
「どうして避難しないの?」という言葉の背後に、自分たちを正当化したいという動機が隠れているような気がします。避難しなかった人たちの自己責任だと言ってしまえば、私たちにできることがあったのではないかと、悩まなくて済みますから…
ただし、避難が必要なくらいに汚染されてしまった地域が広大に存在することは事実ですから、避難が容易になるような施策は必要だと思います。“経済的な補償ができないから、安全なことにする”というのが、今の政府がやっていることのようですが、危険性をはっきりと知らせるべきでしょう。危険だということが共通認識になれば、お父さんたちが仕事に縛られる度合いも減って、避難の決断が容易になるような気もします。
それでも避難できない人は存在するでしょうし、苦渋の選択であることには、変わりありません。だから、それぞれの選択を尊重して、助け合うことが大切ですね。避難するか、しないかで、人々が分断されてはなりません。避難した人もいつでも戻ってきたら、暖かく迎えられる・・・避難できない人も、時には避難した人を訪問できたり・・・そして、いつまでも、同郷の友としていられたら… 不可能ではないはずです。そういう、今までよりも、もっともっと暖かい人間関係を築いていけたら、この震災がそのきっかけとなれば、素晴らしいことのような気がします。
そして、被災しなかった地域でも、人々を温かく迎え入れ、もてなす心が培われるなら、震災によって、日本は変わっていけるのではないかと、私は感じるのです。
究極の自然エネルギー
エネルギー問題の解決にも、人々が手を取り合うことが、鍵であるように思えます。原発の事故以来、自然エネルギーにシフトしようという主張があります。太陽光、風力、さらには波力・潮力までありとあらゆるエネルギーが利用できるではないかと、主張されています。でも、ひとつだけ忘れられているとても身近にあって、とても使い勝手の良い動力があるのではないでしょうか? それは、手足です。
太陽光パネルも風車も、それを作るためには、レアメタルが必要だったり、もちろん電力などのエネルギーも必要です。そろそろ元が取れたかなという頃に耐用年数が来て、廃棄物になるかもしれません。でも、手足は、今すでにここにあり、そして生きている限り使えます。さらに、使えば使うほど、鍛えられより良い働きができるようになります。これを使わない手はないと思うのですが… みんなで協力して手足を動かしていく未来を私は描きたいのです。単に震災前に戻るだけの復興は、つまらないような気がします。
例えば、綿を育てて、糸を紡ぎ、布に織り、服を作ることができれば、それだけで相当のエネルギー削減になります。「バングラデシュの機織り職人は電力を使用しないため、職人1人あたり機械織りの布生産に比べ1年に1トンのCO2排出量削減に貢献しています」(『By Hand』サフィア・ミニー著・幻冬舎ルネッサンス・2009年)
糸紡ぎなんて、・・・反近代的で、やっていられないという思いがわいてくるとすれば、教育による洗脳ではないでしょうか? ガンジーは、肉体労働を尊びなさいと主張しました。そして、肉体労働を蔑視することを子どもたちに教えるような教育は間違っていると、独自の教育論も展開します。
機械を使うことが近代的で、進んでいるというのは、思い込みにしかすぎません。機械は人手を省きますから、失業者が必ず生じます。大型機械を所有する資本家は、その弱みに付け込んで、労働者を競争させ、労働力を買いたたくのです。豊かなものはますます豊かに、貧しいものはますます貧しくなるのが、宿命です。資本家が、さらなる富を手にするために、機械が素晴らしいという幻想を振りまいているのです。
これに対して、ガンジーは、すべての人が豊かになることを追求しました。そして、ただ単なる物質的な豊かさではなく、精神性も含めて人間が全人格的に成長することを目指したのです。そして、そのためには、人は肉体労働を手放してはならないとガンジーは主張したのです。
マイホームから古民家へ
新しい未来を作っていかなければなりません。命がもっと、もっと大切にされる未来でなければなりません。とりわけ、未来の世代の命を守る必要があります。私たちはこれまで、自分だけ、今だけ良ければという生き方をしてきたように思います。でも、それで幸せだったでしょうか? 自分が何かを得ていくことを目標とする生き方は、むなしいような気がします。ローンを組んで、マイホームを手に入れても、退職するころにはリフォームが必要になっていたりします。
先日、古民家で糸紡ぎのワークショップをさせていただきましたが、とても素敵な空間でした。重い扉に厚い壁で閉ざされた私だけのマイホームと違って、昔の日本家屋は、縁側があって、どこからでも家に入れる開放的な造りになっています。みんなで共に過ごすにはもってこいの空間です。こんな日本の古民家のように、私たちも心の壁を取り払って、互いを受け入れあうことから、始めていきたいですね。そして、互いの得意分野を提供し合って、命が喜ぶ楽しい活動をどんどんやっていったらよいと思うのです。
例えば、糸紡ぎもそんな活動の一つだと思います。一人で紡いでいると、心を穏やかにしてくれる、瞑想の時となります。みんなで紡げば、楽しいおしゃべりの花が咲きます。食べるものも着るものも、こうやって時には黙々と働いて、時にはみんなでおしゃべりを楽しみながら、手に入れられるものであったはずです。生きるとは、こういう暮らしを言うのだと、一人また一人と、気づいていく人が増えてくれればと願います。これが、未来の命を守ることにつながるはずです。
原発を廃炉したいなら、原発のエネルギーに頼らなくてもできる、もっと楽しい生き方がここにありますよと示すことでしょう。これが回り道のように見えて、最短の道ではないでしょうか? だから私は、こういう危機の時だからこそ、糸紡ぎに精を出すのです。
No.36 2012年1月8日発行
2012年、新しい年が始まりました。
昨年は、震災に原発事故…いろいろありましたし、私自身も秋田県に引っ越し、変化の多い年でした。しかし、人の務めは、与えられた使命を変わりなく、黙々と果たしていくことのような気がしています。
昨年も、綿を育て収穫の喜びを味わうことができました。綿花にとっては、寒冷で厳しい気候でしたが、会津綿という寒さに強い品種に出会うことができたのも、感謝なことでした。
機織りの産地は雪国に多いのですが、それは雪がもたらす湿度が、機織りには欠かせないものだからです。湿り気があると経糸が毛羽立つのを防ぎ、スムーズに織り上げていくことができます。雪景色を眺めながら、機織りにいそしみたいと思っています。
「豊かさは貧しさを前提にしている」
このガンジーの言葉に昨年末、出会いました。私たちは、豊かになることを無条件に良いこととして、追求してきたように思います。しかし、豊かになった人がいれば、必ず貧しくなった人もいるのです。途上国から富を吸い取った結果の、日本の豊かさだったと言えるでしょう。そして、今は、日本の庶民も吸い取られる側となり、一部のお金持ちだけがますます豊かになり、庶民は貧しくなっていく構図が出来上がっているようです。
そこで、一部のお金持ちが蓄えている富を、奪い返さなくてはと考えがちですが、豊かさや富を求めるのではなく、それらを手放す生き方、暮らしを考えてみても良いのではないでしょうか? 豊かさや富を手放した先にある幸せを私たちは展望する必要があると思うのです。そして、そのような暮らしが実現できたら、もう、お金持ちの餌食にならなくても、私たちは生きていけるような気がするのです。
『寡(すくな)きを患(うれ)えずして、均(ひと)しからざるを患う』
これは、孔子の言葉です。みんなが平等であれば、少なくても、乏しくても満足できるはずです。ゼロだと困りますが、少しあれば足りるということを私たちは知る必要があると思います。
手仕事をしていますと、少ない方が助かるということがよくあります。畑もあまり広いと手入れが大変です。秋田は気温が低いので、新潟ほどの収穫はできませんでしたが、それでも狭い畑から、500グラムほどの綿花を収穫できました。新潟時代の綿を加えると、すでに段ボール箱3箱もたまっています。紡いだり、機織りしたりが追い付かないのです。欲を出して、たくさん栽培しても意味がないのです。ほどほどで十分だなと思います。それで手仕事を思う存分楽しめますし… 一つ一つの作品が、思い出深い愛着のあるものとなっていくわけです。大切に、長く着ていたいと思います。着せ替え人形のように毎日着替えなくても、清潔さを保てるだけの衣類があれば十分なのでした。
チャップリンも『ライムライト』という映画の中で、人生に必要なのは、「勇気と想像力と少しばかりのお金」と語っています。少しのお金で私たちは幸せに暮らせます。
原発を廃炉にしたら、経済が停滞すると主張する方もおられます。経済的に繁栄することがそれほどまでに大切なのでしょうか? 経済が停滞すると失業者が増え、仕事がなくなると心配でしょうか? 仕事がないと食べていけないのでしょうか?
不服従運動を可能にするには
私たちの食べ物も、着るものも、大地から来ることを忘れていないでしょうか? 大地とつながっていれば、失業してもそれほど困らないかもしれません。江戸時代の大工さんは、半農半大工だったと言われています。普段は畑仕事をして、家を建ててくれと頼まれた時だけ、出かけていたのです。米や野菜は自給していましたから、しばらく仕事にあぶれても、とりあえず食べていくことはできました。
ところが、今の大工さん、あるいは建設業者は、建設する仕事しかしていません。その仕事で得たお金で食べ物などを購入していますから、仕事が来ないと困るわけです。それだけ立場が弱いのです。だから、環境を破壊するような仕事でも、時には買い叩かれて赤字覚悟でも、仕事がないよりはましと、仕事を引き受けてしまいます。サラリーマンも同様です。
ガンジーは、警察官や村の役人、裁判官など、英国政府の手先となっているインド人に向かって、そのような仕事はやめて、不服従運動に参加しようと呼びかけました。そして、実際に多くの人が仕事をやめて、ガンジーの運動に加わりました。なぜ、それができたのでしょうか? ガンジーは、アシュラムという共同生活の場をインドのあちこちに作っていました。そこでは、人々が共同で農作業や手仕事に従事して食べるもの、着るもの、その他の必需品を手に入れていました。ガンジーの呼びかけに答えて、仕事をやめた人たちは、このようなアシュラムで指導者になっていきました。不服従運動では、多くの逮捕者を出しましたが、アシュラムがあったおかげで、逮捕覚悟で不服従を貫けたのです。逮捕されても、アシュラムのおかげで妻子が路頭に迷う心配がなかったからです。
つまり、大地とつながっていて、仲間がいるということは、強さなのです。江戸時代から明治時代になった時、近代化路線のもと、あちこちに工場が建てられますが、農村で自給自足型の暮らしをしていた人々は、自分の裁量で働いていましたから、雇われ仕事に就くことに魅力を感じませんでした。そこで、従業員を解保するために、終身雇用、年功序列型の賃金を保障し、社員を家族のように大切にしたわけです。ところが最近では、農村から人を連れてこなくても、都会のサラリーマンの子弟が就職する時代となりました。彼らはすでに大地とのつながりが切れていますので、就職できなければ、食べるものにも事欠いてしまいます。そういう弱みに付け込んで、終身雇用も、年功序列の賃金も廃止していっているのが、今の状況です。
弱みに付け込まれたり、資本家の餌食にならないためにも、私たちはもう一度、大地や仲間とのつながりを取り戻す必要があるのではないでしょうか?
ビジネスから暮らしへ
農業や手仕事は遅れたこととみなす風潮があります。農産物の価格が低迷しているから、農業では食べていけないという考えが染みついています。だから、経済が低迷し、失業者が増えても、農業という選択肢は思い浮かばないかもしれません。
しかし、ガンジーのアシュラムでは、販売するのではなく、自分たちが必要とするのものを生産して、分け合っていました。そうすれば、価格の低迷という問題を克服できます。仮に一人年間60キロの米を食べるとすれば、それは命を1年間養う価値があるのです。値段をつけるべきことではありません。命に値段がつけられないのと同様です。だから、あらゆるものを金額に換算して、どうすれば生活費をまかなえるかと、考えるのはやめたいです。
自分一人で生活必需品をすべて作り出すことはできません。しかし、ともに助け合い、支え合える仲間がいれば、お互いが作るものを譲り合うことができ、販売しなくても生活が成り立つのではないでしょうか。そしてビジネスに頼らなくても成り立つ、新しい生き方を目指してみたいと思っています。私は脱ビジネスということを考えたいです。ビジネスはbusy(忙しい)ことという意味です。忙しいとは心を失うことです。私は、忙しさの中で失ってきた心を取り戻したいと思っています。そのためには、ビジネスではなく、暮らしとしての農的生き方を模索したいですし、金銭的な収入よりも、仲間とのつながりこそが、本当の意味での支えであることに、改めて目を向けたいと思っています。
昨年も多くの人に支えられ、助られて、ガンジーの取り組みを続けることができました。私にとっては、何よりの宝が、このように支えてくださる方々です。
きっと今年も、多くの人に支えていただくことになるでしょう。多くの人に支えられて、私は本当に幸せだなと思います。ただ、ただ、感謝することしかできませんが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
No. 35 2011年9月1日発行

暑い中にも、秋の気配が感じられる時期となりました。
いかがお過ごしでしょうか?
感謝なことに、秋田の地でも綿は元気に育ってくれています。コットンボールもたくさん付き、かなり大きくなったものもあります。・・・綿花が噴き出てくるのも、もうすぐでしょう。楽しみです。
鉄砲を捨てた日本人
先日は大曲花火大会でした。花火を楽しみながら、以前読んだ本、『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』(ノエル・ペリン著・中公文庫)のことが浮かんできました。戦国時代が終わって江戸時代になった時、火縄銃の火薬を扱っていた職人は、花火師に転職したそうです。武器を手放した時、こんな素晴らしい平和の文化が花開いたのです。
『鉄砲を捨てた日本人』には、「武器が進歩すると、殺される人数や速さが増し、人間の道徳的発達も損なわれる」と書いてあります。
この本の翻訳者、川勝平太氏は、訳者あとがきで、「近世社会では儒教が国教とされた。儒教は、為政者が身を修めれば、家が斉(ととの)い、国が治まり、天下は泰平になると説く。徳によって権力の正当性が根拠付けられる社会では、軍事力による支配は馴染まないであろう。有徳富国であることがこの国のかたちでありえたのである。」と、指摘しています。力よりも徳を重視した結果、鉄砲に頼ることは、潔いことではないと考えられたようです。
有徳富国こそ、いま私たちが思い巡らすべきことではないでしょうか。徳とは何でしょうか。国語辞典を引いてみますと、「道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。また、その結果として言語、行動に現れ、他に影響、感化をおよぼす力」とありました。「理想に向かって心を養い、実現していこうとすること」は、どんな時代であっても、大切にされなければならないと思います。
「理想ばかり語らないで、現実を見ろ」と言われることがあります。しかし、戦争という現実ばかり見て、平和という理想を語るのをやめたら、どうして平和を実現することができるでしょうか。
聖書に「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書 2章 4節)という言葉があります。
これが実現できたら、どんなに素晴らしいだろうと思いながら、どこか夢物語だと思ってしまう自分がいました。しかし、江戸時代の日本でこれが実現したのです。『鉄砲を捨てた日本人』に「鉄砲鍛冶は次第に減少し、・・・いくつかの火縄銃についてはこれを農具に打ち直したことは疑いようがない」という記述があります。可能だと信じなければ、何事も始まりません。信じることからすべてが始まります。
方向を間違えないこと
しかし、何を信じるかも、また非常に重要です。原発は安全だと信じてきた結果が、今の福島です。命よりも経済的繁栄、お金を大切にしてきた結果と言えるかもしれません。そして今も、子どもたちを疎開させるよりは、放射能レベルの基準値を上げて、安全なことにして誤魔化そうとしているのですから、命が軽視されていると言わざるを得ません。一人一人の命が本当に大切にできてこそ、有徳富国と言えるのではないでしょうか。
良い暮らしをするには、競争に勝つことだと、がむしゃらに頑張ることばかりが強調されて、何をやるべきで、何をやってはいけないか、どういう方向に進むべきかを考えることを忘れていたような気がします。しかし、競争に勝つことがそれほど大切でしょうか。人の足を引っ張ったり、騙し合ったりということになりがちです。競争ということは忘れて、良い仕事をして、自分と人の命を大切にし、幸福になることに徹してみたらいかがでしょう。
花火大会では、それぞれの花火業者が粋を集め、数寄を凝らした花火で私たちを楽しませてくれました。花火大会のために、毎年、精いっぱいの努力をされています。
最近は一生懸命とか、努力が嫌われる傾向にあります。いい大学に入ったり、立身出世のための努力が賞賛されてきたからでしょう。そんなことのための努力であれば、やめておいた方が良いかもしれませんが、命が大切にされ、自分と人が幸せになる方向であれば、精いっぱい努力することはやはり尊いことだと思います。
本気で生きること
坂村真民氏の詩に「本気」という詩があります。
本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる
変わってこなかったら まだ本気になってない証拠だ
本気な恋 本気な仕事
ああ 人間一度 こいつを つかまんことには
この詩にあるような本気になるということを、私たちは忘れてはいけないと思うのです。本気で命を守ろうと思った時に、いま私たちが何をしたらよいかも見えてくるはずです。
どんな犠牲を払っても、放射能汚染地帯にいる子どもたちを疎開させなければなりません。そして、除染をして、新しい日本を作っていく必要があります。
原発を廃炉にしなければなりませんし、震災によって仕事を失った人々に、誇りを持って生きていける仕事が与えられなければなりません。原発を自然エネルギーで置き換えていくのも一つの方法かもしれませんが、私はむしろ、電気に頼る度合いを減らしていく新しい暮らしを実践することが、原発を廃炉にして、仕事を生み出す近道のような気がしています。家庭での節電だけにとどまらず、手仕事を見直すことで、工場を不要のものとするのです。大型機械に頼らなければ、電気の消費量は劇的に減らせます。しかも、手仕事は人手を必要としますので、多くの人で仕事を分け合うことができます。
手仕事に戻ろうと主張しますと、江戸時代の不便な暮らしのどこが良いのかと、反論されることがあります。しかし、手仕事に戻ることが、不便や不衛生につながるわけではありません。
「学者の設定する選択というのは、社会のあらゆる分野における連続的な進歩をとるか、はたまた中世の暗黒時代に後戻りをするのか、こうした類の選択なのである。言い換えれば、中性子爆弾と遺伝子工学とをもって前進するのか、または歯科医術も窓ガラスもあきらめて不便な生活に舞い戻るのか、という選択なのだ。したがって、どれか特定の技術だけを選択すること、これはできないと彼らは想定しているのである。」と『鉄砲を捨てた日本人』に書いてあります。
このような設定しかできないとすれば、私たちは思考停止状態に陥っていることになります。兵器の開発は後退させながらも、灌漑用水路の建設など、人々のためになる分野では着実な進歩を遂げたのが江戸時代でした。
仕事を選ぶときに、その仕事が命を大切にするか、社会の幸福につながるかどうかを、考えることができたら素敵ですね。手仕事に戻っても、インターネットをあきらめる必要はありません。パソコン製造などの工場は残しても良いでしょう。でも、必需品である衣類は、手仕事で得ていく方が楽しいと思います。糸紡ぎ・機織り、陶芸、竹細工、紙漉き・・・いろいろな仕事を復活させることができれば、好きなことを生業にして、楽しく生きていけるのではないでしょうか。たった一度しかない人生ですから、自分が心から楽しめることを仕事にしたらよいと思うのです。楽しいことに本気になって従事することで、幸せな社会が実現するとすれば、これほど素晴らしいことはありません。
No.34 2011年5月5日発行
秋田県に引っ越してきました。
4月6日に新潟県上越市から荷物を出し、7日に秋田で受け取りました。当初は、3月末に引っ越す予定でしたが、震災によるガソリン不足のためにトラックが動かせないということで、引っ越しが1週間あまり遅れました。それでも、無事に引っ越しができてほっとしています。
引っ越しなどで忙しく、昨年12月発行予定だった通信はお休みとさせていただきました。今回、本当に久しぶりの発行となりました。
建設的な生き方
3月に起きた東日本の大震災と原発の事故。とりわけ原発の事故を目にして、全てが手遅れになってしまったという思いに囚われてしまいました。こういう時こそ、心を鎮める必要がありますね。糸紡ぎは、取り乱した時の特効薬のようです。糸を紡ぎながら、「自分に何ができるか?」思い巡らせてみました。
恐れや怒りからは何も生まないということが、まず気づかされたことでした。ですから、恐れと怒りを手放すことにしました。恐れたり、怒ったりする時間があれば、その時間をもっと建設的なことに使いたいと思ったからです。もちろん、全てを曖昧にして、諦めることではありません。怒るよりも建設的なことがあるはずです。過ちを繰り返さないで、本当にみんなが幸せになって、本物の豊かさを手に入れて生きる道があるはずです。これが私の言いたい建設的な生き方です。では何をしたらよいでしょうか?
多くの方々が、ボランティアとして被災地に入って行かれていました。とても素晴らしいことです。また、そこまでできなくても、ボランティアとして行かれる方々に、資金、物品、思いを託すこともできます。さらには、今回の自然災害と人災を教訓として、新しい生き方、暮らし方を提案することもできることですし、やらねばならないことだと思います。
原発の廃炉を目指して
自然の大きな力の前には、私たち人間はあまりにも非力な存在です。だからこそ、自然災害に人災が加わるような事態だけは避けねばなりません。地震はいつ起こるかわからないのですから、日本にある原発を全て止めることが急務です。
しかし、東電や政府をはじめ、原発を推進してきた人々を非難することで、廃炉が達成できるわけではありません。先にも書きましたように、怒りや恐れからは何も良いことは生じないからです。東電や政府に協力してきた私たち一人一人の生き方が問われています。「協力してきたつもりはない」と言われるかも知れません。しかし、福島原発が稼動を始めた1970年代よりも多くの電気を使うようになった人は、みんな東電や政府の政策に、いつの間にか協力してきたことになります。私たちが支払う電気料金が彼らを支えてきたのです。一世帯あたり電力消費量の推移(http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/sw_index_04/index.html)出典:「原子力・エネルギー」図面集2011によれば、1970年は1世帯1ヶ月平均118.8kwhだった電力消費量が、2009年には283.6kwhへと、右肩上がりで増加しています。この間、省エネ技術も開発されてきたでしょうが、増加に歯止めはかかっていません。この事実を直視することなしに、私たちは廃炉を実現させることはできないのではないでしょうか?
そして、もうひとつ忘れてはならないことは、原子力産業は、日本ではすでに一大産業になってしまっているということです。原発関連の仕事で収入を得て、生活をしている方々が大勢います。原発内で働いている人だけでなく、原発労働者がいてくれるおかげで商売をすることができる商店主もいます。彼らにとって、原発がなくなることは、生活の糧を失うことを意味します。原発が立地する過疎地では、他の仕事を見つけることは容易ではありません。米の買い取り価格が低迷していますから、農業だけで生計を立てることもなかなかできることではありません。
『食の歴史と日本人』(東洋経済新報社・川島博之著・2010年)に次のような指摘があります。「明治時代は、米生産額がGDPに占める割合は20%から40%程度であった。その後それはほぼ一貫して減少…、2002年の値は0.4%でしかない。米は日本人に欠かせないものであるが、昨今、それを入手するのに必要な金額は、所得のわずか0.4%に過ぎない」(pp.107-108)
日本の米は高すぎるのでしょうか? 国民が安い米を求めるから、農業は一生懸命働いても報われない仕事になってしまいました。それでも、先祖代々受け継いできた農地を守りたいというのが、お百姓さんの気持ちです。農業をしながら、生活の糧は別に得る必要が生じました。雇ってもらえる仕事が、農地の近くにないと困るのです。
「原発がなくても電気は余っているから、廃炉にできるはずだ」という主張があります。そんなことはわかっていても、原発の仕事で生活している人は、その地域で農業をしながらできる原発以外の雇われ仕事がないのですから、廃炉になっては困るのです。そして、人は誰でも自分の仕事に誇りを持ちたいものです。家族が原発関連の仕事についていれば、原発を目の敵にされるのは辛いものがあるでしょう。ですから、ただ原発の危険性を訴えるだけでは、感情的なしこりを生じさせることにもなります。
原発関連の仕事についている人々は、危険性を直視するよりも、安全であるという政府の発表を信じこみ、原発のおかげで町が潤っていることを目にして、自分の仕事に意義を見出したいという心理も働いているはずです。そして、彼らは、年老いた親を見捨てずに、過疎化が進む地元に残ることを選んだ心優しい人たちでもあります。
そのような、原発関連労働者の感情にも配慮しながら、廃炉を実現するにはどうしたらよいかを私たちは考える必要があります。
新しい暮らし、生き方を創造する
過疎地には、農地・休耕田がたくさんあります。耕すことで暮らしを成り立たせることができるようになれば、農業以外の雇われ仕事を求めなくてもすみます。私たちが生きていくのに必要なのはお金ではなく、米や野菜だということをもう一度思い出す必要があります。どうして農作物を販売してお金に換えないといけないのでしょうか? 直接食べればよいのに・・・お金に換えようとするから、価格の低迷という問題に直面して、大規模化しなければとか、他の賃労働が必要だとかとなっていきます。
お金で何を買っているでしょうか? 消費を煽られ、必要もないのに購入しているものはないでしょうか? 地域での助け合い、相互扶助という方向を模索していけば、子どもの教育も、介護も互いに教え合い、助け合う中で、費用をかけずにやっていく方向が見つかるかもしれません。家を建てるのも、裏山の木をみんなで伐り出して、協力して建てることができれば、住宅ローンという問題も回避できるかもしれません。
今回の津波で自家用車を流されてしまった人が大勢います。中古車を買い求める人が増えているために、中古車の価格が上昇しています。バスなどの公共交通機関を整備したり、カーシェアリングを考えても良いのではないでしょうか?
今までどおりの生活に戻そうとするのではなく、新しい未来を創っていきたいものです。それは被災された人だけの話しではありません。津波による塩害と放射能汚染で使えなくなった農地がたくさんあります。被害を受けていない休耕田が住まいの近くにあれば、まずは耕すことではないでしょうか?
傲慢にもお金を払えば、何でも手に入ると思い込んできました。しかし、傲慢の傲の字は、人が土を放すと書きます。私たち一人一人が、これまでの生き方を反省し、頭を垂れて、耕す生活を始める時です。買う生活から自ら作る生活への転換です。そして、賃仕事に頼らなくても生活ができること、そしてそのような生活が幸せであることを周囲に示していくことができれば、原発がなくなると困ると思い込んでいる人々に、「そんなことはないよ」と、伝えていくことができるのではないでしょうか? これが廃炉に至る唯一の道だと思います。
次の大きな地震が起こる前に、廃炉にすることができることを願いつつ、私は秋田でも種を蒔き、糸を紡ぐつもりです。
No.33 2010年9月17日発行
今年の夏は本当に猛暑でした。いかがお過ごしでしょうか? ここに来てやっと猛暑も一段落したようです。季節は確実に秋に向かっています。綿の収穫が始まりました。5月に気温の低い日が続き、発芽した双葉が黄色くなったりして、やきもきしただけに、収穫の時期を迎えられほっとしています。弱々しかった茎が、いつの間にか木のように硬くなり、しっかりと根を張っています。毎年のことながら、わずか半年ほどで綿がここまで成長することに、自然の偉大な営みを感じます。
新潟最後の年
今秋、夫が秋田に転勤することになりました。年老いてきた両親のことを思うと、実家のある岡山県の近くに行きたかったのですが、なかなか思うようになりません。新潟での綿の収穫は今年が最後になります。綿栽培の北限は新潟と言われていますので、秋田での栽培は難しいかもしれません。そこで、マルチやトンネル栽培など、いろいろ工夫してみたいとは思っていますが・・・、綿が栽培できる地域の方に種を託したいとも思っています。来春、綿(特に茶綿)を育ててみたい方は、ご連絡ください。
夫は10月1日付で転勤です。しかし、綿の収穫はまだ始まったばかりです。これから11月末までは収穫が続きます。大切に大切に育ててきた綿です。そして、春先の寒さ、夏の旱魃に耐えて実をつけてくれた綿のことを思うと、残して引っ越すことはできません。また、年度末まで私自身の仕事もあります。ということで、半年間、夫には単身赴任をしてもらうことになりました。これからの半年間、不安もありますし、経済的にも厳しいです。
しかし、新潟に引っ越してきてからのこの6年半に、本当に多くの素晴らしい方々との出会いが与えられました。そのすべてに感謝をするには、少なくともあと半年が必要です。ここ数ヶ月で、「わたの会」(糸紡ぎ講習会)に、新しい方々が増えています。新しく来られるようになった方々に糸紡ぎのこつをつかんでいただき、「わたの会」の引継ぎも行わねばなりません。これからの半年を大切に過ごして、新潟に来て出会うことができた全ての人に、今私が伝えられるものを伝えていくことができれば、私にとってこれほど嬉しいことはありません。
損得を超えた世界
今の世の中は、損得勘定が幅を利かせています。損か得かで考えれば、綿や糸紡ぎのために、半年間、夫に単身赴任をしてもらうのは割に合うことではありません。私が仕事で得ている収入を上回る経費が、単身赴任にはかかってしまいます。仕事を辞めて、綿も、「わたの会」も見捨てて、子どもをつれて引っ越せば、経済的には大助かりです。
しかし、自然を見ていますと、「損をしたっていいじゃない」という思いが湧いてきます。自然は本当に惜しみなく私たちに与えてくれます。一粒の種が、何十倍にもなって返ってくるのです。お金を払えと要求してくることもありません。ただ、どうぞと言わんばかりに、実をならせているのです。だから私も、もし与えることができるものがあるのなら、どうぞと差し上げたいのです。なぜなら、私自身が多くのものを与えられて、ここまで来ることができたからです。とりあえず、今、生活に困らないだけのものが与えられていて、私を支えてくれる人たちが大勢います。本当にありがたいことです。そのすべては、天の計らいと言うしかありません。だから、経済的なことや、将来の不安も全て、天の計らいに委ねたいと思います。そして、今は、今ここでやるべきことに集中したいと思うのです。
自然界は本当にうまくできています。それなのに、人間が欲を出して、もっと楽をして儲けようと考えて、化学肥料や農薬を撒いたり、高収量の種子を導入したりします。しかし、そのことによってかえって問題が生じてきています。高収量品種は、水や肥料が大量に必要で、持続可能な農業ではありません。最初はたくさん収穫できるかもしれませんが、やがて土地が荒廃してしまうのです。むしろ、そういう欲望に捕らわれないで、自然の豊かさに身を任せることが、つまり、じたばたしないことがかえって良い結果を生むのではないかと思います。
今やっと、新潟でいろいろなことが軌道に乗り始めて、どうして秋田に引っ越さねばならないのだろうという思いはあります。でも、きっと、秋田で出会わなければならない人が待っているのでしょう。じたばたしないで、委ねたいと思います。
本物を求めること
ところで、糸紡ぎの講習会をしながら、不思議だなと思うことがあります。根気が必要で、難しいことなのに、楽しんでくださるからです。機械を使って楽をすることが、進歩だと、そして良いことだと思い込んでいた私たちですが、人は本当は難しいことに挑戦したいのかもしれません。美味しいお菓子やお茶の用意があるわけではなく、ただひたすら3時間、糸を紡ぐだけです。人をひきつけるもてなしもせずに、続くわけがないと言われたこともあります。でも、不思議なことに人が増えているのです。3時間もくもくと糸を紡ぐことに、お茶やお菓子と同じくらいの魅力がなければ、あり得ないことです。そして、実際に魅力があるのです。物を作る喜びこそ、人を虜にしてしまう魅力です。機械を利用すれば、確かに便利です。でも、物を作る喜びが奪われました。失敗しながら、苦労をしながら、工夫をして、何かを作り出していくこと、そこに本物の喜びと楽しさがつまっていたようです。
糸を紡ぎながら、ガンジーの思想などを紹介させていただくこともあります。かなり、硬い、真面目な話になりますが、真剣に耳を傾けてくれます。人は真面目な話しにも飢えているのかもしれません。テレビではお笑い番組がもてはやされています。そういう軽い笑いが通り過ぎて行くとき、「人はどう生きるべきなのか」と、真剣に悩むことは、場違いのように思われて、うわべだけののりで調子を合わせてしまいがちです。しかし、だからこそ、真面目に語り合う場が求められているのかもしれません。
環境破壊は深刻で、失業率も高止まり。今までどおりの生き方が通用しなくなりつつある時代です。だから、真剣に悩み、励ましあい、行動する場を糸紡ぎを通して提供できればと、思うのです。小さな取り組みでしかありません。しかし、ここから何かが始まりそうな予感がしています。
あと半年、新潟でできることを精一杯やらせていただきたいと思っています。そして、来年からは、秋田で糸紡ぎを広めていきたいと思います。もし、秋田や東北での綿の栽培や手仕事などの取り組みについて、何かご存知の方がありましたら、お知らせください。
新刊『非暴力・平和・糸車 ガンジーに学ぶこれからの生き方』
(片山佳代子著・ブイツーソリューション発行・星雲社発売・950円+税)
2004年10月からに2009年7月までの約5年間、ガンジー思想を紹介するエッセイを市民メディア「ピースネットニュース」(http://www.jca.apc.org/peacenet/)に、連載をさせていただきました。その連載に加筆修正を加えて、整理したのが本書です。
今の日本に生きる私たちにとって、ガンジーの思想がどのような意味を持つのかを私なりの体験をふまえて書かせていただきました。
江戸時代の思想とガンジー思想の共通点にも触れてあります。西洋的考え方の延長線上ではなく、足元にある東洋の叡智に、現代の問題を解決するヒントがありそうです。
9月下旬に刊行予定です。書店を通しての注文もできますし、アマゾン等で購入もできます。あるいは直接私のところに申し込んでいただいても、大丈夫です。どうぞ手にとって読んでみてください。
No.32 2010年4月29日発行
今年の春は、肌寒い日が多く、不順な天気が続いていますが、それでもようやく新潟も暖かい日差しが感じられるようになりました。そろそろ種まきの準備です。「たとえ世界が明日終わろうとも、私は今日リンゴの種を蒔くだろう」という言葉があるそうですが、種があって、大地があるということに、希望をみることができますね。日本綿(白綿と茶綿)、藍の種を差し上げています。興味のある方はご連絡ください。
車社会とJR
義父が急遽手術をし、入院したので、先日、実家のある岡山県までお見舞いに行ってきました。いつも駅まで迎えに来てくれる義父が入院してしまったため、今回は自動車で約600キロの道のりを、7時間余りかけて夫と交替で運転しながら帰りました。
環境のことを考えると、JRを使いたかったのですが、今春のダイヤ改正で直江津駅を午前4時過ぎに出る急行能登号がなくなってしまい、その後は7時まで電車がないので、やむなく自動車となりました。
自動車は確かに便利ですが、移動中運転以外にできることがありません。JRを使えば、読書をしたり、文章を書いたりを楽しめるので、私は、公共の交通機関を利用するのが好きです。駅で歩いたりするのも、ちょうどよい気分転換になります。
それなのに、今は地方間を結ぶ交通網はかなり不便です。新潟はJR東日本で、富山以西はJR西日本であるためか、新潟・富山間のアクセスはあまり良くありません。新潟から大阪まで直通の特急もなく、金沢か富山で乗り換えるしかなく、特急券も通しで買えず割高となります。これだけ環境問題が叫ばれているのに、どんどん自動車に頼るように仕組まれているような気がしてしまいます。
最近は病院も広い駐車場を完備できる郊外に移転しています。バスも電車も本数がそれほど多くない田舎では、自動車を運転できない義母が公共の交通機関を利用して、義父のお見舞いに行くのは大変で、結局、病院に泊り込んでいました。義父が再び自動車の運転をできるまで回復できるとよいのですが、そうならなかった場合、今後のことを考えると、あまりにも遠い所に住んでいるのは大変なので、西日本方面に転勤することになるかもしれません。
「しがらみ」から「つながり」へ
知り合いが誰もいない土地で暮らし始め、いろいろな人間関係を一から築いていくには、それなりの時間がかかります。新潟で暮らし始めて6年が経ち、ようやく知り合いが増え、居心地がよくなったところでまた引越しというのは、残念なことです。・・・自分で選んでしまったこととはいえ、転勤のある暮らしは、根を伸ばせない不自然なものだと、今頃になってようやく気づきました。子ども達にも、大きな負担を与えてしまいましたし・・・
戦後の歴史は、農民がサラリーマンになっていった時代だったと思いますが、根無し草的な不自然な生き方を助長してきたのかもしれません。これからのあるべき暮らしを考えると、一つの所に腰を落ち着け、大地と共に生きる暮らし方が、どうすれば実現できるかを考えていく必要があると思います。
では、どうして私は田舎での暮らしに見切りをつけて、故郷を後にしてしまったのかを考えると、いろいろな理由があるのですが、ひとつは、やはりしがらみから逃げたかったのだなということに思い至ります。独身時代、「早く結婚しろ」と親に言われるのは仕方がないとしても、帰省するたびに近所の人からも同じことを言われると、閉口したものです。親切心からとは思っても、常に見張られているような窮屈さを感じてしまったのです。近所の人々との親しい付き合いがあるのは、悪いことではありません。しかし、結婚したら今度は、「子どもはまだ?」というのが挨拶がわりになるような空間というのは、ある面、息苦しさも伴っているような気がします。
今、田舎暮らしが見直されつつあります。新規就農者も増えています。嫁不足という深刻な問題を抱える農村に、若い人たちが率先してやってこようとしているのは素晴らしいことです。しかし、田舎暮らしが素晴らしいという語り方をされると、いつの間に田舎はそんなに変わったのだろうかと、不思議な感じがします。田舎そのものが変わったというよりも、都会の人々の田舎を見る目が変化したということでしょう。「失われたつながりを取り戻そう」が合言葉のようです。しかし、「つながり」が「しがらみ」になってしまわないように注意することも必要かも知れません。農村が嫁不足に陥ったのも、農作業そのものが嫌というよりも、女性を、妻、母、主婦という枠の中に押さえ込んでしまい、一つの生き方が押しつけられる息苦しさが、大きな要因だったような気がします。
地域のルールを守ることや近所付き合いを大切にすることと、自分らしさを大切にすることのバランスをとることは、頭で考えるほど簡単なことではないかもしれません。互いの自由な生き方を束縛しない「つながり」を築いていくことは、なかなか難しいことでしょう。それでも、いたわりあうのと、見張りあうのは違うわけで、適度な距離を置きながら助け合える、大人の人間関係を築いていくことができれば素敵ですよね。
歴史を変えるということ
「当時チャルカ(糸車)は貧乏の象徴であって、非暴力の象徴ではありませんでした。・・・何世紀もの間貧困、無力、不正義、強制された労働の象徴であったチャルカを今、力強い非暴力の、新しい社会秩序と経済の象徴にしていこうとする仕事が我々の肩にかかっています。我々は歴史を変えねばなりません。」(SPEECH AT A. I. S. A. MEETING September 3, 1944)と、ガンジーは述べています。
いくら手仕事がすばらしいと言っても、宮殿で着飾っている上流階級の女性のために、農村の女性たちが搾取労働に従事させられているのでは、それは不幸の象徴でしかありません。村落単位の自給自足と一体となった助け合いに裏打ちされてこそ、手仕事は素晴らしいものとなるのです。同様に私たちは全く新しい田舎を作っていくことが求められているのではないでしょうか?
「私は、自分の家のあらゆる側面を壁で囲み、窓をふさぎたいとは思いません。私はあらゆる国の文化が私の家にできるだけ自由に吹き込んできて欲しいと思います。しかし、それらのどれによっても私の足をすくわれることは、許しません。」(Young
India : June 1, 1921)と、ガンジーは書いています。地域の共同体においても、窓を閉ざすのではなく、開かれた関係作りができると素敵でしょう。
私は新潟県の中でもかなり西のほう、富山県寄りの上越市に住んでいます。ところがそこに住んでいる人でも、もっと県境寄りの町のことを取り上げて、「あそこは、方言も富山県に近く、純粋な新潟ではない」と言ったりします。「純粋」って何なのでしょうか?お国自慢はよいことですし、親兄弟、親族、地縁を大切にすることも素晴らしいことです。でもそれが行き過ぎて、あるものを純粋ではないと、排除するようになると問題ですね。「江戸っ子」という言葉にも、どこか排他的な響きを感じてしまうのは私だけでしょうか?
人間というのは、ともすると、気心の知れた仲間だけで固まってしまいがちです。そして、異質なものを排除しがちなのです。しかし、ガンジーは次のように語ります。「私なら、酒に耽るものも手元に置き、彼にも仕事を与えます。そして面倒を見ながら、酒から遠ざかるように毎日やさしく諭すつもりです」(DISCUSSION WITH SHRIKRISHNADAS JAJU October 11, 1944)と。近所にアル中の人がいたら、関わらないでいようとするのが、多くの場合かもしれません。でも、ガンジーはそういう人にも仕事を、役割を与えたいというのです。
では、自分がアル中の人と関われるかと問われると・・一人で全部背負い込むことになるのであれば、正直なところ躊躇してしまうでしょう。でも、助け合える仲間がいれば、できそうな気もします。新しく移り住んできた人たちや孤立しがちな人たちを排除しないで、ともに助け合える社会を少しずつでも作っていくことができれば、農的生き方を実践することにも弾みがつくことでしょう。希望を持って目指す社会を思い描きながら歩んでいけたらと思います。
No.31 2009年12月12日発行
ベーシック・インカムとは?
ベーシック・インカムということをお聞きになったことがあるでしょうか? 機械化のこの時代に、全ての人に仕事を与えることはそもそも不可能だとわりきって、それでも、全ての人の生存権は守られなければならないのだから、ベーシック・インカム、最低限の収入は国家が保障すべきだという考えのようです。国家が一定額を全ての人に給付することを求めています。
どうしてお金なのでしょうか? ガンジーは、全ての人に仕事を与えなければならないと主張して、行き過ぎた機械化に異議を唱えました。人を幸せにするのは、お金ではなく、仕事であるというのが、ガンジーの考えだったからです。
ベーシック・インカムに賛同される方々は、仕事がしたくてもできない人々の立場を代弁されているようです。身体や心に病気を抱えた人々に、働けと言うのは酷であるからと考えて、彼らにも、生きられるだけの収入が保証されるべきだという、主張が展開されています。
確かにその通りですが、この主張には、落とし穴があるのではないかと、私は危惧します。仕事とは、本来どうあるべきかという視点が欠けているような気がするのです。仕事を通して、人は成長できたり、仕事をすることで、身心が回復するということもあるのではないでしょうか? 障がいの有無や事情に考慮しながらも、できる仕事が与えられていくとよいと思うのです。
ところが、今の社会では、仕事が本来の姿を失ってしまい、苦役となってしまっています。問題はここにあるのではないでしょうか? そして、仕事を苦役に変えてしまうのが、機械なのです。ガンジーはそれを見抜いていたから、機械化に反対しました。
物づくりが機械の仕事になった結果、私たちからは作る喜びが奪われました。必要かどうかもわからない、大量に出来上がってくるものを、何とかして売りさばくことが人間に課せられた仕事となったのです。しかも、製造スピードは上る一方ですから、忙しさには拍車がかかるという、こういうからくりなのです。時代が進めば進むほど、仕事は、非人間化していくのです。過労死・鬱病・自殺が増えていくのも、当然の結果です。
遊び抜くために生まれた
それでは、本来の仕事とは、どういうものであったらよいのでしょうか。私は、自分が幼かった頃に目にした職人達の仕事に、理想的な仕事の形があったような思いがします。私は地方の商店街で生まれました。靴や傘を直したり、印鑑を黙々と彫り続けるおじいさん達の姿が、幼い頃の思い出として残っています。そのおじいさんたちはみんな仕事に誇りを持っていましたから、物を大切にしないことには厳しかったです。「まだ履ける靴があるのに、新しい靴を買う必要はない」と言われたこともありますし、ふざけて傘の骨を折ってしまった時にも怒られました。そして、自分のペースで黙々と仕事を続けてこられました。「お客様は神様」と言われるようになってから、世の中がおかしくなってきたような気がします。お客様のどんなわがままなニーズにも応えていくのが仕事なのでしょうか? 24時間休みなく営業すべきなのでしょうか? 古いものは捨てさせて、どんどん新しい物を売るべきなのでしょうか? 私は、手仕事のゆったりとした時間の流れを取り戻すことができれば、仕事は自ずと本来の姿に戻っていくのではないかと思っています。
仕事というのは、限りなく遊びの延長に近いものと私は考えるのです。そこには、損か得かという要素が入ってくる余地はありません。ただ、好きだから、やりたいから、もくもくと続けるのです。私が幼い頃周囲にいたおじいさん達も、そういう人たちでした。古いものは捨てさせて、修理するよりも新しいものを買ってもらったほうが、儲けは大きいでしょう。でも、それよりも、自分が売ったものが大切に使ってもらえることのほうに、喜びを感じている方々でした。そして、そういうことをやっても生活が成り立つゆとりがあったのです。それは、お金に頼る度合いが今より低かったからに違いありません。手作りの料理をいただき、衣類も破れたら繕う・・買うよりも作る文化がまだ残っていたのです。
仕事よりもベーシックインカムを与えろという主張がなされる背景には、「働かざるもの食うべからず」的な考えはどこか教条主義的で、受け入れたくないという思いがあるのかもしれません。先日、『「食育」批判序説』(森本芳生著・明石書店)という本を読んでいたら、素敵な言葉に出会いました。「遊ばざるもの食うべからず」です。玄米菜食を説いた桜沢如一氏の言葉として紹介されてありました。「私たちが与えられた一生を遊び抜くために、…食事原則を打ち立てようとした」のではないかと、紹介してありました。
遊び抜くために私たちは生まれたということに、今一度思いを馳せてみてもよいのではないでしょうか? 世の中にいろいろな遊びが存在したら楽しいでしょう。その中から自分の好きな遊びを選んで、とことんやっていく。達人になって、みんなから喜んでもらえたら、こんな楽しいことはありません。そうやってお互いに周囲に喜びを与え合いながら生きていくことができれば、生活も自ずと成り立っていくはずのものです。経営戦略など練らなくてもよいのです。生きる歓びを分かち合っていればよいのです。
糸通貨
衣・食・住の必需品は、本来、大地の恵みに由来しています。育てた綿から綿織物ができます。住まいだって、裏山の木材を伐ってきてみんなで共同で家を建てた時代もそう古いことではありません。必需品というのは、賃金労働をして得たお金と交換でなければ得られないものではありません。大地から贈り物としていただけるものです。過疎化が進む農村にはその大地が余っています。農村移住が難しくても、綿を糸に紡ぐことは家の中でできます。そして衣類は必需品です。だからガンジーは糸紡ぎを大切にしたのです。糸を通貨と考えたら良いとまで言っています。実際、会議派の会費を糸で支払うことを要求しました。地域通貨の取り組みが各地にありますが、糸通貨というのも素敵な考え方かもしれません。糸銀行も作ったら面白いでしょう。糸を紡げば紡ぐほどお金持ち(糸持ち)になれるのですから、わくわくしないでしょうか? 糸と交換すれば、食べ物でも何でも手に入るようになれば、素敵ですよね。夢物語でしょうか?
ガンジーはインド各地にアシュラム(共同生活の場)を作り、そこを運動の拠点にしました。そこでは農作業や糸紡ぎ・機織りなどの手仕事が行われ、自給自足の営みがなされていました。ガンジーは非協力運動を呼びかけ、イギリスに雇われ、支配の手先となってしまっている人たちに、そのような仕事を辞めるように訴えましたが、実際に仕事を辞めた人たちがアシュラムの指導者となっていきました。アシュラムがあったから、非協力運動を貫けたのです。逮捕されても、アシュラムに守られていたおかげで、妻子が路頭に迷うのではと心配する必要がありませんでした。
企業に雇われて奴隷的な苦役に従事するのは辞めて、自分達のアシュラムを作っていったらよいのではないでしょうか。目に見える建物としてのアシュラムではなくても、協力し合える人間関係を築いていけたらと思うのです。都会には土地がなくても、農村で育ててもらった綿花を供給してもらって、それを糸や布にすることは家の中でできます。
産直運動、提携米の運動など、素敵な運動がすでにありますが、これまでのところ都会の人々は賃金労働をしたお金で産直米や産直野菜を購入しています。賃金労働に従事しないとおいしい食べ物を手に入れられない仕組みになっていて、非協力が貫けない弱い立場に、自分達を縛り付けることになっていました。都会の人たちが分担して糸紡ぎ、機織り、仕立てなどに従事して、出来上がった衣類と交換に食べ物を分けていただくという関係が築けたら素敵ですね。
衣類は今、安く手に入りますが、その背後には、綿栽培時の農薬、加工過程での低賃金長時間の搾取労働、工場での生産や運搬時のエネルギー消費など、いろいろな深刻な問題があります。日本の農村で育てた綿花を、日本の都会で手仕事によって衣類にしていき、その衣類と食べ物を交換していく。とても素敵な近未来だと思いますが、いかがでしょうか?このような社会が実現できれば、お金は要らなくなります。食べ物が欲しいと思ったら、糸を紡げばよいのですから。ベーシックインカムを要求しなくても大丈夫なのです。
この近未来を思い描きながら、私は糸紡ぎの技術を少しでも多くの人に身につけてもらいたいと考えて、月に2回、糸紡ぎの講習会をしています。いろいろな人々が糸紡ぎに興味を持ってくださり、小さな変化はすでに起こっています。これが大きなうねりになっていくことを期待しています。あなたも一緒に糸紡ぎをしてみませんか?
No.30 2009年9月2日発行
今年の夏は、夏らしい天気が少なかったですね。それでも、お盆明けしばらくは、晴天が続いてくれ、梅干を干すことができました。綿も今のところ順調に育ち、綿の花が咲いた後に、コットンボールができ始めました。また、藍も順調で、藍の生葉染も行うことができました。植物を生育させ、人間に必要な恵みを与えてくれる太陽の光と大地に感謝せずにはいられません。
晴天も雨も植物の成長には必要です。どんな天気も、必要なものとして受け入れられたら素敵ですね。
見えないものに目を向けて


6月には風の強い日があって、綿が倒れ、茎が折れてしまったものも何本かあります。しかし、驚くべきことに、その折れたところから新しい芽を出してきました。藍染めをするために、藍も根元から刈りましたが、その根元から、新しい芽がたくさん出てきました。すごい生命力ですね。根っこの力というものを感じます。
この生命力を目の当たりにしますと、「諦めないで」と、励まされているように感じます。例えば、平和問題の学習会を開催しても、思ったように人が集まらなかったり、環境問題もどこ吹く風で、まさに、根元からぽきっと折れてしまったような出来事に遭遇することがあるわけです。
そのような時は、「目に見える部分だけでなく、見ることができない根に注目しなさい」と、植物は私たちに教えてくれているようです。「根元から折れてしまっても、根が残っている限り、新しい芽を出すことができるのですよ」と、植物は私に教えてくれました。しかも、植物の生命力と同じ命が私たちにも宿っているのですから、このことを忘れないようにしたいものです。
ただし、いくら生命力のある植物でも、根ごと引き抜かれれば枯れてしまいます。だから、大切なのは根です。私たちは、目に見えることを一生懸命やりがちですが、根にこそ栄養をあげるべきですね。見た目や、人から注目されることに目が行きがちですが、もくもくと根を育てるべきなのでしょう。そう思ったら、綿を育てたり、糸を紡いだり、ガンジー全集を訳したり・・・など、一人でこつこつとやってきた作業が、今まで以上に楽しいことになりました。
『ガンジー・自立の思想』(地湧社)を出版したのが、1999年ですから、私がこのような活動を始めてちょうど10年になります。「どれだけの成果を挙げることができたか?」と、問われれば、これといったものはありません。最近は大きなイベントもやっていませんし、細々と続けているだけです。自己満足に過ぎないかもしれません。それでも、糸紡ぎの講習会一つとっても、途切れないで続いているのですから、見た目の変化はなくても、根は伸びつつあると言えるのかも知れません。
広がりつつあるネットワーク
6年前に新潟に引っ越してきました。知り合い一人いない中で、それまでライフワークにしてきた糸紡ぎやガンジー思想を伝えることを、どう継続していったらよいのだろうと悩みました。とりあえず、一人で糸を紡ぐことになっても構わないと覚悟をして、場所を借りて、糸紡ぎの講習会をやることにしました。地元のミニコミ誌に情報を載せたら、予想以上に人が集まりました。その後も、月に2回、定期的に講習会を開いています。数人規模の小さな集いですが、たった一人で糸を紡ぐ羽目に陥ったことはありません。
過疎化が進む地方では、都会のように多くの人を集めたイベントを企画することには無理があります。しかし、数人の取り組みを続けることは可能ですし、数人規模であれば、一人でできるのです。そして、始めた時は一人だったとしても、仲間ができてきます。
綿を育て始めたグループがあちこちに誕生しつつあることは、報道などで知ることができます。最近はそのような方々との素敵な出会いが与えられています。市外、県外からも糸紡ぎの講習に参加してくださる人が出始めています。じわじわと、いろいろな地域で、取り組みが始まっていくことは、単発のイベントで多くの人が集まる以上の変化を、この社会にもたらしていくのではないでしょうか。目にはっきりと見える変化ではないかもしれませんが、見えないところで根が張りつつあると、私は感じます。やがては、日本中を覆う根となっていくのではないでしょうか。何があっても根絶やしにはできない、丈夫な根に育ってほしいと願っています。
今は、インターネットという便利な道具がありますから、そこに情報を載せておきさえすれば、興味のある人は、どこからでも来てくださいます。
道具の功罪
インターネットって本当に便利だ道具ですね。最近、40枚ほどの翻訳を頼まれましたが、一人では無理だったのでネットを通じてお手伝いを募りました。いろいろな人が手を挙げてくれました。ニューヨーク在住の人や、スウェーデン在住の人までいます。一面識もなかった人と、遠く離れていてもこうやってつながっていけます。本当にすごい時代になったものです。
ガンジーというと、機械に反対したことで知られています。しかし、全ての機械化に反対したわけではありません。今の時代にガンジーが生きていれば、ハリジャンという機関紙を毎週発行していた人ですから、やはりインターネットも上手に活用したのではないかと思われます。
「道具を使用しても反対することはありません。ただし、それらの機械が他の人々を搾取するために使用されなければの話です」と、ガンジーは述べています。目を向けるべきは、道具や機械の使われ方なのです。そしてガンジーは、「手工業の道具の改良は歓迎しますが、動力で動く紡錘を導入して手仕事を駆逐するならば、多数の農民に家でできる代わりの仕事を与えられない限りそれは犯罪です」と主張して、糸車の復活にエネルギーを注ぎました。この真意をしっかりと理解して、糸紡ぎに取り組んでいきたいですね。インターネットという便利な道具にしても悪用されれば、犯罪に使われることにもなります。だから、正しく使う知恵を私たちは必要としています。
『ガンジーの教育論』
そして、教育についても同様のことに注意を払う必要があります。ガンジーは教育について次のように語ります。「教育とは何でしょうか。文字が読めて書けることだけが教育となっています。それでは単なる道具です。道具であれば、上手に活用されることもあれば、悪用されることもあります。・・・・健全な人格を養うのに役に立つ教育のみ、本物の教育と言うことができます。今日の我々の学校教育制度がこのような成果を挙げていると本気で言える人はいないでしょう」と。そして、教育の弊害を正すために、独特の教育論を展開しています。
ガンジーは1937年に『新しい基礎教育』を提唱し、教育に関する執筆、講演を精力的に行いました。私はガンジー全集より、それらを翻訳してきました。そしてこのたび出版する運びとなりました。
『ガンジーの教育論』(ブイツーソリューション発行・星雲社発売・800円+税)が、今、印刷中で、9月中旬に出版予定です。書店を通しての注文もできますし、アマゾン等で購入もできます。あるいは直接私のところに申し込んでいただいても、大丈夫です。どうぞ手にとって読んでみてください。
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No.29 2009年4月12日発行
新潟の桜もほぼ満開になりました。
この冬は雪がほとんど降りませんでしたから、冬をあまり実感しないまま春になってしまいました。それでも、3月の終りになって雪が降ったりしましたので、もう厚手のコートをしまっても大丈夫な暖かい日の到来は嬉しいものです。柔らかい日差しの中で咲く桜の花を見ていると、さあ、活動を開始しようという気分になります。
そろそろ、堆肥を入れたり、種まきの準備をしなければいけません。
隣の芝は青い?
「田舎の暮らしに新しい生き方があると感じています。ともすれば都会で仕事を探しがちですが、田んぼで稲を育てれば、ワーキングプアと呼ばれるほど長時間労働に従事しなくても、コンビニのゴミをあさらなくても、1年間美味しいご飯を食べることができます」と、前回の通信に書きましたが、それを読んでくださった方から、「田舎で農業をやろうにも、体力的にきつく大変な仕事ですよ」という反論が届きました。「農業がきつい」というのは全くその通りだと思います。
最近でこそ、農業に関心を持つ若者が増えていて、小さな場所を借りて家庭菜園を始める人から、新規就農してしまう人まで様々いますが、それでも、農業は肉体的にきついのに、儲からないという考えが根強く残っているのも、事実です。ある人から面白い話を聞きました。農家に生まれ育った人は、農業だけは絶対やりたくないと思っている人が多いそうです。たとえ農薬まみれの野菜をスーパーで買うことになっても、農業をやるよりはましだと考えるそうです。それに対して、都会育ちで農業について何も知らない人が、やってみたいと思うようです。苦労を知らないから、怖いもの知らずで飛び込めるのかもしれません。農家出身者は都会でのデスクワークにあこがれ、都会でのサラリーマン生活を知っている人は、自然の中での暮らしにあこがれる。隣の芝は青いということでしょうか。
近代農業は、もはや自給型の農的営みではなく、産業の一部として組み込まれた農業になってしまっています。キャベツならキャベツだけ、イチゴならイチゴだけを育てて、それを売って得たお金で他の野菜や米を買って食べている農家も存在します。いろいろな作物を育てている農家であったとしても、私たちの命を養ってくれる作物を育てているという感覚よりも、田んぼや畑で商品を作っているという感覚に染まっています。だから、高く売るためには、農薬を撒いて虫食いを減らして付加価値を高めます。除草剤や農薬に頼れば、その分きつい労働からも解放されます。労働時間が短縮できた分だけ、農作業一時間あたりの収入が増える計算になります。人力で草取りをする時間や労賃と、除草剤代を天秤にかければ、除草剤を使ったほうが得だと頭を働かせるわけです。
そういう近代農業を見て育った農家の子どもたちは、田んぼや畑から生き物が急速に姿を消していったことを知っています。その場所がもはや、子どもたちにとって安全な遊び場ではないことも知っています。
ですから、農家の子どもたちが農業を継ぎたくないと思ってしまうのも、ある面では当然の成り行きでした。農業が命を育む営みではなく、作物という商品を作って販売するだけの仕事でしかないのであれば、農産物の価格が低迷している上に、天候によっては収入は安定しないし、暑い日中も外で働かないといけない農業に魅力を感じることは難しいでしょう。
しかも、古いしきたりが残る農村では、女性の立場は弱く、農家に嫁げば、家事・育児に加えて農作業を引き受けねばなりません。とりわけ、兼業農家では、留守を守る嫁に過重の負担がかかりがちでした。ですから、農家の嫁不足が深刻化するのも当然の成り行きでした。
このような要因から、農業は大変だという考えが根強いわけです。
日本がもう一度よみがえるために
しかし、命を育む、自給的農業を目指すのであれば、ここであげたような、負の要因も取り除かれるのではないでしょうか。農薬や除草剤に頼らないで、安全なものを作ろうとすれば、ますます、肉体的には大変ではないかと思われるかもしれません。しかし、自分たちが食べる分だけを作るということを基本にすれば、それほど広大な面積を耕す必要があるわけではありません。もちろん、肉体労働にそれなりのきつさはあるでしょうが、家族みんなで協力し合って、おいしい米や野菜という収穫を得るのであれば、心地よい疲労をもたらしてくれるのではないかと思います。
各家庭で料理をして食べるように(最近は、これも相当崩れていはいますが・・・)、各家庭が家の近くで作物を育てて、料理をして食べる、それが当たり前となっていけば、就職できなくても、少なくとも、食べることだけは確保できるのではないでしょうか。働いても、働いても楽にならないワーキングプア状態にあるのであれば、農的生き方も選択肢のひとつになるのではないでしょうか。
すぐに完璧なことはできなくても、こういう方向に向けて一歩踏み出していくことは、できることでありますし、やらねばならないことだと、私は思います。無理をする必要はありません。自分の体力に合わせて、できる範囲で、やっていったらよいと思うのです。
過疎化する農村には、耕作放棄地があふれていますし、空き家もあります。都会の失業者を生活保護で救うことも大切ですが、彼らに空き家を提供し、農村に入ってもらって、できる範囲で自分が食べる物を生産してもらうという、救済策もありかなと思います。それで足りない分を、生活保護として支給するようにすれば、一人当たりの支給額を減らすことができ、これまでよりも多くの人を救うことができると思うのです。
そうすれば、過疎化する農村も、若い人が増えて活気づくでしょうし、田畑が荒れていくのも防ぐことができ、自給率も向上します。こんなによいことはないと思うのですが、いかがでしょうか。
閉鎖的な農村社会が、都会からの見知らぬ若者を受け入れられるか?という問題もありますが、これまで地方からの若者を都会が受け入れてきたように、今度は地方が都会からの若者を受け入れる番だと思います。それができれば、日本はもう一度よみがえることができるのではないかと思います。
村にこそ未来はある
ガンジーは、インドは70万の村で成り立っている国だと語りました。「各村々が、独立インドの神経中枢となるであろう。その時には、インドはボンベイ、カルカッタのような都市によって知られるのではなく、70万の村々に住む4億の人々(当時のインドの人口)によって知られるようになる」と、ガンジーは書いています。
私たちは、田舎には何もなく、都会に全てがあると思い込んできました。日本は加工貿易によって栄えている国だと習いました。そして、原料を輸入して、工業製品を輸出して外貨を稼ぎ、そのお金で農産物を輸入するという仕組みでこれまでやってきました。しかし、工業製品は、食べ物と違って毎日必要なものではありません。行きわたってしまえば売れなくなります。日本から工業製品を輸入していた国も、自国で生産できるようになれば、日本から買ってくれなくなります。日本より安い労賃で生産できる国があれば、工場もそのような国に移転してしまいます。その結果、都会にあったはずの仕事場が消失してしまったのです。
つまり、加工貿易で成り立っていた日本の仕組みというのは、決して持続的な仕組みではなかったのです。いつかは行き詰るものでした。そして、今、その行き詰まりの時を迎えています。石油を掘りつくしてしまえば、遠い距離を運ぶ貿易も不可能となるでしょう。そうなれば、身近な所で取れる物を食べるしかありません。農地のある田舎こそ、これからの日本人が生きていく場所とならねばなりません。それが必然なのです。都会に仕事がなくなってしまったこの危機を、チャンスととらえて、田舎暮らしをはじめてみてはいかがでしょうか。あるいは、この春、プランターにでもよいから、種を蒔くということから、はじめてみるのも良いかもしれません。
5月の連休のころが、綿の種を蒔く時期です。和綿の種をお分けしています。
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No.28 2008年12月20日発行
今年も残り少なくなりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。綿を例年より多めに収穫することができました。糸にしていく作業が楽しみです。畑が雪に埋まる冬は、夏に藍染めした糸で機織りを楽しみたいと思っています。(綿の種、藍の種ご希望の方にお分けしています)
変化になれ!
今年のアメリカ大統領選挙では、changeを合言葉にしたオバマ氏が当選しました。10月2日のガンジーの誕生日にガンジー財団に寄せたオバマ氏のメッセージによれば、"Be the Chage!"というガンジーの言葉に、彼自身が感銘を受けたのだそうです。「世界に変化をもたらしたければ、自らがその変化になれ」というガンジーのこの言葉、私も大好きです。
オバマ氏がこれからどんな変化をもたらしていくのかは未知数です。ヒラリー・クリントン氏を国務長官に抜擢したり、本当に変化が起こるのだろうかと、疑問を感じることもあります。しかし、重要なことは、ガンジーが言うように「自らが変化になる」ということです。オバマ氏に期待して、人任せにするのであれば、変化が起こるわけはありません。
「ガンジーの主張する非暴力が本当に実践可能だろうか」とか、「この機械の時代にあって、糸を紡ぐことにどれほどの効果があるだろうか」という疑問が投げかけられます。やってみなければわからないというのが、その答えでしょう。だからガンジーは「変化になれ」と言ったのです。世界を揺るがすような大きなことがすぐにできるわけではありません。しかし、小さな変化を積み重ねていくときに、それが大きなうねりとなっていくのではないでしょうか。だから、「つぶやく暇があったら、行動を開始しなさい」とガンジーは言います。そして、「小さなことを大切に」と付け加えるのです。
「変化になれ」というガンジーの言葉に出会ったときに、「自分にとっての変化とは何だろうか」と考えました。ちょうど同じ頃、「何になるかよりも、どんな○○になるかが問われている」という話をあるところで聞きました。その当時私は、ある翻訳会社に登録して仕事をもらっていました。預金残高が増えていくことを単純に喜んでいましたが、自分が翻訳家であるということよりも、どんな翻訳をするのかが問われているのではないか? 本当に人の役に立つこと、人類の幸福につながるような翻訳をすべきではないかと、感じるようになりました。それで私は、ガンジーが書いたものを訳していくことに時間を割けるように、少しずつ仕事を整理していきました。以来、預金残高は増えなくなりましたが、私はこれでよかったと思っています。ひとつには、綿を育て、紡ぎ、織る時間をとれるようになったからであり、もうひとつは子ども達との時間を持てるようになったからです。
建物としての家よりも家庭を
いまの子どもたちは環境を破壊し、借金を積み上げてきた大人世代に対して苛立ちを感じている世代ですから、いろいろな思いをぶつけてきます。「お母さんたちはバブルも楽しめて、安いガソリンで車も乗り回せて、いい時代だったよね」と言われると、ガソリンの値上がりを私のせいにしないでよ、と言いたくもなりますが、このような時代を招いた大人世代の一人として、若い子ども達にどう向き合うかが問われていると思うのです。悪いことを他者のせいにして他者を責めるだけで終わらないで、より良い世の中を作っていく主体者に自分自身がなっていくこと、それが生きるということではないかと、それこそがガンジーが言うBe the Change!(変化になれ)ということではないかと、子どもたちと一緒に考えていきたいのです。
そのためには子どもたちがいろいろな思いをぶつけてきた時に、それを受けとめられるだけの心と時間のゆとりが必要です。そういうわけで仕事を減らしたのですが、思いがけない発見もありました。糸を紡いだり、機織りをしたり、編み物をしながらであれば、子どもとの対話がとても楽しいものとなったのです。翻訳の仕事をしていれば、「頼むから邪魔をしないでくれ」となってしまいますが・・・・・・「糸を紡いで、機織りをして作品を仕上げるのにどれだけの時間がかかりますか」とよく聞かれますが、手仕事と一家団欒は同時進行が可能なのです。だから、手仕事に時間がかかっても、余分な時間を捻出しなければならないというわけでもないのです。
ただし、長男も4月からは大学生、その2年後には次男も大学に行くでしょう。2人分の仕送りが必要になれば、好きなことばかりやってもいられないかもしれませんが、できる間は、畑や糸紡ぎ、ガンジーの著作の翻訳に力を注いでいきたいと考えています。それが私にとってのchangeだからです。簡素な生き方を選択していけば、結構好きなことだけをやっていても生きていけるものだなと、私は実感しています。
ガンジーの「自立の思想」というのは、お金や今の経済の仕組みから距離を置いて、自立した生活を築いていくことを言います。お金に頼らないのはなかなか難しいのですが、そういう方向で変化していくことは可能だと思います。我が家の場合、子どもたちが中学生になる頃には一戸建てに住みたいなと考えていました。ところが、たまたまその時期に雪国に転勤してしまったので、雪かきが大変な一戸建てはやめて、集合住宅でがまんすることにしました。単に横着だっただけの話なのですが、そのおかげで、好きなことを追求する金銭的ゆとりが持てたのも事実です。子供たちに部屋を取られ、自分自身の仕事部屋を持つことができず、子どもの部屋の片隅でパソコンに向かっていると、英語の宿題を手伝わされたりで、自分の仕事の能率は落ちてしまいましたが、子どもとの濃密な時間を持つことができました。そして、子どもが巣立とうとする時期を迎え、自分の家を持ちたいという気持ちがしぼんでいっています。
簡素な田舎暮らしを目指して
ガンジーは、「今日我々が文明として理解しているものと、至福の状態、もっとも望ましい状態と私が思い描いて見せる状態との間に隔たりがあるのです。一方では、文化、文明の基礎はあらゆる欲望を拡大していくことと理解されています。部屋を1つ所有すれば、もう1部屋欲しくなり、さらにもう1部屋と多ければ多いほど楽しいということになります。同様に、家に入るだけのより多くの家具が欲しくなります。そしてこのようなことは際限なく続いていきます。そして、所有物が多ければ多いほど、文化が豊かなことを示しているなどと考えられているのです。
他方では、所有物を減らせば減らすほど、欲求も減り、人格者となっていけるのです。何のための人格者かと言えば、この世でおもしろおかしく暮らすためではなく、仲間のために個人的に奉仕することを喜ぶためです。身体も心も魂も含めて自分自身を捧げる奉仕のためです」と、語ります。
どうも、子どもには専用の勉強部屋が必要だとか、ウサギ小屋を卒業して大きな家を持てるようにならなければならないとか、洗脳されていたなと感じるのです。家を建てる人が減れば経済は成長しなくなるかもしれませんが、経済が成長しないと成り立たない仕組みは、もうすでに破綻しているのではないでしょうか。経済危機のために失業状態で年の瀬を迎える方々も多くいらっしゃるでしょうが、小手先の対策ではどうにもならない所まで来ていると思います。全く新しい社会をつくらねばなりません。
私は田舎の暮らしに新しい生き方があると感じています。ともすれば都会で仕事を探しがちですが、田んぼで稲を育てれば、ワーキングプアと呼ばれるほど長時間労働に従事しなくても、コンビニのゴミをあさらなくても、1年間美味しいご飯を食べることができます。都会から田舎に向かう人の流れができてくればいいなと私は思います。
ガンジーは南アフリカ時代にはトルストイ農園やフェニックス農園、インド時代にはアーメダバードやワルダにアシュラムを作って、自給自足型の共同生活を営んでいました。このおかげで不服従運動で投獄されても妻子たちが路頭に迷うことがなく、不服従運動に専念できたのです。自給自足型のコミュニティーが、最強の防衛であると私は感じます。
そういう方向での取り組みをできることから始めていくことが、経済危機のこの時代に最も求められていることのような気がします。残念ながら転勤族の我が家は自分の田んぼを持つことができませんが、小さな場所を借りて綿を育てることならできます。だからせめて、衣類に関する自給的生き方を追求していくことで、不十分ながらも新しい生き方のモデルを示せたらと思うのです。畑に種をまいただけで、お金をかけなくても着る物が出来上がってしまうのですから、感動します。もちろん、それなりの労働は必要ですが、一つ一つが善き思い出となり、思い入れのある衣類となっていくのです。
それと並行して、ガンジーの非暴力の思想も紹介していきたいのです。子ども達が読む漫画にも暴力が蔓延しています。まるで暴力にしか解決法がないかのようです。これでは、通り魔的な事件が増えるのも無理ありません。だからこそ、別の道を示したいと思うのです。
私にできることは、小さなことに過ぎません。ですから、これを読んでくださっている皆さんにお願いしたいのです。それぞれが小さな変化を起こしていきませんかと。Be the change!(変化になれ)
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No.27 2008年8月2日発行
夏本番です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
綿に花が咲き、藍も大きく育ちました。藍の生葉染めの適期は8月上旬まで。本当は7月から染めることができ、7月に根元から刈っても、8月までにはまた大きく育っているので、2番刈りでも染めることができます。でも、私の場合は、糸紡ぎが間に合わず、8月になってやっと1度だけ染めることができる始末です。
今年新潟地方は、例年より早く梅雨明け宣言がなされました。本来なら梅雨明けの頃には梅を干せる準備をしていないといけないのに、梅雨明け宣言を聞いて、慌てて紫蘇を畑から刈って来て、梅につけました。梅雨が明けてから雨やくもりの日が多く、梅が干せないまま8月になってしまいました。
藍染めにしても、梅にしても、その時期でないとできないことがあります。いつもいつも追われてしまっていますが、「段取り8分仕事2分」という言葉もありますから、前もって準備を整えていられるようになりたいものです。
まだまだ課題山積みの私ですが、季節ごとにやるべき仕事を与えてくれる自然は、うまくしたものだなと思います。藍に花が咲くようになると、染めても良い色が出ません。だから、それまでにせっせと糸を紡ぐことになります。こういう締め切りがなかったら、なかなか糸紡ぎの時間をとることもできないでしょう。人に寿命があるのも、良いことかもしれません。元気な間に精一杯のことをしようと思いますから。
不便が恵み
ある面からは都合の悪いことが、実はとてもありがたいことなのだと、気づかされることは多々あります。1991年の夏から秋を、フィリピンで過ごしましたが、電力事情があまり良くありませんでした。頻繁に停電していたのです。ロウソクを灯して夕食をとったことも何度もあります。今から思えば、キャンドルナイトでした。キャンドルナイトもたまになら、ロマンチックな気分に浸れるでしょうけど、あまり頻繁だと持て余してしまいます。ロウソクの明りでは、読書をしても目が疲れるだけです。仕方がないので、そんな日は諦めてさっさと寝ていました。私は典型的な夜型人間で、低血圧だから朝早く起きることは絶対に無理だと思っていました。でも、このような事情で、8時ごろに寝る日が続けば、いやでも5時前には目が覚めます。朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むととても気持ちがいいです。早朝というのは、何か特別な時間のような気がします。そして、朝食前に一仕事をするという習慣が身につくと、眠い目をこすりながら夜中に頑張るよりも、はるかに能率よくいろいろなことをすることができました。そして、1日が長くなったように感じるのです。
停電のおかげで、明るい光を差しかけてくれる太陽のありがたみがわかりました。低血圧は相変わらずですが、いつの間にか、朝早く起きることが苦痛でなくなっていました。太陽のリズムに合わせて暮らすことが、人間の身体にとって、一番負担をかけないリズムなのだと身をもって体験することができたのです。
フィリピンでの体験がなければ、相変わらず夜型の生活をして体調不良に悩んでいたかもしれません。日本にいれば夜中でも真昼のように明るくして、活動することができます。それは文明が進歩した証として、一見すばらしいことのようにも思えますが、人間の健康にとってよくないだけでなく、電気を大量に消費して、地球にも負担を与えています。夜は停電するくらいでちょうどよいのかもしれません。
貴重な暗闇体験
我が家は集合住宅の2階。窓のすぐ前に街灯があります。だから、電気を消しても、部屋の中まで明るいのです。最近は慣れましたが、引っ越した当初は夜寝るとき、明るすぎてなかなか寝付けませんでした。街灯は防犯上必要なのかもしれませんが、街灯もない真っ暗闇というのも、また良いものだと私は思います。
岡山県の新庄村というところに友人がいるのですが、あるときそこでキャンプをしたことがあります。周囲に明りが一切ないところでしたので、夜になると、窓の外は漆黒の闇です。外に出て懐中電灯の灯を消すと一生懸命目を開いているのに、何も見ることができませんでした。風でかさかさと揺れる草の音。普段なら全く気づかないようなかすかな音に耳をそばだてていました。そして、一生懸命探ろうとするのですが、自分の周囲の様子が全くわからない不安で一杯になりました。隣の人と手をつないでいなければ、私はそこにいることができなかったでしょう。仲間がいることのありがたみと、人間というのは本当に小さな存在なのだということが、身にしみました。空に目を転じれば、普段目にするよりもはるかにたくさんの星が瞬いていました。この広大な宇宙の小さな点に過ぎない地球で、今こうして自分が仲間とともに生かされていることが、奇跡のように思えてきました。本当にケシ粒のような存在の自分が大自然に守られて生かされているのだということが実感できました。
自然を破壊したくないと私が思う原点はここにあります。環境を守ろうという言葉すらおこがましいように、私には感じられます。なぜなら、人間が環境を守るのではなく、環境によって人間が守られているのですから。人間は、この大自然に感謝することしかできないはずです。本当に感謝だなと思うから、大切にしたいのです。
了解し合える関係を目指して
真っ暗闇の中でみんなで輪になって手をつないでいると、そこに仲間がいるというその存在自体が、とてもありがたいことに感じられました。その人がどんな人かということよりも、そこに人がいる、自分はひとりではないということが、これほど、私を力づけてくれることだったとは、大きな発見でした。
ところが、今私たちは文明の利器に囲まれすぎて、この大切なことがわからなくなっているような気がします。クレーマーが増えているとか、モンスターペアレンツが話題になったりしますが、同じ時代にこの同じ地球上で生を得て出会えたということだけでも、大変な奇跡だという認識があれば、もう少し互いにいたわりあえるのではないでしょうか。
ある年の同窓会では、2時間以上も駅で友人を待たせてしまった人がいました。牛の出産が始まって、どうにもならなくなったということでした。当時は携帯電話も普及していませんでしたから、連絡のしようもなくて・・・この話を聞いたとき、待たせたほうも待たせたほうだし、待ったほうも待ったほうだ(1時間に一本も列車が来ない小さな駅では、待つ以外に選択肢はなかったでしょうが・・・)と驚きあきれてしまいましたが、牛の出産なら仕方がないよね、というのが多くの人の反応でした。
今の時代に、このようなことが起きれば友情は決裂するかもしれませんね。どんな理由があろうと、約束の時間に遅れることは許されないというのが、現代の規範になってしまっていますから。どんなに厳しい納期であろうと、ノルマであろうと達成が求められています。これでは、仕事がずさんになるのを防げないでしょう。病気でも休めない、休んだら失業が待っているとしたら、何という息苦しい世の中でしょうか。メールにはすぐに返事を出さないと友情が壊れるとなれば、携帯も不便なものだと思います。
もちろん朝寝坊して約束の時間に遅れるのは論外ですが、牛の出産など、のっぴきならない事情であれば、お互いに了解し合える、そういう人間関係を私たちは取り戻す必要があると思います。安く、速く、効率よくを人間に求め過ぎないで、疲れたら休むことを認め合いながら、仲間と協力し合って良い仕事をしていく、そういう社会を取り戻したいものです。
「インドの救済は、インドが過去50年間に学んだことを忘れてしまうことにある。・・。5000年も昔の粗末な犂は、今日農夫が用いている犂である。救いは実にそこにある」と、ガンジーは約100年前に書いています。
9条世界会議で、ピースウォークに参加した人は、「文明とは、電灯がつくことではない。飛行機が飛ぶことでもない。文明とは人を殺さぬこと。物を壊さぬこと」と語っていました。
結局私たちは、いわゆる近代機械文明から少し距離をおく必要がありそうです。
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No.26 2008年4月12日発行
今年も種蒔きの季節が巡ってきました。今年は雪解けが早かったので、早々にジャガイモを植え付けることができました。山菜がおいしい季節でもあります。ふきのとうなどの苦味成分には抗酸化作用があって、雪の紫外線を浴びた身体を修復してくれるとか。自然はうまくできています。
月は誰のもの?
ところでみなさんは月の土地が1エーカー(1200坪)当たり2700円で売りに出されているのを御存知でしょうか。「宇宙条約では、国家が天体を所有することは禁止しているが、個人が所有してはならないということは言及されていなかった。この盲点をついて合法的に月を販売しようと考えたデニス・ホープ氏は、1980年にサンフランシスコの行政機関に出頭し、(月の)所有権の申し立てを行ったところ、正式にこの申し立ては受理されました。・・・ルナ・エンバシー社を設立し、月の土地を販売し、権利書を発行するという地球圏外の不動産業を開始しました」とホームページにあります。
誕生日や記念日のプレゼントとして購入する人が多いとか、結構人気を集めているようです。それでも、月が1番最初に所有権を申し立てた人のものになるなんて、植民地時代の発想がいまだに生き残っているのには驚きました。月はみんなのもの、だから個人の所有物にしてはいけないと、私は思うのです。古より、世界中の人がいろいろな思いで月を眺め、月に多くの思いを託してきました。百人一首の中にも、阿倍仲麻呂の「三笠の山にいでし月かも」をはじめ、「月見れば千々にものこそかなしけれ」、「月やはものをおもわする」、「有明の月を待出でつるかな」、「かたぶくまでの月を見しかな」、「恋しかるべき夜半の月かな」、「もれいづる月の影のさやけさ」、「ただ有明の月ぞ残れる」、などなど、月を詠み込んだものが多数あります。
月だけでなく、本来はこの地球だってみんなのものであるはずです。人間が勝手に線を引いて、ここまでは自分の領土だと主張して喧嘩をしているのですから、愚かなものです。空の鳥だって自由に移動するのに、人間だけはパスポートが必要です。
私たちは大地の恵みをいただいて生きています。この大地が与えてくれるものをみんなで分かち合ったらよいのに、お金がないと手に入らない仕組みになっています。鳥は木の実を自由についばんでいるというのに、お金がなかったら人間は飢えるしかないのです。そのため、とにかくお金を稼ぐことだと、あくせくと働くように私たちは仕向けられていきます。そして、今あるお金もいつか失うかもしれないと不安を抱いているのです。その結果、私たちは貪欲になるべくしてなっているわけです。
経済の仕組みとガンジーの教育観
分かち合えばと思っても、子どもの教育費は掛かりますし、住宅ローンだって重い負担だから、とりあえず自分の財産をとなってしまいますよね。住宅については、田舎暮らしを選択したり、賃貸でよいと割りきれば、ある程度は出費も抑えられるでしょうが、そもそも、数十年で建替えを余儀なくされる最近の住宅に問題ありだとも言えます。昔の家は百年もって、あたりまえでした。そのくらいしっかりしたものを作ることが職人達の誇りであったわけです。ところが、それでは仕事が増えません、経済が成長しませんから、30年で壊れるような家を建てるようになったのだと思われます。だから、同じ大工仕事をしていても、仕事のやりがいは大きく失われたと思います。これは、経済成長を求める今の経済の仕組みがもたらしたことです。道路も同じです。毎年仕事が確保できるように、一年たったら壊れるように補修をするのです。原発なども同じなのです。電気は余っているから柏崎の原発を廃炉にしても大丈夫だという主張がありましたが、そんなことは百も承知で、でも、仕事がなくなると困るから廃炉にしてもらっては困るという人が多くいるのです。足りないわけではない電気を生み出すのに、危険な仕事をすることにやりがいを感じることができるでしょうか。「飯の種」だと割りきるしかありません。そうやって、人は人間性を失って、ロボットや機械のようになって行くのではないでしょうか。
教育費の問題についても、多額の費用を費やす価値があるのか、再吟味が必要ではないでしょうか。現在、学校で行われている教育は、本来のあるべき教育から大きく隔たっていないでしょうか。ガンジーは、経済に奉仕する奴隷を養成する教育が行われていると、批判しています。
「教育とは本当は何かということが人々にさっぱりわかっていないところに、実際の難しさがあります。土地の価格や証券取引所での株式の価格を評価するのと同じようなやり方で、我々は教育の価値を評価します。生徒がより多く稼げるようになれるそういう教育だけを提供したいと我々は思っています。教育を受ける側の人格を高めることなど、まずほとんど気に留めることすらありません」
「インドの学校には、いろいろな職業カーストに所属する少年たちがいます。例えば、煉瓦工、鍛冶屋、大工、仕立て屋、靴屋などです。しかし、教育を受けたら、自分たちがこれまでやってきた仕事の技術を高め、自らの仕事にさらに励んでいくのではなく、そのような仕事は何か劣っていることとしてやめてしまうのです。そして、事務職に就くことが名誉なことと考えるのです。両親も、このような誤った考えを共有しています。このようにして、私たちはより深刻な奴隷状態に陥りつつあるのです」
「大学を卒業して職に就けないでいる若者は、あちこちさ迷い歩くしかありません。・・両親は、まず教育にお金をつぎ込み、そして今度は若者たちが失業中であっても、彼らの「地位」を保つために再び大金をつぎ込むことになります。・・・一握りの英国人がこんなに長い年月にわたって我々を奴隷状態にしておけたのは、どうしてだったのでしょうか。ひとつには、事務職員しか養成できないような教育制度を導入したことにあります」
「大学で医師や技師が養成されましたが、実は、忠実な奴隷に過ぎませんでした」
そして、ガンジーは肉体労働を蔑視する教育が行われていることが一番の問題だと、主張するのです。定年退職した夫が毎日家にいて大変だというぼやきを、奥さん方から聞くことがありますが、家事一つ満足にできない旦那さんというのが、間違った教育の産物かもしれません。
奴隷から人間へ
家事や肉体労働を低く見る価値観のために、大学に行ってサラリーマンやOLになる道を大半の人が選択してきました。しかし、今やサラリーマン消滅の時代です。若者が長々と教育を受け社会に出てみるとやるべき仕事がなく、あっても小学校4年生程度の能力があれば誰でもできる仕事しかないというのが、現状です。教育を受けたにもかかわらず、手に何の技術もないから、使い捨ての労働とわかっていても、他者を蹴落としてでもそういう仕事にあるつくしかないのです。原発関連の仕事でも、無いよりはましとなってしまいます。さらに、自分たちよりも少しでも有利な立場にいる人に攻撃の鉾先が向きます。郵政民営化も、公務員叩きもその延長線にあります。そうやって、庶民が互いに足の引っ張りあいをしてくれれば、それだけ一握りのエリートの立場は安泰となるのです。『分割して統治せよ』の植民地支配のルールがこんなところにも生きています。
自分たちに自信が持てないから、他者を攻撃することで一時的な癒しを得ているのでしょう。ガンジーは奴隷から人間に立ち返る手段として、手工芸を通した教育を提唱しました。例えば、糸を紡ぎながら、必要な糸の本数を計算することで算数を学んだり、綿の育て方や土壌についての知識を得たり、糸紡ぎや機織りが辿ってきた歴史を振り返ることで、英国によるインド支配の歴史を学ぶのです。さらに、糸車の構造や扱い方の授業を通して、科学的知識も得られます。このようにして学んだことこそが、本物の知識で深く根付くというのがガンジーの考え方でした。そして、一人前の職人として、学校を卒業することができれば、就職の心配をする必要もありません。「教育を与えると同時に、失業の根を立ち切るのです」と、ガンジーは述べています。ガンジーは優れた道具である我々の手足を最大限活用すればよいと、主張します。過去の職人達の仕事を見ても、人間の手が優れたものを生み出してきたことがわかります。そして、手で作ったものは、手で直すことができます。この手を活用して本物を作って、交換して生きていくことができれば、雇ってくれるところがなくても、自立して生きていけるのではないでしょうか? それには、肉体労働は劣っているという価値観を見なおしさえすればよいのです。
そして、雇われ仕事を少しずつ減らして、できる範囲で自給的農業や手仕事を始めたらよいでしょう。かつて専業農家から兼業農家へと農業の形態が変化しましたが、これは、肉体労働を厭い、農業に機械を導入し、浮いた時間で勤めに出て、より儲かるオフィスワークに従事したということです。結果、雇用主に従属した立場になりました。私たちが目指すべきは、手に職を持つことであり、肉体労働こそ、人間を自由にする本来の生き方であることを確信して、賃金労働を減らして、手足を使った自給的生き方をとり入れることです。
そして、最終的には、本当に自分のやりたいことだけをやって自由に生きたらよいと思いますし、それは可能なはずです。鳥のように生きたらよいのです。そこにある物を感謝していただくだけです。本当に自由です。でもそうしながらも、鳥の糞が大地の栄養になっていきますし、種を運ぶ働きをすることもあります。自由に生きながら、使命はちゃんと果たしているのです。所有などという概念が入ってくる余地もありません。所有という考えも、教育による洗脳に過ぎません。
「教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものに他ならない。人は真に徳のある人間として教育されるのではなく、ただ、きまりに外れないよう振舞うことを教えらえるだけなのである」(『茶の本』・岡倉天心)
No.25 2007年12月9日発行
今年もなんとか無事に綿を収穫できました。自然の恵みに感謝です。
不都合なのはどっち?
『不都合な真実』を書いたアル・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞されました。行きつけの本屋さんでは『不都合な真実』と『環境問題はなぜウソがまかり通るのか・1と2』(武田邦彦著・洋泉社)とが、並んで平積みにされています。どちらもよく売れているみたいです。
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の武田氏は、温暖化による海水面の上昇はたいしたことがないと書いています。たしかにアルキメデスの原理から北極の氷が融けても海水面は上昇しません。しかし、「氷が融けずに固まりごと滑り落ち、大量の“氷”が“一度に”海水中に沈むと大きな被害が出る」と書かれていますから、やはり温暖化は大変なことでしょう。また、台風の大型化や、旱魃や洪水などの異常気象が温暖化によってひきおこされているとすれば、たいしたことがないという武田氏の書き方には問題があると思います。
しかし、耳を傾けるべき指摘もあります。「BTX(ベンゼン、トルエン、キシレン)は化学原料やプラスチックに多く使われるが、いつも少し不足気味であった。それに対してレジ袋などにするエチレン、プロピレン、ブチレンなどは余り気味だった。・・・レジ袋は石油を精製すると自然にできる成分を有効に使用するから、もしレジ袋をなくし、もともと不足しがちなBXT成分を使って買い物袋をつくれば、石油全体の消費量を増やさなければならない」。さすが科学者、目の付け所が鋭いですね。「二酸化炭素の排出量を減らすために最も効果的な政策は、2000cc以上の自動車に高い税金をかけることであり、軽自動車の税金をゼロにすることであり、14インチより大きいテレビ、200リットルより大きな冷蔵庫に高い税金をかけることである」にも賛同します。
最近の家電製品の大型化には目を見張るものがありますね。省エネ製品への買い換え需要を喚起しようと、いろいろな宣伝が繰り広げられていますが、エネルギー消費の削減ではなく大型化しても電気代は変わりませんよという方向に流れているのではないかと気になります。
アル・ゴア氏の現状分析と、武田氏の解決法を採用すればよいのではないかなと、私は感じています。ゴア氏の現状分析は環境問題がせっぱ詰まったものであることを認識させてくれます。でも、ゴア氏の解決法は省エネ製品への買い替えなどビジネスに結びつけようという意図が濃く、本当に解決に向かうのかという点では、武田氏の方に軍配が上がると思うのです。
私たちは、自分と異なる意見には耳を傾けたくないという意識が働きがちですが、このように真っ向から対立する書物の両方に目を通すことで、両方から光が当てられて物事が立体的に浮かび上がってくるということがあるのではないでしょうか?
キャンドルナイトが意味を持つためには?
ところで武田氏は「電気を消して2000円節約して、その2000円でドライブに行くなら同じことです」などと書いて、電気を消すことにも消極的です。確かに、ドライブに行ったのでは意味がありませんね。私は夏至の日と冬至の日に2時間電気を消すキャンドルナイトがとても気に入っていて、毎回私なりのやり方で参加しています。この日は必ず家にいて家族と過ごすようにしています。電気を消すということよりも、家族と向き合うことがこの企画のメインテーマだと思うからです。子ども達は火遊びが大好きです。融けた蝋からまた新しい蝋燭を作ってみたり・・・危なくて目が離せないのですが、いろんな会話が弾みます。いかに日頃子どもと会話をしていないかに気づかされます。普段は一緒にテレビを見ていても、テレビから発せられる言葉を浴びているだけで、お互いが顔を合わせて語るという時間を奪われているのだなと感じます。本当は毎日こういう時間を持つことができたらいいのだけれど・・・せめて年に2日、私にとっては貴重な時間です。
そして、思います。こういう濃密な時間を家族と過ごすのが自然になったとき、電気を消してもドライブに行こうなどとは思わなくなるのではないかと。ドライブよりももっと楽しい過ごし方を発見しているからです。
藍染展企画者との出会い
江戸時代の着物を収集して藍染め展を開催された方に、先日お目にかかる機会がありました。一つとして同じ模様がないコレクションの数々・・・「名声を求めるわけでもなく、ただただ良い仕事を残した名もない職人達・・・彼らによって担われた地方の文化があった」というお話に感銘を受けました。祖母や母が機織りをする姿を見て育ったこの方は、貴重な布が捨てられ、燃やされていくことに心を痛めて、旅行にも、美容院にも行かず、外食もしないでためたお金で着物を収集すること40年。そして展覧会を開催されたのでした。まさに継続は力なりです。「あれもこれもやる必要はない。この分野のことならこの人に聞いたらよいと言ってもらえる人になることが肝心。その道のプロになることをめざして、もくもくと続けていれば、いつか必ず花開くときがある」という言葉に、深くうなずかされました。
ワークショップから講習会へ
糸紡ぎのワークショップをやって、何人集まったとか、チャルカ(糸車)が何台売れたとかで、成功だったかどうかを考えがちだったのですが、間違っていたのではないかと最近感じています。チャルカを購入した人が糸紡ぎを続けているとは限らないからです。チャルカを作ってくださっているインドのガンジーアシュラムの方々のことを思えば、せっかく作っていただいたチャルカが利用されていないとすれば、とても申し訳ないですし、残念なことです。取り組み方の根本を改める必要を感じました。そして今は、5名限定で講習会をやっています。毎月同じ人を対象に講習して、独り立ちできたら新しい人を募るという形でやっていこうとしています。本当にやりたい人とじっくりと取り組めるのは私にとっても楽しいことです。
講習会の時間を利用して、収穫した綿を持って来て、綿と種を分ける綿繰りをしていかれる人もいます。このように道具を共有することができれば、道具の値段が高いこともネックにはなりません。綿繰り機が必要なのは、収穫直後だけなのですから1台を譲り合って利用することができます。チャルカだって、自分専用のが欲しくなってから購入すれば、買ったのに使わないということにはならないでしょう。わずか数人の取り組みですが、確実に糸はたまっていきます。大きなイベントをやっても一過性で終わることが多いです。来られた方で本当に糸紡ぎを続けて、作品を仕上げる所までいく人は果たしているでしょうか。と、考えたときに、やるべきだったのはこういう小さくて確実な取り組みだったのだと気づかされます。しかも、数人が集まっておしゃべりをしながらの糸紡ぎは本当に楽しいものです。テレビを消して、糸紡ぎができれば、エネルギーの消費は減って、有用なものが生産できて一石二鳥ですね。
商売から生業へ
糸紡ぎ講習会に興味をもたれる方の中には、「これで生計が成り立ちますか?」とか、「作品を売っていないのですか?」と質問される方もあります。作るまでの苦労を思えば売れないですよ。売るために作るという発想がそもそもおかしいのではないかと思います。ビジネスに携わろう、儲からなければ意味がないという考えに、私達は取り付かれすぎているような気がします。江戸時代の人々は、紺屋などの職人の手を借りていたにしても、基本的には村人達は自分の着るものは自分達で作っていました。昔の着物を見ますと、仕事着や野良着にも絣の模様が施され、本当におしゃれだったことがわかります。自分が使うものに贅を凝らしているのです。江戸時代の人々は、年貢を搾り取られていますから、いろいろな手工芸にも携わって現金収入を得る必要がありました。その結果、いろいろな特産品が発達し、文化が花開いたという側面はあります。しかし、身分差別のあった江戸時代から平等な時代になったのですから、特権階級の人々に貢ぐ必要はないのです。自分が使うものを自分で作るという手仕事の楽しみを思う存分味わったらよいのではないでしょうか。
江戸時代の人々は、必要なものは自分たちの労働で手に入れていました。それが産業革命以来、必要な物はお金を出して買って来るという生活に変わっていきました。だから、何をするにもまずお金となってしまい、生計が成り立つか?とか、売れるか?ということが心配になってくるのではないでしょうか。でも、買わなくても自分で作れるというようになれば、売って現金を稼ぐ必要もありません。私達は本当に自由で歓びに満ちた生活が送られるようになるのではないでしょうか。もちろん江戸時代の人々に負けないくらいの働き者になる必要はあるでしょう。しかし、悲惨ではありません。「上流階級の女たちが結婚後月日がたつにつれて、自己を放棄した表情になってしまうのに対して、夫と肩を並べて働く農民の女の顔は、歳月と共に、自立と生活のよろこびに輝く」と明治初期に来日したアリス・ベーコンは記しているのです。本来働くことは楽しいことなのです。
鬱になる人が増えていると聞きますが、それはベーコンが見た上流階級の女のように、消費するだけの依存した生活に、現代社会が産業革命の結果なってしまったからではないでしょうか。これからの時代は産業革命(Industrial Revolution)ではなく、勤勉革命(Industrious Revolution)が求められているような気がします。
自然の恵みはふんだんにあります。我が家の小さな畑からも、毎日野菜が食卓にのぼります。耕して、紡いで織って、私達は自然に感謝しながら、仲間に感謝しながら生きていけばよいのではないでしょうか。その生活の延長線上に、環境問題の解決があるはずです。
No.24 2007年7月30日発行
また新潟で地震が起こりました。被災された方のことを思うと心が痛みます。そして、今回は原発のことも心配です。茨城県に住んでいたときには臨界事故が起こり、新潟では地震。原発のない県に住みたいというのが本音です。でも、それは身勝手というものでしょう。原発に依存しない生活は、私たち一人一人の心がけで達成するものだと思うからです。
問題の原因はどこに?
柏崎の原発は首都圏の電力の1割を供給しているから、閉鎖は無理だと言う人もいますが、地震発生以来東京で停電したという話は聞きません。猛暑になれば、工場やデパートなど大口ユーザーに節電をお願いするしかないと、新聞報道にはありましたが、それで対処できるのであれば、やはり必要ない施設だと思います。
環境のことを考えても、電力消費が減るに越したことがないのだから、この際、すべての原発を止めて電力消費を3割削減したらよいと思います。火力発電所で補うのでは、二酸化炭素が増えてしまいますから。あくまでも消費を減らしましょう。不可能なことでしょうか?
電力ではなく二酸化炭素排出量の話になりますが、2004年の日本の排出量は、1990年比7.4%増だそうです。これに対して、新潟県の排出量は同13.1%増です。郊外型店舗の進出、大型化によって商業施設などの民政業務部門からの排出が基準年比41%増、運輸部門27%増となっています。新潟県内の乗用車保有台数は1.5倍に増えています。交通手段をマイカーに頼り、郊外の大型店で買い物を楽しむという新潟のライフスタイルが、不況にも関わらず、温室効果ガス排出に拍車をかけています。(以上、新潟日報2007年7月21日の記事より)
このことだけで新潟の人を批判しないで下さいね。エネルギー消費の少なかった田舎が、都会並になりつつあるというだけのことですから。そして、新潟が原発を引き受けてしまったのも、お金に目がくらんだわけではありません。米の消費量が減って農業で暮らせなくなったからです。年老いた親を見捨てることのできない心優しい人が、地元の原発で働いて、床にたまった放射能を含む水を手作業で拭き取るという、きわめて危険かつ原始的な作業に従事しています。日本の農産物は高いと文句を言い、ご飯を食べないでトーストを食べることが、原発とつながっていること、忘れないようにしたいですね。
ライフスタイルを変えなくても、省エネ技術の導入で二酸化炭素の削減は可能だという主張もありますが、本当にそうでしょうか?排出量が増えている原因は、省エネ技術がないことなのでしょうか? ある問題を解決したいと思ったら、その問題の原因は何かを探って、原因を取り除く必要があります。そうするとやはり、ライフスタイルということに行き着くのではないでしょうか? 先ほどの新潟県の例でもわかるように、不況でもライフスタイルによってはエネルギー消費がかなりの規模で増大します。家族でそろってテレビを見ていたのが、それぞれの個室でテレビを見る生活に変われば、一家に一台から、一人に一台になりますし、エアコンだって各部屋に必要になります。技術によって何割か削減できても、台数が増えればどうにもなりません。風力発電を導入しますか?電力の需要がうなぎ登りであれば、建てても建てても追いつかないということにならないでしょうか。
先日図書館に行きましたところ、中に入るとむっとしました。「省エネのため28度に設定しています」という張り紙がありました。今年の新潟の夏は、30度を超える日がまだほとんどありません。その日も、もう午後3時を回っていたので、外の気温は26度くらいの感じでした。旧高田城跡の公園の一角にある図書館ですから、お堀を渡ってくる風がとても気持ちがよいのです。だから、28度という張り紙を見て、暖めているのかと思ってしまいました。窓の開かない構造の建物ですし、日曜日でしたから人が大勢いて、エアコンがなければ30度を超えていたのかも知れません。でも、窓を開けて風を通すことができれば、冷房は要らないじゃないと思ったのです。もちろん図書館には大切な資料もありますから、単純な問題ではないでしょう。でも、家屋を断熱すれば、エネルギーは削減できるという話を聞くと、それは違うのではと、こういう例から考えてしまいます。
便利=幸福ですか?
夕涼みという言葉をご存知でしょうか。「夏の夕方、戸外や縁側などに出て涼むこと」と辞書にあります。日本のように高温多湿の国で、窓を閉め切って家にこもって暮らすのはナンセンスです。ヨーロッパとは違うのです。本当に真剣に省エネを考えるのだったら、夕涼みの文化を取り戻すことではないでしょうか?
そして暑い日中だって、外で思い切り汗を流したらよいのです(もちろん高齢者や病弱な方に配慮をするなということではありません)。食糧問題を考えても、これから日本で食料を生産することが必要になるでしょう。ということは、夏の農作業にみんなで従事しなければいけないのです。今から体を鍛えておきましょう。インドの夏の暑さは半端ではありませんでしたが、当時幼かった我が家の子どもたちは外で元気に遊んでいました。西瓜やキュウリをよく食べていました。瓜科の植物には身体を冷やす作用があります。そして暑いインドでは、びっくりするくらい大きなキュウリがいっぱいとれるのです。自然は本当にうまくできています。
そうはいってもやはり暑い国でしたから、エアコンは使っていました。でもこれがすごい年代物で、たびたび故障していました。金曜日の2時半頃でしたが、修理をしてもらおうと電話をかけると、「もうすぐ午後のティータイムだし、ティータイムが終わってから修理に行っても5時までに直らないだろうから、月曜日にしましょう」と言うのです。「月曜日までには、土曜日も日曜日もあるし・・」と言うと、"Have a nice weekend!"と言って電話を切られてしまいました。日本では考えられないことですよね。でも、そうやって、ティータイムは休憩し、定時で仕事を終え、週末はもちろん休む。そういうことを、少しくらいの不自由さがあったとしても、お互いに認めあうことができる社会って、人にとって幸福な社会ではないかなと思うのです。
日本人のように勤勉に働かないから豊かにならないのだとおっしゃいますか?でも、私たち日本人はどういう豊かさを手に入れていますか? 24時間営業のコンビニ、スーパーが至る所にできて、いつでも買い物に行けます。便利かも知れません。でも、夜間も仕事をしなければいけない人が増えました。最初に書いたように、エネルギーの消費が増大する原因にもなっています。便利な家電製品を増やしていけば、それだけ幸福になれると信じて、私たち日本人は頑張ってきました。でも、便利になった分、一人で何でもできるという錯覚に陥って、互いをいたわり合ったり、助け合ったりをしなくなり、孤独感に悩む人が増えているようです。
幸福をもたらす生き方とは?
柏崎の原発は1985年に1号機が操業を開始したそうです。つい最近のことですよね。80年代前半は、もうすでに豊かな生活だったと私は思います。新潟の原発がなくても省エネ技術の導入を頑張らなくても(もちろん、やるなという意味ではないですよ、できる省エネはやったらよいです)、何の心配もいらないと私は思うのです。80年代前半私は学生でした。ちょうどそのころコンビニが出来始めていました。子どもがelevenという単語がなかなか覚えられなかったとき、「『セブンイレブン』で覚えたら良いよ」と、教えてあげました。「7時から11時まで営業しているという意味でつけられた店名だよ。お母さんが大学生の頃にそういうコンビニができて、11時まで店が開いているというのはすごい画期的なことだった」と言うと、「お母さんはいつの時代の人?」と聞かれてしまいました。
大学を卒業して田舎町で教師をしましたが、そこではスーパーが6時半で閉店だったので、コンビニがあるおかげで、助かりました。たしかに、コンビニや夜間も営業するスーパーが女性の社会進出を助けた面はあります。でも、そのせいで残業が増えているかも知れません。
「下流志向」(講談社)という本の中で、内田樹氏は「僕が子どものころ、父親は毎日同じ時間に同じ電車で帰ってきました。・・・だから、夕方雨が降ってくると、子どもたちは傘を持って駅まで父親を迎えに行ったわけです。」と書いています。子どもたちが迎えに行ける時間だからそんなに遅くはないはずです。一体いつ頃から父親は夕方に帰宅しなくなったのでしょうか。それはなぜでしょうか? 終電の時間がどんどん遅くなったのかも知れませんし、自動車で通勤できるようになって、時間を気にしなくても良くなったのかも知れません。でも、そういう便利さは人間を幸福にはしませんよね。
今では24時間営業の店がたくさんあります。これは不必要な時間延長ではないでしょうか。80年代のように11時までで十分ではないでしょうか。8時閉店でも良いかなと私は思います。
原発は危険だ止めろ!!と主張することはもちろん大切です。でも、その一方で遅くまで残業して、夜中に買い物をしていたら、電力需要を増大させて原発を後押ししているようなものです。急カーブを描いて電力消費量が減れば、原発が必要だと言えなくなるのだから、郊外への大型店の進出には反対して、できても利用しないとか、営業時間を短縮して下さいとお願いして、夜は買い物に行かないとか、自動販売機は利用しないとかできることはたくさんあると思いませんか。そして、夜買い物をしなくても良いように定時に退社できる仕組みを作っていくのです。そして、毎晩家族そろって夕食を囲むのです。労働者のこういう基本的な権利がないがしろにされていることこそ問題ですよ。そして、家族や近所の人と夕涼みでもすれば、これぞ究極の省エネでしょう。
各自が好きなものを買ってきて、バラバラの時間に、一人で食事をするなんて、あまりにも寂しすぎます。それを前提とした省エネ技術の導入は、仮に省エネに成功したとしても、人間を幸せにはしません。だから、人間の幸福という観点から、私は定時に帰って、家族が夕食をともにすること。夕涼みをしながら団欒の時間をもつことを、これからの生き方として提案したいのです。
No.23 2007年3月17日発行
究極の省エネとは?
冬がないまま、春になるのかなと思っていたら、3月になって、今シーズン一番の積雪を記録しました。2月が暖かかった分、3月になってからの寒さはこたえました。
寒いとぼやいていてもつまらないから、味噌を仕込みました。水につけておいた大豆2キロを茹でれば、部屋の中はそれなりに暖かくなります。ところが、換気扇を回しても、水蒸気がこもってくるので、最後は窓を開けて作業をしてしまいました。でも、ミンサーをくるくる回して大豆をすりつぶしていると、それほど寒さを感じません。結局、身体を動かすことが究極の省エネかもしれませんね。
『不都合な真実』を書いたゴアさんが、「自宅では平均の20倍もの電気を使っていた」と、報道されていました。「偽善者」だと非難したいとは思いません。私も「偽善者」ですから。『不都合な真実』の映画はまだ見ていませんが、本は読みました。写真やグラフがあって、環境危機がますます深刻化していることが、非常によくわかります。何かしなければと思わせてくれるすぐれた本です。ゴアさんは良い仕事をしたと私は思います。お勧めの1冊です。でも、どういう対策があるかという話になると、「環境に優しいことはお金にもなる」や「効率改善による削減」などです。電気の使用量が多いことを批判された時には、「排出した分は、削減する事業に投資している」とか、「風力や太陽光などの新エネルギーを利用している」と反論しています。このことの背後には、自分たちが犠牲を払うような改革はやりたくない、むしろビジネス・チャンスになるようなうまい話が欲しいというような、思惑があるような気がします。
しかし、省エネ技術が格段に進歩しても、家屋の気密化・断熱化が進んでも、CO2の排出量は増加の一途をたどっています。世帯数が増え、家電製品の数・使用頻度が増えているからです。一家に一台から一人に一台へと。部屋を暖めるのも石油ストーブではなく、エアコンを使うようになってきています。また、トウモロコシからエタノールを作って車を走らせようとすれば、トウモロコシの値段が高騰し、食糧問題も引き起こします。だから、技術の進歩を当てにしないで、自動車や家電製品の使用を控えるなど、どこかで限度を設けることが必要になっていると私は思います。「我慢・忍耐を強いることは共感されない」という声があるのは知っていますが、あえて私は、「使用量を減らす」ということを提案したいです。これは決して「我慢・忍耐」という暗い話ではないということも、お伝えしたいです。そしてまた、このことがガンジーの教育論と関わってきます。
体験に学ぶ
赤ちゃんが歩き始めるときのことを思い出していただきたいのです。転んでも、転んでも、何度でも立ち上がって、歩こうとしますよね。私などとんでもない親だから、2人目のときは特に、「あまり早く歩かれると、目が離せなくて、かえって大変なんだけどな」と思いながら、見ていました。でも、赤ちゃんはとにかく歩きたくて仕方がないのですね。自由に動けるようになることが嬉しいみたいです。「やっても無駄だからやめておこう」とか、「そこまで努力しないといけないことなら、やーめた」などと、考える赤ちゃんはいません。
ところが大きくなるにつれて、だんだん子どもたちはそのような否定的な考えに取り付かれます。そして大人も、「努力のいることはやりたくない」とか、「努力しないといけないのなら、誰もやってくれないよ」と言い出すのです。
これはなぜでしょうか。一部のエリートと、大多数のエリートになれなかった人を生み出す今の教育にその原因があるような気がします。早い段階からできる子できない子に分けて、できないとレッテルをはられた子はあきらめることを強いられるのです。また、あきらめることが自己防衛にもなります。
そして、便利・快適を手に入れることが人生の目標であれば、せっかく手に入れた楽な生活を手放すのは、文明の後退のような気がして、到底受け入れられない気分になるのかもしれません。人のために奉仕しようとか、自ら苦労を買って出ようなどという発想は、ここからは生まれません。
ガンジーは、教育とは立身出世の切符を手に入れることではないと、手厳しく批判しています。「現在の初等教育システムは、生半可な知識を得るだけで、無駄であるばかりでなく有害です。最近私がマドラスなどで出会った学生や文化人は、知性が発達したというよりも、消失してしまった事例でした。心の面に関しては、野生の状態で訓練を受けないまま成長して行くのです。その結果は、モラルと霊性の欠如です。手足を使うことがなければ、我々の脳は衰えます。たとえ脳が働いたとしても、その場合それはサタンの住処となります。私たちは子ども達を、我々の文化、文明の、我が国の本物の叡智を真に体現する人に育てなければなりません。教育として行われる活動では、その意味を適切に理解し、義務に専念すること、奉仕の精神を持つことが必要です。最も重要な教育は、人格を鍛えることです」と彼は述べています。
つまり、知識を詰め込むだけの教育を批判しているのです。人間には頭もあれば、手も足もあります。各自がそれをフルに使って、いろいろな体験をする中で得られる知識が本物だと彼は言うのです。そして、糸紡ぎなどを取り入れて、卒業後は職人としてひとり立ちできることを目指しました。村を復興する担い手を養成しようとしたのです。
体験しないとわからないなと思うことが、私自身よくあります。例えば、「菜の花プロジェクト」というのがあって、休耕田で栽培した菜の花の収穫のお手伝いにいったことがありますが、一反の畑から約20リットルの油が得られるという話でした。廃食油でディーゼル車を動かす取り組みも始まっていて、関心を持っていたのですが、耕耘機やコンバインを使ったり、畑へ行くのに車を使ったり、収穫した菜種をトラックで運んだりすると、こういった諸々の作業で費やした石油に見合うだけの量の油も得られないのではないかと思ったものです。エネルギー問題を解決するには、代替エネルギーを探すよりも、エネルギーの使用量を減らすしかないのではと、感じました。
また、炭の威力を見直した体験もあります。以前住んでいたところでは、炭焼きを仕事としている農家の方の畑を私は借りていました。引っ越す前に糸紡ぎを教えて欲しいと頼まれたので、2月の寒い時期でしたが、その農家の御宅で講習会をしました。玄関の上がり口に炭の入った火鉢が置いてあるだけで、部屋の中はとてもひんやりとしていました。でも不思議なことに、しばらくすると体のしんから温まってくるのです。とても気持ちがよかったです。その農家のおばさんも、「炭火はいいでしょう。とても他の暖房器具を使いたいとは思わない」と言っておられました。
炭は暖かいだけでなく、薪にして燃やすとあっという間になくなる木材も、炭にすれば長持ちします。生活の知恵ですね。新しい技術を開発しようと躍起にならなくても、案外、ちょっと振り返ったところや、足元に解決策がありそうですね。
ある小学校の実践例
上越市立大手町小学校は、毎年5年生が『食糧その日』というユニークな取り組みを行っています。輸入がストップしたら、雪国では冬場は食糧生産できないから、自分たちで収穫した食糧だけで冬の4ヶ月を過ごすと仮定して、収穫量÷120÷人数で一人当たりの1日分を計算して、それで1日生活をしてみるということを行っているのです。子どもたちが初めて米と野菜作りに挑戦するわけですから、失敗もあり、食べられる量は微々たる量になります。
収穫が減ればそれだけひもじい思いをするというのがわかっているので、子どもたちは真剣です。虫がつけば、農薬を使うべきかどうかを、また卵を産ませるために飼っていた鶏を、食べるべきかどうかを真剣に議論しています。空腹を抱えて、世界の飢餓問題に関するビデオを見ます。空腹の苦しみを実感していますから、自分のこととして問題をとらえることができます。そして、「自分たちにできることはないか」と問いかけ、「もっとできることがある、やってみよう」とつながっていきます。この取り組みが始まって20年、今では保護者を巻き込んで進化・発展しているそうです。
鶏を飼おうとすると、鳥インフルエンザの問題で、難しいことがわかりました。ところが子どもたちは、卵を孵化させるところからやれば、問題をクリアできることを発見したのです。雛や鶏はすでに病気を持っている可能性がありますが、卵なら大丈夫ですから。しかし、ここまで調べてくる子どもたちのエネルギーは一体どこからくるのでしょうか。
大手町小学校の研究紀要「人間力」には次のようにあります。「どの子どもも本来、学びたい、伸びたい、できるようになりたいと願う存在である。・・・子どもが『こうしたい』という願いを持ったとき、子どもは持っている力を総動員して問題解決に向かいます。そして粘り強く考えたり、工夫したりしながら活動に取り組みます。『こうしたい』という願いが、自分を取り巻く自然や他者のためであると、その願いはさらに広がっていきます」
この研究紀要を読みながら、ガンジーが目指した教育が、こんな身近なところにあるではないかと、嬉しくなりました。研究紀要に載っている子どもたちの写真を見ますと、どの子も本当に活き活きとした表情をしています。作物やニワトリを育てることにも、調べ学習にもいろいろな苦労があったはずです。でも、何のために学ぶのかや、自分たちに何ができるかなど、つまり意義や使命感をつかんだとき、壁を乗り越えることは、苦しみというよりも、充実感を味わえる楽しいことに変わっているのではないでしょうか。
赤ちゃんが何度転んでも、立ち上がって歩こうとするように、私たちは本来、最大限の努力をすることが、楽しい存在なのではないでしょうか。その自分の可能性に気づいたとき、私たちは本物の幸せを手にしていると言えるのではないでしょうか。
だから、私は言いたいのです。「省エネに励みましょう。工夫しましょう」と。
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No.22 2006年12月16日発行
今回は、「スロー・ラーニングの勧め」として、教育の問題を考えたいと思います。
「みんなと同じ」というプレッシャー
女子高生のスカートが全国一短いのが新潟県だそうです。雪が降る中、ひざを真っ赤にして歩いています。ほぼ100%ミニスカートです。もっと長いスカートをはいて暖かくしたいと思っている人もいるはずと思うのですが、「みんなと同じ」が何よりも優先されているみたいです。
大人の社会でもみんなに合わせてというプレッシャーは存在しますが、今の子どもの世界では、服装から遊ぶことまで、そのプレッシャーがかなり強く存在するようです。
子どもの世界がすごく狭いせいかなと感じます。少子化が進んで、学級数も減り、出会う子どもの数も限られています。それなのに、1日の大半を学校で過ごし、勉強もスポーツも全て同じ学校の中でやっています。違う世代の人や、いろいろな職業、人生観を持っている人と出会うチャンスもありません。
周りの目を気にして萎縮している子どもたちを見ますと、学校というのは、子どもたちを閉じ込める狭い檻ではないだろうか?と私はこのごろ感じるのです。ニワトリを狭いケージで飼うと、ストレスから互いをつつきあうので、くちばしを切っておくという話を聞いたことがありますが、それと同じことが子どもたちの世界で起きているような気がします。学校以外の逃げ場も必要ですし、学校ものびのびと自分らしさを発揮できる場であって欲しいと思います。それは決して不可能なことではないでしょう。なぜなら、江戸時代の子どもたちは本当にのびのびと生きていたのですから。
おおらかで成熟した江戸の文化
「江戸の学び」(市川寛明・石山秀和著 河出書房新社)という本があります。そこに、寺子屋でおおらかに遊ぶ子どもたちの姿が紹介されています。遊び放題にさせていたら、学力が育たないと心配かもしれませんが、心配ご無用。江戸時代の庶民の教養レベルは相当高かったことが知られています。
子どもたちは文字が読めないと遊べない双六やカルタで遊んでいました。「東海道中膝栗毛」などの、大衆向けの書物も多数出版されています。読者がいたということです。さらに、俳諧や川柳のように、師匠について「学び」そのものを楽しむ豊かな文化が成熟していました。また、百姓一揆を行った農民の代表者が書き記した文書には、「我とても命棄てたるこの上は、申し上げたき義も御座候」など、心を打つ名言が多数あるそうです。
江戸時代の和算は、世界中の数学者を驚かせるような水準だったそうです。和算塾の弟子には、子どもも女性もいました。さらにもっと注目すべきことは、江戸時代の庶民が数学を楽しみの一つとしていた点です。おもちゃ絵というのがあるのですが、これは春夏秋冬の4枚の絵の背景に描き込まれた干支の絵柄が、彩色絵と墨絵に描き分けられており、その組み合わせを手がかりに相手の干支を言い当てて驚かすという趣向だったそうです。この遊びをするには、二進法の仕組みを知っている必要があります。「江戸時代に、庶民が二進法の原理を巧みに使いこなして、遊びの中に取り入れていた事実は、一見難解な数学を遊びにしてしまう洗練された文化が江戸時代に存在していたことを示すものとして注目される」と、この本にあります。
ところが非常に残念なことに、明治維新によってこのようなのびのびとした庶民の文化も、寺子屋でのおおらかな教育も終わりを告げてしまいます。明治政府によって富国強兵政策が取られたからです。
身分制廃止と近代教育
欧米列強の軍事的な圧力の中で、江戸幕府を倒した明治新政府にとって最優先の課題は、日本が欧米の植民地にならないようにすることでした。そのためには、強い軍隊を持たねばと考えました。江戸時代の身分社会では、戦うのは武士の仕事でした。「戦争になれば農民や町人は逃げ出してしまうだろう」それでは困ると考えた明治政府は、徴兵制を導入して国民皆兵を義務付けることにしました。農民や町人にも武器を手に戦ってもらうためには、これからは武士とか、農民といった身分による区別のない社会、平等な社会になるのだと言う必要がありました。身分に関係なく、「学校」に行けば、能力次第で高収入が得られる職業に就けるようになったのです。平等になったのだから、兵役の義務も平等に課すぞというわけです。そして、みんなが喜んで兵士になってくれるように、「修身」という国家に忠誠心を持ってもらうための科目も、義務教育に盛り込まれたのです。
この結果、日本の教育は大きく変質しました。教育が立身出世の手段となりました。となると同じ条件で競って、優秀な人を採用する必要が出てきますので、教育内容が画一化し、試験制度が導入されました。学ぶことはもはや楽しむためではなく、試験に合格するためになってしまいました。さらに、幼い子どもは、動物的な存在であり、これを調教することによって一人前の人間に育て上げるのだという西洋の教育観まで取り入れてしまったのです。ですから体罰も容認されましたし、子どもたちの主体的な学びを重視するよりも、詰め込み教育が行われるようになっていったのです。「人格形成を重視する伝統的な寺子屋教育を遅れたものとして否定し、教え込み型の一斉教授法と試験制度を、先進的な教育として導入するところから出発した」(「江戸の学び」より)のが明治の教育でした。
道徳性の涵養
寺子屋では体罰は、まず存在しませんでした。それは「文字の読み書き能力は、それ自体が学習の目的ではなく、それによってのみ可能な道徳的な自己の確立にこそ目的が置かれていた」(江戸の学びより)からです。「もし才学のみに心を用い、みづから誇り、人を侮るものは、読まざるときより心ざま悪しく、・・・善を行わざれば学問も無用の事なり。・・学問の道は常に善を行ひて、君子に至るを以って目当てとす」と寺子屋で用いられた「庭訓要語」にもあるとおり、「人格の完成」を目指した教育が行われていたのです。
封建社会は、忠と孝とを根本的な道徳とする社会で、自己犠牲的な自らの利益を度外視した利他行為が推奨されていました。そして武士こそ、忠孝の価値観に最も忠実であるべきとされていたのです。ですから、おおむね質素な暮らしぶりでした。それに対して、商人は、守銭奴というイメージもありましたが、石田梅岩という人が登場し、不必要な利益を自ら放棄するように求めました。そのためには、強い道徳的な信念が必要で、それを養うために学問が必要とされたのです。立身出世が目的の教育観とは全く逆だったわけです。
実際、江戸時代の社会は、不必要な金儲け、利益の追求とは無縁の社会でした。競争がないと、人間は頑張らなくなって、駄目になるということが言われますが、決してそんなことはありません。「道具と手仕事」(村松貞次郎著 岩波書店)という本に、江戸浮世絵の板屋(版木を削り整える職人)の仕事ぶりが紹介されています。「二人で削って一日十枚。軽い仕事だ。陽も高いのにさっさと仕事を終えて、銭湯に行ってノンビリと寄席へ。・・これで東京中の浮世絵版木の需要がまかなえる。・・やみくもに削っても版木が余るだけだ。職人のシステムの中で板屋の必要な生産量が決まっているのだ。もちろん手抜きも甘えも他職の手前少しも許されぬ。病気もできぬ理屈だ。悠々としてしかもきびしい職人の世界・・・目のあがった(視力が衰えて仕事ができぬ状態)摺り師は、もっぱら摺り用の馬連(ばれん)を作り、仲間がそれを買って使う、という互助の習慣のあることも聞いた」とあります。人の倍働いて、他の人の分まで仕事をして、自分は2倍の収入を確保してやろうなどと浅ましいことは考えていないのです。仕事量が増えれば、どうしても雑になって、仕事の質が落ちることを知っていたのでしょう。午後の早いうちに仕事を終えていたとしても、良い物を作らなければ、使ってもらえない、そういう厳しさはありました。
今は、自分さえ儲かれば、人の仕事を奪っても構わないという人が増えましたし、そういう競争にさらされて、ゆとりのない社会になってしまいました。そして、その結果、安いけどすぐ壊れる物が増えて、気がついたらごみの山です。江戸時代に学びを楽しむゆとりがあったのは、物を必要以上に作らないスローな社会だったからのようです。スローライフを実現するには、近代教育からプラグをぬいて、寺子屋で行われていたような、主体的なスローラーニングをもう一度取り戻すことではないでしょうか。
(次回は、西洋の近代教育を否定し、新しい教育を提唱したガンジーの教育観を紹介します。)
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No.21 2006年8月31日発行
うだるような暑さが続いていましたが、ここにきて少し涼しくなって、ほっとしているところです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。今年は長梅雨だったために、綿も他の野菜も本来なら7月にぐんぐん伸びるところが、あまり成長できず大きくなれませんでした。晴耕雨読といえば聞こえはいいですが、「今日も雨だラッキー、畑に行かない言い訳ができた。本が読める」と、怠惰になってしまい、いつの間にか作物は草の中となってしまった影響も大きかったです。天気が悪くても、雑草はよく育ちますね。
それでも、最近はオクラがたくさん取れますし、綿もコットンボールを次々につけています。ありがたいことです。そしてついに、8月30日に今年初めての綿を収穫することができました。今年も種を守ることができました。台風10号の影響でフェーン現象が続いた数日は、人間にとっては大変でも、植物には良かったみたいです。それでも作物が例年より小さいため、いまだにほうっておくと、草の方が作物をしのいでしまうので、相変わらず草取りに追われています。例年なら、作物が大きくなったお陰で、草取りも一段落だったのですが・・・
切られても芽を出す。
暑いこの季節はモロヘイヤをよく食べますが、切っても切っても、新しい枝葉がどんどん出てくるので、尽きることがありません。本当にありがたいことです。綿も同じで、成長を止めて実をつけさせるために、先端を摘む摘芯という作業を行います。先端を摘むと、脇芽から分枝が多く発生し、その枝に実をつけるので、摘芯しないよりも多くの実をつけさせることができるのです。こういうところに植物の偉大さを感じます。やられたらやり返したいと思ってしまう私たちですが、植物は伸長を止められても「仕返しだ」と言って毒を出したりはしません。全てのエネルギーを新しい枝を出し、花を咲かせ、実をつけることに注ぎます。
私たちもこのように、悪に善で報いことができればどんなに良いでしょう。というか、植物は自分の本分に徹しているだけなのでしょう。周囲の状況や、自分が受けた被害に囚われないで、やるべきことをやっていれだけなのでしょう。そして、そのことが、被害を受けなかった場合よりも、つまり、摘芯しなかった場合よりも、多くの実をつける結果になっています。
世の中の出来事に腹が立ってしまうことはたくさんありますが、私たちも腹を立てるエネルギーをもっともっと建設的なことに使えば、きっと多くの実をつけることができ、ふと気がつけば、素敵な世の中が実現していたということになるのかもしれません。
善意の種をまく
腹を立てるよりも、もっと建設的なことをと書きましたが、これは反対運動がいけないという意味ではありません。反対運動をするのであれば善意を動機にした反対運動をしたいと思うのです。私は今、「上越九条の会」に関わっていますが、九条を守るということはつまり、九条を変えることに反対する運動であるわけです。ですから私も反対運動に関わっています。その中で、9条に関するいろいろな議論に接する機会があるのですが、九条を守りたいという人たちも自分の正しさを主張することに一生懸命で、どうも議論が噛み合っていないような印象を受けます。自分たちが正しいということは、あなたたちは間違っていると言っているわけで、言われた方は気分が良くないですよね。
ガンジーは、経済的平等のために富裕層の富を力づくで取り上げるのは良くないとして、次のように語っています。「私にとって最も重要な試金石は非暴力です。私たちだってかつては、富者と同じ立場にいたということをいつも忘れてはなりません。・・・自分たちについて辛抱してきたように、それ以上に他の人について忍耐強くあるべきです。もっと言えば、私が正しくて、彼が間違っていると考える権利は、私にはありません。彼が私のようなものの見方をするようになるまで、私は待つ必要があるのです。・・・今日私が暴力を用いれば、間違いなく、さらに大きな暴力に直面することになります。非暴力を規範とすれば、人生は妥協の連続となるのが常です。しかし、果てしなく衝突が続くのよりは、よいことです」
腹が立つようなことを言われても、なるほどと受け止め、相手の心に届く言葉を投げ返すことができたら、素敵な対話が実現するかもしれません。植物が切られても新しい芽を出し、私たちに惜しみなく与えてくれるように、私たちもたとえ悪意に出会っても、善意を惜しみなく与え続けることができれば、そのような種を撒き続けることさえできれば、きっとそれは波紋のように周囲に広がり、善意の芽があちこちに顔を出すことでしょう。
非暴力の備え
「備えあれば憂いなし」ということがよく言われ、だから武装しなければならないという主張があり、他方で、どこかの国が日本を攻めてくることなどまずありえないから、備えの必要はないという主張があります。でも私は、「非暴力の備え」をしようということを言いたいです。誰も未来を予測することはできません。また、過去の歴史を振り返っても、インドは英国の植民地にされました。ナチスが、ヨーロッパの国々を侵略しました。日本もアジア諸国に攻め入りましたし、冷静に考えれば無謀でしかない真珠湾攻撃までしでかしました。似たような歴史が繰り返されないとは限りません。
しかし、そのような侵略行為に対してどう対抗すべきかについても、私たちは過去の歴史から学ぶことができます。暴力に暴力で対抗した場合どうなったでしょうか。非暴力の実践は無力だったのでしょうか。暴力で対抗した場合、それは暴力の連鎖でしかありませんでしたし、ロシア革命やフランス革命のように、古い体制を覆すのに暴力を用いた例では、その後は必ずと言えるほど恐怖政治が行われています。さらには、世界中で軍隊に殺された2億人のうち、1億3千万人が自国の軍隊によって殺されているというデータすら存在します。他方、非暴力で闘ったインドは民主国家になりました。また、ナチスに侵略されたデンマークでは、全国規模のストライキで軍事物資の生産や輸送を妨げ、武力闘争以上の打撃を侵略軍に与えましたし、ユダヤ人の犠牲者も最小に抑えることができました。
統率が取れ全国民的参加が得られれば大きな力を発揮するのが非暴力の抵抗なのです。しかしそのためには、国民が非暴力の有効性を認識し、忍耐強く、時には犠牲を耐え忍ぶ覚悟も必要です。ですから、そのための学習・訓練などの備えをしておかなければできることではありません。でもそれこそ、犠牲を最小限に抑える道であり、よりよき未来につながる道ではないでしょうか。だから私は、そのような「非暴力の備え」について真剣に議論すべきではないかと思うのです。
お奨め図書
「愛する人が襲われたら」 ――非暴力平和主義の回答――
ジョン・ハワード・ヨーダー著 新教出版社
戸締り論を主張する方があります。強盗に襲われないようにと個人が家に鍵をかけるように、国にも自衛権があるのではないかというわけです。しかし、個人が暴漢に襲われて相手を攻撃する場合、攻撃の対象は暴漢に限られ、無実の傍観者を傷つけるかもしれないような、重大な危険をおかすことはありません。まして攻撃者の家にまで出かけて行って、その家族を傷つけることはほとんど考えられないでしょう。しかし、国の場合は、見境もなく、別の出会い方をしていたら友人になれたかもしれない人を殺す事を強要されてしまいます。そのような暴力の巧妙な正当化、論理のすり替えを私たちは見ぬかねばならないという事が書いてあります。
「隣国が将来自国を攻撃するかもしれないということを根拠にして、他人の国に踏み込んで行ったりすれば、これを個人的なレベルに移すならば、ある男の隣人からいつか攻撃されるかもしれないことを恐れ、そのためにその男の家に押し入って彼の妻に襲いかかった、というようなものです」
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No.20 2006年4月19日発行
今年は積雪が多く、山沿いの雪の多い地域では農作業の開始に遅れが出ているようです。それでも上越市中心部の高田公園の桜も咲き、春が来たなとうれしくなります。
もうすぐ種まきの季節です。綿の種、今年も無料配布しています。(送料だけは負担してくださいね)
克雪vs冬支度
この冬は雪の降り始めが早かったので、雪がとけて自転車に乗れるようになったときは、とてもうれしかったです。夫が自転車で通勤できない冬は、自動車通勤となります。そうなると我が家は自動車が一台なので、私は歩くかバスに乗らないとどこにも出かけられません。バスの本数もそれほどないので、出かけることを諦めることも多かったです。どうしても必要なときには、夫に徒歩通勤をお願いしたこともありましたが・・・そういう不自由をしただけに、春の到来がうれしいです。雪国に暮らしていなければ、自転車に乗れたり、自由に移動できることがとてもありがたいことだと、気づくこともなかったでしょう。喜びや感動を味わうためにも、苦労は必要なのかもしれません。
この冬の豪雪では、津南町のある地域が孤立したことがニュースになりましたが、地元の新聞に興味深い投書が載っていました。90代の方でしたが、「昔は雪が降れば村が孤立するのは当たり前だった。だから、それなりの備え、冬支度をしていた」という内容でした。漬物などの保存食をつくり、暖房用の薪や炭などを用意していたのでしょう。そしてひっそりと暮らしながら雪解けを待つのが、雪国の暮らしだったのでしょう。
毎日漬物が続く生活にはどうにか耐えられても、人に会わずに家にこもって暮らすことは、今の自分には耐えられないなというのが、この投書を読んだときの正直な感想でした。でもまた一方で、除雪車、消雪パイプがフル稼働の今の雪国の暮らしを、この先何十年も続けていくことも、無理ではなかろうかという気もするのです。地下水をくみ上げれば地盤沈下が起こりますし、石油だって無限にあるわけではありませんし、自動車の排気ガスによる大気汚染、地球温暖化だって深刻な問題です。人が歩くだけなら、雪を踏み固めればすむところを、自動車が通れるようにするためには、幅広い車道から雪を完全に取り除く必要があります。荷台に雪を積んで、河川などの雪捨て場に向かうトラックの行列もよく見かけました。春が来れば自然に消えてなくなる雪を捨てるためだけに、トラックが何台も何往復もする光景を見ますと、ガソリンの無駄使いではなかろうか。雪だって、雪室など冷蔵保存のために利用できるのに・・もったいないなと思ってしまいます。除雪費用も過去最高を更新したようです。
道路の確保より大切なこと
このようなことを書きますと、道路が確保できなければ雪かきのボランティアも派遣できない。急病人が出たらどうする?という意見が聞こえてきそうです。
ガンジーは、自動車、電車などはなくても構わないという考えでした。人間は空を飛ぶことも、速く走ることもできません。手足を使ってできることをやるようにと、神が人間を作られているからだと、ガンジーは考えていました。だから、歩いて行ける範囲で全てがまかなえるようにしようとしたのです。急病人のための道路確保をと考える前に、どんな小さな村にも医師がいる社会を実現することにこそ、労力を使う必要がありはしないでしょうか。また、病気の予防・健康管理の術を身につけることも大切です。(ガンジーは「健康について」という文書も書いています。非常に興味深い記述がありますが、それについてはまた後日取り上げることにしましょう)小さな村が、村単位で食糧も衣類も、そして医療についても自立していく、そのことがガンジーが目指した自治・独立だったのです。
グローバル化のこの時代にあって、ガンジーの考えは遅れていることでしょうか。
昭和56年の豪雪時に高校生だったという人がこういう話をしてくれました。「その当時は、スコップを持って通学した。スコップで雪をかきわけて道をつけながら学校まで行っていたから大変だった。でも、今は、除雪車もたくさん配備されているし、歩道の除雪もしてくれるようになったから、降っている雪の量は56年の豪雪以上かもしれないが、あの当時ほどは大変ではない。雪国の暮らしも、雪を克服できるようになってきた。技術の進歩はありがたい」と。
たしかに技術の進歩のお陰で克雪は進みました。しかし、地盤沈下の問題など、良いことの裏には必ず負の側面があります。しかも、技術の進歩があっても、自動車の運転ができない高齢者は排除されています。集落の高齢化が進み、自力で屋根の雪下ろしができない世帯も増えています。若いものがみんな都会に出てしまう。都会に出ないと、村には仕事がない。技術の進歩だけでは解決できない問題が、ここにあります。技術の進歩は、雪の降る季節でも病人を遠くに運ぶことが可能になったりと、そういう問題を見えにくくしてしまいます。そして、気がついてみれば、どうしようもないくらい問題が深刻化しているということはないでしょうか。
実際、環境破壊は待ったなしの状況です。石油の使用量がうなぎのぼりで増えていけば、石油を求めての戦争だって起こるでしょう。スコップで雪をかき分けながら学校に通うのは、たしかに大変です。それでも学校に通うことはできていました。環境破壊や戦争は、私たちの生存そのものを脅かします。親の運転する自動車で楽に学校へ通えることをとるか、環境が守られ、戦争のない世の中を選択するべきなのか。今こそ、立ち止まって考えてみませんか。両方がかなえられるとよいのですが、どうもそれは無理なようです。
小さな暮らしを求めて
村がもう一度活気を取り戻すように努力すること。ここに現代社会が抱える困難な問題を解決する糸口があるような気がします。だから私は、村で手足を使って働きなさいと言ったガンジーの言葉に耳を傾け、少しでもできることは実践したいと思うのです。
ガンジーは若者に、奉仕者として村に入ることを期待していました。村での自給自足型の生活こそ本物だと考えたからです。中越地震で被災した山間部の村では、山での暮らしをあきらめて平地で生活再建するように求められている集落もあります。税金で支援して山に家を建てても、10数年後にさらに高齢化が進んで廃村となってしまうのでは税金がもったいないという意見があるからです。しかし、山で畑を耕して暮らしていれば、食べるものは畑で取れるので年金だけで十分暮らせるそうです。それが平地に移り住めば、食べるものもお金を出して買わなければならなくなる。畑仕事がなくなって身体が弱り、施設で介護が必要となれば、かえってお金がかかるという意見もあります。
全てを金銭上の額で判断するのは、やめておきたいと思います。生涯現役で畑仕事ができること以上の幸福はないと思いますが、いかがでしょうか。そして、本当に身体が弱ってしまったときには、頼ることのできる若い世代がすぐ近くに住んでいれば、どんなに心強いでしょうか。
村には年寄りばかり、都会には若者がと、別れて暮らすようになったために、おばあちゃんの知恵も受け継がれなくなってしまいました。でも、たとえ雪で孤立するようなことがあっても、孤立したなら孤立したなりの生活の知恵があったはずです。
新潟県は小千谷縮が有名ですし、豪雪地帯に織物の産地が多いです。家にいるしかない雪の季節に、機織りに励んだからでしょう。外出ができないと嘆く前に、だからこそ家の中での暮らしを愉しむのだと、切り替えて考えたいものです。今では父親が勤めに出るのが当たり前のようになってしまいましたが、妻が機織りをする傍らで夫が縄をなうなど、家族がそろって肩を寄せ合って家の中で過ごすことができるのであれば、集落としては孤立しても孤独にはならないでしょう。外に逃げ場がない分、家族が本当の意味で向き合って、一緒に暮らす努力を始められるかもしれません。
この冬は思うように外出ができないことがストレスとなって、不平を口にしていた私ですが、読書をすれば著者との対話ができますし、糸を紡げば内なる自分との対話が実現できます。特にガンジーが書いた物を読むと、自分の進むべき方向性が見えてきて励まされます。もし、次回の冬をこれまでよりも愉しい気分で過ごすことができたなら、ガンジーの思想を実践することに更なる一歩が踏み出せたと言えるのかもしれません。おそらくゆっくりとした歩みでしかないと思いますし、まだまだ自動車を手放すことはできないと思いますが、小さな暮らしを目指して、できることをやっていきたいものです。
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No.19 2005年12月28日発行
今は雪に埋もれましたが、雪が積もる前も新潟の寒さと冷たい雨に当たって、はじけることなく枯れてしまったコットンボールもありました。それでも、茎は太く育ち、大地にしっかりと根を張っていました。春に芽を出したときはあんなにひ弱だったのが、ここまで成長したと思うと感慨深いものがあります。翻って、私自身はこの1年何をしていただろう。植物が1ヶ所に留まって大地に根を張るように、糸を紡ぎ、織るというひとつのことに集中していたら、もっと作品だって出来上がっていたのではなかろうかと、反省した次第です。
新しい年は、本当にやるべきことに集中して取り組む年にしたいと思っています。
困難が困難でなくなる時
今私は、機織りはちょっとお休みして、編み物に取り組んでいます。紡いだ糸を2本より合わせて双糸にして、サマーセーターを編んでいます。編み物に取り組むのは本当に久しぶりですし、太い毛糸でざっくりと編んだことしかないので、こんな細い糸で大変だろうなと思いながら取り掛かったのですが、機織りに比べれば、早くはかどります。
以前は、セーター1枚編むのも、非常に大変な労働という思いがあったのですが、糸紡ぎや機織りを経験したことで、編み物がそれほど大変なことでなくなっていました。機織りは、まだまだ試行錯誤が必要で、経糸が切れたりなどの失敗もあるので、楽しむという境地には至りませんが、糸紡ぎは、リズムに乗ってすいすいと楽しく紡げるようになりました。布を仕立てる技術も必要で、まだまだ課題はありますが、実際にやることで、困難だったことが、少しずつ困難でなくなっていく経験を私は今しています。
「生活の中に教育がある」と言った人がいますが、生活が人を鍛えるのです。世の中がここまで病んでしまったのも、そういう鍛錬がなくなってしまったからではないでしょうか。基本的生活を外注するようになった結果、人として身につけておかなくてはならない生きる術を身につけることなく大人になってしまった人が溢れているような気がします。自分で問題を克服し、痛みに耐える力を伸ばす術を私たちは忘れてしまっているようです。
日常的な事柄のなかにある大切なもの
「限界のない自由はない。自己実現という言葉が、本能の赴くままの利己的な生き方としてしか理解されないならば、破壊そのものを楽しむ若い世代が育て上げられることになるだろう」(コンプレックスからの解放 堀江通旦・ヒルデカルト著 いのちのことば社より)。物が溢れる社会で、我慢をしたり、諦めたりという経験をせずに育つと、親は自分のために何でも与えるべきだ。自分にはそのように要求できる権利があると子どもは思ってしまうそうです。やがて、要求の対象が親にとどまらず、社会が自分の面倒を見るべきだと考えるようになり、それが叶えられないと社会に復習する権利が自分にはあると思ってしまうそうです。
だからこそ、「求められているものは、世を揺り動かすような大掛かりなことではなく、日常的な事柄である。この点で自分を鍛錬する必要がある。・・日常茶飯事というものはどうでもいいような瑣末なことであろうか。人をあっと言わせるような理論を立てることが大事なのではない、それよりはるかに大切なことは、周りのどこにでもあるような使命を見出し、それと取り組むことである。そうしてこそ始めて、行動することは悦びとなる」(コンプレックスからの解放)なのです。
本物の悦びを体験したいと思えば、やはり鍛錬、努力を経ることが必要なようです。負荷がゼロだと筋トレをやっても面白くないように、適度な負荷は、人間が生きていくのに必要なのではないでしょうか。それなのに快楽至上主義の思想がはびこり、不快なものは存在してはならないと考える人が増えていますが、不快なものや、困難があるから人は成長できるのではないでしょうか。さらに、困難だから、達成感を味わえると思います。
心安らかでいるために
いつもガンジーはにこにこしていたそうです。そして、「憂鬱になったことはない」と断言しています。それは、いつも手足を動かし、やるべきことをやっていたからではないでしょうか。そのことによって、自分の限界を見極め、その中で最大限のことをやっているという自負心が満足につながっていたと思うのです。
人は結局は、自分が今置かれているその場所で、自分の使命を見出し、誠実にその務めを果たしていくことが大切であり、それしかできないのではないでしょうか。学校が悪い、社会が悪い、家庭が悪い・・・・・・と、他者を批判し責めるエネルギーがあれば、自分を改革することにそれを使ったらよいと思うのです。私たちは、多くの人の前で話したりすることはなくても、それぞれが身近に接している人に対して、本当に誠実に生きるならば、私たちが語りかけた言葉は、その人の心に種となって残るはずです。その種が芽を出すかどうかは、その人次第ですから、私たちにはどうすることもできません。そのような限界を見極めることも大切です。限界を認めたうえでも、なおできることはたくさんあるのですから。また、今は心が頑なな人も、いつ何時、どんなきっかけで私たちが蒔いた種が芽を出さないとも限りません。そういう日が来ますようにと、信じて待てばよ
いのではないでしょうか。
「我々は果実に似たものを人為的に作り出そうとするあまり、果実は結果として生み出されてくるものであることを忘れがちである」とある本にありましたが、やるべきことをやって果実が実るのを待つ忍耐を養いたいものです。辛抱強い人が増えれば、社会全体も変わってくると思います。だから、一人一人が自分を鍛錬することが、人で構成される社会をより良いものに変えていくことにつながるのではないでしょうか。
お勧め図書 「食糧がたいへんだ! 上越市立大手町小学校の空腹体験」
島田治子著 一藝社
輸入がストップしたらどうなるかという設定で、自分たちが米と野菜を育て、秋に収穫したもので冬を乗り切るとすると、一人が1日にどれだけ食べられるか。実際にその量(168キロカロリー)で1日を過ごしてみるという実験の記録です。
子どもたちが普通に授業を受けながら、総合的な学習の時間を利用して育てるのですから、田んぼも畑も広い面積は無理です。だから、輸入がストップしたら、1日168キロカロリーしか食べられないということにはならないと思いますが、空腹を体験することで、飢餓に苦しむ途上国の人々を思いやる心が芽生えます。給食の残飯が劇的に減ります。
1年を通じた記録の中に、そういう子どもたちの変化を読み取ることができます。「祐美さんは、お金で貧しい人々を救うのではなく、食糧に対する自分の姿勢を変えることで、貧しい人々から奪わない方法を選んだといえます」「食糧という大きな幅広い問題も、結局は毎日の生活の場の積み重ねであること。そして自分たちの命と、世界の人たちの命とが直結した問題であることを実感とともに理解したようです」とこの本にありますが、ここに、より良き社会を作っていくためのヒントがあると感じました。感動の1冊です。 大手町小学校は、6年生で転校してきた次男が、1年間お世話になった学校です。もう1年早く転校していれば、空腹体験を経験させられたのにと、残念でした。
大手町小を卒業した子どもたちが通っている城東中学校では、先日あるクラスが100日間給食残飯0を達成しました。子どもたちの変化は本物です。体験と学びが同時並行して行われたために、子どもたちに変化を起こさせることができたと私は考えます。
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No.18 2005年8月16日発行
夏真っ盛りです。暑い日が続いていますが、畑の野菜たちはそのおかげでとても元気です。棉も、新潟の地で元気に育ってくれています。花がどんどん咲いていますし、コットンボールも早いものはかなり大きくなっています。
豪雨が降りやすいようで、気がかりな気象になっていますが、棉や野菜を育てるなど、できることを淡々とやっています。
ロボットにならないために
イラクで劣化ウラン弾が使われ、多くの子どもたちが病気になり苦しんでいます。どうしてそんな非人道的な兵器が使えるのでしょうか。こんな記事を読みました。劣化ウラン弾の使用を決める人は、標的を破壊する最善の方法はこれだということで、使用を決めたそうです。イラクの装甲車を使用不能になるくらいに徹底的に破壊するには、高い貫通力を持つ劣化ウラン弾しかないと言うわけです。そして、そのように作戦を立てるのが自分の仕事であって、自分が劣化ウラン弾を発射したわけではないから、劣化ウラン弾による放射線で被害を受ける人がいたとしても、自分には関係がない、自分は自分の職務を果たしただけだとその人は考えているようでした。
そしてまた、実際に発射した兵士は兵士で、自分は命令に従っただけだと考えているのでしょう。こうして誰も責任をとらない無責任体制ができあがっていくようです。
似たような例は他にもあります。例えば今話題になっているアスベストの問題にしても、危険性が指摘されていたにもかかわらず、長い年月放置されてきました。新聞の報道によれば、研究サイドと行政の連携がうまく行っていなかったようです。行政サイドの不手際もさることながら、アスベストの危険性を指摘していた論文が存在していたのであれば、その論文を書いた研究者は、いっこうにアスベスト対策がとられないことに無関心でいて良かったのでしょうか。自分の仕事は研究することだけというのであれば、何のための研究かわからなくなります。
これでは、ロボットではないでしょうか。人間としてどう生きるべきかを考えることを忘れてしまっているような気がします。そして、その根は教育にあるような気がするのです。いつのまにか、いかに速く正答にたどり着くかの競争になってしまい、今行われていることや、正しいとされていることが、本当に正しいのかという批判精神を養うことが、忘れられてしまっています。
西欧で学校教育が普及するのは、ルターの宗教改革の頃です。庶民が分厚い聖書を正しく理解するのは難しいからとルターは信仰問答を書きました。同じ時期に印刷機が発明されて、文書を大量に普及させることが可能になっています。その結果、学校では印刷された信仰問答をテキストとして使い、子どもたちに聖書の正しい解釈はこれだと叩き込むことになったのです。信仰問答そのものは、腐敗した教会が立ち直る役割を果たしたかもしれませんが、ドグマを教え込む役割を学校が担うことになってしまい、それを悪い方向に利用したのがナチスであり、ヒトラーだったという指摘があります。以来私たちは、学校は正しい知識を教える所で、教えられることをひたすら覚えることが学力をつけることだという誤解のもとに生きてきたのではないでしょうか。教育の普及ということでは、識字率が指標とされますが、ものごとの本質を見抜く批判的精神が養われているかどうかは問題にされないようです。
結局は心の問題??
「変わる家族 変わる食卓:真実に破壊されるマーケティング常識」(岩村暢子著 剄草書房)という本があります。そのなかで、次のような指摘があります。「BSE問題に関する限り、主婦はその時の自分の気持ちを後押ししてくれる情報に注目し、収集していたことになる。情報に基づいて思考し客観的に判断したのではなく、自分のしたいこと(都合)に沿って"使える"情報を収集・採用していたのだと言ってもいいだろう。逆の情報は"気にしない"のである。・・牛肉関連商品を『除外したら何も食べられなくなると思い、気にしないことにした』・・などの発言が大半を占めた」
現代人の傾向として、まず、情報を鵜呑みにするということがあります。偉い先生が言っていることに間違いがあるはずがないというわけです。そして、相反する、矛盾する情報が存在する場合は、どちらが正しいのだろうと自分で学び、吟味することはせずに、自分にとって都合の良い情報を正しいこととし、都合の悪いことは無視するのです。
私がガンジーの思想を伝えていく時にも、自分自身が犠牲を強いられることはやりたくない、そんなことを気づかされるようなことは聞きたくない、と、話している途中で壁が立ちあがってくるのを感じる時があります。みんな被害者にはなりたくないと思っていますが、加害行為には目をつむってしまうのです。目をそらし、努めてそれを見ないようにし、気づかないようにするのです。
マクドナルドの牛肉を作るためにアマゾンの熱帯雨林が破壊されている話をしたことがありますが、熱帯雨林を焼き払った牧場で育った牛ならば、農薬などの悪いものは食べていないはずだから安全ではないか。それなら、マクドナルドのハンバーグを食べるのはよい事になるという意見が出て唖然としたことがありました。それまでは、正しい知識を人々に伝えることができれば世の中は変わると思っていましたが、そうではなくて、結局は心の問題だと気づかされました。心の問題という壁は、思った以上に厚い壁となって立ちはだかっていることに、私は気づきました。
9月11日の犠牲者のある家族は、今のアメリカ社会を「一方で支配の報酬を楽しみながら、他方でそのことが生み出す不正を見つめる心理的忍耐力を持ち合わせていない。」と描写していますが(「われらの悲しみを平和への一歩に」9・11犠牲者家族の記録より)、今の日本の社会もこれと同じではないでしょうか。
伝わるということ
では、どうすればこの心の問題を克服できるかと悩んでいたときに、「伝えるのではなく、伝わるんだよ」という言葉に出会いました。棉を育て、糸を紡ぐこともそうですが、生活のあらゆる部分で「伝わる」というレベルに達するまで、自分の生き方を変えていくしかないのだと感じています。私たちは、楽をしたい、贅沢をしたいという欲望を持っています。私もそうです。ふっと心が疲れてくると、私は何でこんな活動をしているのだろう。あほらしいと思ってしまうこともあります。
平和を考える集会でも、「こんなことに頑張っていてもお金が貰えるわけではないのだから、活動が広まらないのも仕方がない」という意見が出ました。もっともなご意見と言えるでしょう。すべてのことをお金という物差しで測るならば…でも、お金には換えることのできない報酬が実はあるのではないでしょうか。世の中は着実に変わってきています。私自身のことでも、7、8年前に綿を育て始めた頃は、とうとう頭がおかしくなったのではないかという反応が多かったですが、このごろでは綿を育てたいとか、糸紡ぎの道具に関する問い合わせも増えています。多くの人がこのままではいけない、何かしようと思っているようです。そして、ガンジーや糸紡ぎに関わる活動を通じて、出会いが与えられています。新潟に引っ越してきてからも、こちらの地で素敵な方々と出会うことができました。そのような方々との交流は、金銭的には出費が多くても、お金には変えられない歓びをもたらしてくれます。ですから私は、このような活動を通じて十分過ぎるくらいの報酬を得ているのです。
真実を見抜く批判的精神が欠如していると先に書きましたが、それが大勢を占める現実だとしても、真実を見抜いて行動を始めた人もまた多くいるわけです。そして私自身がそのような方々の仲間でいられる幸せを噛み締めています。
「自分の戦いを進めていくその過程の中にすでにその報いがあるのです。・・根本的なことを考え、それをできるだけ大切にしなさい。自分をどの程度まで純粋にできたかが、唯一の基準です。この精神に満たされたものが数人いるだけで、動向は変えられます。人々はすぐにその変化を見て取り、それに対して反応が鈍いということはないはずです。努力を要する困難な仕事ではあるが、報いは大きい」
M.K.ガンジー
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No.17 2005年4月21日発行
雪国のこちらでも、雪はすっかり融け、春本番の到来です。久しぶりに畑に行って感動しました。大根が元気に冬を越していたのです。こちらに越してきてようやく畑を見つけたのが、昨年の10月中旬のことでした。種蒔きの時期としては遅かったのですが、大根の種をとりあえず蒔きました。やがて冬が来て、取り残した大根の上に雪がすっぽりと積もってしまいました。長靴をはいても入っていけない吹き溜まり状態だったので、諦めていたのですが、雪の下で枯れることなく元気でいてくれたのです。
以前住んでいたつくばですと、野菜を取り残して冬を越すと霜に当たったり、氷点下の気温にさらされて、大半が枯れてしまっていましたが、雪は0度以下には下がらないので、凍りつくことがなかったのでしょう。青々とした畑は、自然からの思いがけないプレゼントです。花が咲く前にと毎日大根が続いていますが、根も葉もおいしくいただいています。
棉の種をまく時期が近づきました。棉を育ててみたい方にはタネを配布しています。ご連絡ください。昨年は引っ越して畑がなかったので、今年は、タネの配布は無理ではないかと思っていたのですが、私に代わって、棉を育ててくださった方のおかげで、タネがたくさん手に入りました。本当に感謝です。
自然はただでたくさんの種をくれます。「取るな」とも、「お金を払え」とも言いません。ところが、こうやって手にしたタネも年を越すと発芽率が落ちるので、独り占めしていても意味がありません。分かち合いなさい、譲り合いなさいと自然が私たちに教えてくれているようです。
それなのに、人よりも少しでも多くを得ようとして競争に明け暮れている私たち人間のなんと愚かなことでしょうか。
どうして競争がよくないのか
競争があるから、切磋琢磨してこれだけ豊かな時代になれたのではないかと反論されることがあります。しかし、今の時代は、本当の意味で豊かなのでしょうか。時代の流れの行きつく先が、破綻でしかないとすれば…。
切磋琢磨のすべてを否定するわけではありませんが、競争するということは、互いに張り合って、勝った負けたと優越感と劣等感を行ったり来たりする循環に陥ります。これが人の幸せでしょうか。
競争に勝つためには、コンピュータや英語ができると有利だと言われ、そのような分野が得意な人が優遇され、人々に優劣がつけられます。そこで、猫も杓子もITだとなるわけですが、自分がやりたいことではなく、時代の要請に合わせて生きていくことが幸せでしょうか。知的労働の方が肉体労働より優れているという暗黙の前提があるために、デスクワークは好みではないけど、土に触れるのは大好きという人が、劣等感を持たないでその人らしく生きる場が奪われてはいないでしょうか。農業で食べていくことも難しくなりました。職業選択の自由があるようでないのが、今の社会ではないでしょうか。いろんな性格の人、いろんな特技を持つ人が助け合って生きていく社会であれば良いのに、国際分業という名のもとに、途上国に生まれたら肉体労働、先進国の人間は知的労働と分けられるのは、不条理というものでしょう。
人間には頭と手足が備わっているのですから、各人が知的労働と肉体労働をバランス良く行うのが本来のあり方ではないでしょうか。ガンジーは「体が必要としているものは、体を使って手に入れる必要があります。どれほど知的労働をしたところで、それによって肉体労働をしなくても許されるというものではありません。知的労働は、精神のために行うもので、それ自体で満足が得られます。決して報酬を要求すべきものではないのです。分業が発生するのはやむを得ないことですが、それは様々な種類の肉体労働を分担することでありまして、ある階級が知的労働を独占し、別の階級には肉体労働が押しつけられているという類いの分業とは違います。」と述べています。
肉体労働を分担しながらも、知性を養うことができるように、ガンジーは簡素な自給自足型の社会を目指したのです。たとえば、市場に出してお金に替えるのではなく、自分が食べる分を得るための農業であれば、農作業の傍ら読書をしたり、文章を書いたり、音楽や演劇など、いろいろな文化的な活動ができると思うのですがいかがでしょうか。そして、このような社会でこそ、各人がそれぞれの個性を発揮して生きられるのではないでしょうか。
ところが、現代の競争社会では、色に譬えれば、世の中にはいろいろな色を持った人がいるのに、時代の価値観として例えばみんなが赤色になることが求められていると思うのです。今の時代の競争は、どんな色に生まれた人も、それを捨ててとにかく少しでも赤に近づく、そういう競争のような気がします。でも赤には赤の良さがあり、青には青の良さがあるのです。そして、赤と青が存在するから、紫という素晴らしい色が生まれるのです。すべてを赤一色で染めてしまうようなことはやめにしませんか。そのためには、みんながただ一つのゴールを目指して競争することをやめる必要があると思うのです。ゴールはただ一つとは限らないのですから。
我が家の子どもたちを見ていると、本当にそう思うのです。我が家は息子が二人ですが、本当に対照的な性格をしています。陰と陽といったら良いでしょうか。ところで今の時代は、はきはきと発言するのが素晴らしいと、発言内容よりも発言回数を重視する傾向がありますので、ともすると、引っ込み思案な子を叱咤激励しがちでした。でもそうすると、子どものあるがままの素晴らしさを否定することになるのではないか、慎重に物事を考える姿勢も大切ではないかと、ある時気づかされました。そして、彼等の良さを伸ばしていきたいと思うようになったのです。
社会を作っていくこと
そして、どんな性格の子も、どんな国に生まれた子も、幸せに生きられる社会を作りたいと私は思っています。教育基本法の第1条、教育の目的のところには、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、…」と書かれています。ここでいう「形成者」とは、builderであってmemberではないと、大学の授業で習いました。大学で習ったことはほとんど忘れてしまいましたが、なぜかこれだけはすごく印象に残っています。平和とは、棚から牡丹餅のように降ってくるものではなくて、私たちが努力して築いていくものであると思うのです。だから、平和憲法ができたから平和になったというのは錯覚でしかないと思うのです。
また、自分がこんなふうになったのは、大人が悪い、世の中が悪いと主張する方がいらっしゃいますが、いまだかつて理想的な社会というのは存在したことがありません。それでも理想を目指して努力してきた先人たちのおかげでここまで来たのです。だから、私たちも、社会に責任を転嫁するのではなく、平和な社会を作っていくという使命が自分たち一人一人に課せられているのだと、builderとしての自分を自覚して、努力していきませんか。そして、一人一人が本当に幸せに生きられる社会を一緒に作っていきませんか。
憲法9条とガンジー思想
保田與重郎という人が「国が新憲法の下に、近代の兵力を放棄したことは、当然の前提及び結果として近代の重工業を所有せぬことである。終戦処理にあたっての基本策は、我国より近代を追放する処置に他ならなかったのである。しかし彼等の空想的な理想は、近代を追放しつつ、近代の繁栄だけを享受しようとした」と記しています。(述史新論「保田與重郎文庫32」)
この文章に出会って、なるほどと思いました。憲法9条を守るということは、近代機械文明を批判したガンジー思想を実践することではないでしょうか。
そしてその第一歩は、タネをまくことです。収穫の秋を期待して、今年もいろいろな種をまきたいものです。
No.16 2004年12月10日発行
2004年も残りわずかになりました。今年を振りかえって思うのは、自然災害の多さではないでしょうか。水害は温暖化の影響とも言われています。日本の2003年度の温暖化ガス排出量は1990年に比べて8%も増えているそうです。EU諸国が着実に減らしているのと対照的です。恥ずかしいですね。国際社会で名誉ある地位を望むのであれば、まずはこういう分野で手本となれる国に日本がなることではないでしょうか。
この問題については、政府の対策を待たなくても、私たち個人でできることがたくさんあります。車に乗らないで歩いたり、服を一枚多く着て暖房費を節約したり…ガンジーも次のように述べています。「政府依存の風潮が私たちを役立たずの人間にしてしまっております。…『村の清掃、美化、保護の責任は自分たちにある』という自覚が村人たちのあいだに育ってくれば、費用をかけずに多くの改良がすぐにも実現できるはずです」と。できることから始めて見ませんか。
戦争は最大の環境破壊です。「愛すべき国土、国民を守るためには、武力の行使も必要だ」と言われる方もありますが、地球環境は、沈没寸前のタイタニック号にたとえられるほど危機的状況にあります。戦争をしたり、戦争の準備をすることに膨大なエネルギーを使う余裕はないのではないでしょうか。環境問題に国境はありません。ある国の破壊的行為が地球全体に影響を与えます。子どもたちの未来を考えるなら、戦争以外の方法で問題を解決できないか、知恵を絞るべきではないでしょうか。
「国破れて山河あり」ならまだ復興も可能ですが、今戦争をするということは、「山河破壊されて、人類も滅びた」となる可能性が高いのではないでしょうか。愛する人を守ろうと一生懸命やった結果がこれでは、あまりに悲しいと思います。
暗いことの多かった2004年ですが、水害・地震の被災者に対して、多くの支援物資が届けられ、ボランティアの方々の救援の手が差し伸べられています。人の心に善意がある限り、この世はまだ救われる可能性があると思います。善意の輪を広げて行きましょう。それが世界中に満ちるまで。
Small is Effective!!(小さいことが効果的)
中越地震では、大量に送られてくる支援物資の仕分けに手間取ったり、支援物資が体育館を占領してしまい、被災者が追い出されてしまったという報道にも接しました。実際に現地に行った人の話ですと、必要とされる物資は、刻々と変化しているし、場所によっても異なるということでした。例えば、井戸水が手に入るところでは、ミネラルウォーターは必要なかったり、家屋の破損がそれほどひどくなければ、家に短時間入って防寒着をとってくることもできます。結局、現地に行ける人から直接頼まれた物を用意するというのが、たとえ小さな働きであったとしても、最も効果的な支援のあり方のようでした。
山古志村が大きな被害を受けましたが、村長さんが村民のために一生懸命働いていらっしゃる映像に接して、地震が起きたのが長岡市との合併の前だったことが不幸中の幸いだったような気がします。合併後であれば、新長岡市の市長が旧山古志村のことばかりに対応することはできなかったでしょう。昨今、あちこちで市町村の合併が行われていますが、行政単位があまり大きくなると、災害時に限らず住民のニーズにきめこまかく対応できるのだろうかと不安になります。
リサイクルの問題にしても、リサイクルの輪があまり大きくなると輸送にかかるエネルギーのために、リサイクルの効果が相殺されてしまいます。家庭で着られなくなった衣類をパッチワークにしたり、裂き織りにしたり、最後は雑巾にしたりというリサイクルであれば、無駄は一つもありません。小さいからできること。小さいことの良さを見直してみませんか。
人にはどれだけの衣類が必要か
最近やっと細い糸を紡げるようになったので、1センチに12本の経糸を通して、機織りを始めました。ところが、やたらと経糸が切れて難儀しています。糊付けが足りなかったようです。以前もっと太い糸で1センチ9本のときはこんなことにはならなかったのですが…仕方がないので、アイロンがけ用のスプレイ糊を買ってきて、吹きつけながら機織りを進めています。綿を育てる時から、染色にもすべて自然素材にこだわってきたので、ここで合成糊をふきつけることには抵抗がありましたが、背に腹は替えられませんでした。おかげでなんとか、ボツボツと機織りをすすめています。
こんな具合ですから、着られる作品ができあがるまでには、まだ時間がかかりそうです。衣類の自給という目標を達成するのは、まだまだ先のことになりそうです。しかし、こういう体験を通して気づかされたこともあります。それは、「人にはどれだけの衣類が必要か」ということです。
「人にはどれだけの土地が必要か」というトルストイの民話がありますが、衣類についても必要量を考えてみたいと思います。昔、機械が発明されておらず、手織りの衣類しか手に入らなかったころは、貴重品ですから、何年も同じものを着て、擦り切れればつくろって着ていました。それで少しも恥ずかしいとは思わなかったのです。ところが最近は、流行遅れの衣類は恥ずかしいと、着られる物であっても処分されています。また、ある程度枚数がないと、同じものばかり着ていては恥ずかしいという思いもあります。以前の私もそう思っていましたので、結婚して子どもを産んで体型が変われば、そのたびに何枚も新しい衣類が必要でした。洗濯機に放り込んで乱暴に洗って型崩れしたら、捨てて新しいものを買っていました。でも、糸紡ぎ、機織りを体験すると、そんなにたくさんの衣類を手仕事でまかなうのは無理だなというのが実感です。でもまた一方では、自分が手塩にかけて作った衣類は愛着があります。できるだけ長く着ていたいと思うようになりました。扱い方も丁寧になります。
布を見る目も変わりましたので、穴があけば繕えないかと思うようになりましたし、子どもが成長して着られなくなった服も捨てないで裂き織りなどに利用したいと思うようになりました。必要なものを買ってこようと思う前に、手元にある布で作れないかと考えるようにもなりました。私の母の世代であればおそらく当たり前であった針仕事を、自分の生活の中にも取り入れてみたいと思うようになりました。
ガンジーも「多過ぎるのは悪である。なくさなければならないのは、貧困ではなく、贅沢である」と述べています。南北の貧富の格差を考えた時にも、たくさん持っているということは、他者から奪っているのだということに気づかされます。衣類については、四季おりおりの気候に合わせて暑さ、寒さがしのげて、洗濯ができる最低限の枚数があれば十分だということに気づかされます。手紡ぎ手織りの衣類は化学薬品によって処理されていないので丈夫だそうですので、大切にすれば10年でも、20年でも着られるでしょうから、衣類をすべて手仕事でまかなうことも、不可能ではなさそうです。いつの日かこの夢がかなう時がくると、それを楽しみに毎日布を織っています。
お勧め図書「われらの悲しみを平和への一歩に 9・11犠牲者家族の記録」
デイビッド・ポトーティとピースフル・トゥモロウズ 岩波書店
やられたらやり返しても良いと考える人が少なからずいるようです。しかし、テロの犠牲者の家族は、自分たちの家族の名を政治的に利用して復讐が行われるのは耐えられないと言っています。彼らはアフガニスタンへの攻撃に反対し、アフガニスタンを訪れ、米軍の空爆で家族をなくした人と悲しみを分かち合っています。
世界をより良いものに変えるためには、何が必要か、深いところで考えさせてくれる良書です。まだの方は是非ご一読を。
いつも「ガンジーの糸車」をお読みくださりありがとうございます。2005年という新しい年が、暴力から平和への転換点となることを切望します。
どうぞ皆さん素敵なクリスマスと、良いお年をお迎えください。
No.15 2004年8月30日発行
今年は猛暑で、水害も多発しましたが、大量消費生活がもたらした温暖化という人災ではないでしょうか。やがて季節は夏から秋へと移っていきます。秋の夜長が、今後の社会を考える思索の時となると良いですね。
忙しい子どもたち
夏休み中も、子どもたちは毎日のように学校に行っていました。これでは、部活動と夏休みの宿題などのあとは、ごろんと転がって、テレビゲームや漫画を読むのが関の山。仕事に疲れたお父さんたちが、ごろんと転がって野球中継を見ている姿とうりふたつ。「夏休みならではの経験を」という言葉だけが、空しく響きます。休みの時くらい、人が決めたことを強制するのではなく、予定表のない、たっぷりの時間を子どもたちに与えたいものです。そうすれば、いくらゲーム好きの子どもでも、40日間、朝から晩までゲームだけでは過ごせないでしょう。何かクリエイティブなことをやろうと、自ら立ち上がるでしょう。自分探しの旅に出たり、読書をしたり、夏休みならではのことを始めると思うのですが……自分で考え、決めて、その結果に責任を持つ、そういう経験を子どもにさせたいです。それが生きる力につながるのではないでしょうか。
子どもに自由を与えたら、テレビやゲームばっかりで、ろくなことをしないのではと、心配するのももっともなことではありますが、でもだからといって、せっかくの長期休暇を、学校という手近な所に頼って、プールや部活動など普段の学校生活の延長で過ごすことは、もったいないなと思います。学校以外の世界を体験するチャンスなのですから。もちろん、自由な時間をもてあまして怠惰に過ごしてしまうということもあるかもしれません。しかし、そのような失敗からも学べるのではないでしょうか。少なくとも、忙しい生活では第一に犠牲になって、できないでいる、考えるということをやることになるでしょう。だから、親としては、忍耐を持って子どもに失敗するチャンスを与えたいと思うのです。いろいろ助言することはもちろん大切ですが、子どもを信頼して見守り、待つということが、今の大人たちが忘れてしまっているとても大切なことだと、私は思います。
忙しい大人たち
7月に参議院選挙がありましたが、選挙が終われば、私たちの関心も薄れます。私たちは忙しいから、政治のことは議員さんにお任せという方が多いのでしょうか。でも、自分たちの問題として、政治・平和・環境などを議論できるようになると良いなと思います。いろいろな人の意見に耳を傾けたり、書物を読む中で賢明な判断をしていく。為政者が間違ったことをやろうとしていたら抗議の声をあげる。一人一人にその責任が課せられているのが民主主義ではないでしょうか。だから、忙しい毎日と民主主義は両立し得ないような気がするのです。忙しいと、本を読む代わりにテレビや新聞で情報を仕入れて分かったような気持ちになってしまいますが、とても恐ろしいことだと思います。なぜなら、マスコミの報道は次から次に起こる事件・事故の報道に追われて、どうしても表面的になってしまいますし、マスコミが重要と思うことしか伝えられません。
法案が十分審議されたとは言えない状況で、国民の間で話題にもならないままに次々に成立しています。為政者は、国民が忙しいと都合が良いようです。だから、忙しさから降りようと私は言いたいのです。
教育についても民主主義についても時間をかけることを私たちは忘れていないでしょうか。
寛容と忍耐を培うために
ところで、時間をかけられない、待てないから暴力的になるということはないでしょうか。理不尽なことが多い世の中です。理不尽な被害にあわないためには、備えが必要なのでしょうか。どうしたら良いか。どうしたら理不尽なことを減らせるか、ゆっくり考えたり、語り合ったりができないと、とりあえず武装して自分の身を守ろうと飛びついてしまうのでしょうか。でも、ちょっと待ってください。やはりここでも、時間をかけてじっくり考えませんか。
「寛容と忍耐は、不正への服従や屈服を意味しているのではない。寛容とは、怒りや憎しみのような強い否定的な感情が起きそうな状況で、じっくり考え抜いた反応をするということです。」(ダライ・ラマ)
忙しさから降りるために
だから、今、忙しさから降りることが、どうしても必要だと思います。自動車、時計、テレビを手放せば、ゆったり時を過ごせると自然農の父、福岡正信氏は述べていらっしゃいます。今はこれにパソコン、携帯電話も加える必要があるかもしれませんが……時計によって時をずたずたに刻むのではなく、日が昇るとともに仕事を始め、日が沈む頃に家路につく。そんな古の人々の暮らしを、できる範囲で取り戻したいと思います。そういう生活の中に本当の快楽があるような気がするからです。
便利だけど忙しい今の生活から降りてみると、便利だと思っていたものが本当の意味での便利ではなかったことに気づくのではないでしょうか。例えば、自動車のおかげで遠くに速く行けるようになりましたが、どうして行かなければならないかを考えたとき、家にいてゆったりとお茶を飲んでいる生活の方が、本当の快楽であったりしないでしょうか。
今年の1月に山形県米沢市にある「原始布・古代織り参考館」を見学しましたが、過酷な自然条件の中での古の人々の暮らしぶりに深い感銘を受けました。雪に閉ざされる地域の女性たちの仕事として、苧麻(ちょま)=カラムシから糸を取る作業が行われていました。しかし、自動車でどこにでも働きに出かけられるようになると、そのような仕事に従事する女性たちもいなくなってしまったという話をお聞きして、考えさせられました。家にじっとしていればこれだけの芸術作品を生み出せるのに、やたらと出歩いて何も生み出せていない自分自身を反省せずにはいられませんでした。
思索の機会としての手仕事
家の中に閉じ込められて糸作りをさせられるくらいなら、外にパートに出た方がましだという声も聞こえてきそうです。労働の果実を支配者に横取りされるような、させられる糸作りではなく、自らが自主的に行う作品作りは、本物の喜びをもたらしてくれます。「プディングの善し悪しは食べることにあり(論より証拠)」です。是非一度体験してみてください。もちろん、外で働くことが全て悪いとは思いません。社会全体のためになる仕事は外にもいくらでもあるのですから。ただ、女性に限らず生活を楽しむゆとりを無くすほど働くことは良くないと思います。生活費のためということもあるでしょうが、金銭的収入がどうして必要なのか、お金に過度に依存しない生活は不可能だろうかと、一度立ち止まって考えてみませんか。
糸紡ぎのような単調な作業は、このようなことを考えるのに絶好の思索の機会を与えてくれます。私の書いたものから何か感じてくださる方があるとすれば、それは、糸を紡いだりする中で与えられた思索の賜物なのです。手仕事は人を堕落から救ってくれる女神のような存在だと私は感じています。それにひきかえ、現代社会に溢れている興奮をそそる刺激は、感覚を麻痺させ、人間から考えることを奪っているような気がします。
「許せないことを経験して、許すことを学んで、ありがとうと感謝しながらこの世を卒業していく。それが人生だ」と書いてくださった方がいます。このような本物の人生を味わうためにも、心を失うような忙しさから降りたいと私は思うのです。
No.14 2004年4月23日発行
さわやかな季節となりました。重苦しい事件に気がめいりそうになっても、空がどんよりとした雲で覆われていても、その雲の上には太陽が輝いているように、雲を突き抜けた所にある希望を見失わないでいたいものです。
私事ですが、夫の転勤で新潟県上越市に引っ越しました。新潟は綿栽培の北限です。綿や藍を育ててみたい方、ご連絡ください。種を守る協力者になっていただけないでしょうか。
民主国家と軍隊
本物の民主国家であれば軍隊を持つことはできないのではないかと私は思っています。軍隊とは武器でもって相手を威嚇する集団であり、それは問答無用を押し付けることだからです。たとえ自衛隊という名がついていても、軍服を着て、武器を携行し、装甲車に乗っていれば、それはもうれっきとした軍隊です。人道支援を強調するのであれば、人道支援専門の組織を作る、あるいは、自衛隊から武器、装甲車を取り除いて、自衛隊を救助隊に編成しなおす必要があると思います。
他方、話し合いを通して問題を解決するのが民主主義です。全員が納得する結論に達するまで徹底的に話し合うのが基本であって、多数決が民主主義ではないと私は思います。自分とは異なる意見に耳を傾けることで、ものごとの大切な点が見えてきて、より正しく決断できるのではないでしょうか。多数の人の意見が正しく、少数意見が間違っているという根拠はどこにもないのですから、議論を尽くすということを大切にしたいものです。
民主的プロセスと自衛隊派遣の問題
自衛隊派遣の問題でも、それぞれが別の場所で、賛成だ、反対だと叫んでいるだけでは、事の本質を見誤るのではないでしょうか。たとえば、ある新聞記事に、自衛隊派遣の是非を問うアンケート結果が載っていましたが、派遣に賛成だという人の理由として、「これまでリストラの心配もなく生活が保証されていたのに、危険だから嫌だと言うのは身勝手だ」「特別手当もつくし、万一のことがあっても補償されるのであれば、家族も生活に困らないではないか」(かけがえのない命をお金に換算しないで欲しいですね)というような意見が載っていました。これらの意見では、自衛隊が出かけて行くことでイラクの人々、世界の平和に貢献できるのかという非常に大切な視点がすっぽり抜け落ちています。
そして、このようなアンケートの結果、たとえ派遣賛成が多数を占めていたとしても、だから、派遣することが正しいとは言えないのではないでしょうか。賛成・反対のパーセンテージよりも、それぞれの理由の内容が大切だとは思われませんか。この問題では、派遣前に論議が尽くされたとは思えません。そして今、イラクの人々からさえも撤退してもらいたいという要求が出ています。ここは一度撤退して、国際社会に貢献し、イラクの民衆のためになる働きをするには、何をするのが良いか、じっくり議論してはいかがでしょうか。そのような民主的プロセスを経ていないことに問題があるような気がします。
国際社会において名誉ある地位とは?
憲法のこの部分を引用して、首相はイラク派兵を決断しました。しかし、国際社会において名誉ある地位を占めるとは、日本人が世界の人々から尊敬されるということでしょう。そして、そのような日本人の代表として私は、今回人質になってしまった方々を上げたいと思うのです。今回の日本人人質を救うために世界中の多くの市民が動きました。それだけ彼等の働きは評価されていたのです。世界中の人々から尊敬される彼等だったのです。
首相は撤退しないという毅然とした態度を取ったから、人質は解放されたと主張されていますが、イタリア人の人質が殺害されたことを考えると、事はそう単純ではないでしょう。むしろ、日本人の人質は彼等がイラクで行っていた支援活動を評価されて解放されたのではないでしょうか。
ひるがえって、自衛隊はそこまで評価されているのでしょうか。個々の自衛官を批判しているわけではありません。自衛隊の派遣に反対したり、撤退を要求したりすると、自衛隊員も多くの犠牲を払って、一生懸命努力しているのに、彼等を批判するのはけしからんというお叱りを受けることがあります。もちろん、阪神淡路大震災の時を始め、災害時に自衛隊の方々は尊い働きをしてくださっています。しかし、今回のイラク派遣をその延長線上にあることと考えることはできないのではないでしょうか。なぜなら、武器を携行し、装甲車で乗り付けているからです。そのような形でイラクに彼等が存在していることを私は批判しているのです。彼等がイラクの人々のために給水活動を行っているのは事実です。それによって助けられた人も存在するでしょう。しかし、武器を持っているがために、標的となり、自らを守るための砦を築く必要が生じ、効率の良い援助とは言いがたいものになってしまいました。
ところで、イラクの人々は、水や医薬品も必要としていますが、それ以上に必要としているのが愛ではないでしょうか。イラクの人々は肉体以上に心も傷ついています。優しく抱きしめてくれる手を必要としているのではないでしょうか。武器を持った手にそれが可能でしょうか?
危険な場所だから、軍隊が行くしかないという議論もありますが、誰がイラクを危険な場所にしたのでしょうか。武器を持っていれば100%安全なのですか。武器で身を守ろうという考えはそろそろ捨てませんか?たとえ捨て身でも、本当に信頼される行動をしていれば、今回の人質のように世界中の人々が守ってくれるのですから。
自己責任論
今回人質になってしまった方々に対して、迷惑をかけた無責任な人々という批判がありますが、世界中の心有る市民が彼等の救出のために不眠不休で行動しました。そのような市民は迷惑を被ったとは思っていないでしょう。当然のことという思いで、より良い世界を作るために働いたのです。なのに、国民の命を守ることでは最も責任のある日本政府の中枢にいる人々から、迷惑だという発言がなぜ出るのか、私は理解に苦しみます。
さらに、諸経費の自己負担を迫る意見もありますが、国民の命を守ることですから、当然税金で行うべきことではないでしょうか。地雷は非人道的兵器ということで、自衛隊が所有していた地雷の廃棄処分が行われましたが、人を傷つけることしかできない物の購入に多額の税金が使われ、何の役に立たないまま処分するのにも税金が投入されています。無駄使いとは、こういうことを言うのではないでしょうか。
今回の人質事件は、イラクでの攻撃を続けるアメリカ政府を日本政府が支援する中で生じたことです。今回はイラクでの人質事件でしたから、危険なイラクに行った彼等が悪いという主張もできたかもしれませんが、では、マドリードの列車爆破事件のような事件が日本国内で起こっていたらどうだったのでしょうか。いつ、日本国内でテロが起こってもおかしくない状況を作り出した、政府の責任はどうなのでしょうか。
必要とされる人道支援とその再開のために必要なこと
NGOによるイラクでの人道支援も困難になってしまいましたが、危険で困難な中でも支援を続ける方があるとすれば、私はそれを尊いことだと思います。日本人ならイラクを立ち去って帰国することができます。でもイラクの人々はイラクに留まるしかないのです。たとえそこがどんなに危険でも。その彼等により沿うことが、いま求められている人道的支援ではないでしょうか。ですから、人道支援が再開できるようにするためにも、日本がイラクの敵となる政策をやめて、自衛隊を撤退させて欲しいと私は思うのです。国際社会において名誉ある地位を得るために必要なことは、武器を持ってイラクに乗り込むことか、素手でボランティア活動をすることか、今一度考えてみませんか。
暴力に打ち勝つ力とは
しかし、政府批判に力を注ぐことは、あまりしたくありません。批判するエネルギーを愛を広げることに使いたいからです。人質となった方々への心無い批判、家族の方々への嫌がらせなどを見ておりますと、自分より弱い者を攻撃することによってしか、精神のバランスをとることができない、病的なものを感じるからです。イラクの人々以上に、私たち日本人は心が傷つき、病んでいるのではないでしょうか。援助が必要なのは、むしろ私たちの方かもしれません。
ストレスをいっぱい抱え、余裕を失った心に、テロにひるむなという掛け声は言葉巧みに忍び寄ってきます。でも、本当は、私たちだって、みんなが仲良く暮らせたらどんなに良いだろうと思っているはずです。その当たり前の思いを大切にしませんか。
マドリード事件の犠牲者遺族からの、次のような手紙が紹介されています。
「私は3.11で息子を殺されました。痛みで胸が一杯ですが、私たちと共に泣いてくれた人々を通して、神の慈しみを感じさせられました。みなさんにもお祈りをお願いしますが、それは息子のためではなく(なぜなら、息子は天国にいるからです)、テロを実行した人々と、それを計画した人々のために祈ってください。彼等がもたらした傷をいやすため、また、彼等を支配している悪を、彼等自身がそれを乗り越えるために必要な愛を見出すことができるように、祈ってください。私たちは息子の遺体を前にして、暴力が世の中からなくなるよう全力を尽くすことを誓いました。世界に暴力より愛を選ぶ人々が増えれば、いくらテロが起きても、愛が打ち勝つと確信しています」
・・・マドリッドにて、2004年、3月
No.13 2003年12月10日発行
今年は冷夏だったので、棉の生育、収穫が遅れています。しかし、さすが12月となれば、寒い日もあるので、木は枯れ、コットンボールのままカビが生えてしまったものもあります。このままだと収量は例年の半分程度となりそうです。しかしそれでも、種を取り、棉の命をつなぐことができるのは感謝です。
日本の冷夏も温暖化の影響だそうです。シベリア地方に暖かい空気の塊が生じて、偏西風の流れを妨げ、日本の気象に影響を与えたそうです。ヨーロッパでは記録的な猛暑でした。そういう環境にあっても畑で作物を育てていると、なんとこの自然はうまくできているのだろうと感動します。白菜、春菊、大根・・・自然の恵みをいっぱいいただいています。この自然をこれ以上壊さないで、次の世代に伝えたいものです。
平和と軍隊:まずは撤兵を
戦争、暴力、破壊が絶えることがありません。世界が平和になり、人々が安心して暮らせる世の中になることを願ってやみません。ところで、平和を実現するのに武器を持った軍隊が必要なのでしょうか。イラクで民間人が標的とされるようになり、軍隊、自衛隊の出番だという議論があります。しかし、そこまで治安が悪化した原因を考えることなく、安易に自衛隊を派遣してもよいのでしょうか。
戦争が始まる前、人間の盾としてイラク入りした人々の中に日本人もいました。彼等を襲うイラク人はいませんでした。ところが今は、日本人も標的にされるようになりました。そのように情勢が変化した原因はどこにあるのでしょうか。アメリカによるイラク攻撃、占領を日本政府が支持していることと無縁ではないでしょう。現地の日本人が長年に渡って築いてきた友好関係が台無しにされてしまったのです。
ですから、イラクの人々にとって日本人が敵になってしまったという事実をそのままにしていたのでは、いくら警護を厳重にしても日本人の安全は守れないのではないでしょうか。自衛隊という名の軍隊を派遣したのでは、火に油を注ぐだけです。安全を守るのは武器ではなく、信頼関係なのですから。
一体、自衛隊はイラクに行って何ができるのでしょうか。武装するということは、相手を殺すということです。もっと違った出会い方をしていれば、生涯の友になれたかもしれない人を、正当防衛の名のもとに殺してしまうことになるかもしれないのです。戦後58年間、9条が空文化されてはきましたが、それでもよその国に戦死者を出すということをせずにきたのです。今私たちがすべきことはこの戦死者ゼロの記録を今後も更新して行くことではないでしょうか。
自衛隊が派遣されて、戦闘が激化すれば、復興どころではなくなります。復興する端から破壊されるのであれば復興は意味をなしません。今すべきことは、破壊を止めることです。それには撤兵しかありません。一度全ての軍隊がイラクから引き上げてしまったらどうでしょう。その結果何が起こるにしても、今以上にひどい状態にはならないような気がします。
ですから、日本政府には、イラク戦争を支持した誤りを認め、イラクに謝罪して欲しいと思います。大量破壊兵器も見つかっていないのですから。そして、日本人が改めて友好国の国民としてイラクの人々に迎えられる土壌を作って欲しいものです。そうなって始めて、日本はイラク国民のために役割を果たすことができるようになると思います。
暴力も必要悪か?
それでも独裁政権は倒さねばならないと言われるかもしれません。しかし、どのような大儀があっても、暴力という種をまけば、暴力という果実しか得られないのではないでしょうか。ガンジーの思想を伝えていると、ガンジーは紳士の国イギリスと戦ったから、非暴力も有効だった。しかし、相手がヒトラーだったら殺されて終わりだったのではないかと反論されることがよくあります。しかし、イギリスだってインドの織物産業を破壊するために機織り職人の指を切り落とすなど、かなりひどいことをやっています。非暴力の闘いは、「それほどひどくない」敵を相手にするから違いが生じるのではありません。暴力が暴力を煽り、双方とも自らの暴力を正当化するために他方の暴力を引き合いに出すので、ますます暴力が激しくなるのです。これに対して、非暴力は、敵を友人に変える力を持っています。それがガンジーの行ったことでした。『心の変革』をもたらすことで相手に打ち勝とうとしたのです。どのような独裁者といえども、心を持った人間です。私たちはもっと人を信じても良いのではないでしょうか。
独裁体制で苦しむ人々に対しては、アムネスティなどが支援の手を差し伸べています。軍隊でやっつけることを考える前に、このような働きをもっともっと支えたいものです。まどろこしいと思われますか。暴力が素早いと思われるのは、弾丸をよけていると時間が早くたつからです。非暴力にはそのようなスリルがないので、忍耐が必要です。しかし、今の時代はこのような忍耐が必要とされているのです。
一国平和主義?
派兵に反対すると、日本だけ平和なら良いという自己中心主義だと批判されることがあります。しかし、平和を実現させるには、派兵はむしろ逆効果です。憲法9条の精神を世界に伝えることこそ、日本に課せられた最大の国際貢献ではないでしょうか。9条の精神は、アメリカから押し付けられたものではありません。No
more Hiroshimaの心なのです。この心こそ日本が世界に誇ることのできるものです。私たちは原爆という大量破壊兵器に痛めつけられても、報復を選びませんでした。むしろ、このような苦しみを味わうのは自分たちだけで十分だと考えたのです。そして、その心が結晶したのが憲法9条だったのではないでしょうか。「過ちは繰り返しませんから」というのが私たちの決意だったはずです。
ところで、原爆は日本が招いたものです。日本が侵略戦争をし、パールハーバーを攻撃したから、原爆を落とされる羽目になったのです。自衛隊を派遣して、テロの攻撃を受ければそれもやはり、日本が招いたということになるのではないでしょうか。
日本はたしかに侵略戦争をしました。それでも、被爆地の人々がno
moreの声をあげたこと、ここに救いがあります。報復をあえて放棄するこの気高さ、そして、許しあい平和を求める日本人のこの心こそ、私が子どもたちに伝えたい日本人の誇りです。テロにひるむなと言う掛け声にだまされたくないです。
「人々が自分には悪を未然に防ぐ権利があると考えたら、そこからどれだけ多くの悪が発生するか分からないし、現にそういう悪は発生しているのである」「神の国は汝等の衷にあり」(トルストイ)より
お勧め図書「汝の敵を愛せよ」M.L.キング 新教出版社
奴隷解放の時を夢見ながら、その願いがかなえられずに死んでいった多くの黒人に思いを寄せて、キングは「有限の失望を受け入れなければならないが、無限の希望を失ってはならない。…人生の矛盾は、決して最終的でも究極的でもない…真夜中でさえ、ある大きなことが成就する夜明けの先触れになる。…正義のために苦しむことの必要性を認識することによって、おそらく、我々の人間性を完全に成長させることができよう…」と書いています。200年前には、奴隷解放が実現すると思った人はいなかったかもしれません。しかし、今それは現実のことになっています。それと同じように、戦争をしない世界だって、実現可能なのだと私たちは信じる必要があるのではないでしょうか。キングが言うように「恐るべき破壊力を手にしたこの時代、我々には非暴力か滅亡かの2つの選択しかない」のですから。また「悪はそれ自体の破壊の種をうちに含んでいる」とキングは書いています。戦争という悪もいつかは内に宿る破壊の種によって自滅するのではないでしょうか。それを信じて、希望を失わないでいたいものです。
もうすぐクリスマスです。 イエスという方が2003年前にこの地上に生まれ、十字架に掛けられたことの意味を改めて考えてみる時にできると良いですね。ガンジーは、「キリストの無抵抗の行為によって、善の力が社会に解き放たれた。真の防衛はこのように復讐をしないという生きかたにある」と書いています。
また、12月22日の冬至の日には、100万人のキャンドルナイトも企画されています。夜8時から10時の2時間電気を消すというコンセプトだけを共有し、あとはそれぞれが自由に好きなことをする、という企画です。夏至の日のキャンドルナイトに参加した人もしなかった人もキャンドルを灯して静かな時を過ごしてみてはいかがでしょうか。関連サイト
http://www.candle-night.org
棉や藍を育ててみたい方はご連絡ください。種を差し上げます。異常気象が頻発する昨今、できるだけ多くの人がいろいろな地方で育て、種を守っていくことがますます重要となっています。
No.12 2003年8月22日発行
今年は本当に涼しい夏でした。綿もなかなか大きくなってくれません。そのような中でも、けなげに花を咲かせてくれています。ヨーロッパでは記録的な猛暑とのこと。異常気象が何によるものかは断定できませんが、自然に対する暴力行為を最小限に抑え、小さい体に懸命に花を咲かせ、実をつけようとしている綿、自然に対して謙虚な気持ちを忘れないようにしたいものです。
遺伝子組み換え(問題の本質は?)
遺伝子組み換え大豆が茨城県の谷和原村で作付けされ、開花をはじめたことが、先月来大きな問題となり、反対運動が活発に行われてきました。結局、大豆は鋤込まれました。花粉によって在来の大豆と交雑すると取り返しがつかないからです。
この問題では、企業や行政の責任を追及することも大切ですが、私たち一人一人の生き方が問われているのではないかと私は思っています。
お勧め図書
遺伝子組み換え作物 大論争何が問題なのか 大塚善樹 明石書店
2001
科学的な議論に終始しがちなこの問題ですが、広く社会的な視点にも目を向けて、事の本質を明らかにしてくれます。冷静になって考える上で、お勧めの一冊です。以下一部抜粋しました。
「共働き夫婦に最適の外食産業、その外食産業の調理や流通に最適の鶏肉、その鶏肉の生産に最適の雛鳥と配合飼料、その配合飼料に最適のトウモロコシ、そのトウモロコシに最適の農薬、その農薬に最適の種子、という具合です。・・遺伝子組み換え作物は、こうして緊密に統合された農業・食料システムの中で生まれました。」
「本質的な問いは、私たちがこのような農業・食料システムの構造をどうすべきか、ということにあるはずです。」
ここにもありますように、遺伝子組み換えの問題をはじめ、多くの問題がここ数十年のライフスタイルの変化によって生じています。ライフスタイルから食の問題に焦点を当てて考えてみたいと思います。
「家事を切り盛りするのは、女性の特権である」
これはガンジーの言葉です。この言葉を聞いて皆さんはどのようにお感じになりますか?ガンジーはキュリー夫人を台所に縛り付ける。けしからんという反論があります。私も、この言葉を初めて目にした時はカチンときました。女性も社会に出て、役に立ってこそ一人前という思いにとらわれていたからです。
しかし、女性の社会進出に伴って、外食産業やファーストフードに頼らずにはいられない生活となり、結果的に遺伝子組み換えなどの問題を招くことになってしまいました。私は、女性が社会進出する背景には、家事をつまらないことと見下す価値観があるように思います。だから、専業主婦の方々も家事に歓びを見出すよりも、家事という雑用を手早く片付けて、友人と外で食事を楽しむようになっているのだと思います。しかし、お金にならないことは価値がないという価値観にどうして私たちがはまってしまったのかと考えると、それはやはりパートとしての安い労働力を求める社会によるマインド・コントロールの側面もあるのではないかという気がします。
そのような価値観から一度自由になって、自分は何をしたいのかと真剣に問い、本当の幸せとは何かを見つけていく作業が必要でしょう。これは女性だけに限ったことではなく、男性も今の仕事が本当の満足をもたらしているのか、一人一人が自分に問う作業を行わねばならないでしょう。
子どもを育て、家庭を維持管理していくことは、女性がその全エネルギーを費やさねばならないほどの十分な仕事であるとガンジーは見ていました。私自身も、ガンジーの思想に目覚め、畑を借りて野菜や綿を育て、漬物をつけたり、糸を紡いで布を織ったりとやることを増やしていくにつれ、小学生の子どもたちを抱えて翻訳家としての仕事との両立に困難を覚えるようになってきました。睡眠時間を削ってただひたすら頑張って、ついには体を壊してしまいました。
このような経験を通じて気づかされたのは、量より質が大切だということです。女性が仕事を持つことを悪いことだとは思いません。しかし、いかにたくさん稼ぐかに心を奪われて、馬車馬のように働くことは正しい選択ではないようです。また、女性が家庭を大事にすることを保守的と見なすのも間違っているように思います。家事を大切な仕事と位置付け、家庭を大切にした上でなおできる、個々人の能力・適正に応じた仕事を心をこめてやっていくことが、女性・男性を問わず、人としてのあり方ではないかと思うようになりました。
心をこめて、家族と過ごす時間を私たちは取り戻す必要があります。そして、それを可能にする生き方が自給自足だとガンジーは知っていたから、糸紡ぎの普及に力を注いだのではないでしょうか。賃金労働に縛られ長時間働かされるよりも、畑仕事、手仕事を夫婦・家族で協力して行うことで自給自足型の自立が達成できれば、精神的な活動をする余暇も十分に保証されるのです。日々の糧を手に入れる労働のあと、好きな事をする時間は十分にあります。そして、労働を経験する事で、本物の文化が花開くのです。
畑仕事、手仕事はむしろ、没頭してしまうくらい魅力的な仕事でしょう。料理も家族のために愛情を込めてふるまわれるものとなれば、喜びとなるはずです。料理ほど創造性に富んだ、楽しい仕事はそうあるものではありません。こうなれば、仕事と余暇を区別する事の意味がなくなります。そして、本当に豊かな生活とはこういうことをいうのではないでしょうか。
それなのに、私たちは時間に追われて、料理やその他の家事を楽しむことができなくなっています。家事を楽しむ余裕がなくなってしまったことをまず問題にしませんか。外で働くことが格好良いという価値観にだまされないようにしましょう。
また、子どもを育てることは、本当に時間が取られ、ある意味で自由を奪われる経験です。でもそのような不自由を経験することで、私は人間になれたと思っています。子どもを授かるまでは、効率良くてきぱきと仕事をこなしていくことが自分のモットーでした。しかし、子どもというものは、こちらの都合にお構いなしに、欲求をぶつけてくる存在です。効率の良い子育てなどあり得ません。不可能です。しかし、効率だけでは測れない価値を私は知ることができました。子どもと共に生きる今を楽しむことです。効率を重視していたころは、常に未来に目が向いていました。このやらなければならないことを手早く片付けて、その次はこれをして、あれをしてといった具合で、今この時間を楽しんだことはなかったように思います。まるで機械のように、時間刻み、分刻みのスケジュールをこなしていくことが私の生活でした。しかし、時間通りにことが運ばない事態を経験して、やらなければならない一切のことを忘れて、子どもと戯れるのも悪いことではないなと思えるようになりました。本来、生活とは生きるとは、そういうことだったのではないでしょうか。子どものおかげで、本来の生き方を取り戻すことができ、やっと人間になることができたと私は思っています。
心に残る言葉
「文明人の間たると野蛮人の間たるとを問わず、悪を持って悪に酬いないことを固く決意している者のほうが、暴力に頼る者よりもはるかに安全である。泥棒も人殺しも詐欺漢も、武器をもって抵抗する者よりも、むしろ彼らのほうをそっとして置くであろう。剣を執る者は剣によって倒れるが、平和を求める者、友好を旨とする者、人に危害を加えぬ者、蒙った危害を忘れ、これを赦す者は、大部分平和を楽しむことができるし、よし死ぬとしても、祝福されたものとして死ぬであろう。
彼らは世間から軽蔑されること以上の悪い目にはめったに逢わず、…世間は、…彼らのひそかな影響によって、たえず、より聡明により善良になってゆくであろう。」
「われわれは愛国心が、わが民族に与えられた侮辱や損害に対する復讐を正当化するのを許さない。」
以上、「神の国は汝等の衷にあり」(トルストイ)より。
「神の国は汝等の衷にあり」は、悪に対して暴力で対抗してはならないとするキリストの教えを教会が歪曲してしまっていることに抗議して、トルストイが自らの考えを述べた本です。ガンジーに非暴力を教えた本として、ガンジーが絶賛しました。これを読んで、ガンジーの非暴力思想が今までよりもよく分かるようになりました。今後通信の中で、現代の問題との関わりを対比させながら、折に触れて紹介していきたいと思います。
No.11 2003年4月21日発行
私の非戦宣言
今こそ非暴力を イラクの悲劇を繰り返さないために
爆弾を落として破壊しておいてから、復興だ、援助だといっては利益をむさぼっている、むさぼろうとしている。大量破壊によって仕事を作り出しているという末期的症状にあるのが、現代の経済ではないでしょうか。軍需産業、軍隊が失業者の受け皿になっています。武器、弾薬の在庫が増えればどこかで使用するしかありません。このような仕組みを根本から変えていかない限り、私たちは平和を手にすることはできないのではないでしょうか。
人の命を奪う軍隊、軍需産業、自然を破壊してダムを作るような建設業ではなく、命をはぐくみ、自然を大切にする農業にみんなで従事していけば、すべての問題は解決するのではないでしょうか。農業は遅れたこと、土は汚いという思いこみから私たちは自由になり、どうすれば農業で生計を立てていけるかに知恵を絞ることが必要なのではないでしょうか。
大多数の利益のために少数が犠牲になってもよいのでしょうか。
独裁体制を倒すためには戦争もやむを得ない、必要悪だと考える方もいらっしゃるようです。しかし、これは2つの意味で間違っています。まず、戦争による被害が決して小さいものではないからです。これまでの報道でも分かるように、民間人に多くの死傷者が出ました。また、不発弾が地雷となるクラスター弾、放射能汚染を残す劣化ウラン弾も使用されました。今後も死傷者は増えていくでしょう。これでは、独裁体制を倒しても何の意味もありません。
2番目に、多数が利益を得るためには、少数の犠牲があっても構わないことなど決してないのです。失われてよい命などないのですから。良いことは「この最後の者」も含めたみんなで分かち合うことができてこそ意味があるのです。独裁政権を倒さねばならないとしても、一人としてその利益の享受からもれることなく、一人として犠牲になることのない方法を考えねばならないはずです。
そもそも、独裁政権はどうして誕生したのでしょうか。独裁を可能にしている武器は誰が与えたのでしょうか。経済制裁では、食料や医薬品が真っ先に底をつくのに、武器、弾薬はどうしていつもあふれるほどあるのでしょうか。今回の平和運動で、「すべての武器を楽器に」というスローガンがありましたが、本当に武器を楽器に変えることができれば、あるいは「剣を鋤に、槍を鎌に」変えることができれば、一人の犠牲者も出さずに平和が実現するのではないでしょうか。ですから、イラクの市民のことを考えるのであれば、私たちがすべきことは、戦争を支持したり、やむを得ないと諦めたりするのではなく、武器をなくしていく運動であるはずです。
北朝鮮の問題とて同じです。まず日本が武器を捨てて、誠意を見せること。これが真の解決法ではないでしょうか。過去の歴史を振り返ってみても明らかなように、武器のあるところが攻撃の対象になるのですから。武器を捨てることが、日本の安全を守る最善の道であると私は思います。武器にできることは相手を攻撃して殺すことです。命を守ることではありません。あれほどの軍事力を誇るアメリカですら、同時多発テロの犠牲を防ぐことはできなかったのですから。アメリカによるイラク攻撃を絶対に支持することはできませんが、イラクが抵抗をすればするほど、攻撃は激しさを増し、抵抗を止めれば攻撃も終わるということから、私たちは学ぶことができるはずです。間違っても拉致問題を利用して脅威をあおり、軍備増強に走ることがあってはならないと思います。拉致問題の一刻も早い解決を願っておりますが、軍備を増強したり、経済制裁で解決するのでしょうか。イラクのフセイン大統領の例からも、このようなことで独裁者を追い詰めても、方針を転換したり自ら亡命したりはせず、むしろ国民を道づれにして破滅する道を選ぶのではないでしょうか。今北朝鮮の国民が食べるものに困っているのであれば、食料の支援は必要なことだと思います。権力者が横取りする可能性があっても、そのうちの数パーセントでも必要とする人の手元に届くのであれば意味があると思うのです。武器とはちがって、食料が先方で脅威となることはあり得ないのですから。日本による植民地時代に朝鮮半島の人々が経験した辛酸を考えれば、今食料を支援するのは、日本人としてせめてもの償いではないでしょうか。そういう誠意を示すことで、指導者の心を和らげる可能性もゼロではないでしょう。制裁では、かえって相手をかたくなにするだけではないでしょうか。
北朝鮮よりも怖い脅威
今の日本には北朝鮮よりも怖い脅威が存在すると私は思います。それは、食糧自給率の低さです。なぜ平和憲法を持つ日本の首相が、何の正当性もないアメリカの攻撃に支持を表明しなければならないのか。その背景にこれがあるという気がして仕方がありません。アメリカが日本に食料を輸出しないと言えば、日本人は明日から食べるものに困るのです。どんな理不尽な要求にも従うしかない立場に日本は追い込まれているのではないでしょうか。
しかし、日本は瑞穂の国です。農業生産に適した気候風土に恵まれています。昔ながらの食生活を私たちが取り戻し、国産のものを食するようになれば、農業は息を吹き返してくるでしょう。パンより米を食べること。目立たないけれど、これが一番有効な平和運動かもしれないと私は感じています。ガンジーが訴えたのもそのことでした。
この春も私は畑に種をまきます。母なる大地は私たちに豊かなめぐみをもたらしてくれます。その大地に、これ以上爆弾の雨が降り注いだりしませんように・・・
ガンジーの言葉から(ガンジーの非暴力思想)
No.10 2002年12月23日発行
地域分散 その2 重要なのは人数の多さではなくて、精神の純粋性です
「若い人々への私の助言は、村の中に住んで積極的に村落奉仕に取り組みながら、めいめいの努力で住むにふさわしい村を作り上げて欲しいということであります。・・・村を宇宙とみなして、仕事の中に自分を埋没させることができるのです。たとえ行動をともにする者が一人もいなくても、清掃や糸紡ぎの仕事に満足して専心しつづけます」
以上、ガンジーの言葉から引用しました。ガンジーはこの考えを実践するために政界から身を引き、1936年にワルダという村にアシュラム(道場)を設立します。そして、そこにガンジーが考える村のモデルを実現しようとしたのです。この試みはある面では成功を収めます。そして今もワルダにはアシュラムが残り、アシュラムに住む人々はそこで農業や糸紡ぎに従事して、自給自足的な暮らしを営んでいます。しかし、ガンジーの意図に反して、ワルダが一つのセンターとなってしまいました。ガンジーに賛同する人々がワルダに集まってきたのです。そして、集まってきた人々は、「人が大勢いていろいろな取り組みが行われているワルダであれば可能なことでも、自分たちの村ではできない」と主張したのでした。このような人々に対してガンジーは、ワルダに来ないで、各自が置かれた場所でやるべきことを実践して欲しいと訴えます。「一人で黙々と糸を紡ぐだけでも良いのだから」と。
私は、ガンジーがここで訴えていることは、重大な意味を持っていると思います。私たちは何かに取り組むことは、どこかに出かけていくことと考えがちです。そして、出かけられないと、何もできないと思ってしまいます。しかし、今ここで自分一人でも何ができるだろうかと考え、できることをやっていくことが大切ではないでしょうか。一人一人のやっていることは小さくても、各地に散らばった一人一人の取り組みを合わせれば、大きな力となるはずです。また、散らばっているからこそ、広く伝えられるということもあるのではないでしょうか。そして、このような一人一人は互いに顔を合わせることがないとしても、心のつながりのもてる大切な仲間となれるのではないでしょうか。
ガンジーが目指した世の中を実現する最初の一歩は、各自が糸を紡ぐことです。そのための綿が必要な方には、綿の種を配布しています。
今年は畑の規模を縮小したので量はそれほどありませんが、今年も無事に綿が収穫できました。収穫の恵みに感謝です。種の必要な方は、ご連絡ください。
ガンジーは未来の人!!
ガンジーは過去の人だという主張がなされるときがあります。特に、糸を紡ぐという話になると、時代遅れだと嘲笑する向きもあるでしょう。しかし先日ある資料を読んでいますと、ガンジーは過去ではない。未来の人だという記述があり、勇気を与えられました。ガンジーは決して過去に戻ろうとしていたのではありません。近代機械文明の弊害をいち早く見抜いたガンジーは、機械によって人間が排除されるのでもなく、だからといって昔の隷属した状態に戻るのでもない、全く新しい道を指し示したのでした。「何世紀もの間貧困、無力、不正義、強制された労働の象徴であったチャルカ(糸車)を今、真実の強い力、新しい社会秩序と経済の象徴にしていこうとする仕事が我々の肩にかかっています。我々は歴史を変えねばなりません」とガンジーが書いているとおりです。
21世紀の幕があけたというのに、平和とは程遠い世の中ですし、ますます悪い方向に行っているような気がします。しかしこのような時代だからこそ、「現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的競争にあるのでなかろうか」としたガンジーの言葉に耳を傾け、私たちの叡智を結集して平和を築く必要があるのではないでしょうか。糸車を中心とした自給自足型の生活に一歩ずつでも近づいていくことは、私たちが環境を破壊しながら、途上国の人々を搾取する生活から抜け出していくことを意味します。自給自足型の生活こそ平和の礎となるものです。世界中の人々が、それぞれの村で牧歌的でのどかな生活を送るようになれば、物があふれるほどなくても、心の豊かさは実現できるのではないでしょうか。
そのような未来を思い描いて、未来の人ガンジーにならっていきたいものです。
お勧め図書
ラムゼー・クラークの湾岸戦争−−今戦争はこうして作られる
ラムゼー・クラーク著 地湧社
イラク情勢が緊迫している今、湾岸戦争とは何だったのか。私たちは報道によって真実を知らされていたのか。そして今、私たちのなすべきこととは。そのようなことを考えさせてくれる本です。
安ければそれでいいのか 山下惣一 コモンズ
日本のような気候風土に恵まれた国で、農業が成り立たない背景には、「いつでも、どこでも、おいしくて安いものが食べたい、などという我々の身勝手極まりない欲望」があるようです。また。「大きくなってはいけない。大きくなるから潰れる。日本の農家がこれまで潰れなかったのは、大きくならなかったからである。これは農業の弱さではなく強さなのだ」という指摘にもなるほどと思いました。
心に残る言葉
いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって。
写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか、いや、やっぱり言葉で伝えたらいいのかな。
その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。(星野道夫さんのことば『旅をする木』文春文庫より)
No.9 2002年9月2日発行
7月には、シード・セイバーズ・ネットワークのミッシェル・ファントン氏の講演を聞く機会がありました。昔から育てられてきた地域固有の品種を自家採取によって守っていくことの重要性を訴えられていました。また、自家採取のために畑に花を残すことで、花に寄って来る虫が集まり、益虫と害虫のバランスが取れるという話も非常に興味深いものでした。
お勧め図書 バイオパイラシー グローバル化による生命と文化の略奪
バンダナ・シバ 緑風出版
「グローバル化という言葉は、多様な社会・文化の交流を意味するのではない。それは、ある特定の文化を他のすべての文化に強要することである。ある一つの特定の生物種、特定の階級、特定の人種…だけのために他のすべてを犠牲にすることである。」私たちは「グローバル化」「自由貿易」という耳あたりの良い言葉にだまされないようにする必要があります。(物事の本質を見抜く力が求められている時代です。学校が子どもたちにとってそのような力を培う場であって欲しいものですが。そうなっていない所に、今の教育の問題があるような気がします。人はなぜ学ぶのか…余談でした)自由貿易の自由も、多国籍企業にとっての自由であって、これは在来の人々の自由を束縛することによって成り立つもののようです。多国籍企業を中心とするグローバル経済から除外された人々には、失業が待っているだけです。そのようなからくりがこの本を読むと非常に良くわかります。
さらに、地域の紛争もグローバル化が原因であると彼女は述べます。「地域あるいは政府がグローバル化の圧力のために崩壊する時、その反動として民族的・宗教的な感情が涌きあがる」と。自給自足型だったそれまでの農業が、グローバル化の圧力のもと農薬や資材を投じて換金作物を生産する農業に変わると、農薬や資材が十分に手に入れられない人は没落を余儀なくされます。そのため、競争や異なる集団同士の反目が生じるというのが、彼女の論理です。
だからこそ、「多様な生物種と地域社会が、自分自身の必要性・構造・優先順位にしたがって自己組織化し、さらに進化していく自由を持つことによって、平和な社会が築かれる」と彼女は論を進めます。そして、1992年ガンジーの誕生日を期して結成された「種子サトヤグラハ」の活動が紹介されています。「種子は自由貿易による再植民地下の時代において、ガンジーのチャルカ(紡ぎ車)の役割を果たす。…種子という場において、文化的多様性は生物学的多様性と融合する。エコロジーの問題は、社会的公正、平和、そして、民主主義と重なり合うのである」と。
このような視点からも、日本独自の品種である日本綿を大切に、大切に育て、種を絶やさないようにしたいものです。
地域分散
ガンジーのチャルカの思想というのは、各自がそれぞれの場で自立した生きかたを実現していくことであります。グローバル化は中央集権化という暴力によって維持されています。その暴力をとめる手段が各地での分散した取り組みです。
「もしインドがアヒンサーに則って発展していくつもりであるならば、多くの事を各地で分散して行う必要があります。それ相応の力に頼らなければ、中央集権は維持し守ることができません。
「中央集権化されたカディー(手紡ぎ、手織り綿布)は政府によって打倒されることもあるかも知れませんが、どのような権力といえども、個人がカディーを作り使用するのを妨げることはできません。…どんな警察、軍隊といえども、どこまでも犠牲を覚悟の上である一人の人間の断固たる意思を曲げさせることはできません。(M.K.ガンジー)
一人でやれることには限界があるから、きちんとした組織を作ってそれを大きくしていく取り組みが必要ではないかという指摘をよく受けます。しかし、あえて私は組織作りには力を入れないできました。綿を育て、紡ぎ、織るという作業は元来、各家庭で行われていたことです。綿の種とノウハウさえあれば、今すぐ、たった一人でもできるということが肝心な所です。ですから、綿の種の配布とノウハウの提供を活動の中心にして、残った時間はもっぱら私自身が作品を作ることに当てたいと思っています。私の知らない所で、すでに多くの方が綿を育て、紡いでいることでしょう。また毎年、いろいろな地域の方が綿の種を所望されます。その結果を見届けることは出来なくても、各地で綿が笑み、紡いでいる人達がいるのだなと思えるだけで私は満足です。そしてこの活動は、そのような形で広がっていくのが、一番自然なことではないでしょうか。
心に残る言葉
托鉢した金で、茶碗一つ、バケツ一つ、箒一本というようにして買い集めた、寺の常備品を、留守にするとすぐ盗み取ってしまうのである。「盗み取られるのは、我に盗み心があるからである。それ故に、いかに鍵をかけても盗人に這入られる。盗人がなくなるためには、まずわが心から盗み心をさることである」というのが私の場であった。それで、いかに盗み取られても鍵をかけず、盗られるままにしておいた。ただ、盗られれば、それだけ補充しておくのである。彼らの盗みと私の補充がほとんど毎日3ヶ月続けられた。すると、まことに不思議であった。ついに盗みに這入らなくなったのである。そればかりでなく、彼らの方から菓子など持ってくるようになった。いかに錠や鍵を堅固にしても、盗みはなくならないから、問題は錠や鍵ではなく、人の心の問題である、と、これほど実感したことはなかった。 夢点々(今成友見氏発行)第21号P9より
畑から西瓜が一個なくなっているだけで、腹が立って夜も眠れなくなってしまう私にはまだまだ程遠い境地ではありますが、前回の通信でも書きましたが、「各自の心の内に平和的な心情がしっかりと根付いていない限り、非暴力の世は実現できない」のですから、自分自身もっともっと成長しなければいけませんね。
腹立ち紛れに草取りをしていると、サツマイモのツルまで一緒に引き抜いてしまったりで、ろくなことがありません。しかし、黙々と草取りをしているうちに、心が落ち着いてくるのですから不思議です。糸紡ぎもそうですが、自然や自分自身と対話しながら一人でこうした作業を行うことは、世の中がどんなに便利になっても人間には必要な気がします。
嘆くなら ただ一つ 愛の足りなさに嘆け 坂村真民
No.8 2002年4月27日発行
絣の着物
私の手元に絣の着物を仕立て直して作った野良着が数着あります。畑をお借りしている農家の方から頂いたものです。経糸と横糸を藍で染める前に絣模様が浮き出るようにあらかじめ模様となる部分の糸を縛って染まらないようにして染色を行い、その糸を手織りしてあります。その手織りの絣模様が一着、一着違うことに私は感動しました。各家ごとに秘伝の模様がいくつかあって、代々受け継がれていたのです。そのような文化も途切れてしまいました。残念なことです。
江戸時代には庶民が派手な色の着物を着る事が禁止されていました。木綿に藍が染まりやすいこともあって、もっぱら藍で染めた衣類を庶民は身につけていたわけですが、色を自由に選べない人々にとって、絣模様というのはおしゃれ心を発揮する場でもあった訳です。しかし、幾何学的模様がきちんと出るようにするためには、染色の際の糸を縛る箇所、経糸を織機にかけるかけ具合に狂いがあってはなりません。そして、横糸ももちろん模様が出るように狂いなく打ち込んで行かねばなりません。藍染めの無地の着物を作るのよりも何倍もの努力、時間、根気が必要です。そこに私は昔の人々の偉大さとともに、ゆとりを見る思いがします。
手仕事=奴隷的状態=忌むべきという反応があります。しかし、手仕事自体は、創造の喜びを味わうことです。労働の果実を他人に横取りされる時に、それは忌むべきことになるのです。
お勧め図書 「非戦」 坂本龍一+sustainability
for peace監修 幻冬舎
同時多発テロ以来インターネット上を飛びかった、非戦の主張を集大成した書物。多くの人々がそれぞれの立場で、テロをなくし、平和を築くために必要なことを述べていて、非常に勇気付けられる。また、アメリカ政府がテロの標的にされる何をやってきたのかの指摘も、新たな視点を与えてくれ、勉強になる。
No.7 2001年12月15日発行
お勧め図書
真の独立への道(ヒンド・スワラージ) M.K.ガーンディー著 岩波文庫
この本は、ガンジーの初めての著書ヒンド・スワラージ(インドの自治)の全訳です。訳書「ガンジー・自立の思想」第1章でもその一部を紹介しています。「ガンジー・自立の思想」では糸紡ぎの思想の土台となったガンジー独特の文明論のみの紹介にとどまってしまいましたが、この本を全訳で読む事で、ガンジー思想の全体像がよく理解できます。
とりわけ、16章銃火と17章サッティヤーグラハ‐魂の力は、今この時代を生きるのに必要な指針となってくれるでしょう。
「有毒なツタを蒔いて、ジャスミンの花を望むようなものです。・・・手段は種子です。そして、目的‐獲得すべきもの‐は樹木です。ですから種子と樹木との間にある関係が、手段と目的との間にあるのです」
「大砲を放って数百人を殺すのに勇気が要りますか?それとも銃口に笑顔で縛り付けられるのに勇気が要りますか?・・・男らしくない人は一瞬たりともサッティヤーグラヒーではいられない、それを心にしっかりと留めなさい」
非暴力の平和な社会を築くには、人々が内的に成長する事、宗教的目覚めを経験することが絶対に必要だと、ガンジーは主張しています。しかし、ガンジーは偏狭なヒンズー教徒ではありませんでした。全ての宗教の根源にある真理を追い求めたのが彼の生涯でした。宗教間の融和を説き「真理は神である」と彼は書いています。そして、宗教、信仰が人間にとって絶対必要なものであるというのが、彼の主張だったのです。敵をも愛するその愛を自分のものとし、その愛の力を信じるには、神の助けがいるからです。
そのような内的目覚めを体験した人々が、建設的活動とガンジーが言う農業や糸紡ぎなどの手工業に従事する事で、国家を土台から築いていくことが、ガンジーの言う真の独立だったのです。
ガンジーの非暴力思想は決して机上の空論ではありませんでした。糸紡ぎという実践が伴っていました。この二つはまさに車の両輪であります。一方だけを一生懸命にやっていたのでは、車は同じ所をぐるぐる回るだけで前に進めません。私がガンジーを偉大だなと思うのは、単なる机上の空論ではない非暴力思想を示し、実践したことです。そして彼はチャルカ(糸車)を非暴力の象徴として崇拝していました。
ガンジー思想に興味ある方は、是非綿を育て、糸を紡いでみてください。また、これまで糸を紡いでこられた方は、ガンジーの思想について学んでください。両方をする中で見えてくるものがあります。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1.5)
綿の収穫が終わった畑でも、小松菜、かぶ、春菊・・・冬の野菜が元気です。夏の終わりに種を蒔いただけで、今年の秋はほとんど畑に行くことができなかったのに、それでも自然は多くの実りを与えてくれます。このような恵みに生かされてあることを感謝し、つつましく暮らしていきたいものです。
No.6 2001年8月31日発行
収穫した綿が、綿のままでどんどん溜まっていかないように、畑仕事と並行して糸紡ぎ、機織りにも精を出していきたいものです。そして目指すは、種から育てた衣類を身につけること。でも織機は高価だし、と思われていた方に朗報です。日曜大工の要領で、自分で織機を作ることができるみたいです。作り方が紹介してある本を見つけました。
お勧め図書
シリーズ 子どもとつくる 13 織機をつくる
宮津 濃 山中 泰子 大月書店 1985年 第1刷
1987年 第3刷
古い本ですが、図書館で見つけました。簡単な織機から高機までその作り方と使い方が紹介してあります。マフラーやテーブルセンター程度の布地であれば卓上型の簡単な織機で織ることができますが、服地用に大きな布を織ろうと思えばやはり高機があった方が良いでしょう。この本で紹介されている高機は手作りが難しい綜絖(そうこう)と筬(おさ)については市販のものが利用できるように工夫してありますので、かなり本格的な機織りが楽しめます。大きさ、形態ともに以前(NO.4)紹介しました、「アジャカ四枚綜絖」という高機とほぼ同じです。中学生以上であれば、3日もあれば完成できるとこの本には書いてありました。
安藤昌益とギャートルズ 高野澄 舞字社 1996
皆さんは安藤昌益という江戸時代の思想家をご存知でしょうか。お勧め図書の二冊目は、安藤昌益を紹介する本です。安藤昌益には「自然真営道」、「統道真伝」とう著書がありますが、この本はこれら著書のダイジェスト版といったところでしょうか。
安藤昌益は万人直耕の自然の世を目指しました。全ての人が直耕、直家、直織をすれば、つまり自分で田畑を耕し、家を建て、機を織ることで生活の糧を得ていくようになれば、無欲、無乱、無迷、無盗の活真の世=あるべき世の中(活=エネルギー 真=ものこと)が復活してくると説いています。
そのためには、この世のあるべき姿を確信し、その実現に向けて励む人=直耕を実践する人である 正人が現われてこなければならない。正人は、初めのうちは少数でも、千人から万人、万人から百万人の単位へと増加する展望を内蔵した少数でなければならない。と安藤昌益は続けています。
ガンジーよりも前に、ガンジーと同じことを言っていた人が日本に存在していたということを知って私は感動しました。
菜種と石油
たまたま、加入している生協が『菜の花プロジェクト』を立ち上げたので、自分自身も畑の角に種を蒔いて収穫しました。また、生協が提携している農家の休耕田で栽培してもらった、菜種の刈り取り、種取の作業にも参加しました。ほんのお手伝い程度の参加でしたが、それでも暑い中での重労働でした。そのような苦労をして得られる菜種油の量は、1反の畑から約20リットルだそうです。労力の割に得られる油の量が少ないのが印象的でした。
菜種はほとんど全て輸入に頼っていますが、遺伝子組換えの問題があります。また、菜種油でディーゼル車を動かすことができるということからも、再生可能なエネルギー源として注目を集め、菜種の栽培がひそかなブームになっています。石油を今のまま使いつづけると、後40年くらいで枯渇してしまうそうなので、そのようなことからも菜種を見なおす動きが広がっています。
菜種油でディーゼル車が動くと聞いた時は、これでエネルギー問題は解決かとも思ったのですが、実際に畑で菜種を栽培して、そこから得られる油の量が分かった時、決してそのようなうまい話ではないと思いました。菜種の栽培に耕運機やコンバインを使ったとすると、また、畑へ行くのに車を使ったり、収穫した菜種をトラックで運んだりすると、はたしてこういった諸々の作業で費やした石油に見合うだけの量の油が得られるのでしょうか。
なるべく自動車を使わないようにする事が、エネルギー危機に対処する一番簡単で確実な方法のような気がしました。
搾油機
菜種から菜種油が、綿の種からは綿実油がとれます。そこで必要になってくるのが、油を搾るための道具、搾油機です。手ごろな搾油機を見つけることができました。手動式で、一度に200ccの種を搾ることができます。
小型手動式搾油機 ¥49,500
入手先:石野製作所
〒747‐0031 山口県防府市迫戸町20‐54
п@(0835)22-1708
心に残る言葉
「たった一人の『誠実な』人間が、このマサチューセッツ州で奴隷の所有をやめ、政府との共犯関係からきっぱりと身を引き、そのために郡刑務所に監禁されるならば、そのことが取りも直さずアメリカにおける奴隷制度の廃止となるであろう。ことのはじまりがどれほど小さく見えようと、少しも問題ではないのであって、ひとたび立派になされたことは、永久になされたのである。」
「事態の改善が遅々としてはかどらないのは、少数者の方が多数者よりも、実質的に賢明でもなく善良でもないからである。多数者が皆さんと同じくらい善良であるということよりも、どこかに絶対的な善が存在するということのほうがずっと重要なのだ。それがパン種となって、練り粉全体を膨らませることになるからである。」
市民の反抗 H.D.ソロー 岩波文庫より。
*前回(NO.5)ハンドカーダー(アシュフォード製)を紹介しましたが、ジョイフル本田でも扱っているそうです。
*次回は(NO.7)は、12月の発行予定です。
No. 5 2001年4月25日発行
ハンドカーダー
昨年綿を育てられた皆様、収穫後の綿はその後どのようになっておりますでしょうか。私はようやく綿繰りを終え、ふとん屋さんに綿打ちに出し、糸紡ぎをはじめたところです。綿の種を取除いた状態で1キロ以上あれば、ふとん屋さんにお願いして綿打ちをしてもらうこともできますが、少量の場合は、ハンドカーダーが便利かもしれません。マジックテープ状のものが取りつけてある板二枚をこすり合わせることによって、繊維の方向を揃える道具です。これによって、綿打ちをしたのと同じ効果となり、綿を糸紡ぎができる状態にすることができます。手持ちのカタログによれば\5250、ユザワヤ(JR蒲田駅南口、(03)3734-4141)で購入できます。
**綿打ちをしてくれるふとん屋さんが年々減少していること、粗大ごみのかなりの部分をふとんが占めていることを考えた時、ふとん屋さんを大切にしたいと思います。今回綿打ちをお願いしたふとん屋さんは本当に親切で、わざわざ配達までしてくださいました。ガソリン代を考えたら、ほとんど儲けが無いのではと思うくらいでした。頂いた名刺には一級寝具技能士とあります。このような技術を廃れさせてはいけません。ふとんは打ちなおすことで、よみがえらせることができます。今度綿を収穫したら、このふとん屋さんにお願いして、いつのまにかせんべい布団になってしまった我が家のふとんを打ちなおし、必要があれば収穫した綿を加えて、仕立て直してもらいたいと考えています。新しいふとんを買った方が安いかもしれませんが、値段よりも大切なものがあることを忘れないようにしたいものです。
例えば、紺屋があれば、紡いだ糸を染めてもらうこともできますが、今はそれが不可能となりました。家庭の台所では、本格的な染色ははできませんが、失ったものを嘆いても仕方ありません。しかし、綿打ちをしてくれるふとん屋さんのように今あるものは存続させていきたいですね。電話帳をたよりに綿打ちをしてくれるふとん屋さんを探し、そのようなふとん屋さんを大切にしていきましょう。
染色の由来
「世界の薬食療法、くすりになる食べ物」〈法研〉という本があります。この本に染色の由来として、薬草の汁を塗布した際に布が染まり、その染まった布を身体に巻いただけでも同様の効果があったことから染色が始まったと書いてあります。なるほどと思いました。どおりで草木染めに使われる染料に薬草が多いわけです。そういうことからも、今日の化学染料で染められた衣類、身体に良いわけないですよね。
お勧め図書 「アイの絵本」そだててあそぼう18 農文協
江戸時代には、藍、木綿、麻の3種は三草と呼ばれ、生活に欠かすことのできない植物として栽培が奨励されていました。藍は木綿に染まりやすかったこと、さらに江戸時代は庶民が、華やかな色の着物を着ることが禁止されていたこともあって藍染めが普及します。
綿を育てていれば、藍も育てたくなるのが人情でしょう。そのような方の入門書としてお勧めなのがこの本です。手軽にできる生葉染めのやり方も載っています。私も昨年藍を育てましたが、種を少し増やしただけで終わってしまいました。今年は生葉染めに挑戦してみたいものです。
種の問題 日本農業新聞 2001年2月28日より
インド農業に組換え浸入
在来種の綿ピンチ
「在来種の綿を有機栽培していても、となりでGM(遺伝子組換え)種を作っていれば花粉の飛散で汚染されてしまう。・・・GM種が在来種に交配すると、在来種は次世代に種子を残さなくなる。」
綿の栽培に大量の農薬が使用されている問題は以前にも指摘したことがあります。それに加えて今は上の記事のような問題が生じています。悪名高いターミネーターテクノロジーが最初に開発されたのは、綿においてでありました。
「T-シャツは消耗品。型崩れしたら捨てて毎年新しいのを買えば良い」という人もあるくらいですが、そのくらい衣類が安く手に入るようになった背後に隠されている問題にも、私たちは注意深く目を向けていなければなりません。
No.1
99年12月10日発行
ふとしたきっかけでガンジーの思想に出会い、糸紡ぎをはじめていく中で、衣類だって農産物なのだと気付きました。そして、つい一昔前までは、畑で綿を育て、紡ぎ、織って衣類を手に入れていく日常の営みがありました。この営みをもう1度取り戻したいと私たちは考えています。その営みの中に幸福と平和の鍵があるような気がするからです。
今後の予定
今回(99年11月、ワークショップ「ガンジーの糸車」)の企画に協力してくださった笠井さん(千葉県千倉在住)が、糸紡ぎ、染色、機織りの教室を開かれる予定です。出張指導も可能ですので、ご希望の方はご連絡下さい。
ただいま古代織りに挑戦しようと準備を進めているところです。古代織りは、数本の棒から構成される機で布を織るやり方です。道具も手作りできそうです。場所を取らない、手軽に入手できる道具で布を織ることができれば、衣の自給に向けてまた一歩前進することができます。チャルカで糸を紡ぐことを含めて興味のある方、ぜひ一緒にやってみませんか。ご連絡お待ちしております。
篠綿差し上げます
ワークショップ用に用意した篠綿が残っています。ご希望の方は送料として切手140円を同封してお申し込み下さい。篠綿10本をお送りします。篠綿をもっとたくさんご希望の方もご連絡下さい。ケースバイケースで対応いたします。
ビデオ貸し出し中
当日の講演会の様子等を撮影したビデオがあります。素人がとったものであまり良い出来とは言えませんが、貸し出しを希望される方は送料として切手390円を同封の上お申し込み下さい。
道具に関する情報
綿繰り機(¥24,500) 藤倉紡織機具店 足利市久松町36‐2 (0284)41-0285
チャルカ(インドの糸車)=portable charkha
Gram Sewa Mandal., Saran jam
Karyalaya,
Gopuri-442114 Dist:Wardha (India)
電話 91-07152-42749
この住所宛てにportable charkhaを何台欲しいと注文を出せば、航空便の場合は送料込みで何ドル送れと返事がくるので、その金額を送金し、数ヶ月待てば郵送されてくる。
カランコ(卓上機)(¥33,000)
ホビーラホビーレ 品川区東大井5‐23‐37 (03)3472-1104
Fax(03)3472-1196
ゆざわや (03)3734-4141
No.2
2000年4月10日発行
暖かな春の日差しの感じられる季節となりました。お元気でお過ごしでしょうか。
春は種まきの季節です。5月の連休明け頃が綿の種まきの適期です。種の必要な方は、ご連絡下さい。日本綿の種(栽培法のパンフレットを添えて)を差し上げます。
**今年になってから、ガンジーが2度ほどテレビで紹介されました。日本テレビの「知っているつもり」とテレビ朝日の[100人の20世紀]です。「100人の20世紀」の方は、ガンジーを暗殺した人の言い分にも焦点が当てながら、30分の番組でガンジーを紹介しており、もともと無理があったと感じてしまい、私個人としては、「知っているつもり」の方に感動しました。ただ、どちらの番組もこれまであまり焦点を当てられることのなかった、糸を紡ぐことの意義が取り上げてあり、うれしかったです。
紡いだ糸の処理の仕方
紡いだ糸はかせにします。チャルカがあればかせにする道具もついていますが、イスの背などを用いてかせにしても良いでしょう。かせの3、4箇所をゆるく縛り、糸の重量の5〜10%の粉石けん(なるべく純度の高いもの)を水に溶かし沸騰させます。その中に糸を入れて約30分くらいなるべく強火でぐつぐつ煮ます。この作業を精練と言います。こうすることで、綿にもともと含まれていた油が落ち、よりが戻らなくなります。その後は良くすすいで、干します。生成りで使用する場合は、このまま機織りをする事ができます。染める場合は良く染まるように蛋白質を染み込ませる目的で、豆汁(豆乳)に浸す場合もありますが、それについては、次回に説明したいと思います。
No.3
2000年9月5日発行
綿がはじけ始めました。
コットンボールがはじけて、真白な綿毛がふわりとのぞいているのが見かけられるようになりました。忙しいが楽しい、収穫の季節の到来です。皆さんのところの綿はいかがでしょう。綿を育てられた方は是非、種から育てた愛着のある綿で、オリジナルの布作りに挑戦して見てください。(来年種をまきたい方、今年収穫した種をお分けできます。ご連絡下さい)
5月10日に春日公民館で糸紡ぎの講習会を実施しました。急な話だったので広く宣伝できませんでしたが、学生を中心に7、8名で楽しく糸紡ぎの練習ができました。
糸紡ぎなどの講習の希望がありましたら、可能な限り対応したいと思っています。お問い合わせ下さい。
チャルカ届く
ワークショップに来られた方を中心に私が把握しているだけでも、チャルカの注文が70台に達し、インドの製造もとの方でも、製造に追われたようです。そのためか、当初の予測よりは大幅に時間がかかってしまいましたが、何とか無事届いたようです。
インドからの小包には、クッション代わりに裁断した新聞紙がいれてあることが多いのですが、稲藁が入れてあっため日本の検疫てひっかかってしまい、さらに時間がかかってしまったものもあったようです。新聞紙といい、稲藁といい、有害なプラスチックごみが出ないインドからの郵便物を私は気に入っています。余談ですが、プラスチック類をふんだんに使い捨てにし、ダイオキシン対策を取らねばと騒ぎ立てている私たちの暮らしのなんとこっけいな事でしょう。最初から有害なごみになるものを使用しなければ、何の対策も必要ないのに…
70台のチャルカが今、日本の各地で使用されようとしている事を私はとても大きなことだと感じています。この70台のチャルカから生活を変えていく大きな芽が育っていくことを願っています。チャルカが欲しい方、使い方が分からない方、お問い合わせ下さい。
思ったよりも難しい機織り
原始機(腰機)による機織り、布作りについてお伝えしたいと思っていたのですが…経糸を掛けたものの…上糸と下糸が交互に上下してくれなかったりで、いろいろと難しい問題に直面してしまいました。経糸の糊付けの具合とか、糸そうこうの作り方などが微妙に影響するようです。そうこう用の糸には四十番のレース糸が良いとか。このような情報を収集し、ノウハウを交換したいものです。耳寄りな情報がありましたらお知らせ下さい。
紡いだ糸の処理のし方 その2
前回、石鹸水でぐつぐつ煮る精練の仕方を紹介しましたが、「木綿口伝」の中では、米のとぎ汁で精錬したという話が出てきます。昔ながらの方法は米のとぎ汁だったのでしょう。
今回は豆汁下地について説明したいと思います。綿は絹や羊毛と違い、蛋白質でできていないのでどうしても染まりが悪くなります。そのため糸を豆汁(豆乳)に浸し、蛋白質を染み込ませて染まりを良くします。
糸100gに対して大豆30g、水300cc(=糸重量の3倍)を用意します。一晩水につけておいた大豆を水と一緒にミキサーにかけ完全に粒がなくなるまでどろどろにします。これを布袋でこします。こうしてできた豆乳(豆汁)に糸を浸します。豆乳がまんべんなく糸に行き渡り、残らず全て糸に吸わせてしまうことが重要です。(そのためには一晩ビニル袋に入れておいておき、翌朝干しても良いでしょう)糸をなるべくピンとはって干し、完全に乾かします。
豆汁下地は綿に言わばコーティングするようなもので、綿本来の風合いがそこなわれると嫌う人もいます。何百回も繰り返し染めれば、豆汁下地をしていなくても草木染めでも色落ちしないという話もありますが…ここから先は各自の好みでしょう。
No.4
2000年12月1日発行
綿の収穫も終わりました
秋に雨が多く、苦労しましたが、それでも今年もたくさんの綿を収穫することができました。綿の横ではサツマイモがつるをいっぱいに伸ばし、掘って見るとびっくりするくらい大きないもが出てきました。自然の恵みに感謝です。
温暖化、異常気象、ダイオキシン・…新聞や本を読んでいるだけでは悲観的な情報が多すぎて、もう何をやっても手遅れなのではと意気消沈しがちになりますが、畑に出かければ、そこはもう自然の恵みをいっぱいに頂ける世界です。自然はこんなにも私たちに良くしてくれています。まだまだ希望はあると思いませんか。
今年も残すところあとわずか、いよいよ21世紀の到来です。皆で力を合わせて希望の世紀を紡いでいきましょう。
綿の種を無料配布しています
白い綿は伊豆大島在来、茨城在来の2品種、茶綿は知多半島在来の1品種のみですが、以上3品種の綿の種があります。昨年のワークショップで配布したのは伊豆大島在来の品種でした。ご希望の品種と、必要な量をお書き添えの上お申し込みください。同じ畑に蒔きますと交配してしまいますので、違う品種はそれぞれ別の畑に蒔くようにしてください。
また、茨城在来の種については、茎が赤いのがもともとの茨城在来であると言われていますが、他の品種も混ざってしまっているようです。今回私は、茎の赤いものから取れた綿を別に収穫しましたので、ご希望の方にも茎の赤いものから取れた種をお送りしますが、それでも茎が緑色のものが発芽してくるかもしれません。間引く時に茎の赤い物を残すようにしてください。
綿の種からは綿実油を搾ることができます。菜種をほとんど全て輸入に頼っている現実を考えた時、油の自給も大切な課題です。実現するかどうかはまだ未知数ですが、綿実油を搾る可能性を模索しておりますので、春に蒔く綿の種がご入用の方は早めにお申し込みください。
エコナプキン
生理用ナプキンは、ダイオキシンを初めとする様々な有毒物質で汚染されているという事実を皆さんご存知でしょうか。このようなもので、子宮が汚染されてはたまったものではありません。そこでお勧めなのが、エコナプキンと呼ばれる布製のナプキンです。ネルの布を2ツ折、3ツ折にしたもので十分機能します。自然食品のお店などには市販品も出回っていますが、種から育てた綿でエコナプキンを手作りするのも素敵な事だと思います。ただし、経血が浸透しない布が織れるかという課題はありますが…
アジャカ4枚綜絖
グラフ社から、ハンドクラフトシリーズ142『手織りと手紡ぎ』という本が出ています。その本の中で、アジャカ4枚綜絖という高機を使った機織りが紹介してありました。部屋の片隅に置くことができるオルガン程度の大きさで、約10万円。決して安くはありませんが、置く場所が無くて高機(昔ながらの日本の機(はた)は部屋ひとつを占領してしまいます)を諦めていた人には朗報かもしれません。
私は早速購入して、30cm×130cmの布を織ってみました。経糸のかけ方も本に写真入で詳しく説明してあるので、そのとおりにやればそれほど難しくはありませんでした。今度は、服地を作るべく、今は綿繰りの作業に追われる毎日です。
原始機を諦めたわけではありませんが、腰にくくりつけ、自分自身が機の一部となる構造のため、電話がかかって来たり、玄関のチャイムが鳴ると困ってしまいます。太い糸でマフラー程度のものをざっくり織るのはわりと簡単にできますが、経糸(たていと)が100本を超えると、技術を要します。ガンジーが機織りは専門家の仕事として、一般の人々には糸紡ぎを勧めていたのもこういう事情のためかもしれません。
お勧め図書 希望の声 アウンサンスーチー 岩波書店
「希望の声は、小さいながらも、絶え間なく聞こえる内なる声です。道のりがどんなに困難であろうとも人はそれによって前進します。私たちの戦いは容易なものではありません。しかし、本当に価値あるものが容易に手に入ることはそもそもありません。ただ一つの癒しは働くことです。何であれできることを本当に行う人は、絶望や閉塞を感じることはないと思います。希望は努力によって達成されなければならないと思います。希望は希望的観測とは違います。」
本の一部を引用しました。ガンジーの考えと異なる部分もありますが、非暴力の手段によって、正義を実現しようと今現在も闘っている人の言葉には真理があります。希望と勇気が涌いてくる本です。
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