9条世界会議に参加して。
とにかく、感動的な集会でした。一万人を超える人々が集まったこともそうですが、内容も本当に濃いもので、いろいろな視点から9条が語られ、多くのことを考えさせられました。準備をしてくださったスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
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新たな視点 「環境との平和」と「生かし育てる9条」
9条が語られた新しい視点としては、『環境との戦争』ではなく、『環境との平和』をということがあります。「人間だけではなく、あらゆる生き物の命を尊ぶこと」の重要性。そういう視点を9条は与えてくれるというわけです。そのように9条を拡大解釈していくことは可能でしょう。
また、そこから発展して、「9条を守る」というのはもったいない。『9条を生かしていこう』、『9条を育てていこう』ということも語られました。私たちはどうも、すばらしい憲法が手に入ったということだけで満足してしまっていたようです。でも、それを育てる努力を怠っていたから、「9条は生ぬるい、ミサイルが飛んで来ても手も足も出せないではないか。これでは国を守れない」という議論に、押され気味なのでしょう。9条で国を守るとはどういうことか、それがいかに素晴らしいことかを考え続け、実践していくことが問われています。9条を育てましょう。
近代主義を乗り越えて
経済発展は9条のおかげ??
「日本が経済発展をしたのは、9条があったおかげで軍事費にお金を費やさなかったからである。だから私の国にも9条が欲しい。そして世界の予算が福祉・教育に使われるようになったらすばらしいと思う」という意見がありました。軍事費を削って、福祉や教育に予算を廻すことは大賛成です。でも、九条のおかげで日本は経済発展したのでしょうか。だって、日本は世界第3位の軍事大国じゃないですか。日本の発展は、朝鮮特需のおかげだったのではないでしょうか。
「朝鮮戦争に出動するアメリカ軍の衣服やトラック、陣地づくり用のコンクリートや鉄条網などは、日本の産業が受注して、日本から補給された。
・・ピーク時には、日本の輸出総額の約6割、普通トラック生産の約4割が、この『朝鮮特需』関係だった。・・・東アジアで西側陣営の一員となって働いてくれる工業国を育成するとすれば日本しかない」という指摘が、『日本という国』小熊英二著・理論社にあります。さらにこの本によれば、「アメリカは日本に有利な条件を講和条約に盛り込んだ。それは、講和条約に調印した国は、戦争で日本から受けた損害の賠償請求権を、放棄するというものだった」そうです。それでも賠償請求権を放棄してくれない国に対しては、「役務賠償」という日本の経済復興にとってはありがたい形がとられることになったのです。
こうして日本は近代化路線を突き進んでいきます。そして、アジアの安い労働力と資源を食い物にして発展したのです。ですから、日本による侵略はいまだに続いているとアジア諸国からは指摘されています。このような経済発展を、9条のおかげと無邪気に喜んでいてよいのでしょうか。
環境との平和
六ヶ所村の話が出たときに、「原発はもともと経済的に成り立たないと言われているし、電力会社も本当はやりたいわけではない」という指摘がありました。それを聞いて私は、「電力会社はやりたくなくても、原発を作っている日立や三菱にとってはおいしい仕事だよね」と、ふと思いました。三菱はミサイル防衛構想にも絡んでいる企業です。
日立・三菱などの大企業を頂点にして、多くの中小企業がそのような大企業から仕事を受注しています。そういう構造が出来上がっています。そのような網の目にがんじがらめにされているので、いくら戦争はいやだ、平和が欲しいと思っても、仕事となると軍需産業から完全には自由になれない、軍需産業のおかげで生活させてもらえるという形になって、人々の思いとは裏腹の現実が変えられないのではないでしょうか?
では、どうしたらよいか。私はやっぱり、平和の仕事を作っていくしかないと思うのです。軍需産業に関わらないというだけの平和ではなく、環境との平和も実現する仕事です。だから、山を削って道路を作ったり、田んぼをつぶして商業施設を建てたりする仕事ではなくて、森林を保全する仕事だったり、有機農業だったりです。5月10日の新潟日報で、片山善博前鳥取県知事が「過疎地では道路は整備されているが、路線バスが廃止されている」とコメントしていました。道路を作ることにこれ以上お金を使わないで、赤字バスの運行を補助したらよいでしょう。それなのに、失業対策の公共事業として、道路やダムや箱物を作ってきました。失業対策といえば、土建業しかないみたいです。
どうして、失業者を雇ってみんなで農業をしよう。そういう公共事業をやっていこうということにならないのか不思議です。公共事業として有機農業に取り組めば、維持費のかかる箱物ではなく、安全・安心な食べ物が手に入ります。日本の自給率を高める上でもこれほどよいことはないはずです。
そうならないのはなぜか?と考えていって、私は気がついたのですが、おそらくみんなで農業をやったのでは、一部の人が富を独占することができないからではないでしょうか? そこまでいくのは考えすぎでしょうか?でも、そうではないかと、私はかんぐってしまいたくなるのです。さらにもう一点付け加えるなら、みんなで農業に汗を流せば、利益を分かち合うのは容易ですが、汗を流すということが、現代の価値観と相容れないのかもしれません。でも「環境との平和」も含めた平和を実現しようと思えば、どうもブルドーザーなどの大型機械を使って何かをやるのではなく、手足を使うしかなさそうです。
マインドセットについて
経済成長というマインドセット(心の枠組み)に我々はとらわれすぎていたのではないか、ということが語られました。経済成長というマインドセットをもたらしているのは何かと考えてみると、機械を使うことをはじめ、効率の良いことが善であるというマインドセットかもしれません。肉体労働はダサいというマインドセットもあるでしょう。
ガンジーは機械に魅了されている人に忠告しています。機械を強調していると人間が機械になってしまう恐れが十分にあると彼は言います。機械を使ったのでは村は生き延びることができないともガンジーは語ります。「3億(当時のインドの人口)の生きた機械があるというのに、新たに死んだ機械を導入しようと考えるのは、ばかげたことです」
「製造方法が改善されて、去年は10人でやっていたものを今年は8人でできるようになっても2人を解雇することはできません。・・2割余計に作って売ることになります」(『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』武田邦彦著・青春出版社)という指摘もあります。なるほど、経済成長が不幸の原因だとわかっていても、それを止められないのは、こういう仕組みだからなんだと、納得がいきました。だから、本当の平和、幸せを求めるなら、ここでも機械にさようならするしかなさそうです。機械に頼っていたことを、少しずつ自分の手でやってみることではないでしょうか。
近代を追放しよう
「国が新憲法の下に、近代の兵力を放棄したことは、当然の前提及び結果として近代の重工業を所有せぬことである。終戦処理にあたっての基本策は、我国より近代を追放する処置に他ならなかったのである。しかし彼等の空想的な理想は、近代を追放しつつ、近代の繁栄だけを享受しようとした」(述史新論「保田與重郎文庫32」)
「保田が絶対平和論の条件としている『生活』とは、日本人が『近代』の物質文明から離脱し、民族の原郷としての『アジアの内部』へと立ち戻り(保田はそれを『超越する原理』と呼んだ)、古代の祭政一致の農耕生活を根底として、そこに『生きる』民としてよみがえる道である。いや、それは古代社会へと回帰せよといった非現実的なことでは決してなく、敗戦後の日本人が、自らの民族的土壌を改めて想起し、いたずらに物質的・経済的な繁栄をよしとするのではない『倫理、精神、思想』を再発見すべきであるとの主張に他ならない」(以上『非戦論』富岡幸一郎著・NTT出版)
近代主義をもたらした教育
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で有名な福沢諭吉の『学問のすすめ』ですが、実はその後に次のような言葉が続いています。「賢人と愚人との差は、勉強したかしないかで、できるものなのだ。また世の中には難しい仕事も、簡単な仕事もある。その難しい仕事をする者を身分が高い人と名づけ、簡単な仕事をする人を身分が低い人という。およそ精神労働や管理職は難しくて、手足を使う肉体労働は簡単だ」と。だから、お金持ちになりたいと思ったら勉強して、精神労働に従事しなさいというわけです。これが、福沢がいうところの「学問のすすめ」だったのです。我々がもし肉体労働を軽蔑しているとすれば、どうもこのあたりに原因がありそうです。
最後はやはりガンジーの言葉です。
ガンジーは西洋式の教育が導入された結果、肉体労働を軽蔑する風潮が生まれたことを嘆き、「新しい教育」を提案します。
「西洋的な考えに押し流されて、ことの良し悪しを吟味することもせず、私たちはこのような種類の教育を与えるべきだという結論を下してしまったのです」
「学生たちこそ、この国を受け継いでいく者たちです。彼等が良い市民となれてこそ、この国は救われます。しかしこれまで受けてきた教育は、今では全く的外れです。英国がこの教育システムを導入したのには、利己的な動機がありました。彼らはあなた方を支配したかったのです。事務職員を養成する教育システムを提供してくれました。このような教育を我々に与えたのは、英国による行政上の策略でした。といいますのもそれによって我々は自動的に彼等のサービスに縛られることになるからです。事務所で上司に従う事務職員のごとくです。・・・私は農業と肉体労働を通して、生徒が文字、言葉、算数、歴史、地理その他の教科を学んでいくことを提案したいです」
「人口の80%以上が農民で、さらに別の10%は職人あるインドでは、文字を扱ってばかりの教育にして、子どもたちがその後の人生で肉体労働に適さなくしていくことは犯罪的行為です。私たちの時間の大半は糧を稼ぐための労働に捧げられているのですから、幼い頃からそのような労働の尊さを子ども達にも教えていかねばなりません。労働を軽蔑するような教育を子どもたちが受けてはなりません。農家の子どもが学校を出たら農業労働者としては役立たずになるべきでもありません。しかし、実際にはそうなってしまっています。学校に通っている少年達が、肉体労働を軽蔑とまで行かなくても、イヤなものとしてみているのは悲しいことです」
「ヨーロッパは見本になりません。暴力に基づいた計画を立てているからです。・・その全体が力と暴力を土台としています。・・・英国は教育に大金を費やしている、アメリカも同様であると我々は聞きます。しかし、そのような富はすべて搾取を通して得ていることを我々は忘れています。彼らは搾取という技を十分心得ていますので、子どもたちに費用の掛かる教育を行えるのももっともなことです。搾取とい観点から考えて、我々は彼らのようにはできませんし、するつもりもありません。ですから、非暴力に基づいたこの教育案以外の選択肢はないのです」
「ヒットラーは剣で自分の目標を達成しようとしています。私は魂を通してやろうとしています。外国の思考や理想という外套を脱ぎ捨てなさい。村人らの仲間入りをしなさい。西洋は我々に破壊的な知識を与えようとしています。我々は非暴力を通して、建設的な教育を授けたいのです」
次回の世界会議では、近代主義を超えた新しい生き方が話し合えたら素敵だなと思います。

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