○ブラウニング夫妻の往復書簡

 1844年、ロバート・ブラウニングの友人ジョン・ケニヨンは、従姉妹にあたるエリザベス・バレットの詩集をブラウニングの妹サリアナに贈った。当時、バレットはすでに有名な詩人だった。ブラウニングのほうは数冊の詩集を刊行してはいたものの、世間的な評価は低かった。ブラウニングは彼女の詩に感動するとともに、その本のなかで自分がワーズワスやテニスンと同列に扱われているのを見て、大いに感激した。

 1845年1月、ブラウニングはエリザベスの詩を賞賛し、彼女に面会を申し込む手紙を書いた。エリザベスは身体が弱く、もう5年も自分の部屋に閉じこもりきりで、誰にも会わない単調な生活を送っていた。お互いに詩人同士であったため、詩作に関する意見の交換にはじまった二人の文通は、いつしか情熱的なラブレターのやりとりに変わった。

 約5ヵ月後、彼女の部屋でブラウニングははじめてエリザベスに会う。それ以降、週にいちど定期的に、ブラウニングは彼女の部屋を訪問しつづけた。二人がはじめて家の外で会うのは、翌年9月にイタリアへの駆け落ちを強行した日のことだった。ブラウニングは34歳、エリザベスは40歳。1946年9月10日の手紙で、ブラウニングはこう言っている。「僕たちは結婚して、ピサへ行かなくてはならないんだ」 

 9月12日、ロンドン市内の教会で秘密裏に結婚した二人は、一週間後に密かに落ち合い、イタリアへと旅立つ。エリザベスはメイドと愛犬フラッシュだけを連れて、家族の食事中に家を抜け出したそうだ。そのフラッシュの視点で書かれた『我が輩は猫である』のような小説が、ヴァージニア・ウルフの『フラッシュ』。

 その間際まで交換された手紙は、2年足らずで実に573通。エリザベスは受け取った手紙をきちんと箱に整理して、生涯大切にしていた。150年もたった今、アジアの片隅で日本人に読まれるなんて、想像もしなかったろう。情熱的なラブレターはあまたあれど、こんなに完全な形で残っている例は珍しいと思う。