| 感想は冷めないうちに〜読書日記 |
マイク・ダッシュ『チューリップ・バブル』文春文庫、2000年 (July 16, '00記)
| バイアットの新刊に17世紀オランダの《チューリップ・バブル》や18世紀トルコの《チューリップ時代》の話が出てくる。 《チューリップ・バブル》というのは17世紀オランダで起きた、チューリップの異常な投機ブームのことだ。信じられない話だが、球根ひとつがお屋敷より高い値段で取引されていた時代があった。まさしくバブルもいいところで、商人たちはあれよあれよという間に破産の憂き目に遭う。オランダ人はチューリップのどこに、そんなに惹かれたのだろう? デュマの『黒いチューリップ』にその時代のことが詳しく書かれているらしい。生物学的な研究から、現在では完全に黒いチューリップは絶対に生まれないことがわかっている。でも、どこかの業者が密かに黒いチューリップの栽培に成功したという噂を聞けば、愛好家たちが何とかして手に入れたいと思う心理もわからなくはない。近いうちに読み直してみたいと思うが、てっとりばやい入門書として、出たばかりのノンフィクションを読んでみた。 古来どんなチューリップが人々の所有欲を募ったのか、その歴史をひもといてみると、オスマントルコで愛されたという「イスタンブール・チューリップ」(稲の形をしている)にしても、史上最高品種とされる「センペル・アウグストゥス(Semper Augustus)」(花弁に模様が入っている)にしても、私にはグロテスクとしか思えない品種に人気があったようだ。 花弁に模様が入るのは、球根がモザイク病におかされているからだそうだ。だからこそ思うように栽培できず、希少価値があったのだろう。 「訳者あとがき」を見ると、この1年でチューリップ関連本が3冊も出版されているそうだ。最初に出されたAnna Pavoad "The Tulip"とこの『チューリップ・バブル』はノンフィクションで、さらに"Tulip Fever"という小説も刊行されている。「十七世紀はじめのアムステルダムを舞台に裕福な商人の妻とチューリップ取引にのめり込む有能な画家との恋」を描いた話、とのこと、大いにそそられる。 私が特に興味をもったのはオランダ画家との関わりの部分で、レンブラント、フェルメール、ハルス、ブリューゲルなどの優秀な画家は、多くチューリップを題材にした絵を描いたらしい。17世紀のアムステルダムは商業が盛んな上、文化的にもヨーロッパで栄耀栄華を極めた時期だった。 これまで《チューリップ・バブル》の視点から彼らの絵を眺めたことはなかった。大阪や東京で話題になっているフェルメールの絵についても、そうした観点から見る楽しみもありそうだ。『チューリップ・バブル』に挿入された絵画を見ても、スルタンの脇に稲の形をしたチューリップがまことしやかに植えられていたりして、面白い。ただし、この本には注がまったくないので、どの美術館に所蔵された絵なのかわからないのが残念だ。 読んでいて再三気になったのが、トルコの残虐性に関する記述だ。15世紀初頭にチューリップを愛した王バヤジットの末路を描いている部分で、敵の武将ティムールはバヤジットの正妻を「裸にして食事の給仕を強い」、バヤジットを「鉄の檻に閉じ込めて」遠征につれていき、公式行事では彼を足元に引き出して「足載せ台」にした、と書かれている。 壮麗な宮殿「至福の館」を建設させたスルタンのメフニット2世は、一方では、自慢のキュウリが盗まれたことを知ると、宮廷の庭師を全員呼びつけて「食べた犯人を突き止めようとそれぞれの腹を裂」くような残虐性をもっていた、とある。 16世紀のトルコでは、スルタンの即位の際は王位を狙われないよう兄弟を皆殺しにするのが慣例となっていたことを説明する下りでは、メフィット3世の即位の際、「何人かの乳飲み子も含めて十九人もの兄弟がハレムから引きずり出され、天国で歓迎されるようにとまず割礼を施されてから、絹のハンカチで絞殺された」と書かれている。「この残虐な伝統から、のちに残酷無慈悲で知られるようになる大胆不敵で果断なスルタンが何人も生み出されるのである」 チューリップ王アフメット3世を退位に追い込んだ甥のマフムットには花を愛でる趣味はなく、代わりにのぞきが好きだった、という部分では、 「女性が風呂を浴びるときにまとう薄い衣の縫い糸をこっそりと抜き、その代わりに糊で衣を張り合わせ、蒸し風呂の熱で糊が溶けて、女性が一人一人、自分の目の前で裸になっていくのを見て楽しんだという」 チューリップに熱狂した人々の歴史を描く際に、はたしてこうした記述が必要なのかどうか、疑問に思った。最近、サイードの『オリエンタリズム』を読んだので、余計にそう感じるのかもしれない。 先日の文芸翻訳フォーラム定例チャットで、《チューリップ・バブル》の話題が出たときに、関連して《フロリダの土地ブーム》についてご教示くださった方があったが、終盤にこれについても記述があった。1925年にフロリダで起きた土地の投機ブームで、1エーカー30ドルだったマイアミ中央の土地が75,000ドルまで跳ね上がった例もあり、はては海底の土地までが売買されたそうだ(竜宮城でも建てるのだろうか?)。 《チューリップ・バブル》に似た投機ブームは過去にたくさんあるが、この《フロリダ》はもっともよく似た例だと思う。 ※原題は、Tulipomania。 |