| 感想は冷めないうちに〜読書日記 |
サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人〜世界最高の辞書OEDの誕生秘話』鈴木主税訳、早川書房、1999年 (May 29, '00記)
| 一年前、この本が刊行されたときに周囲で話題になったし、いくつかの書評も読んだ。それで大体のあらすじ――70年をかけて編纂されたOED第一版。その一番の功労者であるマレー博士には、協力者がいた。実はその協力者というのは、殺人を犯したが精神鑑定で異常と判断され、無期の精神病院送りとなったアメリカ人だった――は知っている。が、実際に手にとって開いてみると、まあ、なんと面白い本なのだろう。 マレー博士が必死になってOEDを作っていた時代は、ヴィクトリア朝だった。これが話の周辺をたいへん興味深い、豊かなものにしている。冒頭に当時のロンドンの描写がある。「フェーギンやビル・サイクスやオリヴァー・ツイストがヴィクトリア女王時代のランベスに実在したなら、ここはまさに彼らにぴったりの場所だったろう」 3人ともディケンズ『オリヴァー・ツイスト』の登場人物である。読者はすぐさま、ディケンズの描いたあのロンドンの世界にどっぷりと浸かるわけだ。 主役の二人、OED編纂の中心人物ジェームズ・マレーと協力者のウィリアム・マイナーはどちらも相当の変わり者だが、特にマイナーの南北戦争時代の話や、精神病院での生活の描写は目を背けたくなるような内容だ。彼は軍医として、脱走者の頬に焼印を押さなければならなかった。見えない敵に暴行されるのは自分が性的に汚れているからだと思い込み、果ては自分の性器を切り落とすまでに至る。身内には自殺者が多い。悲惨な家系である。 世界に冠たるOED編纂に関わった人物が、聖人ばかりでないからこそ面白い。マレーとともにOEDに貢献したフレデリック・ファーニヴァル (Frederick James Furnicall, 1825-1910) のあまり関心できない行状も描かれている。なかなか派手な生活をしていたようだ。 スカル競技の仲間だったケネス・グレアムはファーニヴァルをモデルに『たのしい川べ』のミズネズミを書いたという。グレアムはファーニヴァルの魅力に取りつかれていた。「『おせえてくれるから!』とヒキガエルが言うと、『おしえてやる』とミズネズミが言い直す。ファーニヴァルは悪賢い困り者だったかもしれないが、往々にして正しくもあったのだ」 OED製作のスタートは1857年の11月5日、ガイ・フォークス・デーだという。その夜、言語協会の会員60人がロンドン図書館に集まり、英語辞書を編纂する件を話し合った。この辺りもストーリーに彩りを添えるエピソードではないだろうか。シェイクスピアが辞書なしで戯曲を書いていた、という話は考えてみれば当たり前のことではあるが、虚をつかれた。そうした事情を考えずに、彼の言葉の誤用を論じてみてもはじまらない。 筆者のウィンチェスターはOEDが凸版印刷されていた頃のプレートを一枚、持っているそうだ。ある印刷業者の好意から青と赤とに2枚に印刷され、プレートを真ん中にして額に収まっているという。彼はその額を自分の部屋の壁にかけ、下にテーブルを置いてOED第5巻のその箇所を開き、ランプでライトアップするというなかなか凝った、そしてOED愛好家にとっては羨望の的であろうインテリアを備えている。 記念すべきそのページで最もスペースが割かれているのは《humorist》という単語で、ウィンチェスターの母親が誕生した日に、喜んだ祖父がその日ダービーに出走した同じ名前の牝馬に賭けたところ、100倍の大穴だったという。楽しいそのエピソードが関係者の数奇な運命を描いたこの本の最後を心和むものにしている。 ヴィクトリア朝時代に関心のある人に、特に薦めたい本だ。原書は Simon Winchester, THE PROFESSOR AND THE MADMAN -- A tale of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary。 |