感想は冷めないうちに〜読書日記 

深町眞理子『翻訳者の仕事部屋』飛鳥新社、1999年(Jan. 29, '00記) 

 翻訳生活37年、手がけた訳書は200冊以上の深町さんの雑誌掲載原稿を集めたもの。翻訳学校に通っていた頃、クラスメイトには深町さんファンが何人もいた。人気翻訳家だが、自著は初めて。意外である。

 文芸翻訳に必要なのは語学力と日本語力に加え、"華"のある文章、すなわち、読者の心に訴える文章が書けることが大事だという下りが頭に残った。

「かつては、一日に二十枚から二十五枚ぐらいをノルマとして自分に課し、またそれをさして苦労もなく仕上げていたのだが、……」(「やるっきゃない」)

 文芸で一日20〜25枚、気が遠くなりそうな数字だ。最近ではめっきり量が落ちたとおっしゃるけれども、来る日も来る日も、とにかく訳しつづけられたのだろう、このお方は。"華"のある文章が書けるようになるには、自分の感性を信じて、磨くしかない、……御意。

「ミステリーには伏線というものがある。ミステリーにかぎらず、普通の小説にだって、さりげなく見えた描写がじつは重要な意味を持っていたり、たったひとつの単語に深い含蓄があるというようなことは、いくらもある。伏線を伏線と気づかずに訳してしまうなどというのは、作品の把握が甘い証拠で、言語道断だが、逆に伏線だからといって、ここぞとばかり表現にくふを凝らすという行きかたも、私としてはとらない。さりげない描写はあくまでもさりげなく、ただし作者の意図を性格に伝える訳語を選んで訳してゆけばよいのだ。(「プロの翻訳家としては」)

 私も小説は伏線をバリバリに張ったものが特に好きだ。伏線をそれと気づかずに訳してしまうような、無様な真似はしたくない。そして、伏線張りが巧みな小説は、ミステリに限らない。今よんでいるジョージ・エリオットの作品などは、700ページもある大著で、3章に登場した絵が52章まで来てさりげなく意味を持ってくるような、複雑で気の長い伏線が張られている。うっかり読み飛ばしてしまったら、草葉の陰で作者が泣く。

 邦訳の読後感想を書くとき、訳文をとりあげて「よくこなれている」とか、「平明で読みやすい」とかいった表現を使ってしまうことが私にもあるが、厳に慎まねばならない。深町さんはそれを良しとしない。「批評するなら、そういう訳文の文体をも含めて、全体をひとつの作品として見る姿勢を持ってもらいたいと思う」 ごもっとも。

 「たしかに小説ではないが、アンネ自身は、すくなくともある時点から、この『日記』を他日発表するつもりで、つまり読者を意識したうえで、悲惨な状況のなかでもユーモアを忘れず、機知と、ときには逆説すらあじえて書いている。したがって、訳者としても、内容を性格に伝えるだけでなく、なるべく彼女の語り口、息づかいといったものを訳文に反映させることに意を用いたつもりだ」(「アンネ訳者の困惑」)

 『アンネの日記・完全版』は発売と同時に読んだ。そう、あの作品は読者を意識して書かれたものだ。だから一部のごく個人的な感情を除いて、そのまま発表できるものだったのだ。「キティ様」と宛名を書くだけで、自然に第三者に読まれることを想定した客観性のある文章になる。

 クリスティやコナン・ドイルの作品について語る部分が、生き生きと感じられた。「翻訳における『なにを』と『いかに』に書かれた、シドニー・シェルダンの一連の「超訳」に対する批判も小気味良かった。でも、文芸翻訳志望者なら、真っ先に読むべきは巻末の「フカマチ式翻訳実践講座」かもしれない。勉強になる。

表紙に戻る  読書日記インデックス