| 感想は冷めないうちに〜読書日記 |
小林章夫『愛すべきイギリス小説』丸善ライブラリー、1992年 (Apr 08, '00 記)
| 丸善ライブラリーの小林章夫『愛すべきイギリス小説』を久しぶりに読み直す。母校上智で教鞭をとっておられる49年生まれの先生だが、書かれるエッセイがとても面白くて、私は密かにファンなのだ。先日、先生の『物語イギリス人』を読んだときの感想を読み直してみた。そうだ、すっかり忘れていたけれども、リットン・ストレイチーをひもとこうと思ったのだった。では、今度こそ、この機会に。 小林先生の文章のどの辺が面白いかというと、たとえば小説を読むのは楽しいことだ、という下りで、 「しかも暇つぶしとしては安上がりで、なおかつオシャレである。文庫本ならばせいぜいコーヒー二杯ぐらい、高くてもカクテル一杯の値段である。(中略)ましてペーパー・バックとくれば、ハンドバッグに入れても、リチャーズの袋に入れても(これは関西方面でしかあまりウケない)、オシャレであります(ただし、電車の中でこれ見よがしにとり出して読むのは危険。外人に声をかけられてシドロモドロの返事しかできないと、周囲がザマミロという顔をする)」 リチャーズの袋って何のことだったかしら。こんど《関西方面》のお友達に訊いてみよう。小林先生は同志社女子大で教えていらしたことがあるので、ほんの少しだけ関西人。別の章でも、「邪魔くさい《ああ、東京生まれの僕もついに関西風がしみついたか!》」など、関西への愛情が思わず出てしまう場面もある。 この本を前に読んだのはいつのことだったか、あまり強烈な印象はない。今回のほうが格段に面白かったのは、自分が読んだ作品が前回より増えているからだ。当時はサミュエル・リチャードソンもヘンリー・フィールディングも名前すら聞いたことがなかったし、『フランケンシュタイン』を書いたのが女性であることも知らなかった。 翻訳勉強会の課題で取り上げられた作品もいくつか紹介されている。実際に自分が訳したことのある小説は、原書・邦訳の両方を読んでいたり、文体の特徴などよく覚えていたりして、書かれている内容がより身近に感じられる。イヴリン・ウォー「ラヴデイ氏の遠足」、サキ「開いた窓」、ティンパリー「ハリー」。どれもみな懐かしい。 「翻訳が出ているから、彼女たちはそれを見て授業にのぞむ(訳のコピー持参などという強者もいる。こういうのはしめ殺してやりたい)」……うわあ。ロアルド・ダールを授業で取り上げたときの話だが、はるか昔、講読の授業でそんなことをしてしまった覚えがある。くわばら、くわばら。ところで翻訳勉強会で訳したこともある有名な「おとなしい兇器(Slaughter to the Lamb)」を小林先生は「メリーさんの羊」と訳されている。マザーグースだそうだ。勉強会のときは、全然きづかなかった。 この本では小説ごとの紹介のあとに「文献案内」が添えられている。それがまた興味深いところで、さりげなく既訳の出来を評価している。そして、文芸翻訳を志す者の心をくすぐるようなコメントも多くかかれているのだ。たとえば、『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリーは波乱万丈な人生を送ったが、日本語で読める伝記はない、とか、歴史小説にはいい翻訳が少ない、すぐれた翻訳で出されれば、きっといい読者に恵まれるのに、とか。そんなことを聞いたら、よし、では私が訳してやろう、と一瞬にせよ思ってしまうではないか。 ウォーの章で、数ある翻訳のなかでわが敬愛する富山太佳夫先生の『大転落』を推されているのが嬉しい。「ラヴデイ氏の遠足」は『ラヴド・ワン』というタイトルで映画化されていたそうだ。ううむ、見たい。イギリス人の真髄をいくブラックな画像で。 夏目漱石はオースティン『自負と偏見』を激賞して、こう書いたそうだ。「独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい」言いえて妙。ウィリアム・エインズワースという作家は漱石の『倫敦塔』にヒントを得て歴史小説『ロンドン塔』を書いたそうだ。いつか読み比べてみたい。 「実際、イギリス小説の偉大な伝統は、オースティンからヴァージニア・ウルフ、そして二〇世紀の女流作家たちへと受け継がれていった、そう言えなくもないのである」ええ、まさに私はそう思っているのですけれども。 親近感を覚えた箇所がところどころにあった。「わが日本国には中島敦の『山月記』という傑作(たしか高校の教科書で読まされた。今はどうだろうか)」そうそう、私も読まされました。子どもの頃に『少年少女世界文学全集』(講談社)の『十五少年漂流記』を読んだという下りで、「それにしてもこの文学全集はおもしろかった。日本の古典から世界の名作まで網羅して、しかも決してレヴェルを落とさずに物語ってくれたからだ」あの全集は繰り返し読みました。「まるでNHKの朝の連ドラ(最近はだいぶ変化したか)みたいなもので、毎日一〇ページずつ読んで一週間たっても、あまりストーリーが進展しないのである」最近は本当に変わった。『おしん』と『あすか』では雲泥の差である。 サー・ウォルター・スコット『アイヴァンホー』には無味乾燥な史実の羅列にない生命力があり、臨場感がある。その意味でジョセフィン・ティ『時の娘』という推理小説の傑作とあわせて読んでみるのも一興、とある。なぜだろう。いずれ読んでみたい。 『動物園に入った男』を書いたデイヴィッド・ガーネットは、すぐれた文人や芸術家たちと交際する恵まれた環境に生きたそうで、その回想録は華やかで興味深いが、彼の妻だった26歳年下のアンジェリカが書いた回想録はもっと面白そうだ。彼らの身内にはウルフもいたそうで、大いにそそられる。 ティンパリーの章を読んで、勢い『ロアルド・ダールの幽霊物語』に収められた「クリスマスの出会い」を読み返した。「ハリー」ほどの不気味さはないが、不思議な読後感だ。ダールはこのアンソロジーを編むために、749編もの幽霊物語を読破したというから、数ある作品のなかからティンパリーだけ2編が選ばれたというのはそれなりに意味のあることだろう。今でも真夏に緑の芝生を見るとき、寒気がすることがあるくらいだ。 次にこの本を読むのは何年後になることか、それまでにこうした作品をいくらかでも新しく読んでいれば、さらに面白い本になることだろう。 |