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旅行記集 |
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日付、曜日(月曜=1、火曜=2・・・)、発都市:空港、駅(時刻)-交通機関-着都市:空港、駅(時刻)、宿泊先、訪問先など
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| '78 10/12(5) | 京都-大阪空港バス-OSA OSA(1350)-KE723(B707)-SEL(1530) SEL(2030)-KE012B747SP)-LAX(1400) |
| 友人達が伊丹空港まで見送りに来てくれ、大韓航空のおんぼろ707でソウルへ、当時韓国はパク・チョンヒ大統領時代で夜間外出禁止令が出ていました、1960年代の日本と同じで自国を発展させようとものすごいパワーがソウル全体から感じられた時代です。 空港へ着いてもロサンゼルス行きの出発時刻まで5時間、同じように留学でボストンへ行く20歳の女の子と知り合い、二人でイギリスからNYに行くデザイナーのおばさんと知り合う、エミレ博物館(古い版画中心の民間美術博物館)に連れて行ってもらったり、晩御飯をおごってもらったり、とても幸先の良いスタートでした。 キンポ空港のチケットカウンターは本当に圧巻でした、山盛りの荷物を担いだおばさんがカウンターから放射状に群がって、早い者、強い者勝ちで奇声をあげながら殺到します、それはそれはパワフルな人達だと感心するやら恐ろしいやら、しかし私も女の子の手前かっこよくバーゲンセールのような雑踏に飛び込み力ずくでボーディングパスを手にしました。 そんなこんなで機内へ、座席ナンバーなんか全く関係無く、親戚や家族で好きに席に座るものだから、もう修羅場、スチュワーデスも慣れたもので、うまいこと整理していました。 日本を出るときは絶対に日本語を話すまいと決心していたことも忘れ、ロサンゼルスまでズーっと件の彼女とうきうき話しをしていました。 ロサンゼルスで当日の夜の便でボストンへ行く彼女を見送ってUCLAのドミトリー(学生寮)へ、まじめに勉強はしていたのですが同室がペルーからの留学生、2人とも英語は殆ど話せず意思の疎通に苦労しました。 音楽(Bluegrass)の話題からアメリカ3人、カナダ(ケベック)、韓国そしてペルーと私の7人が仲良くなり、帰国まで殆ど日本語は使いませんでした。 この同室のペルーがとにかく風呂に入らないので汚い、くさい、私も不精だが彼はすごかった、絶えられなくなり日系3世の経営するボーディングハウス(月ぎめ食事付き下宿)に移りました。 ここは日本から流れてきたちょっと変わった連中(California1st Bankの銀行員も居るにはいたが)がたくさん居て面白かったです、ガーデナー(庭師:殆ど芝刈り)や個人商社(偽ブランド品やキャラクター品の密輸)、豆腐屋、ヘリの免許を取りにきた人なんかがうろうろしていました。 ママ(おかみさん)の配慮で、私は学生なのでと別棟の田舎出身貧乏アメリカ青年たちの中で生活させられました。 木造のテラスのある白いペンキの良い家でした、夕日を眺めながらテラスのロッキングチェアーでうつらうつらしていると、本当にアメリカっていいなーと感じられたものでした。 この間ペルーに招待されて7人でペルー旅行をしたり(ペルーはお金持ちの御曹司でした)イエローストーンへ温泉旅行に行ったり、カナダまで6人1台の車に乗ってスキーをしに行ったりと、遊びもかなりがんばりました。 勉強の方はUCLAにある入学準備のための英語学校に行って、夜はコミュニティースクール(日本の夜間中学のようなもの:無料)で生活会話を勉強したりと結構貪欲にやっていたのですが、ちょうど帰国1ヶ月前くらいに韓国の大統領暗殺事件が勃発、このコミュニティースクールに来ていた韓国学生にアメリカ人の教師が韓国は全体主義で、大統領はヒトラーだ、などと言ってしまったので大騒ぎ、この先生夜中に襲われて歩けなくなりました。 この辺の話をちょっと書いてみようかななどと考えた時期もあって、克明に思い出されます。 |
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| '79 11/13(2) | LAX(1000)-AMTRAK #14 The Coast Star light -SFO(2105) |
| (H) Hotel Cecil | |
| 帰国前の1週間サンフランシスコ観光に出かけました、井上靖の「わだつみ」を読んでアメリカに憧れた私には欠かすことの出来ない町なのです。 車で送ると言う友人を振り切って、以前から憧れていたAmtrak(列車)でSFOへ向かいます、Union Stationでお見送りを受けて、のんびり汽車の旅です。 コーチクラス(普通席)でも飛行機のビジネスクラス並みの座席、映画に出てくる展望車、ピアノのあるラウンジ、ホームの無い駅、牧場を走るカウボーイ、油田地帯のつるべ井戸、その向こうに沈む大きな真っ赤な太陽、そして何よりスピードが異常に遅い、時間的余裕の有る高齢の乗客が多いのもうなずけます。 10時間かかってSFOの対岸Oaklandにある駅に到着、ベイブリッジを渡ってバスで(これも列車の料金に含まれています)町の中へ入ります、このバスデポが深夜は暗くて怖い、サンフランシスコの第一印象はあまり良くありませんでした。 お決まりのコースも一応回りましたが、SFO万博の跡が昔のままの姿で公園や博物館、エキジビションスペースになっていて、物語と重なってかなり感傷的になれました。 今どうなっているかは知らないのですが滞在していたHotel Cecilも中途半端に古くて落ち着いた良いホテルでした(当時ツイン1泊14$:1$=\220位)屋上にサンデッキがあって(中庭しか見えない)、仕事で滞在しているセールスマンっぽいおじさん達が、ぶよぶよで毛むくじゃらの白い腹を出して転がっていたのを思い出します。 |
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| 11/19(1) | SFO(1600)-UA519(B727)-LAX(1708) |
| (H) Ramada Inn Los Angeles International Airport | |
| 1週間の小旅行を終えいよいよアメリカ最後の日、友人達も来てくれて一晩中大騒ぎ、グリフィス天文台のある山に登って、感傷的にも再会を誓い合ったのです、結局徹夜、これだったらホテルなど必要無かったのです。 | |
| 11/20(2) | LAX(0800)-KE001(B747SP)-NRT(1710+1) |
| 11/21(3) | (H) 日航成田 |
| NRTへ帰ってきたのですが通関するとOSAへの便に間に合わないとのこと、一日ただで旅行が延びました。 | |
| 11/22(4) | NRT-チャーター-HND(0900)-JL713(DC8)-OSA(1000) OSA-大阪空港バス-京都 |
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| '81 03/16(1) | 京都-大阪空港バス-OSA OSA(1350)-KE723(B727)-SEL(1530) SEL(2030)-KE012(B747)-LAX(1400) LAX(1900)-UA087(B727)-SFO(2006) |
| 今回も当時得意の大韓航空です、この年就職も決まったことだしと、バイト仲間の1人と今で言う卒業旅行です。 この頃韓国は観光事業に国家的に本当に力を入れていて、外国人トランジット客のためにミニツアー(食事付き)を実施していました、当然往復とも参加しましたが、困ったことにガイドの青年が殆ど日本語が話せません、日本人も結構参加していたので途中から通訳をさせられたりしながら、南大門に残っている機銃掃射の跡や韓国人の日本人観、これからの日韓関係、われわれ若者はそれにどのように係っていこうかなどと短い時間に結構盛り上がりました。 食事はお決まりの焼肉、当時の韓国のレストランは政府の指導で基本的に全部「麦ご飯」でした、ガイド氏曰く「ご飯は麦ご飯だけれどお肉は牛肉です、日本は白ご飯に豚肉でしょ」うーんそこまで対抗意識を持たなくても・・・と感じた次第です。 空港も機内も相変わらず騒然としていました、ただこれに慣れるとJALやANAが変によそよそしく感じられることも確かです。 飛行機の中で旅の計画を立てる(本当に行き当たりばったりです)LAX-SFO-LAX-HNL-SEL-OSAに決定、ついてすぐUAのシャトルを予約、サンフランシスコへ向かいます。 この飛行機が良く揺れる揺れる、私の搭乗経験の中でキャビンアテンダントが座ってシートベルトを思い切り締めて無口になるほど揺れたのは後にも先にもこの時だけです。 |
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| (H) Hotel Cecil | |
| ホテルは定宿、このときはスイートしか空いていなくて男2人でツイン$36.00の豪華な部屋?に泊まるはめになりました | |
| 03/19(4) | SFO(0815)-UA004-LAX(0923) |
| LAは雨でした、まずいことに帰りのチケットをオープンにしていたので予約したところ、珍しいことにHNL-SEL、SEL-OSAがウェイテングになっているとか、困りながらも、ま・仕方ないか。 2人でかわいいチューリップが逆さまになったようなビニール傘を買って、行くところも無いので映画観賞です、XXXとXが3つもついたものすごいスペクタクル超大作でした、画面いっぱいに○○○○がそればかり延々と大写しになっていて途中で飽きてしまいました。 次もお決まりのレンタルビデオ&雑誌屋さん、見ていた私は恥ずかしくも途中で気持ち悪くなって店を出てしまいました、アメリカとは何でも思い切りやる国なのです、気合が違います。 翌日からは、UCLAを案内したり、サンタモニカの海岸、ビバリーヒルズ、などなどきっちり観光旅行しました。 |
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| (H) Holiday Inn Downtown海外初のメジャーホテルです、面倒になってハワイのホテルも予約しました。 | |
| 03/21(6) | LAX(2100)-KE005-HNL(0035) |
| HNLのチケットカウンターでやっとHNL-SELの座席が取れました、SEL-OSAはSELに着いてみないと分らないとか、ま・いいか、雰囲気だけ味わって、ホノルルをぶらぶら。 途中で分れて先に空港に着いて(喧嘩しました)時間を持て余している間にロビーのベンチで眠ってしまいました、探し回ったらしく友人が青い顔をして起こしてくれましたが、あのまま寝ていたらもう少しで旅行が延びてしまうところでした。 |
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| (H) Holiday Inn Honolulu International Airport | |
| 03/22(7) | HNL(0140)-KE005-SEL(0730+1) |
| 03/23(1) | SEL(1840)-KE722-OSA(2010) OSA-大阪空港バス-京都 |
| 不安は的中せず、無事にSEL-OSAのチケットも取れました、またまた1日観光で食事代を浮かせて、当時KEの最新鋭機A-300で帰国しました | |
| 後日談 | 翌日の新聞の見出しを見てびっくり、SELでKEの最新鋭機A-300が墜落、チケットが取れずに帰国が1日延びていたら、と思うとぞっとしました、間一髪、事故とのニアミスでした。 |
| Hawaiiへ行ったらBlue Hawaiian Helicopter Tour | |
| Blue Hawaiianによるおすすめポイントは | |
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Our Flawless Safety Record |
無事故、安全です |
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First Company to be T.O.P.S. Certified |
Tour Operators Program of Safetyの認可を受けています |
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Best Equipment, Best Maintenance | 機種はAmerican Eurocopter ASTAR 350 |
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Finest Tour Pilots Anywhere | パイロットは軍出身が殆どで操縦技術がハイレベルです |
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Pride of Ownership | 家族経営で(社長もパイロット)親切、丁寧です |
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What Our Guests Say About Us | みんなが誉めています |
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Bose Electronic Noise-Canceling Headsets | BOSEのノイズキャンセリング・ヘッドセットを使っていてパイロットの説明がとても聞きやすいです(テープの日本語も選べますがパイロットの話のほうが絶対お勧めです) |
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Five-Star Diamond Award for Excellence | The American Academy of Hospitality Sciencesで5年連続Five-Star Diamond Award of Quality and Serviceを獲得しています |
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Preferred Choice of Movie Professionals | たくさんの映画撮影に関与しています "Jurassic Park""Honeymoon in Vegas""Flight of the Intruder" "Crimson Tide.""Jurassic Park, The Lost World""George of the Jungle""Six Days, Seven Nights""Wheel of Fortune" |
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Superior In-flight Video System | 結構まともなインフライト・ビデオがもらえます(夫婦でも2人で2本です) |
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その1・・オアフ島にはありません、マウイかハワイへ行きましょう | |