
「甘える」 (164) 人間は生まれてから死ぬまでいろいろなことに会います。楽しいこともあればいやなこともあります。これが浮世というのかもしれません。つらいことは男も女も同じですが、どちらかというと、男のほうが外に出て働いて一家を支えることが多いという面から考えれば、男は、人生を生きていくうちに、幾度か挫折するというつらいときがあります。
幼児のときは、いやなことがあれば「お母さん、」と泣いて甘えることが出来ますが、髭もはえて、社会的には一人前以上の男になればそのような無様な格好はできません。できませんが、ほんとうは、母親の胸にすがって泣きたい、母親に慰めてほしいという甘えが、男のなかにあることは、幼児の場合とそう変わりありません。
しかし母親はいつまでも元気で生存しているわけでもないし、いてもよぼよぼの年老いた老婆になっていて、慰めてほしくても、「私にはもう年で、会社のことは何もわからないよ」といって、慰めてくれるどころじゃない。だいたい、その年ごろの母親というのは、もう息子を慰めるどころか、息子を頼る姿勢になっています。
ほんとうは妻が慰めてくれれば、妻に甘えることができたらいいんですが、長年、妻に対して偉そうな顔していた手前、やはり妻には甘えきれない。普段女房に対して威張っていることと矛盾する気持ちですが、男の本心は、妻というのは、どこかで亭主を無条件に支持し、無条件に「許してくれる」と思う要素があってほしい、と思っているんです。甘えるということは、相手が許してくれるだろうということを期待して節度を越えた行動をとることです。
妻にも甘えられない。そうすると、男はどこに行って甘えるか。ほんとうは、この世に甘えるところなんてないんですが、酒の飲める人は、身近にある酒に甘えようとします。酒を飲んで、相手かまわず、クダを巻いたり、ラチもないことをわめいたりするんです。このようなことはぜんぶ甘えの行動なのです。
ある年になった男というのは、本当の意味で自分をぶちまけて、そして母親の胸にすがったように、あるいは母親の胎内で過ごしたように、本当に安全で、心許せる場所というのは、どこにもないんじゃないかと思います。だから甘える相手のない男は書斎というか、自分ひとりになれる場所、自分だけの場所をほしがるものです。その意味で年をとった男というのは、限りなく孤独であります。 安心して甘える相手にペットがあります。家にペットを飼って芸を教える、ペットを相手に話す、コミュニケーションする、一心にペットを可愛がる、前にも述べましたが自分だけの場所をほしがる、すべてこのようなことは、酒に甘えるのと同じく、それが男の孤独というものじゃないか、と思います。そしてこの「孤独感」は、甘える対象を持たない、行きどころがないという悲しみに通じます。 ( 平成17年 10月 2日 ) |