◆ スーパー戦隊を振り返る ◆
※このテキストは『秘密戦隊ゴレンジャー』から『未来戦隊タイムレンジャー』までのスーパー戦隊シリーズ25周年の歴史について葛西なりに総括してみたものである。あくまでも一個人の視聴に基づいた見解である事をご了承いただきたい。
ついでに言うと、戦隊ファンの言っても具体的にどの作品が好きかという事で評価軸が変わってしまうのも事実。ちなみに私のお気に入りは『チェンジマン』『ジュウレンジャー』『ダイレンジャー』『カーレンジャー』『ギンガマン』『タイムレンジャー』あたり。こうしてみると割と近年の作品にお気に入りが多いかな?
「色違いのコスチュームをまとったヒーローの集団が敵と戦う」。これがスーパー戦隊の根本だ。これは基本的に25年間まったく変わらない。ただ、詳しくない方から見れば千年一日の如く同じパターンを繰り返しているように見られる戦隊だが、実は何度も転換期を越え、時代の移り変わりを反映して進歩、少なくとも変化し続けているのだ。むしろ『仮面ライダー』や『ガンダム』のように過去の設定・世界観を引きずったり、旧作のキャラクターに縛られたりする事無しに毎年内容をリセットし、フォーマットだけ維持するという形式上、その変化は大きいとも言えるのだ。
以下、その「転換期」に着目しながら25周年の流れを見てみたい。
●草創期(『秘密戦隊ゴレンジャー』75年〜『ジャッカー電撃隊』77年)
「石森戦隊」時代とも言える。『ゴレンジャー』で提示された「リーダー・キザ・力持ち・紅一点・子供」という組み合わせは何もこれが元祖ではなく『ガッチャマン』という先例があり、ほぼ同時代に『コンバトラーV』でも用いられた普遍的パターンだ。加えていえば、この時代ヒーローの集団化というのはアニメ・特撮の全体的な傾向だった。そう考えれば『ゴレンジャー』のコンセプトというのは決して独創的とは言えないが、極めて高い完成度でそれが達成されていたとは思う。結局はメインパイロットがひとりに限定されがちな合体ロボットや『カゲスター』や『忍者キャプター』に比べても優れているのは、トドメ技が「全員の共同作業」という設定だろう。これによって集団ヒーローである事の意味が明確になっているのだ。この「共同必殺技」は、その後も受け継がれていく。
この2作品で戦隊シリーズの祖形が作られているが、まだフォーマットは確立していない。実は『ゴレンジャー』がそれまでの石森ヒーロー(ライダーやキカイダーなど)と比べて特徴的なのは「ただの人間」という点だ。ヒーローの集団化にあたって、個々人を突出した超能力の持ち主にしたくなかったというのもあるだろう。この設定は後の戦隊シリーズでも概ね踏襲されるのだが、それを考えると「唯一のサイボーグ戦隊」である『ジャッカー』の特異性は際だつ。これは「戦隊」というはっきりコンセプトが確立する以前だったからこそ『ジャッカー』では『ゴレンジャー』とは違える事が重視されたのだろう。
なお、「戦隊のイエローといえばカレーをもりもり食べるデブ」というイメージでネタにされているのを散見するが、その実例は初代キレンジャーひとりだけである。実は巨漢でさえ少数派だ。いかに『ゴレンジャー』のインパクトが強かったかという事の一例と言えるかも。
●形成期(『バトルフィーバーJ』79年〜『大戦隊ゴーグルV』82年)
石森原作を離れてその形式だけを利用した狭義の「スーパー戦隊」が始まった時期である(一応解説。ある時期まで「スーパー戦隊」と言うと『バトルフィーバー』以降のみを指していた。その後『ゴレンジャー』『ジャッカー』までを含めた呼称として「超世紀全戦隊」というのが作られたが、結局今は「スーパー戦隊」で全作品を網羅する形になっている)。
これは単なる印象なのだが『BFJ』以降と『ゴレンジャー』を比較した場合、良くも悪くも主人公たちが身近で生臭い存在になったようだ。言ってみれば『ゴレンジャー』ではキャラの「特技」が個性だったのに対し、この時代以降は「趣味」や「生活」がほの見えるようになったとでも言おうか。これは巨大ロボットの登場などとも並ぶ大きな変化ではないかと思う。
この時代は「戦隊のフォーマット」の確立を目指していた時期だったというのが私の評価だ。初の「公的機関」でない戦隊の『デンジマン』や人数を減らしてみた『サンバルカン』など、バリエーションを試しながら戦隊という器の形成に勤しんだ時期と言うべきか。
そしてたどり着いた結論が『大戦隊ゴーグルV』だろう。言っては何だが『ゴーグル』というのは前後のいかなる戦隊、あるいはその他のヒーロー物と比べても作品としての独自性やキャラの個性に乏しい。メインライターが替わったためか、前2作品のような「敵組織の内紛劇」というようなドラマも無かった。変な言い方になるが『ゴーグルV』は「空っぽの、しかし完璧な器」なのではないだろうか。この作品をもって「戦隊のフォーマットづくり」は完成し、以降はこの「器」に何を盛りつけるかというバリエーション展開に突入するのである。
●展開期(『科学戦隊ダイナマン』83年〜『地球戦隊ファイブマン』90年)
『ゴーグルV』で完成した器に何をどう盛るかという事がさまざまに試された時代。また、ちょうど『ダイナマン』からデザインラインの面でも物語展開、キャラ描写の面でもアニメ的な味付けや方法論が導入されている。
それともうひとつ、この時期に顕著な傾向は「主役側のドラマの弱さをどう克服するか」という試みではなかったか? 実は『デンジマン』『サンバルカン』の大きな欠点に「クライマックスでは敵側の内紛劇が中心になって、ヒーローサイドがともすれば傍観者になってしまう」というものがある。これは「敵キャラは怨念や野心、エゴなど強烈な感情で行動できるが、主役側はヒーローとしての枠を外せない」というのが原因だろう。敵の内紛劇の鍵を味方サイドの長官に握らせた『ダイナマン』、ドクターマン親子と郷親子を対比させた『バイオマン』、内紛が敵組織内部の抗争ではなく離脱してのヒーロー側への合流という形で描かれた『チェンジマン』。そして『フラッシュマン』『マスクマン』『ライブマン』『ファイブマン』といずれもヒーローと敵の間に予め強力な因縁が設定されているのだ。それも『デンジマン』『バイオマン』のように設定としての関わりではなく、個人的な感情と直結する関係がだ。設定的な関係が弱い『ターボレンジャー』では初期の敵が姿を消して中盤からは主人公たちと因縁の強い第三勢力が物語を乗っ取るという現象まで起きている。『デンジマン』的な「内紛劇をヒーローが傍観」とは逆だ。
これはドラマ強化と同時に「ヒーローの個人化」へ向けての過渡期現象でもあったと考えられる。形成期以前のように主人公が品行方正な全人的存在ではなくなってきているという事の現れではないか。設定的にも『チェンジマン』が職業軍人ではあっても『BFJ』時代のようなエリートではなくはみ出し者集団だったり、落ちこぼれがヒーローの『ライブマン』などの例が現れている。
ただし、この時代にはシリーズが長く続いた事による弊害と思われる現象も見られる。言ってみれば「コンセプトの弱体化」である。アニメ的な方向性の導入によるストーリーやキャラシフトの複雑化、デザインモチーフの枯渇などが相まって、一作品に複数のコンセプトが盛り込まれ、しかもそれが有効に噛み合わずに解体する羽目に陥ってしまったのだ。きつい言い方をすれば「下手な三題噺」状態だ。
「高校生」が「妖精」の力を借りて、「自動車」ヒーローになって戦う『ターボレンジャー』は結局「高校生」だけを活かして他の要素を切り捨てる事で辛うじて作品をまとめ、「血の繋がった兄妹姉妹」が全員「学校の先生」になり「宇宙人」と戦う『ファイブマン』も一話でいきなり学校がふっとび、一年の間に何度もテコ入れを重ねるような結果になった。
『ゴーグルV』という器への盛りつけ方でバリエーションをつけるというやり方が限界に達したとも言える。次に必要なのは「器そのものの見直し」なのだ。
●ルネサンス期(『鳥人戦隊ジェットマン』91年〜『忍者戦隊カクレンジャー』95年)
『ファイブマン』が苦戦したためか、翌年の『ジェットマン』ではスタッフも新しい血が導入され、内容面でも「一話ではメンバーが揃わない」「変身後も本名で呼び合う」「戦隊内のみならず敵組織まで巻き込んで痴話喧嘩が起きる」などメインドラマ、ディテールとも従来に無い新味が加わって、俗に「戦うトレンディドラマ」などと呼ばれた。しかし、考えてみればこれはまったく新しい改革というよりはむしろコンセプトの本質を再確認し、形式を解体して現代的に再生させるルネサンスと呼ぶべき変化だったのではないか?
本名での呼び合いや恋愛など、ヒーローもまた生身の個人である事を強調するのはそもそも『ゴレンジャー』や『BFJ』で見られた「超人ではないヒーロー」「趣味や日常を持つ生活者」という路線を発展させたものだし、専業の「軍人」とそれ以外が入り交じる雑多なメンバー編成も「集団ヒーロー」の強調とも言える。思えば「巨漢で力持ちのイエロー」というのも、始祖『ゴレンジャー』と「完成した器」『ゴーグルV』以来のキャラではあった。
そして翌年の『ジュウレンジャー』では新たな試みとして「ファンタジー戦隊」が開始する。ロボットは神秘的存在であり、主人公たちも普通人としての日常を持たない存在というのは従来の戦隊の枠を逸脱する大ネタだ。しかも、『ジェットマン』の成果を上手く継承して、変身後も本名で呼び合うという前提の元に「ヒーロー性の高い本名」が設定されるようになった。この「おとぎ話風ヒーロー」は本流にはならなかったが、設定のバリエーション拡張という点では大きく貢献した。このしたたかな柔軟性こそが戦隊シリーズの強みだろう。
また、この時期の作品で加速した傾向として「レッドの優越性の喪失」が挙げられる。『ジェットマン』ではレッドが唯一の職業軍人でリーダー性も高く描写されたが、必ずしもそれが肯定的な表現ではなく、またブラックのライバル性が強調された。リーダーと部下ではなく、互角以上の力で反発しつつも協力するライバル−−これも「戦隊本来のコンセプトの再確認と現代的アレンジ」だ。続く『ジュウレンジャー』では初登場した「6番目の戦士」との絡みもあってレッド(ティラノ)の主役性・リーダー性は高いが、それとは別に最年長の参謀役としてブラック(マンモス)が設定されている。レッドが最年長で無い事自体、戦隊では希なケースだ。『ダイレンジャー』では明確なリーダーは存在せず名乗りの際に誰が中央に立つかすら回によって異なり、『カクレンジャー』ではとうとうリーダーはレッドではなくホワイトだとはっきり定義されてしまったのだ。リーダー/主人公/最強の戦士が同一ではなくそれぞれ別のキャラでも構わないという判断だろう。
もうひとつ指摘すると、この頃から主人公たちの掲げる正義が「理念」というよりも「個人的な感情」として描かれる傾向が強まっている。展開期からは、初期には基本だった「職業軍人型ヒーロー」はむしろ少数派となり、前述の「全人的な品行方正さ」や「エリート性」はさらに希薄となった。これは戦隊に限らず、全体的な傾向とも言える。何しろこの時代には『セーラームーン』が始まり、大人気を得ているのだし。
ただし、『ダイレンジャー』『カクレンジャー』と続いた「らしからぬヒーロー」路線は少々やりすぎてしまった部分も無きにしもあらずで、翌年には反動で保守化する事になる。
●円熟期(『超力戦隊オーレンジャー』96年〜『未来戦隊タイムレンジャー』00年
ハジけすぎて路線変更せざるを得なかった『カクレンジャー』の反省ゆえか『オーレンジャー』はかなり保守的な作品となった。主人公たちは職業軍人型ヒーロー集団でレッドを上官=リーダーと明確に定義、ひと味ひねってはいるものの『デンジマン』時代にも似た敵組織の内紛も描かれた。ただし、一方で『ジュウレンジャー』以降のファンタジー路線も継承されているため、デザインモチーフは古代遺跡だったりして、ややまとまりの悪い印象は残った。
続く『カーレンジャー』では数年ぶりに動物・幻獣モチーフが外れる。これはRV人気などもあるだろうが、いわゆるメタルヒーロー枠が前年の『ビーファイター』(これも保守化作品だった)で「ファンタジー&エコロジー」「生物モチーフ」になったという事もあるだろう。今回は詳しくは触れなかったが、スポンサーも製作会社も放送局も同じである以上、両路線でのネタかぶりも意識しているはずだ。
『カーレン』でもうひとつ注目すべきは『ターボレンジャー』とのデザインの重なりだろう。以前にも『サンバルカン』と『ライブマン』という例はあったが、この頃から過去のシリーズとデザインやネーミングのバッティングを恐れなくなったように見受けられる。『カーレン』と『ターボ』、『電子戦隊』と『電磁戦隊』、二度目の高校生戦隊、同じ5人兄妹の『ファイブマン』と『ゴーゴーV』……。前述した「モチーフの枯渇」の現れでもあるが、いい意味での開き直りも感じられるのは私だけだろうか。シリーズの歴史の長さを踏まえ、ネタかぶりを回避する事よりも優れたモチーフ、コンセプトならば再度活用しようという姿勢を感じるのだ。
『ターボ』では単なるデザイン素材に留まった自動車を『カーレン』ではいろいろな形で活用したし、高校生戦隊という点から見ても『ターボ』の時とは異なり制服の着こなし方でキャラの見た目の区別をはっきりとさせ、性格も表現していた。ファンタジーという大きなくくりでみれば同じだが『ジュウレンジャー』と『ギンガマン』では描き方が全く異なるし、兄弟という設定が序列の固定に繋がってしまった『ファイブマン』に比して、長男を絶対視しない『ゴーゴーV』はより現代的な描写だった。
現在はルネサンス期にはまだ模索し、ふらついていた新しい方向性をより安定した形で使えるようになったと言えるだろう。上記の通りモチーフや設定の再利用のみならず「レッドの地位の変化」という方向性は『メガレンジャー』で「隊長はブラックだが最強戦士はレッド」とはっきり語られ、『ギンガマン』や『タイムレンジャー』では「レッドだけが本来のメンバーではない」という独特の地位を持たせる事で主人公性を与えている。また主人公サイドのドラマ強化についても『ダイレンジャー』で試みられた「各キャラに年間を通したドラマを持たせ、それを束ねて大きなストーリーにする」という形が『ギンガマン』や『タイムレンジャー』でも応用されている。これまで20年の歴史で試行錯誤してきたデザイン、ストーリー、ギミックやガジェットを適宜再活用しているのが現在の戦隊シリーズだ。
一度使ったネタでも、味付けを変えれば新しい作品として成り立つ……考えてみればこれは戦隊シリーズそのものの姿勢ではないか。ただ、『ギンガマン』と『ガオレンジャー』のようなあまり短いサイクルでの流用はどうかと思うが……。
今回振り返ってみて改めて気づいたのは、実は戦隊シリーズの方向性が変わるのはメインライター交替の影響が大きいのではないか、という事だ。論旨展開の便宜上『ゴーグルV』を「形成期」、『オーレンジャー』を円熟期に含めているが、両作品は言ってみれば「節目」であって前後どちらに入れても構わないのだ。
そう考えると『ゴレンジャー』〜『サンバルカン』は上原正三・高久進、『ゴーグルV』〜『ファイブマン』は曽田博久が中心。『ジェットマン』が井上敏樹、『ジュウレンジャー』〜『オーレンジャー』は杉村升、異色作『カーレンジャー』が浦沢義雄、『メガレンジャー』以降は武上純希と小林靖子が交替でメインを務めている。
実にメインライターの変遷がダイレクトに作品テイストの変化に反映しているのだ。
それこそ『タイムレンジャースペシャル』の言説ではないが、そのうちに現在の「再安定」も行き詰まったりして過去の事になったりするかも知れないけれど、きっと世に連れながら続いていくのだろう。
一ファンとしては、毎年でなくても構わないから、面白い作品が登場する事を虚心に期待したい。
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