『エシィール黄金記』の裏話

 私にとって初のシリーズ物となった『エシィール黄金記』。
「流浪の王子が商人になり、経済力で侵略者に立ち向かう物語」という着想そのものはずいぶん以前からありました。世にある多くの物語の主人公が「平和のため」といいつつ、結局「戦って勝つ」という手段を用いる事への不満が発想の起点だったのです。ですから「第三次産業の力で困難に立ち向かう」という点で『ようこそ観光ダンジョンへ』と『黄金記』は兄弟作品とも言えるでしょう。

 正直なところ、初のシリーズという事でペースを上手くつかめなかった部分もあり、また構成への配慮が不充分だったせいもあって、肝心の「商業」の部分がむしろ「外交・交渉」に食われてしまった悔いが残っています。具体的な反省点は山のようにあるのですけれど、まぁ、それは人様の目に触れるところで曝すべきものでもないでしょうし、なるべく作者の心中に留めておく事にしますか。

 ただ、架空世界を舞台に、ライトノベルだからこそ書けた作品という点では、ある程度の達成感があります。1巻の後書きの通り、現実の歴史的事実などに縛られないというのもありますが、多くの登場人物が、自分が属する集団(国家・民族・企業など)の利益を超える目的に同調するというのは、現実世界に則っていると描きにくいものです。
 理想的すぎる、青臭いとも言える結末ですが、こういうものを描ける事がライトノベルの意義というか、メリットのひとつだと私は考えています。それこそ『黄金記』で触れた通り、「だって現実はこうなってるんだからどうしようもないじゃん」って言ってしまうのは、冷静に達観しているようで実は安易な事だと思うので。


 さて、お気づきの方もいるでしょうが、4巻の後書きでも触れた通り主人公グループ5人の編成は古典的なRPGに準えてあります。エシィール=勇者、サモリ=戦士、ファスキル=魔術師、ファリン=僧侶もしくは精霊使い、エコー=盗賊、と対応させればご理解いただけるでしょう。もちろん、単に対応させた訳ではなくて、商売に必要な最小限の人材を考えていたらリーダー・実務・参謀役・自然の情報・社会の情報&交渉という顔ぶれになったというのもありますが。

 以前、掲示板でも質問のありました各キャラのモデルや、名前の由来などは下記の通りです。引っ越しなどで構想時のメモが紛失してしまったため、不正確なデータもありますがご容赦を。また、モデルとは言っても元の人物を全体的に反映させたというよりは、断片的なイメージを利用しただけのケースがほとんどです。

・エシィール:名前はイタリア語で「人間」を表す言葉から。モデルは坂本龍馬……というと意外に思う方も多いでしょう。一般的にイメージされる「飄々とした風雲児、自由人」という龍馬像ではなく、商人だからこそ国家(藩)に縛られず、大胆な発想で乱世を収束させられる」というところを龍馬から借りた、というか、元々持っていたアイディアの補強になったというあたりでしょうか。例えば「剣の使い手でありながら、個人の武力の限界を知り、商業に活路を見出す」というあたりも龍馬からヒントを得た部分です。
 坂本龍馬という人物は、司馬遼太郎氏が作品に取り上げた事で初めて世間に知られるようになったそうです。ある方から「半島の歴史が実際にあったとして、エシィールも正当な歴史書に残っているのではなく、断片的資料から汲み上げて、作家がイメージを膨らませて小説にするような存在なんじゃないか」というご意見をいただきましたが、そのあたりも龍馬っぽいのかも知れません。
 ちょいと妄想を暴走させると、アル=マンの王子が落城以来消息不明である事と、半島再分割の隠れた功労者にエシィールという若い商人がいた、というのが「史実」で、両者が同一人物であるってのが想像力で繋いだ部分って感じでしょうか。
 なお、デザイン上の特徴である後ろ髪は「性格が優等生的なので、外観に何かアクになる要素を」という担当さんのアドバイスを受けてのものです。最後にああいう演出になるとは、4巻に取りかかるまで作者自身も考えていませんでした。このあたりもシリーズ物ならではの経験ですね。

・サモリ:19世紀のスーダン一帯で反植民地運動のリーダーとして活躍した「アフリカのナポレオン」ことサモリ=トゥーレから名前を拝借しました。これは「半島=ヨーロッパ風」「群島=アラブ、アフリカ」と区分けしたので、群島出身者の名前ははっきりと非欧州系にしたかったからです。同じ理由で、サモリの父であるクワメも「ガーナ独立の父」と呼ばれるクワメ=ンクルマから名前を採りました。ただし今にして思えば、植民地支配に立ち向かったアフリカの英雄の名を、金髪碧眼の王子に忠実に仕えるキャラにつけたのは無神経との誹りを受けても仕方ない事かも知れません。
 もっとも、借りたのは名前だけで、性格その他については特定のモデルはありません。実直な軍人というイメージで固めたキャラですね。
 二刀流はとにかく「強い!」という雰囲気を出したかったからで、一方でただの筋肉バカにもしたくなかったので自在索という器用な武器も持たせてみました。

・ファスキル:昔読んだ、アラブ世界について書かれた本の「ファスキル=競争に勝てない馬、負け犬」と記述が妙に印象に残っていて、それを名前にしました。
 身体的な欠損を持ち、汚れ役的な部分まで引き受ける参謀という事で『銀英伝』のオーベルシュタインの影響が無いと言ったら嘘になります。
「作品世界に異なる複数の文化・民族が存在する」という事を強調するため、サモリとファスキルを異民族・異人種にするのは最初から考えていました。ただ、服装に関して「半島=カラフルでスタンドカラー」「群島=白が基調で、折り返した襟」という区分は1巻口絵での安曇さんのイラストに触発されて設定が膨らんだ部分です。

・ファリン:ネーミングは特に意味無く、語呂だけで決めました。ただ、ちょっと無国籍っぽくというか、東洋的な響きにも聞こえるようにしたつもりです。漢字なら「華鈴」ってあたりでしょうか。モデルも特にありませんし、先にエコーのイメージが固まっていたので、それとの対比や、サモリやファスキルとのバランスを取るように形成されたキャラというのが正直なところですね。
 こういう「控えめなヒロイン」というのは実は苦手なタイプでして、ちょっと気を抜くと仕草の描写とか『石ハ』シリーズの紘枝につい似てしまい、自分の表現力不足に頭を抱えたものです。
 ラストの展開に関しては(多少の変更はあったものの)当初から決めていた事です。エシィールという淡泊であるが故に公正でいられた人物が、直接自分が「憎む」相手に対してもフェアさを貫く事ができるか否か……という事が最大の問題ですから。だからこそ、2巻のエピソードで布石を打っておいたのですし。
 読者の方にある種の不快を与えてしまうリスクは承知していますが「作者に愛された主人公があらゆる状況に助けられてハッピーエンドになる」タイプの物語にはしたくなかったのです。

・エコー:名前はもちろん「木霊」の意味ですが、女性キャラの名前にしたのは、語源であるギリシア神話の妖精のイメージも。ネコ系で身軽、中性的で赤毛のショートカットという割とパターンキャラのような気もします。ちょっと反省。
 一度だけ登場した愛用の楽器・ハーディガーディは耳慣れないでしょうが実在のものです。中世風ファンタジーで楽器というとだいたいが竪琴かリュートなので、敢えて珍しいモノを出してみました。
 なお『黄金記』では、複数の国・言語・文化が存在するという事をスムーズに理解してもらうべく、敢えてキャラの名前などをヨーロッパ各国風にした一方で、用語や固有名詞を漢字表記にカタカナで英語風のルビを振るのは極力避けました(例えば、次項で挙げるルーヴォ軍艦の名前とか)。ですから、彼女の名前だけ「エコー=木霊」という対応があるのは、実はちょっとしたミスだったりします。

・レオ=スガルバトス:名前の由来はこれもエシィール同様イタリア語の辞書から適当に引っ張ってきました。確か「傲慢な獅子」というような意味だったと記憶しています。
 苛烈な侵略者でありながらある種の公正さを持ち、視点を変えれば故国の英雄であり、ある意味で名君とも言えるというあたりは織田信長あたりを無意識のうちに引いていたかも知れません。まあ、ナルナネラ群島へ不必要な野心を抱えているあたりは晩年の秀吉の方に似ていますが。
 なお、ルーヴォという国の名はイタリア語の「狼」に由来します。ただし、強大な侵略者っぽくするため半濁音を濁音に変えたりしてます。狼がシンボルなのはローマ帝国からのイタダキですが、紋章の「有翼狼」は『ビーストウォーズ』のパタパタ犬ことシルバーボルトから。だから旗艦が「銀矢=シルバーボルト」という名前な訳で(ルビを振ろうかとも思って結局止めました)。他の鑑の名前は作劇の都合で決めましたが、3巻でエシィールとアドリアーネがプレイしているカードゲームの名前もトランスフォーマーからです。ま、出しゃばらない程度のちょっとしたお遊びって事でご容赦を。

・オルシディア=スガルバトス:名前は本編でも触れた通り「蘭」という意味。モデルというほどではありませんが「能力がありながら、世界に積極的に関わる事を躊躇している」というイメージは司馬遼太郎氏が『最後の将軍』で描いた徳川慶喜をヒントにしています。半島再分割は、言ってみれば「セルフ大政奉還」な訳ですね。
 最初ははたち過ぎで考えていたのですけれど、友人に相談した際に「ファリンとエコーが10代前半で、数少ない女性レギュラーの残りひとりが20代ってのは間が空きすぎ」とのアドバイスをもらい、年齢をちょっと下げました。その分、後から登場したアドリアーネの「オトナ度」が上がったのかも知れません。

・アロナス=ジオデベルデス:えー、こいつには明確なモデルがいます。某超メジャーアニメの仇役のひとり……というか、より正確に言えば放送当時に入手した同人誌で、カッシュのモデルとコンビでアレンジされていたそのキャラ。ふたりとも、名前も風貌もかなりモデルを直接反映していますので、まあお気づきの方がいらっしゃいましたら、黙っていていただければ幸いです。

・メルセウス=ヴァルター=ヴィルゲンセス:「歴史のキャストとしての自分」を常に意識しているあたりは、オルシディアから零れた徳川慶喜の一面が反映されています。権力者の子弟でありながら機会に恵まれず、チャンスを待って己の才を磨く野心家というあたりはチェーザレ=ボルジアでしょうか。
 名前は学生時代にTRPGで使っていたキャラのものをアレンジしての流用ですが、そもそもそは田沼意知をもじって付けたものです。もうほとんど原型留めてませんけど。

・アドリアーネ=ポントス:実は当初の構想の中には存在していなかったキャラです。2巻の詳細なプロットを立てる段階になってワムゼーの豪商の中でエシィールに協力する者が必要になり、1巻で名前だけ出てきたポントス家というのを活かす事になった次第。で、先に登場していた女性キャラの中にいないタイプという事で、黒髪で艶っぽく、自分の美貌や色気まで武器にできるしたたかな女、という事になりました。
 普通なら目尻か口元に艶ぼくろを付けるところでしょうけど「瞼の上にほくろ」という描写になったのは某マンガのサブキャラの影響です。もっとも、似ているのはほくろと髪の色だけで、その他の外見も性格も全然違いますけど。名前はギリシア神話のアリアドネと映画『ロッキー』のエイドリアンから。脈絡なく語呂だけですね。

・ジョルジオーネ=ロレッツォ:実は彼も企画書段階では存在していなかったキャラ。最初はカンナビスの性癖やルーヴォ支配下体勢での官僚の腐敗などを描くための必要から生じたのですけれど、具体的な名前を付けたあたりからイメージが徐々に膨らんでいって、結局物語のラストにまで関わるようになりました。私の場合、この「命名」というのが結構重要な行為で、ちょい役から脇役、脇役からメインキャラへのステップアップに影響する事がしばしばあります。ここだけの話、シリーズがもっと長期化していれば、さらに重要なポジションに就く予定もありました。
 ただし、その名前は「何となくイタリア系っぽく」というだけで、特に意味のあるネーミングではありません。基本的にアル=マンはイタリア(及びスペイン、ポルトガルなどの南欧)、ルーヴォは古代ローマ風、ウージリア人はドイツ語風の音を多用……という事で多民族性を出したかったのですけど、上手く徹底できなかったのは反省すべきポイントですね。

・カンナビス=カロス:この物語最大の問題人物。「主人公が商業の力で敵に立ち向かう物語」を最初に着想した時、ラスボスとして立ちはだかるのはレオ(の原型である軍事的征服者)でした。しかし、構想を煮詰めていく段階で「むしろ商業=非生産業のダークサイドを代表する者こそが最後の敵ではないか」と考え、この男が浮上してきたのです(その結果、父の仇であり、祖国を奪った敵が主人公とまみえる事無く病死してしまう、という少なからず盛り上がりに欠ける展開になってしまったのは私のミスですが)。
 とにかく「生産しない者」である、というのがアイデンティティで、同性愛者であるとか、鳥を飼っているとか、全てのディテールはそこから派生しています。
 なお、外観のイメージは「アロナスのモデルになったキャラの同僚」とは関係ありません。長い銀髪、細面というのは『天空戦記シュラト』の夜叉王ガイのイメージです。いや、キャラの構想をまとめている時点で「声はやっぱり子安武人氏かなぁ……」とか思ったもんで。
 カンナビスはケシの花の事。カロスはギリシア語で「美しい」という意味。

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