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平成21年11月

**私が 私で あるために** **

最近 、ひょんと 人から自分が動じることを 突然言われても 動じなくなった。

まったく 動じないといえば、うそになるけど、

私が 愛する人には 幸せでいてほしいし、 いつでも笑っていて欲しい。


私には やるべきことがあり、 ここ1年でも 色々 学ぶことが あった。


今でも 泣きたいときには 泣くし、 思い切り がはは と笑うけど、

今まで 苦手と思ってた 人の 笑い顔が 思い浮かぶようになった。


そうすることで、自分も楽だし、 ほんとに その人も 幸せあってほしい と思う。



元々 掃除魔では、あるが、 更に 加速度してきた。

掃除することが 好き?なのは、 その時間 集中できる。

後、掃除 することで、 自分の 汚れも落ちるような気がする。


同級生と比べ、同じ40台と比べ、 母にもなったことがない私は いまだ あまあま ですが、


ここ、1ヶ月 いろんなとこ、いろんな場所に行くたびに 特に掃除しまくった。


ことで、 不思議と 怒ることが なくなってきました。


日常の 一瞬すれ違う人に 心揺るがされるときは、自分にも 原因があるんではないかと思います。


自分の人生、 一瞬 であったちょいとしたことで イライラするなんて なんて もったいない!


なーんて 思えるように なってきたかな。


それが、 今の私の 生き方になれたら、 続けられたらと思います。

 
果里
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みかんかりん
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平成21年10月

**思ったことが形になる時** **

最近不思議な現象が起こる。

ちぃさいことばかりだが、思ったことが形になるのだ。

ティシュ忘れたと思った瞬間、ティッシュ配りのお姉さんにもらったり、


何気に母が子供の頃作ってくれてたやすっぽーいホットドック(失礼)が

何故か食べたいなぁと思ってたら、翌日実家に行った時、今までこんなことないのに
「ホットドック久々作ったよー持って帰る?」と作ってくれてて
20年ぶりくらいその味を堪能したり、


プレゼントってほどでないけど、ある方二人(全く別件)にその方に関連する果のCDをプレゼントしたら、
(お一人は直接その方の奥様が好きな曲をお渡しした)

「かりんちゃん…今日は家内の誕生日なんだよ!」て言われたり、


またある静岡在住の方に、ひょんなことでお送りしたところ、

「今日は私の誕生日だったんですよ!思わぬプレゼントになりました!」

と、メールが来たり、


友達で「元気かな」と思ってたら

ひょっこり連絡入ったり、


やっぱり友達で
「元気かな」と思ってたら

思わぬとこでばったり会ったり…



プチシンクロが続いています。


こんなことが起きるときは

決まって



心穏やかなとき。


心掛け次第だね〜〜。


 
果里
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美しい) IGN=CE

平成21年9月

**立場に立って初めてわかる** **

実家にいる ブログでもよく登場する犬のターミー。
 
ターミーは とっても臆病さん。
 
年上の犬のサチ、サッチャンが亡くなってから、
 
もう外で お庭で 一人でいることができなくなってしまった。
 
おもいっきり 中型犬ですが、 ネコたちと一緒に
 
ウチの中 お庭へと 行き来するようになったターミー。
 
 
最近は ネコのフク子と 私が2年前拾った ウタ しか入れない父と母の部屋にも
 
行き来する始末。
 
 
猫達に負けじと かまってかまって攻撃してくるターミー。
 
そして 雷がなると、 ウチの中に作ってる犬小屋にいちもくさんに入り、
 
猫達よりも丸くなってる。
 
 
考えてみると 大型犬もうちにはセリカ、アリス、カーリンといたが、
 
中型犬の サチも チビも コロも 家の中にはいりたかったろうなぁ・・と思う。
 
 
弱くなってからは みんな家の中でこの世を去ったけど・・。
 
 
 
そんなターミーは 外に出て 車にもびくつく。
 
 
(もう、臆病だなぁ・・)と思ってたけど、最近 「目の高さ」に関して曲を書いた時思った。
 
 
子供の目の高さで物事考える。
 
 
その目の高さを 犬の目の高さまで下げて見る・・・
 
 
人間や建物は大男で(へんな表現だけど、伝わるかな)
 
ましてや、 早いスピードで 自分の目の高さ
 
 
想像しただけでも こわうこわい・・・
 
 
 
 
「あぁ・・・ターミー ごめんね」  と思った次第なのでありました。
 
 
 
自分の環境に慣れてると それが当たり前になってきてしまう。
 
その立場に立った時、初めて気付くことが 沢山ある。
 
 
ターミーに 気付かされた ワタクシです。

 
果里
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ターミー とミー(右) IGN=CE

平成21年7月

**何度も何度も **

先日、NHKさんで チンパンジーの親子の子育ての特集を放送していました。

チンパンジーの赤ちゃんは 人間のようによく笑い、親子の愛は固い絆で結ばれています。



人間と違うところといえば、まずチンパンジーの赤ちゃんは 5歳でやっと母乳がとれること。

そして、親は決して叱ったりせず、教えることは覚えるまで何年もかけて繰り返し行動をとり、教える。


人間は 褒めもしますが、いけないことは、いけないこと  と、叱るというしつけもする。


でも、チンパンジーの大人は 子育てでストレスがたまっても、子には決して当たらない。(他のものに あたったりする・・)


子が覚えるまで 何度も何度も 親は行動を見せて教える。




例えば、実を割るのに、石の上に、実をのせて 他の石でかち割る。

1歳の子が その中味をすぐ食べても、怒りもせず何度も実を割る。


その繰り返し、繰り返しで 3歳頃 ようやく子供も石の上に乗せることを覚え、

5歳で自分で実を割れるようになる。



そこまで ずっと ひたすら 親は行動で教えるのです。。


すごいなぁ。。




そして、チンパンジーの赤ちゃんは よく笑います。


それは、大人のチンパンジーが 笑って コミニュケーションを とろうとするから。



すばらしい。



 
果里
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また茶棚に・・

平成21年6月

**いつかは誰もが **

いつかは、誰もが 死を迎える。

早いか 遅いかはあるけれど 確実に死はやってくる。

永遠の命なんて ないし、  逆に永遠の命をいただいても どうしたら良いのかわからなくなるような気がする。


無論 、早すぎる命は又悲しみも人一倍で、

、 痛みを伴う命は、 ご本人も大変で、

これが 神様の修行なら なんて 冷たい修行・・なんて思ったことがある。



だけど、

私らは みんな、寿命が 決まっているから、

生きている時間を 大切にし、形ではなく、


「生き方」が大事しなければなんだ   と思う。





「生かされてる」 といいますものね。


最近 その意味が ようやく わかってきました。





今日も、 目覚めたことに感謝して、

無言で教えてくれる、

自分から 生きよう としている方々に感謝して。


日々、 過ごしたいと思います。



今日も、 自分にも  ありがとう。



 
果里
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ありゃりゃ かわいい。

平成21年5月

**それぞれの価値観 **

人それぞれ、感動する部分も違うし、

ましてや、生まれ育った環境、生き方さまざまに暮らしてる。



私は私の 感動する部分があり、

ある人が感動する部分を その人が望むとこまで感動できないこともある。



何故 空を見て 何も 感じないのか、

何故 TVのドキュメントものを見て共感できないのか、

と それじゃあ だめだめと、 自分のモノサシで計る人も いるけど、


ある方にとっては、子供を大好きなことが 喜びであったり、

仕事に 没頭することが 生きがいだったり、


まず、私の尊敬する人たちは、自分のモノサシで 他人を比べたりしない。



だから、 どんなに離れていても、めったに逢えなくても、 

そういう方たちと お付き合いが続いているんだろなぁと思います。




今日は 実家に行く前に 私の大好きな場所に いっぱい 葉裏を 感じにいってこよ。


にこっ。

 
 
果里
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フク子、ぶたちゃんになってます。

平成21年4月

**動く〜やらなきゃ 始まらない **

私の周りの仲良しさんたちは 行動派が多い。

物事 何か始めるのって パワーいるし、そりゃ準備も大変。

でも まずは、自分から、腰を上げないと 誰も腰を持ち上げてくれない。

でもでも、自分で歩み出したら 沢山の人々に支えられ、行動していることに気付く。



ある時、 「動く」と  何かしら 問題が出てくる。

でも動かなきゃ 問題も起きない。

泣きもしない。笑えもしない。


私も そりゃー 毎日笑ってたいけど、
(勿論今日笑えば明日につながるのだ。これ基本。)

どっちか 選ばなきゃいけないんだったら、

「きれいな服を着た人形に生まれるより 明日の我が身などわからないノラネコに生まれたい」

と、思う。


「もう一歩」って曲で そんなこと 書いたな。



感じたいんだと思う。 



いつも、いつも。



自分の中の「動く」行為を止めてしまったら、もしかして平穏無事な日々かもしんないけど、

逆に 心に 穴が開きそうで お顔の力がぬける。


勿論無意味でなく、考えて 動かねばだけど。



動く、  そして、待つ  ときは、  待つ。


私には、プロモーション能力は ないが(汗)、


歌のこと、自分のこれからのこと、


一歩 明日も一歩 踏みしめられたらと 思います。


今日も がんばろー



 
 
果里
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がんばろー

平成21年3月

**今日の日に笑えたら 明日も笑える**

「今日の日に笑えたら明日も笑える」

新しく書いた曲、
「心のありか」の一節です。



昔、誰かが言いました。

何か大きい嬉しいことがあると、


「運、使い果たしたね。」


その時は「(それは困る)」と思ったりしていましたが(笑)
そんなことはないと思います。


今日が笑えるから、明日も笑えるんだと思います。


全てといえるかわかりませんが、
未来起こることは、無意識に(意識的なとこではなく)
自分が想ってることが起こっているような気がします。


不安になれば、不安を呼ぶ。

怒りをもてば、怒りを引きつける。

気持ちを穏やかに保っていると、心が安定してきます。
心が安定してくると、安心に変わります。

安心すると確信にも変わります。

そして、自分を信用できるように、好きになります。

すると笑みも自然にこぼれます。

嬉しい気持ちでいれば、また嬉しいことがやってきます。


しかしながら、時として神様はお試しを与えられるようで、
穏やかに過ごせるときもいらいらの根元をぽいっと目の前にさらすことがあります。


ちょい前、ブログで紹介した良寛さんはいつもいかなる時も
穏やかで、そして凛とされてて、最後は聞くものの中に入り込まれる。

良寛さんがその場から帰られた後もなんとも優しい空気が流れていたそうです。



そうだ、そうだ、
私の代表作でもありますが、「祈る」でもいっておりました。。



「未来は全てあなたが描く心中次第」


未来は私が描く心の中次第…

忘れちゃだめですね。


力まずに、自分の進む道を歩んでいけば

日毎、喜びは増えるのではと思います。

減ることは ないと思います。



明日の未来を作るのは

誰でもなく、自分ですものね。

 
 
果里
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飾ってくださって、ありがとございます。。

平成21年2月

**役割 。**


みーんなひとり残らず
「役割」を持って生まれてきてんだと思う。

それが感謝するとか、日々元気でいられるとかは、とっても大事な役割で、
いつのまにやら、普通でいる事が当たり前になって、欲が出てくる。


その「欲」の部分での
役割。


私は、その役割ができてない気がして、歯痒くなるときがある。



歌とか、プライベートとか、そんなとこじゃなく、

私が私である役割。




それでも、

今日、

見知らぬ人に

小さなことでも

「ありがとう」と声をかけられた時、

今日をほっとする自分がいる。



みーんな

毎日

役割がある。


役割は、毎日みつけられる気がします。


人は、 一瞬でも、必要とされるから、


今がある気もします。

 
果里
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大好きな絵

平成21年1月

**愛しましょう 。**

あけましておめでとうございます。

今月でやっと42。
早くこの年になりたかった。
欲を言えばもう少し年をとりたい。

年明け早々、固い話ですが、
生かされている命、大切にしたい。

昨年はまたもや良くない念を想ってました。

身内に体にいらぬものができてしまい、
独り身の私だから
守るものもないから、
本心から私にその病気が移ればよいと思い念じてました。

手をつないで人生を歩いてる二人が辛い想いするくらいなら、
独り身の私が被れないかと真剣に昨年一年間想っていました。

その念じ方の間違いには気づいているものの、
身代わりになることで済むのならと毎日祈りました。


途中わかっていたことですが、なんて親に失礼なことをしてるのだろうと思うと、
何度も心配かけている親を思うと、涙がぽろぽろと零れました。



歩ける、

話せる、

生かされている・・・

という言葉は私にはまだまだ重いので

生きられることに感謝して、

今年を迎えようと思います。


いまだ、まだまだ人間できていなくてへこむことも多いけど、

何度倒れようと
何度転ぼうと

泥の中から這い上がる蓮の花のように

負けない自分でいたいと思います。


私は私。

果里は、ひとりしかいないよう

皆、ひとりひとり、
一人しかいないんだから。


今年も皆さん自分を大切に、
自分を沢山誉めて、

愛してくださいね。   

今年も毎日、笑顔の日々でありますように。

 
 
果里
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フク子と一緒に。うし果里

平成20年12月

**今年 。**

今年を振り返ってみて
 
 私自身は あまりいつもと変わらず 日々過ごしてきましたが、
 
私の周りでは 沢山の変化がありました。
 
 
嬉しい出来事 と、 悲しい出来事と。
 
 
嬉しい出来事には 一緒に喜べる喜びを 感じましたが、
 
悲しい出来事には、  何も できませんでした。
 
 
 
誰でも 明日何が起こるかわかりません。
 
日々 大切に 過ごしたい と 思うこの頃です。
 
 
 
私は 今年、何か 人の役に立った部分は あるんかいな と
 
またまた、振り返ってみると 何もないような気がします。

それでも とにかく 
 
とにかく 時間のある限り、元気でいたいと思います。
 
 
 
 
 
書きかけの曲 
 
仕上げなきゃ。
 
 
来年も、  歌います。
    よろしくお願いします。
 
 
 
果里
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フク子達共々来年もよろしくです。

平成20年11月

**体力が落ちてるときこそ 。**

「体力が 落ちてるときこそ 」
 
風邪引いたり、体力消耗している時、思うように身体が動かなかったりすると
気分が下がり気味になったりする。
 
考えなくていいことを考えたり、果の場合、喉が腫れたりすると
たちまち、気分が歩まなくなる。

昔みたいに おちたままにならず、 腫れたときは腫れたときの歌、
お客さんにとっては 関係ないこと。
声がでなけりゃ それが 自分の実力だっ とある意味
開き直ることができるようにはなったが、
やはり 体調崩すと マイナスな要因にずるずる ひきずられることがある・・。
(いや、自分がひきずってんだな)

 
風邪を引いた時、体力を落とした時こそ、 いかに 自分を普通に保てるか、
逆に 有効にその時間を使えるか、 何か知らせてくれてるんじゃないだろうか、
お試しどきなのかな。
 
 
ぎゅっと 思った事は 人間の身体はちゃんと記憶して、叶えてくれる。
マイナス要因程、 ぎゅっ と思いがちだから
そんな時は、
「今は 休むときなんだ〜〜この間に普段できない事をやるんだもんね〜」
ってな感じで切り替えると、逆に元気になった時に
忙しさを理由にできなかったことができたり、
健康の ありがたみを 実感することができる。

時間が経つのは おんなじだもんね。

 
体力が落ちてるときこそ 精神を鍛える絶好のチャンス。
 
 
と、反省ながら 思う果里でした。
 
果里
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ジガーより、里子で実家に来たでっかくなった金魚達

平成20年10月

**願ってもないことを軽く口にしてはいけませ〜ん**


 
 
人間の潜在能力とはすごいもので、よくよく身体はおぼえてくれてるし、
そんなに 思うなら・・と現実の世界にひっぱっていってくれる。
 
なかなか 自分の中で良き事と思ってることが叶わないのは
どこかで「叶わない」と思ってるからかな。(もちろん努力あっての話)
 
ただ 今回は 果の反対の意味での 体験で
かるーく口に出しちゃいかんと 反省した出来事です。。
 
年に何度か行うツアー。
日を空けず 連続でライブいれるので、 とにかく体調管理には気をつける。
 
というか、 勢いと緊張感で どんなに 疲れていても
想いの方が勝って 初日 のどの調子が悪かろうと
歌えば歌うほど、日毎 調子が 良くなっていく。
 
 
んが、毎回 最終日の長崎ライブは一旦 五日ほど間があいてしまう。
その間に まだツアーはおわってないのですが、連続のライブの間なんで
ひょろり、気がぬけてしまう。
 
 
今回の旅では最終日の横浜ライブ終了後、つい 友人に
 
「毎回 長崎ライブまで 間 少しあるから つい気がゆるんじゃって風邪ひくんだよねー。きをつけなきゃ〜」
 
なんて、言葉にだしてしまいました。
 
 
はい・・ 見事に 今回も 長崎ライブ前 体調崩してしまいました・・
 
声が出るようになる為 、またもや いろんな方のお力をいただき・・
 
 
やはり 「不」の「負」の気は 普段の心の中もですが
 
軽々口にだしちゃいかんな と 反省した次第で ありました・・
 
反省!
 
 
 
果里
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妙理ちゃん、お客さんがいるほう見て歌いなさいっ(笑)

平成20年9月

**東京のお母さん**


 
16年前上京し、始め新宿に近い幡ヶ谷というところのマンションを借りた。
 
当時 事務所が六本木にあり、その八ヵ月後(親が小さい頃から貯めてくれてたお年玉をここで使ってしまう・・)
 
渋谷から4つめ学芸大学駅前の 碑文谷公園前に住んだ。
 
4年ほど経ち、 日当たりが悪いのが どうも苦手で 同じ学大のアパートに引っ越した。
 
日当たりはいいは、お部屋は6畳と4畳半
 
トイレ お風呂別、 キッチン1kで なんと水道代込み75、000円、そして!なんとなんと更新代無し・・・(トーキョーじゃ考えられない・・)
 
部屋の中は 昔ながらの大きな柱 そして畳。(ここはかかせない) 
 
大家さんは1階に住まれてて とても 仲のよい おじいちゃんとおばあちゃん。

 
おばあちゃんは 「ただいま〜〜!」といつも大きな声で 玄関に入る。(この声が2階の果の部屋まで聞こえてくる)
 
その声が可愛くて、 羨ましくて 声が聞こえるたび 微笑んでる自分がいた。

 
おじいちゃんは 畳職人で いつも 畳の前でお仕事をされてた。

 
お正月は勿論の事、 時々 ごはんのおかずをお鍋に入れて 持ってきてくれた。
 
いつからか おばあちぁんの事を 東京のお母さんと呼ぶようになった。
 
 
 
随分前 果が体調壊して ご挨拶もせず、急遽長崎に帰ったことがあった。
 
 
それから東京のお母さんは 長崎の果に毎日手紙を書いてくれた。
 
その手紙には 励ましの言葉で沢山だったけど一部、
 
「今日は午後から雨です。のせいでしょうか。私の大切な足も痛いのよ。もういや
          いたいのいたいの飛んで行け」と言いたいです。」
 
 
ここに 東京のお母さんの 寂しさが 出ていた。
 
果はそんなこと気付かずに その後書いてあった 「元気ハツラツになられることを祈ります」の文字にしか、目に入らなかった。
 
 
 
果が東京離れる半年ほど前から 東京のお母さんの様子が変わった。
 
何度も入退院を繰り返し 大好きな詩吟の練習する声も聞こえなくなり、一度お家賃を持っていったとき
 
いきなり果の手を握り締め「さみしいの さみしいの。」と泣かれたことがあった。
 
果は黙って手を握り返したけど その時も 東京のお母さんの気持ちがわかってなかった。
 
 
 
具合がわるくなられても 電話かけてきて 「私足痛くて持っていけないから お鍋をもってきて」と
 
ごはんのおかずをくださった。
 
次第に 東京お母さんは あまり話しをしなくなった。
 
 
お父さんに お具合を聞いても 笑って「大丈夫ですよ」というばかりだった。
 
 
 
果が 長崎に帰る日 東京のお母さんは 休まれていた。

 帰り際 処分しようと思ってた果が使ってた木のベットをお父さんが見て 「お母さんにいい?」と もらってくれた。
 
お母さんに会えないのはとっても名残惜しかったけど 普通のお具合ではないので、 起こしちゃ悪いと思って おとうさんだけご挨拶をしてそのアパートを後にした。
 

 
長崎に帰り半年後 果の母が久しぶり 東京のお母さんに電話をした。
 
電話に出たのは お父さんのほうだった。
 
母も珍しいな と思いつつ 「奥様はお元気ですか?」と聞いたところ お父さんは 「はい」と答えられた。
 
年賀状も出した。でも 東京お母さんからのお返事はなかった。
 
翌年  ライブで上京した際、お母さんに会いたくなってお土産持って チャイムを鳴らした。
 
出てきたのは お父さんだった。
 
「おかあさんはお元気ですか?」と果は お部屋を覗き込んだ。
 
 
 
東京のお母さんは 亡くなっていた。
 
果が長崎に帰った2ヵ月後に亡くなられてたのだ。
 
 
 とても愛してくれるお父さんが傍にいて なんで「さみしいの」と泣かれたのか、あの時はわからなかった。
 
 
 
 
今迄どんなことがあっても後悔は一度もしたことがない。
 
仕事でも恋愛でも 「あの時はあーしかできなかった。今はそのおかげで気付かせてもらった事がある」と思える。
 
突然失ったものでも 最後は笑顔を向けれたからと どこかに後悔してない部分がある。
 
 
でも  初めて 後悔した。
 
 
 
お父さんがお茶を入れてくれ 少し話しをした。
 
果のベットが奥の部屋に見えた。
 
 
 
 
 
いつも 笑顔で迎えてくれてた 大家さん。
 
 
     「私だって ガンバッテマス」
 
 
 
果里も これからも 何があっても 負けません
 
 
東京のお母さん 感謝です。
 
 
果里
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手紙

平成20年8月

**教えられた事**


 
教えられた事
 
ありがたいことに、果は「子供」と時を過ごす時間が仕事の中でもプライベートでも多々あった。
 
20代は幼稚園に勤めていたこともあり、当時のみんなは一番大きい子で26歳。
 
最後にさよならした子でも21歳かな。
 
早いものです。
 
 
子供たちと過ごして、「感じる」ということを教わった。
 
大人の目線にはない そんな大人も子供時代経験した 感じる心。
 
その心に大人になった今 触れられた時、 身体から優しくなれる。
 
 
20年程前 その幼稚園で果が3才児さんのクラスを持っていたときのお話。
 
子供たちと触れ合うときは、 先生であり、友達であり、たまにはだだこねたり、
 
母にはなったことはないが、母の気持ちでと接することを心掛けてた。
 
ある日  とても落ち込んでた日、

子供たちには ばれないようにとしていたつもりが、
 
一人の園児さんから (当時一番からだが小さかった女の子、みほちゃん)
 
「はらせんせい、どうしたと?」   と聞かれた。
 
普段から 友達としても接していた果は 
 
「お友達とケンカしたと。」と言った後、彼女の前で涙がぽろぽろ零れてしまった。
 
すると みほちゃんは
 

「おともだちなら また おともだちになれるよ」と言って 

果の頭を なでなでしてくれた。
 
傍にいた もうひとりの女の子も 頭をなでなでしてくれた。
 

果は「そうね そうね・・・」と泣きながら 返事をしたことを 覚えています。


 
3才児さん担任持つことが多かったのだけど、、 

子供たちから 沢山のことを学び 今に繋がっていると思います。

 
果のへたくそなピアノで元気よく歌ってた子供たち。
 
今でもたまにライブで童謡や唱歌を歌うのは その頃の影響が強いのだと思います。
 
 
 
小さな子供たちから  大きな心 を教えられたこと。
 
果の人生をひとつ 変えた時間でした。

 
あーしかし! 日々反省の毎日です。
 
 
さぁ  ツアーの準備 しなきゃ。
 
 
 

果里
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志龍くんと ちゅっ

平成20年7月

**手あて 3**

果里の書く最近の曲の中で、よく 「手」 がでてくる。
手のぬくもりはコトバを感じるから。
2回程 「手あて」を題材で通信を書いてますが、
3度目の 手あて・・
 
 
信頼する手の平には、お医者さんにも治せないチカラを持っている。
逆に信頼していない手に触れられると、逆に体の生気も吸い取られてしまう。
気がする。
 
よく 癖かなんだか知らないけど 誰の頭でもすぐ撫でる先輩がいる。
本人は悪気ないんだろうけど、女性にとって髪を触られるってことの
重要さわかってない。(特に果は髪に関しては過敏)
 
また、 逆に 女性が喜ぶと思っている人もいる。
(やっぱり先輩でいた。勘違いさせるだけなんだけどな・・)
 
髪は女の命 っていうけど ありゃほんと。肌を、命を軽々触ってるってことだからね。
 
 
若い時は違うけど、 例えば今は、彼氏が他の女性と遊びに行こうと何しようと平気。
「いってらっしゃ〜〜〜い」って感じ。 信用してるから。
ただ他の女性の髪を触るのだけはいやかな。
41になる今でも。
 
前も通信で書いたけど 愛する人の手の平が肌に触れると安心する。
 
子供の頃 小児気管支喘息でよく ぜーぜーいってた時、
父親や母親に撫でてもらって 楽になった気がしたのをなんとなく覚えてます。
 
昔の人は「手当て」とは よく言ったものですね。
 
これからも 「手」は歌の中で登場してきます。
 

手あて  素敵な言葉です。
 
果里
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尊敬する!?長谷川直樹(右)、CDでました!(おそい!)amazonでも購入可(宣伝)左 検本さん頑張ってます

平成20年6月

**あきらめる事も必要**


 
ずっ-と子供が欲しかった。
 
人に聞かれる度、 「まだまだ大丈夫」「まだまだあきらめませんよー」
 
なんて答えてた。
 
 
「果里はむりー!絶対むりー!!音楽やめられるのかー」という人もいるが、(笑)
 
今は 高齢出産も多いし、まだまだ 大丈夫よ と周りの方達と話をしていた。
 
 
 
一時は (引かれるかもしんないけど...)、 子供服をみては 思わず手にとり、
買ってしまってた。
 
なんでうちには ベビー服が 何枚もあったりする。(笑)
 
 
 
 
年齢を重ねれば重ねるほど
 
年々 想いが強くなってた。
 
 
 
 
だけど、
 
ふいに最近思ったのが、 果には 子供がいない生き方での幸せや痛みを学ぶため
 
又 ここに 生まれてきたんかなと思う      ようになった。
 
 
 
 
親にならないと 
ほんとの意味での親のありがたみも わからないのかしら・・と思いつつ、
 
前向きな あきらめも必要かなと。
 
 
 
6月1日は フク助の命日。
 
3年目かな。 
 
早いな
 
 
たまごをお供えしないと!(生たまごの黄身が大好きでした)
 



果里
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あかちゃんの頃のフク助

平成20年5月

**安心感**


 
ずっと欠かさない週間は眠る前に祈る事。
 
昔は自分だけのことで精一杯だった。
 
「どうぞ、あーしてください。こーしてください。そいでもって こんななって こーありますように」
 
 
いつからからかなぁ 
一日に感謝し、(つい忘れがちになってしまうからな)
 大好きな方々の事を祈るようになった。

大好きな人たちにはいつも、幸せ感じててほしいから。


 
 そこで気づいたことは、人の事を祈ったことが 早く叶っている確立が大きい。
 
 我以外の方(親、兄弟も含め)の事は
どこか客観的にみれるところがある。
 
その願いが 優しければ優しいほど。叶っていってる。

 
 「どうしてもこうしなきゃ」と思うことは 執着になり、
 
感謝の気持ちも忘れ、人のせいにし、どこか マイナスの方へもっていかれる。
 
ような気がする。(そういっぱい経験した)
 
 
自分の 未来を信じ、今を大事に過ごしてると
 
自然に笑みもこぼれ、 安心感が 身体をまとってくれる。
 
 
ただ、果にまだまだ 無理なのは
 
苦手な人、どうしても合わない人のことを 
 
口では、意識的な心の中では、(たぶんこれは自分の為に)
 
「○○さんも幸せでありますように」と思いつつ、
 
心底は願えてない自分も わかってる。
 
 
あぁ、これが心底思えるようになれれば 
 
生かされている意味が あるのでしょうけど・・
 
 
 
まだまだです。  果里。
 
 
いつも、いかなるときも 心に安心感を 持っていたいな。
 


果里
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あたまにフクのすずチリン

平成20年4月

**-今日の私が死なずにすんだのは、久しぶりに褒められたから-               遠藤響子さん 詩より **


この詩と出逢った時、一度やめようと思ったウタを、続けるきっかけになった。
 
20代後半 The Water Is Wide〜悲しみの水辺〜という曲に出逢い、いつか必ず歌いたいと思ってた。
 
それではじめたギター。
 
それから、自分を見失いかけたとき、 自分のお尻を何度も叩いてスポ根で ウタを続けようとしてた。
 
歌いたくなくても 歌った。
 
やめちゃうと 負けた気がして。
 
その頃、前々から 遠藤響子さんのファンだった果は響子さんのコンサートへ行き、 このウタに出逢いました。
 
 
 
「今日の私が 死なずにすんだのは、久しぶりに褒められたから」
 
 
なんとも 単純明解な表現。
 
表現するということは、 聴くもの見るものに多大な影響を与える。
 
果は 最後の最後まで 響子さんのようなウタは歌えないし、響子さんのような詩はかけない。かもしれない。
 
それでも、 「表現していきたい」と 背中を押されたこと 覚えています。
 
 
 
 
 
甘えはいけない。 自分に甘えてはいけない。
 
その上で 久しぶりに褒められたから  を感じたい。
 
 
今も 、多少 スポ根根性の部分はある。
 
そこで歌ってる部分もあるかもしんない。
 
それでも やっぱりまだ 歌いたい自分がいるから、 旅にもでる 気がします。
 
 
 
自分を客観視できるときと できないときが まだ ある。
 
 
本当の 意味で自分を許し、邪念がなくなったとき、 
 
自分と向き合えるような気がするかな。
 
 
 
 
「久しぶりに 褒められたから。」


果里
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しがみついとります・・・

平成20年3月

**ばあちゃんと、今の私**


2月末だったか、ずっと寒い日が続いてたけど、ひょんと暖かくなった。

ボイトレが14時半からはいっていたもので、長崎市の鍛冶屋町というあたりを歩いてた。

ふいに、 母方のばあちゃんを感じた。

いつも、おうちでは 二人のばあちゃんに お線香をあげてるから(忘れるときもある。ごめん)、

毎日顔は お写真でみてんだけど、ぽかぽかした寒空の中、

向こうにばあちゃんが立ってにこにこ こっちをみているような感覚になった。



ばあちゃんが亡くなって随分経つけど、子供の頃からばあちゃんがいつもいってた。

剣道で いつも決勝戦までは行くんだけど、最後の最後に負けてしまう果に、


「かぁ、 負けるもんもおるけん、勝つもんもおる。2番になるもんのおるけん、1番もおるとよ」


そいで帰り際 ちりし に包んだお菓子を 曲がった指先で きゅとねじって 持たせてくれてた。



ばあちゃんを感じて 41になった果と当時のばあちゃんが 会って話しをしてるとこがでてきた。


ばあちゃんの手の感覚は今でも覚えてるし、41の果の手を握ってくれてる感覚もなんだか感じた。




     「ばあちゃん 今だ、成長しとらんとよ、 年とるばかりで、なんも変わらんとよ・・」




ここ何年かで 母が ばあちゃん そっくりになってきた。


又 ばあちゃん傍に感じてたとき、 「少しは 成長できたよ」と 胸を張っていえる 自分でありたいです。

果里
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果から生えるフク子

平成20年2月

**それも、私**


「私」という曲をお正月書いた。


私

自分の頬が まんまるくて嫌いだと、
長い髪で隠して過ごす時期もあった

嫌われたことあったから、気の強いとこ隠して、 
隠してるつもりで全部ばればれだったりする。

悲しいこと触れるたび 人のせいにしてしまう。
何度も立ち止まっては、胸を痛めた。

まあるい頬も、人を許せない自分も、今考えてみても
「どうだろな?」って思うけど、
それが私で、それも私だから、
今日も 頑張ってみます。


「あいつの歌なんて!」って コーヒー1杯で
批評続ける歌い人?を 嫌いと思う自分が嫌で

子供が欲しくて、「なんで私にはいないのよ?」って
道行く親子連れを 羨ましく思ったりする・・

なんにもないことくらい 幸せな事はないのに、
当たり前に慣れてしまい、不幸と感じる・・・

やっぱり どうだろなって 思ってしまうけど、
これだけは言えます。「生まれてきて よかった」
いっぱーーーい泣いて、いっぱい笑って
今日も頑張ってみます。

今日も頑張ってみます。

明日、晴れると いいな・・・



ツアー、中目黒に着き、お昼からのライブだったので、朝方ホームに降りた。
階段を降りようとした時、駅の掲示板の 1行に引き付けられ、思わず大きな荷物を持ったまま足を止めた。

「余命1ヶ月の花嫁」というタイトルの中に「明日が来るという奇跡」というフレーズが書いてあった。

毎日が当たり前すぎて、普通にも満足行かず、何してんだろうかとよく自分に問いかけることがある。
こんなことで落ち込むのか、そんなことを不満に思うのかと考える度、自分がどんどん価値のない人間にみえてきてしまう時があった。

意地悪な日があろうが、むくれようが、泣こうが、、全て私。
全て 私。

ある時から そんな自分も受けいられるようになりました。

そんな全てを認めたくて、いやいや、認めてるから 書いてみました。





「明日が来るという奇跡」 
ほんとにその通りです。
ほら今日も来た〜と目覚めても、それが当たり前のことになってる。

溜め息をついたりして、、おいおいわかってんのかと自分に言い聞かせながらも、
眠るときは「今日も ありがとう」と毎日言ってみる。



明日が来るということに感謝しながら、

何度 転んでも、 自分から転んでも

立ち上がろうと思います。

たまには 寄り道しながらね。


果里
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なんでそんなにかわいいの?・・・に噛むの?

平成20年1月

**あきらめない**

あけまして おめでとうございます。
今年の 目標ー 
もとい、今年も 目標

「ひとつ、ひとつを 大切に」
初心の気持ちでがんばります。


11月発売日頃だったかなぁ。
お花をいただいた。

ちょうど 土だけ残っている鉢があったので、いただいたお花を主役にしてくれてる
葉っぱだけのものをその植木鉢に差し、毎日お水と太陽の光を当ててみた。

普通で考えると、無理なんだろけど、 どっかで信じてる部分があった。


元をみてもらえると一番わかりやすいのだけど、誰がみても「これは根付かないな」といった感じ。


でも 水を与え続けてみた。



そして 1ヶ月とちょろり・・


・・・・なんと 差した茎の横から、新しい かわいらし〜芽がでてきてるではありませんか!

思わず おうちでひとりで 大騒ぎ。


すごいすごいすごい!  それが ちいちゃい 赤ちゃん葉・・



この時、再確認しました。

あきらめなければ、 道は出てくる。

行動もだけど、心の底から 信じることも大切。

それが 明日こようが、1年でこようが、10年かかろうが、40年かかろうが、

「継続は力なり」 再認識しました。


途中で形は変わってもいいから 信念を持つことが、自分の人生の勲章となり自信になる。気がする。


何からでも 教えられるのですね。 ありがたい。


今年も どうぞ よろしくです。




果里
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つよいね

平成19年12月

**やさしいお顔**

先日 犬のサチが亡くなった。

左胸に大きなドッチボールくらいの腫瘍をぶら下げてた。
歳もとっていたので手術すると体力がもたないとの事で手術しないでいた。


サチ一人じゃ寂しかろうと、2年程前 子犬をもらってきた。
 
母が若い頃飼っていた犬の名前「ターミー」と名づけた。

ターミーがきてから サチのお顔も明るくなり、元気が出てきた。



又うちの実家には6匹の猫がいる。

6匹もいると みんな性格、好き嫌いもさまざまで、人間と一緒。
意地悪いこもいれば、いたずらばかりする子。
そして 誰にでも 優しい子もいる。

ゴミ捨て場で拾った ラッキー はとても 心優しい。

子猫が新しく来たら わが子のように 毎日抱いて眠り、遊んであげる。

フク助が亡くなる前もずっと付いててくれ、フクが亡くなった後もやはり 傍にいてくれたラッキー。

今回 亡くなったサチの頭を 起こすように 頭を手で突いてたのもラッキーだった。



ラッキーのお顔は優しい。

果はふと、自分がイラついている時、鏡をみて ぎょっとする時がある。

とても 醜い皺が 縦に伸びている。

本来、「皺」とは その人の歴史が刻み込まれるものと思っているから。。


その度 「あーいかんいかん」と反省していますが・・・




ラッキーは やさしい。

やさしい から お顔もやさしい。


ラッキーを 見習わなければ。。

果里
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やさしい。

平成19年10月

**あたりまえのこと**

今こうやって、自分で パソコンのキーを打ち、 文章を目で追い、横では CDからの音楽に耳を傾け、
 
お腹が空いたら 好きな時に食事をとり、おトイレにも行きたくなったら行く。
 
手も足も 身体全部自由に 動かせて、 悲しいときは 涙も流せる。
 
光も あり、 水も あり、 何もかも つい あたりまえの事のようで、
 
 
「痛いの、悲しいの、なんでわかってくんないの、なんで自分ばっかり、、、」と
 
勘違いしてしまうことがある。
 
 
一呼吸置いて 自分を 客観的にみれば、 「なんて 幸せな人生だろう!」と 思える。
 
 
例えば、風邪を引いただけで 寝込んでしまっただけで、 普段のありがたみを ひしひしと感じる。
 
 
欲を出して、子供が欲しいと今もあきらめてないけど、 出来なければ出来ないで それが私の人生。
 
 
 
「ありがとう」ということばは 好きだけど、 言い忘れていました。
 
 
自分の 目にありがとう。 
 
 
耳にありがとう。 
 
 
手や足に ありがとう。 
 
 
信号を出してくれる身体にありがとう。
 
 
今日も 目覚めてありがとう。
 
 
 
病気で戦ってる人も 沢山 いる。
 
自ら 生きようと 見上げている。
 
まずは あたりまえに生活できている私達が 懸命に 日々を 過ごさなきゃ。
 
 
忘れちゃいけない。
果里
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かわいいなぁ

平成19年8月

--自分--

ずっと負けたくなかった。
人とかじゃなく、自分に負けたくなかった。

果里にとって 詩の中にでてくる 「あなた」というのは
自分に対するメッセージで有る場合が多い。ことに気付いた。

「茨の道に迷い込んだとしても、刺さる棘も飲み込んで我の力・・」、としなさい果里。
「未来は全て 貴方が描く 心の中次第」よ、果里。
「花よ花よ、心で開け、求める幸せはここにある」んだよ、果里。


あたしは、負けたくなかった。
あることがきっかけで 絶対 負けるもんかと思った。

意地悪なところや 妙に醒めてるところがあるのに
いつのまにか、優しさばかりをアピールしようとしてた。


もう少し、自分に正直になりたい。



先日、21歳のお友達が 

「果里さん、月の中にうさぎがいますよ〜」とお月様を指差したから

果が、人前で「うさぎさーーーん!!」と、でっかい声で叫んでお月様に手を振った
ら
その子が「は、はずかしい・・」と顔を赤らめた。


そんときは、 本当にうさぎさんに 聞こえる と思うのです。


いつでも正直な自分でいたい。



これからも 負けないけど、 服を一枚 脱ぎたい。
果里
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出逢えて、よかった。

平成19年7月

**優しさ**

果里通信にも 良く出てくる、

「ひとつ、ひとつ、大切にする」ということ。


自分にも言い聞かせているからでしょうか、

それがどのような状況であっても、「ひとつ、ひとつ」。



又、今回のツアーで あらためて感じさせていただきました。

今回お世話になったオレペコ企画の岸田さん、

ここ6年程 関西ツアーの際はお世話になっている。

少し変わったとこもあるが(良い意味で、笑)、どのアーチストに関しても

どんな状況でも、なにがあろうとも手を抜かない。

今までサポートしてくださってる方たちや、

今回、お世話になったさねよしさんを始め、ピアノの島田さん、Vio.のなほちゃんも

当たり前のことなんだろうけど、きちんとやる。

曲を大切にしてくれる。



名古屋では、ある方にお世話になった。

仕事にもならないことに 仕事同然一生懸命接してくださった。

予定にないことでも急遽 動いてくださり本当に助かった。


それは、安売りすることではなく。。。


例えば、果も どこでもかしこでも唄わない。

変な意味でなく。。。

決まったライブに全力を注ぐ。

勿論 時と場合のよって、そこに「心」が見えたとき

どこででも飛び入りで、「こちらから唄わせてください!」と 唄わせていただく。

それが路上でも。

唄う限り、一切 手は抜かない。



今回のツアーで 又感じたことは

物事 懸命にやる方の 真髄には 「優しさ」がある。

厳しい面も兼ね備え、皆でよくなろうとする優しさ。

見た目の優しさでなく、身体から 涌き出てくる優しさ。


あぁ まだそんなとこまで 果は到達できてないけど、

そんな人々に囲まれて とっても幸せに思います。

感謝。
果里
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隠れてるつもり。

平成19年6月

・・噂話・・

今回はちと 悲しいお話。

いつも 果里通信は 「見上げる」をコンセプトに書いていますが

今回は 許してくださいね。書かせてくださいね。


故郷へ帰ってきて、すごく思う事は

噂話が多い。

それも、どちらかと言えば よくない意味で。


いろんな方の話も何故か耳に入ってきたりする・・


今年に入り、 少しまいってた。

でもそれは、もっと強くなりなさいと、今の自分に必要なことなんだと、言い聞かせた。

自分も反省する部分もあり、又 教えられた。


ただひとつ、つい最近耳にして力が抜けたのは、ご挨拶程度であまりお話もしたことないけど、

お若いのにしっかりしてるなと、人として好感持っていた男の子が、

果の仕事の取り組み方等、 みたことないはずなのに、

仕事に関して 妨害するようなことを関係者に話されていた事。


今まで、働き出して20年間・・

仕事は何の仕事でも、 気を入れて働かせていただいてたつもり。

何の業種でも、うわべだけの愛想笑いの仕事だけはしないよう心がけてきたつもり。


そうしないと 歌う意味がない。


言われるってことは自分にも責任があるんだろうけど。




なんだか  悲しくて    笑ってしまった。



あんまし、今まで そういうことがなかった。


若い方も、 先輩方も 職種に関係なく、誰かががんばろうとすると

周りはみんな 応援した。

競争率が激しい世界で、

みんな必死だから

逆に足をひっぱるようなことはしなかった。

自分がしっかしてれば問題ない。

それが世間一般で言う、地位があろうとなかろうと

関係なかった。

人のアラをみつけ、つまみにすることなんてなかった。

子供の頃のようないじめはなかった。 

こう話している、果自身も よくないのでしょうが。。


ただ、救いと言えば、

家族や家族同様の友人は勿論の事、 果里が働かせていただいてる

職場の方々があったかいこと。

ボイトレにきてくださっている方々も一生懸命で

いつも何か 気付かせてくださる。。。



6月1日はフクの命日。

命に代えて 命のありがたさを教えてくれたフクに恥じぬよう

肝に銘じなければ。


ツアー先では沢山の方々にお世話になります。

感謝しつつ、、 我を反省しつつ、、


見上げると 視界が広くなる。


深呼吸したら、見上げます。
果里
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平成19年5月

***ルール***

果里を含め、「ルール」を守れない大人が多い。

学校のときみたいな、 靴下の長さ、髪の毛の長さ(眉についちゃいけない?襟についちゃいけない?)

そういうルールは 別として、人としての「ルール」を忘れがちになってしまう。

前、お友達のちーちゃんが1年生の頃、二人で歩いていたときの事、

信号のない横断歩道で どうみても車がくる気配はないのだけど、

右みて、左みて、もう一度右をみて 手をあげて渡る。

果もちーちゃんみて 慌てて手を上げたのを覚えてる。


子供はしっかり守ってる。

大人は何故だか守れない。


お酒を飲んだら 車を運転しない。

何事も、慣れたと思って 油断しない。

慣れたと思って 悪い方に甘えない。

果も反省点が多々 あるなぁ。。


ルールを堅苦しいものと考えず、

人として、 守らなければ。
果里
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平成19年4月

0 今日が最後  の気持ち 0

先日 レコ発ライブを行った。
今回は長崎だけで行った。
よくよく考えると、 レコ発で 一人ライブは(オカリナのさおみさんが2曲参加してくださったものの)初めてだった。
いつもに増して 緊張した。

果は ライブ中に次のライブやツアーの告知をした。
告知をするのは当たり前だけど、
ライブ終了後、ジガーのマスターの松尾さんとお話してて、
ひとつ 忘れちゃ いけないことを思い出させてくれた。


「今日を最後だと思って唄う。」

いつも 「ひとつ、ひとつ、大切に」と言いながら、
どこかで次のライブの事を 無意識に考えてる自分がいることに気付いた。

ふだん自分では気をつけているつもりの
「未来は全てあなたが描く心の中次第」=「ひとつ、ひとつ、」は、
イコール「今日が最後」くらいの想いで過ごす。

そのくらいの気持ちを持ってたいとあらためて 思った一日でした。

だから いつも 心から 笑ってたいな。

日々 「今日が 最後」 の気持ちを持って。
果里
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金魚さんを狙ったりしてます。
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フク子はえりまきになったり、

平成19年3月

**魔法の言葉 3つの「しい」**

ここ最近、 なんだか毎日忙しい。
お休みなしで 動き回ってるのも なんだか久しぶりだ。

ひとつ、いやだなぁと思うことは、
朝ちょろんと、夜ちょろんとしかギター弾けないことだ。
時間がなくて ネックしか握らない日もある。それは さびしい。

でもあんまり身体は、きついと感じない。むしろ、身体が軽いくらいだ。

なんでだろなと考えた。
もちろん、周りの方々のお蔭でもあるが、もうひとつ肝心な理由がある。。。



何もなくても、毎日「うれしい、たのしい、やさしい」と感じるようにしている。
最近 腹立つことってないけど、ちとでもそのスイッチが入りそうなら
「うれしい、やさしい、たのしい」と何度も、言葉にしたり、胸の中で思うだけで、
「あーたいしたことじゃなかった。大丈夫だ と思えることもある。

人間の身体はよくできていて、ストレスがたまらないと病気になりにくい。
忙しいながらも なんにもなくても「たのしい、うれしい、やさしい」精神で過ごしていくと、
事が起こる前に やさしい気持ちでいると、 物事 良い方向に流れて行く気がする。


言葉ってすごいもんで、例えば・・・
毎日 「うるさい、汚い、ふざけるな」なんて思っていると、
言葉に出したりしていると、
「気」はもちろんの事、
不思議なくらい あまり嬉しくないことが起こり始める。

でもたまに・・・いつも、良い法に向いてても、神様がいるとしたら あえて 試練を目の前に
ぶらさげる事も、あるかもしんないけどね。



また ぽつり思う事。

「何事も、今の自分は、自分が作り上げているんだな」って事。



「うれしい、たのしい、やさしい」

素敵な 魔法の言葉ですよ。
果里
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箱入り娘

平成19年2月

**スピード**

今回はお仕事にまつわるお話だけど、 事の運びがスムーズで(今回の登場人物曰く当たり前)
ほんとに気持ちい仕事をしていただいてるお話。

三月発売予定のシングル製作にあたって、デザイナーさんとの間のお話を進めてくれる一人の友人がいる。
彼は とても信頼している友人の一人で、仕事でもプライベ-トでもきちんと約束を守ってくれる。
(もちろん 緊急辞退とかは別だけどね)

仕事で言えば当たり前かもしんないけど、
その日の連絡事項、細かい指示、何度もの連絡の取り合い、
果の精神面のメンテナンス(お話聞いてくれるのだ。ははは、すまん)

早いから、ちゃんと予定通りにすすんでいく。(もし、発売遅れたらそれは果の入稿が遅かったからですです)

だからと言ってお仕事だけじゃない。友達としての約束もちゃんと守ってくれる。


これが当たり前なんだよね。 当たり前なんだよな。


何人か知り合った方で 口ばかりで 後はほっぽらかしー状態の人がいる。
始めは「やろうやろうやるぞやるぞ」と言ってて こちらが動かないと、・・・いや
いやこちらが動いても動かない。

始めから 勢いで言うのなら、後からやらないでぐちぐち言うくらいなら
 「口ださないで」 と言いたくなるときが有る。  かっこわるいしね。

動くときは さっ と動く。

物事決めたら焦ってはいけないけど(例えばミッキーのCD作りとかは別! 
                       ほんとに時間かけて心のこもった
素晴らしいCDが出来あがりました)
やる と決めたら やる!

やると言ってやんなかったら 約束破ることになるから。


のんびり 葉裏を眺めながら立ち止まる事も果の中では大切だけど、

決めたら 身体のスピードを大切にすることも・・・ 大切。

やるときはやる。



これからも そうでありたい。
果里
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うしろにおります

平成19年1月

**出逢い**

昨年12月上旬 渡部さんという方のご紹介で、インディーズ×××クラブという 
インディーズの方の絵やお洋服等を展示するすごく素敵な空間と出会えた。
入り口はなんだか入りにくそうなものの(わざとそうしたそう)そのお店の お二人
から発せられるのか なんともいえない癒し感がある。

お店の内濱さんは 「絵」も教えていらっしゃるのだが、また これがとっても味の
あるセンスをお持ちで、版画でいろいろな方々の作品をTシャツにして販売もされて
いる。

その内濱さんから、ある青年の個展があることを告げられ、「そこで歌いませんか」
 との話になった。

唄にしても、お洋服にしても、絵にしても 必ずまず見て、聴いてからでないと身体
に吸収できないのだけど、
なんだろな、まだ絵も見ぬうちから、「こちらこそ 是非!」とお願いし、個展での
果里アンプラグドライブが決まった。


身体が 感じた。 なんかわかんないけど、「キット つながるものがある」って
思った。

何日か後、絵が届いたとの事で 見せていただいて、

・・・やっぱり 身体が泣きそうになった。 嬉しくて。

クレパスで何十にも重ねているその色は 彼の「言葉」だった。



12月17日個展ライブ当日、ご本人がお見えになられない代わりに彼のお母様がお
みえになっていた。

果里の唄を聴き終えたお母様が一言。

「息子がいつも思っていることを歌われていました」

そして 果里もびっくりしたのが、MCで「葉裏のそよぎを眺める事が 身体が生き
返るのですよ」 みたいなお話をしたところ、

息子さんも、何時間でも 葉裏のそよぎを眺めていることが一番好きだということ
だった。。

ふぅーって   身体が軽くなった。  あー。。 おんなじ気持ちだ。。



彼とは、今はまだ お逢いできる時ではないかもしれないけど、お逢いしていなくて
も

果里は 握手しているぬくもりを感じた。


彼は素晴らしい表現者で、 ご自分の気づかぬところで、人を癒し、人を幸せにして
いる。


元々 人は、言葉に出さなくても 会話はできる生き物と思うから。


また ひとつ、「出逢い」に感謝して。
果里
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「も、フーしていーぃ?」
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「フぅーっっ」

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