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デブで花粉症らしいけど元気いっぱい/カルデロン・のり子さんのこと(090307)
この不景気の時代に,アタクシの体重は高値安定。(^_^;) それと,このところついに人並みに花粉症になったらしく,ハナタレでくしゃみが出て,何より目がかゆいのがうっとうしい。まいるなあ〜。でも,首から下は元気いっぱい。胃腸快調。5日(木)・6日(金)と長女が帰宅して泊まっていたので,精神的にもご機嫌。
本日7日(土)は,三遊亭円生さんのCD『圓生百席』を返却し,また新しいものを借りるために光が丘図書館に。家を出たところで,よく見かけるけど名前がわからない鳥を撮影(上左)。ムクドリ。多分。上右と下は光が丘公園のウメ。満開でございます。白梅の中にメジロが2羽おり,撮影したのですが,うまく写せませんでした。小さい上にチョロチョロとよく動く。残念。
本日はいい天気。スカッと青空(下)。
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帽子・サングラス・マスクという,いつもの犯罪者スタイルで公園内をウロウロ。それでも何となく目がかゆいし,くしゃみが出ます。イカンであります。アタクシは鉄工所の鉄粉の中で育ってきたから花粉なんてへっちゃらと思ってきましたが,実家を出てから約30年も経ってるんで,抵抗力がなくなって来ている模様。しゃあねえなあ。これも老化の一つかな。左はサンシュユ。これも満開。遠くから見ると“大きなロウバイか?”なんて思ったりするかも…。 |
さてさて。この週末に私は1つ「生活上のワザ」を増やしました。これまで洗濯物のうち,タオルについては教わって(おすわって…というのが圓生さんの発音)格好良くたためるようになったのですが,服がうまくいきませんでした。カアちゃんに「おせーてくれ」と頼んではいたのですが,なかなか教えてくれず(そういうことを面倒がる時点で,カアちゃんが「仕事」があまり得意じゃないことがよくわかる。他人に仕事を覚えさせてしまえば分業ということができ,自分も楽になるんですけどね),ちとゲッソリきていたのですが,長女に教わりました。はは。ほぼ基本はマスター。下がアタクシが本日たたんだ洗濯物。左上の服が「新ワザ」ね。何にせよ,新しく何かができるようになったり,新しいことを知ったりするのは楽しいですね。
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カルデロン・のり子さんのこと。3月6日の日本経済新聞朝刊「春秋」によると,不法滞在のフィリピン人両親の間に生まれ,日本でしか生活したことがなく日本語しか話せないカルデロン・のり子さんという13歳(中学1年)の娘さんがおり,彼女の一家は,全員で帰国(のり子さんにしてみれば“出国”)するか,両親だけ退去するかの選択を,この9日までにしなくてはならないとのこと。春秋子は「法務省や入管は特別な前例をつくりたくないのだろうが、この二者択一のほかに手はないのだろうか」と,控え目記述。事実関係を単純にこれだけのことと理解するとして,だとすると,私は法務省や入管はもちろんのこと,腰の引けた春秋子の言い方もちょっとなあ〜と思います。
この事件において最も重視されるべき事項は子供のことでしょう。子供に罪はない。子供優先で考えましょうよと言いたい。法務省の役人は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という憲法前文をご存知ないようです。こんなときに大岡越前とか遠山の金さんがどんなお裁きをしたか,落語ででも学んでほしい。裁判と行政処分は違うとかの屁理屈はなしね。似たような事例から何を学ぶかってのが大事。何で子供から親をひっぱがそうとするのか? 子供にとってこんな可哀想なことはないんじゃないでしょうか? また,「じゃあ家族でフィリピンに行けよ」というのもあまりにもひどいじゃないですか? こういうときに助け合うのが社会のセーフティ・ネットというものでしょう。
金がなくてもこういうところがしっかりしていれば人は生きていける。長屋の大家と八っつぁん・熊さんの関係みたいにね。「お一人様の老後」どころか,生まれたときから頭の足りない貞吉や与太郎を温かく受け容れる社会がついこの間まで,この国にはありました。少なくとも私の周りにはありました。「困ったときはお互い様(おたげーさま)だ」と,私の周囲の人たち(父母伯父伯母叔父など)は,ごくごく自然に,頭の足りない人,貧乏な外国人(主に半島の人たち),年寄り,身体障害者(戦争で負傷した方)と接しておりました。そんなことができるのは,わが家わが一族に少しは余裕があったからかもしれませんが,ノブレスオブリッジ(noblesse
oblige)とかスカしたことでなく,ごくごく普通に,今でいう社会的弱者(ヒドイ命名だ!)と共存しておりました。私が子供の頃は,いわゆるセーハクの人に「あめえは頭が足んねぇんだから,こういうときは人に聞け」なんてね,オトナ達が言っているのを普通に耳にしました(今ではその“人”が信用できない。まったく不幸だし,大きな社会的負のコストであります。
私たちは今やゲーム理論の「囚人のジレンマ」の最悪のケースを前提としてしか行動できない。人口が半分になったって生産性が100倍になれば経済的にはどうってことはない。でも,囚人のジレンマの最悪の状態で多くの人々が生産活動に参加するとしたら,ミクロでは世界的な評価を得る人も生まれるでしょうが,全体として,マクロの“国力”だの“GDP”は伸びないでしょう。
自分の家のことでなくても,目にすれば「ばあさん,あぶねえから,そら(それは),おれがやるよ」なんてね。こうして思い出すと,本当にわが一族は格好いいんだ。「ボロは着ぃててもぉコぉコロぉのぉニシキん」だね。しかし,この「空気」というか「風土」というか,矜持こそが,この国の宝だったハズ。個人も企業も,お天道様や世間に恥ずかしくない生き方をするのが当たり前だったんですねえ。この前提がなかったら,私たちは自給自足するしかなくなっちまうんですねえ。
随分話が飛んでしまいましたが,カルデロン・のり子さんの件については,ここで,この家族を人道的処分によって救うのが「平和国家・日本」にふさわしい行動だと思います。
子供をまず救った上で,親には適当な理由をつけて懲役でもなんでも別の制裁を課せばいいじゃないですか(親が国内にいるというだけで子供はかなり安心できると思います)。官僚は法律どころか憲法ですら自分たちに都合よく読んで誤魔化せるんだから,こんなことはとりわけ法律に強い「法務官僚」にはお手のものなんじゃないですかねえ? あるいは厚生労働省の年金記録や薬害肝炎の患者リストみたいに,どうなったかわからないとかそんなものないとか,こんなときこそスッとぼけちゃえばいいのにねえ〜(あ。これは言い過ぎか。「あるいは」以下は発言を撤回させていただきます)。怪談じゃないんだから,親の因果を子に及ばせてどうすんのよ? 管轄外のことにも平気でイチャモンをつける目つきのよくないコワ〜イ太ったハトに言いつけるぞ!
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