僕らの嘆きがどんなに深く/桃の節句(090303)

 こんな詩の一片を見つけました。正俊が亡くなったときアタシが思ったことと,ほぼおんなじだ…。

僕らの嘆きがどんなに深く
地上の誘いがどんなに美しくとも
きみはもうはつきりと神なのだ
だからもし 僕らのひとりが
いつか 君の近くに昇りついたら
どうか いつまでも苦しませずに
ほんのちょつと手を貸してくれ

中桐雅夫「鎮魂歌 ―牧野虚太郎君の霊に」より
(『中桐雅夫全詩』〈思潮社1990.3.1発行 p.396〉)

 はは。中桐雅夫さん『中桐雅夫全詩』という本があると知って,新宿区の図書館から借りたんですな。こんな言葉があるような気がしておりましたが,本当にあったので驚きました。本書の最後に収録された年譜を見たら,こんなことが書かれていました。

 慢性アルコール性肝臓障害で,1983年8月11日真昼,63歳で「彼は床にちらばった本
の上に倒れ伏して死んでいた」(『美酒少し』中桐文子)

 詩人・中桐雅夫さんはアル中だったに違いない…。何だか一気にこの方のことがわかったような気がしました。それはともかく。この詩のこの部分には,まったく同感であります。先に逝かれた方は,先に車から降りてドアを開けてくれる運転手さんのように,われわれが天国への階段を昇るときに助けてくれるよね,きっと,と思いたい。それを詩人はこのように言うのですねえ。

 そうそう。先に逝った人に力を貸してもらって,逝くならなるべく苦しまないでスカッと逝きたい。ピンピンコロリだ。死を思う人の理想…。

 でも,その反対に,黒澤明の「赤ひげ」では,その死を認めがたい子供を救うべく,井戸の底に向かってその子供の名前をみんなで呼ぶ,泣かせるシーンがありました。あのシーンにはまいりましたねえ。涙がドカッと出ました。どっちもアリだ…。

 今日はひまなつり。もとい。ひつなまり。もとい。ひなまつり。桃の節句。ちなみにモモを買ってきました(所帯を持って初めて)。もっと花が咲いているように思っていたのですが,帰ってきてよく見たらつぼみばかりでした。
 私はウメとモモの区別がつかないのですが(モモをゆっくり見る機会はこれまでなかったのです),よく見ると幹の様子が全然違いますね。ウメの幹は結構ザラザラです。でもモモはツルツルシットリ。サクラの幹はそれはそれでオシャレで味わい深いですが,モモの幹はごくごく普通にスベスベで美しい。モモはシャネルとかの匂いはしないけれども石鹸のいい匂いがする,そんな感じでございますねえ。
 いろいろな種類のモモがあるのでしょうが,わが家のこのモモは随分赤い花が咲きそう。楽しみだなあ〜。

 下はヒイラギナンテン(柊南天)。

 下はジンチョウゲ(沈丁花)。

 ようやく,やや元気が出てきました。アタクシ。


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