義父退院。(090208)

 ぼうこうのがんをレーザーで焼く手術のため入院していた義父が退院。

 本日の東京は,冷たい強い風が吹いていたものの晴天。病院の談話室からは上のように富士山が見えておりました。10:30頃病院に着いて11:30頃には出ていました。義父を迎えに行ったのは,義母,義姉(3人姉妹の長女),ツマ(3人姉妹の三女),わが家の二女と私。

 義父の希望で,すぐには家に帰らず昼食に。皆で焼肉をいただいた後,わが家の近所の義父母の住む建物の駐車場に入ったときに,義姉が,義姉(3人姉妹の二女)のことを義父に話しました。義姉の,温かな心遣いに満ちた慎重な言葉づかいによる報告を,義父も冷静に(もちろん“表面上”ということなのでしょうが)受け止めてくれました。私は車の運転席で前を向いていましたので,皆がどのような表情をしていたのかわかりませんが,わが家の二女が泣き出すようなことがなくてよかった。

 私だけ自動車に乗って帰宅。息子用の黒いネクタイがないというので買い物に。ついでに近くの梅林に。甘い香りがして,もう五分咲き以上。

 ぼ〜っと梅を眺めながら“今頃は,もう正俊の一周忌が始まっているな”と思いました。つい約1か月ほど前には,この2月6・7日は,勤続25年ということで会社からもらった旅行券を,銀婚記念に転用して,夫婦で松山に1泊2日で行き,この日は正俊の一周忌に出る予定でした。でも,義姉の容態がよくないことがわかった後,松山については,飛行機の予約だけしていたものをキャンセルし,正俊の「御仏前」については,先週の水曜日に正俊の弟に渡しました。私にしては対外的パフォーマンス,上々。

 上右はロウバイです。足元では真っ赤なボケが咲いてもおりました。

  君ならで 誰にか見せむ 梅の花
       色をも香をも 知る人ぞ知る
(『古今集』紀友則)

 今日は一緒に幼稚園に通っていた,1つ年上のいとこの命日。1963年のこと。私と並んで横断歩道の手前にいたはずなのに,横断歩道上で自動車にはねられ(私は,いとこがはねられたところは記憶になく,黄色い傘が舞い上がった映像だけが頭に残っています),そのまま亡くなってしまいました。いとこは4月から小学校に入る歳でした。

 何だか力が入らない。でも,明日は通夜,あさっては告別式。ここはね。しっかりしないとね。オヤジらしくね。


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