さらば正俊,さらば2008年。(081231)

 2008年,私は50歳になりました。多くの同級生も,早生まれのツマなどはまだ40代ですが,O君やKちゃんなど,当たり前だけど同様。同窓会でO君が言う「○○チャン,いつ会ってもきれいだね。いくつになった?」というギャグが,2008年は特に可笑しかった。みんな半世紀も生きられてよかった。これからもそれなりに頑張ろうな。

 この歳になると社会的ポジションや収入などで随分差もつくけど,ま,ま,それはそれとして,健在なおかげで,男女を問わず,話したり手を握ったりできることがうれしい。昔はこの,手を握るってことすらできなかった。40歳ぐらいになってから「君のこと好きだったんだ」とか言って30年かけてね。手を握ったりするのね。はは。で,これがかなりうれしい。

 私なんか初恋のYooちゃんはじめ,マミコやウシオダさんとかカオルちゃんとか小学校のとき好きだった女の子のほとんどにまだ,会えるんですな。これでイトダ先生に会えれば最高であります。同級の女の子たちも可愛かったんですが,新任の(だから22歳ぐらいの)超美人(グレース・ケリーみたいだった)のイトダ先生が花に水をやるかで下を向いたとき,ブラウスの間から白いふっくらとした乳房が見えてしまったことがありまして,これは私にとってかなり決定的な「女性体験」となりました。女性のどこを見るかということについて,よく男友達と顔・足・スタイル・尻なんてことで盛り上がりますが,私の場合は何と言っても「胸のふっくら」なのでございます。

 ちなみに,私ら夫婦が結婚の報告に母の実家に行ったとき,バアチャンがツマのお尻を撫でて「元気な子が産めそうだ」と言ってくれたのが,とてもうれしかった(バアチャンは「尻」派だったんですね)。その1年後,曾孫として,ホントに元気な女の子が生まれました。おかげさまで,その子はつい先日,年女で24歳になりました。色白のふっくら系。イトダ先生にはかなわないけれど,私から見れば,何で独身でいられるのかよくわからない。彼女が言い出しっぺになってくれて,私のオフクロ様と妹と3人でディズニーランドに行ったりするのであります。頭が下がる。有り難い。こういうことをヘラヘラとできる色白のふっくらを,私は愛さずにはいられない。あの聡明で美しかったキャサリン・ヘプバーンのお父さんが,娘に何と言っていたのか知りたい。娘のことを思うと誇らしくて鼻の穴が膨らんじゃうんだけど,根っこのところはやっぱりだいぶ心配。金はないけどオヤジ臭い,お前が泣く胸はあり,お前の髪を撫でる手もあるぜ…ってなところでしょうかねえ???

 さてさて。そんなこんななわけですが,2008年,私たちは,仲間のシンボル,健康優良児で中学校の生徒会長だった正俊を失ってしまいました。私にはこれが思い切りコタエました。長女が生まれたとき,涙を流して喜んでくれた180センチ100キロ。亡くなったときは60キロなかったと御母堂様がおっしゃってた。ふぅう。「無常」とかヤスパースのいう「限界状況」とか,オレらも「いい歳」こいてるからそこそこわかっているのに正俊は,だめ押し的にというか蛇足的に「そのこと」(無常とか限界状況)を身をもって教えてくれちゃったんだな(君はイイヤツなんだが,この辺のセンスが全然ないのな。今度生まれたときはもっとうまくやれよ! いきなりパンツを脱がそうとしたら犯罪だ。手順をきちんと踏めという話。笑)。

 わたくしの心には,40代半ば頃から,2002年に父が亡くなったりして,“埋めようのない大きな穴”がボコボコ空いてきておりますが,正俊のせいで,またさらに,かなり大きな穴が空いてしまいました。オトナになるというのは,おそらくこんな“大きな穴だらけの心”で世界を見て,皮肉屋や虚無的になるのではなく,小林一茶のような境地になることなのでしょう。

 我と来て遊べや親のない雀

とかね。この孤独に慣れること。「さびしからずや道を説く君」と私ナンゾは思ってしまいますが,この孤独なジジイからの愛情が親のない雀にとってどれほど大事かと思うと胸が苦しくなってきます。またその裏返しで,親のない雀が餌を食べている様子を見ているだけでご老体も癒されるに違いない。で,このときには,一茶も雀も孤独じゃない。そんな句ですよねえ。これは。まいるなあ。いいねえ。一茶。

 いま,ホームレスとか職のない人が話題になりますけれど,寺に行けば救われるのでしょうかねえ? ハローワークとかじゃなくて,たとえば京都のお寺さんが,こうした人々を受け容れてくれる,なんてことをしてくれればうれしいんですけどねえ(そう思えない時点で,日本の宗教は,庶民のものではないと私は思います。喫茶店と同じく入るのに料金が必要な寺とか神社ってナンなんだ? 君ら税金免除される理由が,どこにあると思ってんの? と大声で言いたい。寝る場所もない人がいるなら境内に入れてやればいいのにねえ。場所があるならそうするのが,神だの仏だのだろうがと心底思います)。コーメー党は,何でそういう話をしないのかな??? やっぱり弱者のことなんて考えてないんだってのがミエミエだ。

 もうちょっと言うと,この「うまくいっていない人たち」を動員したら,お寺さんは織田信長にやられた復讎ができるかもしれませんよね(どうして私はこういうことを言ってしまうかなあ。でも,一向宗とか島原の乱とか全学連とか,「経済」や「生活」なんてことでない「精神の問題」を市井の人々が考えるというのはとても大事だと私は思います。少なくとも私の父母は,道端でヘタレてる人を見たら,声をかけずにはおかなかった。ヤクザみたいな,というかヤクザより多分たいていの場面で強かった父や伯父が,お年寄りや身体の不自由な人にとても自然にやさしく接するのが,私は誇らしかった。「ばあさんよ。〜」とか「じいさんさ。〜」とかうまく話しかけられるのね。精神的にとても気高いというかオシャレだったのかなあ? だもんで,僕のお父さんはお年寄りにメチャメチャモテました。オサムちゃんはみんなのアイドル。あ。涙,出てきた)。

 「経済」や「生活」が苦しいときに,じゃ,社会の構造はどうあればいいのかなと思うと,私は「日本国憲法の理想」こそがそのモデルだと思います。憲法の出自がどうのという議論なんてどうでもいいです。基本的人権の尊重。少なくとも「日本にいれば餓死はしない」。これこそが本当の「平和主義」なんだとも言いたい。こんなことを標榜すると,国内だけでなく世界中から浮浪者が来るかもしれないけれど,防衛費の多くをそちらに回せばいいじゃん。少子化問題もこれで解決します。世界中に「私たちは喧嘩のためのコストは一切負担しない」「私たちは平和のために出来る限りのコストを負担する」と言いたい。「平和が欲しいから反対派を一掃する」という,この不毛な大バカを少なくとも私たちは2000年以上繰り返している。1945年に世界大戦が終了したとしても,まだ60年以上,この「不毛な大バカ」を根絶できない。信じがたい。

Imagine all the people living in the peace

であります。みんなが平和に暮らしているとこをイメージしてみって話。黒澤明が『夢』で,笠智衆を起用したシーン。子供と年寄り,生と死の共存。そのことを指摘する人は少ないけれど,水車とか環境問題への取組みの提案も,『夢』には盛り込まれていました。イメージできればいつか実現できる。私たちは空を飛び,ついに月面にも立てました。1日も早く戦争という言葉を死語にしたい。

 2008年。肝炎の患者会関係では,天野秀雄さん,高畠譲二さんが逝かれました。痛恨であります。またまた変な言い方で恐縮ですが,天野さん,高畠さんは,そこにいてくださるだけで,たとえば「あの方もあんなに頑張っているんだから,俺もちゃんとしなきゃな」と思わせるような,“旗手”“屋根の上の火消し”みたいな方でした。肝炎患者の会にとっては,まさにその言葉の意味通り「私たちはなくてはならない人を失ってしまいました」と思います。生き物はいつかあっちへ行くとわかってはおりますが,ようやく肝炎患者の主張を世間が聞き始めたこのときに,何で肝心要のお二人にこんなことが起こるわけ? という思いを禁じ得ません。天野さんと高畠さん,そのご家族の皆様には心からの御礼と,お悔やみを申し上げます。


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