|
2008.4/25〜5/2の新聞記事覚書(080512)
■2008年4月25日/日本経済新聞夕刊/「“オンデマンド婚”広がる 共働き夫婦
最初から別居」
いいっすねえ。“オンデマンド婚”。しがらみや気遣いを最小化!
・互いの仕事や生活様式を尊重し,いつも一緒じゃなくても必要なときに会えればいい。
・結婚後も家庭以外で自己実現したい,夫婦べったりは嫌。そんな独身者が増えている。
・子供がほしいので妊娠までは同居。実際に妊娠し子どもが生まれたら,再度夫と別居。キャリアと子育てを両立するなら夫と暮らすより,実家に戻り両親に子育てを手伝ってもらう方が有効だからだ。
→だいぶ我慢して記事を読んでおりましたが,ここらで限界近し。“種つけ”を終え子どもを連れて帰ってきた娘を迎え,“喜んで”“孫育て”を引き受ける老親の笑顔を思い浮かべると,絶望的な気分になりますねえ〜。赤ん坊の将来が心配だ。そして,この老親はまた,種つけを終え子どもを連れて帰ってきた孫娘を迎え,“喜んで”“曾孫育て”をするのかも。めでたし,めでたし???
・(大学の先生のコメント)「個々人により幸せの形は違う。個性化の時代になった」「夫婦どちらか一方が,家族の幸せのために犠牲になるのではなく,それぞれの幸せを感じられることが家族本来の姿だ」
→この先生のコメントが「頭冷やし」になりました。「個性化の時代になった」については,いちおう同意しておきます。何でも「時代」と言ってわかった気になる・させるのはかなり嫌いで,「幸せの形は似ている。不幸はイロイロ」という話も聞いただか読んだこともあるけれど…。「そんなの関係ねえ」・KY的に内向きな自己チューがはびこっているってことですね,要するに。
→頭が冷えたのは,「家族本来の姿」という部分。おそらく先生が実際にお話になったときの内容からこの記事は“ずれて”る。記事をそのまま読むと「夫婦が,それぞれの幸せを感じられることが家族本来の姿だ」となってしまいますが,新聞でコメントを求められるような専門家がこんなことは言わないでしょう。夫婦一対だけというのは「家族本来の姿」ではないですよね。日本における「家族本来の姿」のイメージの標準は「3世代同居の父系家族」じゃないでしょうか? 古いかな? そうでなく「核家族」を今の「家族本来の姿」とすれば「夫婦と子ども2人」が(かなり危ういでしょうが,まだ)共通のイメージだと思います。先生の実際のお話では,「夫婦が」でなく「家族の構成者」が「それぞれの幸せを感じられることが家族本来の姿だ」といったあたりで,家族には少なくとも「子」が含まれていたのではないでしょうか。ちなみに(1980年代に所帯を持った,ごく平均的・フツーの)わが家では,子どもたちが,別居していても自分を中心として,上(直系尊属ってやつですね)は「おじいちゃん,おばあちゃん」までをコアな家族と考えられるよう(明示的ではなく)誘導してきたつもり。
→そんなことを考えていて思ったのは,「家族本来の姿」なんてものを押しつけられるのは「まっぴらご免」ということ。それはそうなんですけれども,でも“オンデマンド婚”は違うだろうと思うのですねえ。まあ,「やりたければやってみれば?」ですけど。“ハナッからダメになるってわかるじゃん”と私は思いますが,そう思えない人には経験してもらうしかありません。ちなみにわが家の子どもたちがこんなことを言い出したら,「若い頃,カアチャンや君ら子どもたちとすったもんだしたのはメッチャ楽しかったぜ。“何で今なんだよ〜”と思いつつ,急病などの“事件”の処理をして,自らが小さいときもこうだったのだろうと推量したりもしましたな」なんて言います。「オンデマンドじゃなくて,巻き込み巻き込まれ型のドラマだから家族ゲームは面白いんだよ」とも言いたい。
→キャリアなんて仕事を辞めたら“思い出”になるだけ,家族はお互いが生きている限りずっと“現実”です。どちらが大事かちょっと考えればわかるんじゃないですかねえ? 子どもが生まれるときに帰国する外国人のスポーツ選手がよくいますが,あれでいいと思います。家庭が楽しかったり,少なくとも安定していなければ,いい仕事もできませんよ…,なんてね。「パパがんばれ〜」という子どもの声がどれだけ世の若いお父さんに勇気を与えることか。世の多くのお父さんの財布とか手帳には,小さかった頃の子どもからのプレゼントが入っていることを私は知っている。くじけそうなとき,オヤジは飲み屋でこっそりそれを見てたりするんですな。はは。その小さな“幸せの記憶”だけで定年まで行けたりするわけでございます。
■2008年4月29日/日本経済新聞朝刊/経済教室「ODA増額にかじを切れ」/草野厚・慶應義塾大学教授
・自衛隊や警察の海外協力が十分な実績を重ねられないのなら,なおさら経験が十分蓄積され,比較優位のあるODAを大切にすべきだろう。
・国際公共財としてのODAを積極的に支えなければ,日本外交の基盤はさらに脆弱(ぜいじゃく)になる。
・韓国の李明博大統領は就任演説でPKO,ODAを重点施策として打ち出し,国際協力国家を目指している。
・例えば,欧州で議論されてきた革新的資金調達メカニズムの一つ,国際連帯税などの早期導入が必要だろう。
→この草野先生のご指摘はもっともだと思いますねえ。一番最初にメモした「自衛隊や〜大切にすべきだろう」は特に銘記しておくべきでしょう。「国際連帯税」もアリだと存じます。
■2008年5月1日/日本経済新聞朝刊/「改憲推進の超党派大会 鳩山由・前原氏ら民主幹部は欠席」
・憲法改正に前向きな超党派の国会議員らでつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相/この方はとことん「同盟」がお好きなようで…)。
・町村官房長官,民主党から長島昭久・大江康広議員参加。役員に加わった鳩山由起夫・前原誠司議員は欠席。
→この「憲法改正」に関する国会内外の動きを見ていると,まさに「政治的」(多数派工作,陣地取り,綱引き,寝技,裏技,誘惑,誘導,圧力,懐柔,義理人情,マスコミ操作,茶坊主活用などなどの政治的動きやワザが総動員)で,油断がならないと強く思います。比較的穏健な方が「憲法について議論することすらタブーとするのはいかがなものか」とおっしゃることもあって,それ自体はもっともで本来反論する内容ではないのですが,同じことを「議論を始めたら多数派で押し切って9条を改正し,戦争に参加できる制度にしよう」というのがミエミエな方々に言われると,「憲法改正反対」とりわけ「9条改正反対」である共産党や社民党からすれば,「議論を始めること自体が危険」ということになるわけなんですね。これもわかります。「9条改正反対」の私としても目先,これで仕方ないかなと思いますが,「議論を避ける民主主義」なんてのはおかしな話なので,いつまでもこんなことが“持つ”わけはないのですが,立場が変われば現状,ある議論では積極的な人が,ある場面では議論することすら避けるってのは,まだよく目にする光景で,こんな「戦術」(?)が横行しているうちは「お互い様」(国民と立法府の…,じゃなくて,政党同士の…。笑)ということで凌げるような気もします。
→昨年の今頃はまだ安倍晋三さんが,(当初より声が小さくなってましたが)「憲法改正への意思」を明確にしていて非常に危険な感じがしておりましたが,今はその動きは沈静化したかのように見えています。しかし「憲法改正への意思」とりわけ「9条改正への意思」は,今回の小さな記事にも見られるように,地球の中のマグマのごとく,わが国政治の中で脈々と生き続けております。自民党内だけないというのがゾッとするところで,一つ状況が変われば“大連立”がありうる民主党の議員にも同じ考えの人がおります。それも有力者で。
→「教育基本法改正」はしかし,できてしまい,話はちょっと飛びますが,さて,私たちは今,北京オリンピックの聖火リレーに関する中国の若い人たちの「中国,頑張れ」というナショナリズムの爆発をどう見るでしょうか? 教育で愛国心を育てるということの,“誤った成果”がアレなんじゃないかと,私は思いますが…。
→ああいう若者が多くなったとき,日本の教育だと「アメリカと同盟を結んだ国の戦士」(ユーラシア大陸を加日韓豪とアメリカで東西からはさむ。特に日本と韓国は極東の2隻の「不沈空母」の役割大)が増えるということなんでしょうが,「憲法改正」とりわけ「9条改正」は容易になることでしょう。まあ,それまでアメリカが「パックス・アメリカーナ」状態を維持できるかについてはだいぶ疑問で,国際政治的観点から「アメリカのポチでいれば安心の時代は終わった」と心底わかる日も遠くないと私は思うのですが,そうなったときに,「ポチモデル」で育ってきた人たちは,「神国日本」が崩壊したときと同様,呆然としてしまうことでしょう。
→そのときはマッカーサーのような新たな「神」を,また求めるんでしょうねえ。適当な「神」が来るといいですねえ。(^_^;) キムという名字の方かも知れません。どこぞの異国から「天下の副将軍」とかが派遣されてくるのね…。(爆笑/かつてテレビの『ウルトラマン』で,イデ隊員が大モラルハザード状態になり,「ウルトラマン来てくれ〜」と,まさに“神頼み”的に空を仰いだ名シーンを思い出しますねえ。思い出せない人にはすみませんが…)。
■2008年5月1日/日本経済新聞夕刊/ニッポンの哲人(1)鷲田清一
(九鬼周造の著書について紹介した部分で)
・宥和も綜合も訪れることなく,どこまでも薄膜で隔てられた独立の二元が描き出す稜線上に爪先立つ思考が,そこには貫かれている
→こういう表現がお嫌いな方は「ケッ」と眉をひそめられるかもしれませんが,私は,案外好き。美しい文章だと思います。実はよくわからないのですが「どこまでも薄膜で隔てられた独立の二元」ってのはオーロラのような気がするし,それが描き出す「稜線上」に「爪先立つ」ってのは,どんだけの緊張よ!ってことであります。鷲田先生にはどんな景色が見えてはるのでしょうか??? (^_^;)
■2008年5月2日/日本経済新聞朝刊/地球回覧「複雑化する米国の人種相関図」
・80年に米人口の80%を占めていた白人は現在66%,この間ヒスパニックは6%から15%,アジア系も1.5%から5%と3倍に,黒人は微増の13%にとどまりヒスパニックに追い抜かれた。
→アメリカというと「白人対黒人」の対立を思い浮かべますが,それだけではないという話。
・ニュー・アメリカ・メディア(NAM)が実施したインタビュー調査では,ヒスパニックの44%,アジア系の47%が「黒人は犯罪を起こすので怖い」と回答。ヒスパニックの46%,黒人の52%が「アジア系の経営者は自分たちに敬意を表していない」と答えた。「マイノリティー間に深刻な緊張感が存在していることがわかった」(NAM幹部)。
→JR大久保駅近辺のことを考えてしまいますねえ。それと,「深刻な緊張感」(イジメとかも)がマイノリティー間(弱者間)で生じるってのも,わかりますよね〜。何だか。
|