父の手帳(080210)

 私は5歳のときに「全身やけど」をして,その治療のときの輸血がC型肝炎に感染した原因だろうと推測しています。先日,その「治療記録照会」をする関係で,母に「私が火傷のとき入院したの,いつだかわかるかな?」と聞いたところ,見つけ出してくれたのが下の「父の手帳」です。モノはなくなってしまうかもしれないので,デジタルデータで覚書を残しておきます。

 1月18日に母から「お父さんの手帖が見つかりました 昭和39年4月22日です。手帖をあげますよ。」と携帯メールが来ました。こんなことが書いてあります。Nというのは私の名前。

4/22(水)先勝
午后5時50分頃,N,自宅浴室
にて入浴の為 全裸のまま火傷。A病院
に入院。空室ナシ。B病院へ入院
S,I,N先生協議の上
治療を終る   生命あやうし

4/23(木)友引
午后1:30頃 引き付け 3時半頃 第2回目
6時前後 第3回目
兄弟全員参集。S子(母方の叔母)泊る  将にあやうし

4/24(金)先負
朝よりやゝおちつき 3時頃の問診にて
一応経過良好見通よしとのこと 全員安心
その後 変化なし

4/25(土)仏滅
夜中,無事,T子(母方の叔母)泊る
経過良好にて安心する

4/26(日)大安
朝より熱38.9〜38°C位にて少々心配
するも 夕方より落着き 10時半頃無事に寝る

 父があまり手帳を使わない人であったことは,この数日の前後の手帳の使用状況でわかります。医師の指示などがあったときに忘れないよう,慣れない手帳にメモを残すことにしたのでしょう。父は昭和5年生まれなので,このとき34歳。母は31歳。長子がこんなことになって本当に心配だったでしょうねえ。すみませんでしたね。父上様,母上様。それと父は11人兄弟です。「兄弟全員参集」もありがたい。また,母方の叔母達がサポートしてくれたこともわかります。皆様本当にありがとうございました。

 わが実家ではこのとき葬式の準備もしたとのこと。私は3日間は意識不明だったと聞いています。昭和39(1964)年は東京オリンピックがあった年。


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