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『空の青み』G・バタイユ(081230)
現実の世界から離れたい。酔っぱらっちまうか,小説や映画の世界に入り込んでしまいたい…なんてことを考えていたら,この本が目につきました。なぜこの本がわが家にあったのか不明。だれかのオススメ本として挙げられていたものを,衝動的にAmazonで購入した模様。
■『空の青み』(G・バタイユ/伊東守男=訳/河出文庫/本体:840円)
本書は1934年に書かれたとあります。ドストエフスキーの『地下室の手記』が1864年,カフカの『変身』が1916年,プルトンの『ナジャ』は1928年,カミュの『異邦人』が1942年,サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が1951年。こんなことを確認したくなるような本。恥ずかしながら,私には,G・バタイユって,いろいろな(理屈っぽい)名言を残した人というイメージしかなく,小説を書いていたとは知りませんでした。
ロートレックやユトリロやゴーギャンといった画家たちのことなども頭に浮かびます。今となって見れば,本書にあるような西洋人の「壊れ方」は何だか「お馴染み」な感じがします。異常(と思われる)エッチを,汚い言葉で執拗に語ったりするのね。“正常なエッチについて教わったことはないけど,こういうのはサド侯爵から教わったわ”などと思いつつ…。
うつろのままなのだ。アルコール漬になって泣いてばかりいるばか、愚かしくも、今やこの私がそれなのだから。自分が忘れ去られた屑だという気持を免れる唯一の方法は、ただただ飲みに飲むことだけだ。私はそんなふうにして健康を、そしてこの続けてゆくだけの理由もない生涯を、費えさせてやろうという望みを抱いていたのだ。(中略)それとももう酒はやめるだろうか…とにかく、今やすべてどうでもよかった。(70-71ページ)
どうしてこんな文章がある本を,私は掴んでしまうのかなあ〜? 中島らもさんの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』の「タナトス」の話とそっくりだ…。「イカ刺しはうまいし」,バタイユさんとおんなじで,たいていのことは「どうでもいい」ってなことになっちまうんだ,日本のアル中も。酔ってない状態で考えても,確かに「世の中のたいていのことはどうでもいい」と岸田秀先生もおっしゃるとおり(自らコトを難しくとらえてストレスを大きくすることはないだろというのが主旨)なんだけれども,その見極めをしようとすることさえ「どうでもいい」ってなことになっちまうんですねえ。アル中は…。
ふう。今やすべてどうでもよかった…これ,ホントによくわかる。私はいずれ酔っぱらって路上でぶっ倒れて死にそう。そのときには,『勝手にしやがれ』のベルモンドのように「俺は最低だ」と自分に向かって言ってやりたい。そばに子どもたちがいたら「毎日誰かが死ぬ。今日は俺の番だ」と,作品も俳優の名前も思い出せないけど(リチャード・ウイドマークだった気がするけど),スカした映画のセリフを言い残したい。ま,死因が泥酔じゃ,スカしたってしょうがないけど…。
子供の頃の私は太陽が好きだった。目を閉じ,瞼を通して見ると真っ赤だった。太陽は恐ろしかった。(161ページ)
この「太陽」がちと気になったりして…。カミュの『異邦人』は太陽のせいで殺人をしちまったのではなかったでしたっけ? 西洋人にとって太陽って,どんなイメージなんでしょうかねえ? 私は「お天道様」というのが好きで,人々を分け隔てなく,温かく包んでくれるもの,なんて思うのですけれど…。
それと本書のタイトルについて。私の大好きな遠藤周作先生が悲しいことがあったとき「でも,空はあまりに青かった」なんて,よく書かれました。そのせいで,私も悲しいことがあったときなど,空をよく見上げます。今年,親友の納骨をした日も,いい天気でした。広島に原爆が落ちた日,終戦の日も,空は青かったんですよね?
カバーデザインは菊地信義さん。これはねえ,すごい! 読後まじまじとこのデザインを見つめてしまいました。空に砂(墓石?)を浮かばせた? 文字のフチドリやスミベタのシャドウがダサイ気もするけれど,このダサさが多分大事なのですね。理性やデザイン以前の根元的な混沌とか原始的な素朴な祈りの表現なんじゃないかなという気がします。ユトリロ。それと,カバー全面に展開している空の青みも,思いっきりの青でなくて泥臭いのも凄い。土(墓?)の匂いがする。本書における最もわかりやすい(おそらく最も知られた)エッチなシーンは,星と墓の見える耕地で泥まみれになって交わっちゃうとこなんですが,それも織り込んでますよね? と菊地さんに確認したい。もっとイロイロ言いたいデザインなんですが,この辺にしておきます。菊地信義さんに尊敬を込めて一言だけ。
「ガイジンの本だぜと即わからせ,さらに読後,このカバーを見ながら青カンとか女のアソコとかインモーとか酒臭さとか匂いなどまでを確認したくなるすんごいデザインですねえ〜」と申し上げたい。本を「手に取らせる」というデザインは世の中にたくさんあると思うけれども,本を読んだ後に,「菊地さん,あなたはこの本をこう読まれました?」と会話をしたくなるデザインには滅多に出会えない。
今日は僕はオカシイかな? でもオカシイから,菊地さんの天才を,感知できた気もする…。オカシイかどうかはどうでもいいや(笑)。菊地さんとも(一方的)対話ができて楽しかった…っと。
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