『聞く猿』ナンシー関(080913)

 米本和広さんの『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』を,私にしては珍しく頭もココロも集中して拝読。申し訳ないけど,ストレッチとして,本書を軽く一気読み。

■『聞く猿』(ナンシー関/朝日文庫/本体:520円)

 ナンシー関さんの本を読んだのは『テレビ消灯時間1』『何をいまさら』『隣家全焼』以来,約半年ぶり。本当に早いな〜,時間が過ぎるのは。ついこの間までナンシー関シリーズをやってた気がしますけどね〜。本書は1999年5月発行。

「24時間テレビ」についての文章(136〜137ページ)。

 十六回目から(中略)「武道館全体で『負けないで』を合唱するなか,マラソン走者が息も絶え絶えにゴールイン」という,いまや過不足なく「24時間テレビ」を象徴するシーンの完成を見たわけである。このシーンが,ことのほか視聴者のお気に召した(中略)今,世の中をいちばん確実に束ねる方法は「感動」させることだと思う。異様なほど感動したがっていることは,オリンピックで身に染みた。(中略)なんか,ここ四,五年すごいよなあ,この「感動」に対する貪欲さ。はしたないくらいだ。これ,新たなる国民性,っすか。

 何回目かの「24時間テレビ」があり,オリンピックが終わったところ(今はパラリンピックをやっていますが)で,この文章に出会ったわけでございます。“「感動」に対する貪欲さ。はしたないくらいだ。”…こういうこと,なかなか言えないですよね〜。凄いですね〜。それと,この“世の中をいちばん確実に束ねる方法は「感動」させることてのも鋭い。小泉純一郎さんはこの“「感動」に対する貪欲さ”に気づいており,それを煽りながら(「自民党をブッこわす」とかね),世の中を束ねたわけなんですねえ。今は自民党の総裁選,新首相誕生前夜でもありますねえ。そういえば。

 もう1つ(206ページ)。

 私は,テレビの中に見つけた違和感のようなものに自分なりの屁理屈をつける作業が好きなわけであるが,それは必ずしも「正解」を出すことが目的ではない。正解など知りたくはない,と言ってもいい。

 くうぅ〜。シビれる。惜しい人(同志!と言いたい)を亡くしたなあ〜と,改めて思いますねえ。“正解など知りたくはない,と言ってもいい。”ですもんねえ。同感です。私の場合は“違和感”に屁理屈をつけるという知的なイトナミでなく,何かのモノコトに接したときに,1つでも小さなところでも好きなところや素晴らしいと思うところがあれば讃えたいし感動したい(貪欲というより貧乏性なんです)って感じですけどね。そしてその「好きなところや素晴らしいと思うところ」について,他人から見てトンチンカンでもいいじゃんかよと思っているのです。もちろん“正解など知りたくはない”んですな。


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