『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広(080720)

 米本和広さんは,1950年松江市生まれ。横浜市立大学商学部卒業後,繊研新聞記者を経てフリー・ルポライターに。わが家には,米本さんが約20年前の1989年に上梓された『これで日本一! 業界名人たちが明かす創意工夫』(世界文化社)があります。『平成サラリーマンのサバイバル白書』(講談社)という分厚い本もありましたが,行方がわかりません。BOOK-OFFで売っちゃった模様。はは。すみません,米本さん。

■『カルトの子 心を盗まれた家族』(米本和広/文春文庫/本体:638円)

 米本和広さんは,丁寧な(しつこい?)取材をして,ビジネスに関するルポをいろいろなところで書いておられました。で,あるときから,私の印象では,初期の頃は,幸福の科学や大川隆法さんについて書かれていたと思います,私が入院していた1994年頃じゃなかったですかねえ〜,カルトに関する記事をバンバン書かれるようになりました。テレビにも出演されたりして…。“へええ〜,物書きの人って,こんな風に変遷するのかあ”と思ったりしました。

 カルトはヤバイというのは,多くの方が指摘されていますが,本書では,そのカルトに入信した親の子どもたちが取り上げられています。柱は以下の4章。

 第1章 超人類の子 オウム真理教
 第2章 エホバの証人の子 ものみの塔聖書冊子教会
 第3章 神の子 統一教会
 第4章 未来の革命戦士 幸福会ヤマギシ会

 「文庫本のためのあとがき」より抜粋。

 子どもを思い通りに育てたい。こうした親の欲求は,(中略)ますます強まっている。早期教育の担当者によれば,「頭が良くて,思いやりのある子に育てたい」が教室にやってくる親の共通したニーズだという。これに,たくましく,集団遊びができて,本が読め,音楽や絵画など芸術に親しむ子になって欲しいが加わる。むろん,背景には「幸せになって欲しい」という親の善意がある。
 しかし,そんなすべての資質を兼ね備えた子どもはいない。集団遊びは嫌いだが本を読むのは好き。勉強は苦手だが体育だけは好き。物静かな子もいれば乱暴な子もいる。子どもはすべて個性的だ。それにもかかわらず,最近の親は子どもをスーパースターに育てたいと,善意ではあれ強欲だ。
 しかし,子どもの誰もが多彩な能力をもっているわけではない。いつしか親の欲求は満たされることなく破綻する。そのときに親は子どもにどういう態度を示すのか。我が子の立場になって,子どもの個性や欲求,気分,感情をあらためて考えるような精神的にゆとりのある親はそれほど多くない。
(中略)片方の親がフォローすれば子どもが受ける心の傷は軽減されるだろうが,両方の親の価値観が一緒だったり,仕事が忙しくまかせっきり(カルトは親と子を引き離し子どもは養育係に任されることが多かったようです)だったりすれば,子どもにとっては絶望的だ。(348〜349ページ)

 米本和広さんは優しいお父さん。カルトを信じた大人については結構クール。あんたらはしょうがない。でも子どもたちを巻き込んだこと,それをどう考えるのか,また,子どもたちはどうなっていくのか,どうしたらいいのか。もう少し言うと,その子どもたちがまた親になって,トラウマのせいもあって我が子に暴力をふるう。米本和広さんのご家族にしてみれば,もしかしたら米本さんが「反カルトというカルト」になったかというほど奮闘されてきた様子がわかります。オソロシイのは,カルトの人たちも子どもに幸せになってほしいと願う親も,本人にしてみれば「善意」なこと。眩暈がする。

 私は人は「正義」を求めるものだと思っています。「開かれて」いれば正義は対立し,そこで政治的な何らかの結論が(弁証法的というか苦しまぎれの民法的にというか,ともかく非暴力的に)出せると考えています。それが積み重なれば徐々に“法の支配”が浸透していくだろうというのが,(国際関係も含めて)先進国の暗黙の常識でしょう。しかし「閉じた」妄信的で政治的配慮に欠けた正義には,政治的解決がありません。どちらかが滅びるまで暴力的な戦いが続きます。「戦略的互恵関係」という言葉は好きではありません(“恕”とか“有朋自遠方来不亦楽ってな友情”って知ってる? と日中の政治家に聞いてみたいわ)が,少なくとも暴力を含む対立を極力避けようとする政治的合意があるだけマシであります。

 ふう。いろいろなことを思いますが,私は「子どもを思い通りに育てたい」なんて考えたことがありません。「親はなくても子は育つ」と思っているし,実際,我が家の子どもたちは,子どもたちの成長に戸惑うトロイ親を置いてきぼりにして,育っちまったんでありますねえ(3人いる子どもの一番下が18歳!)。カアチャンはどうだかわかりませんが,少なくとも私はそんな感じ。子どもについて「育て方を間違えた」なんて言う人がいますが,親が子どもと密着していられるのは保育園や幼稚園に入る前まで。幼稚園に入った長女が1週間もしないうちに「汚い言葉」を言い出したときはショックを受けました。保育士だったツマが「そんなモンよ」と,まったく動じなかったのがありがたかった。子どもは「育つ」のであって「育てよう」としたって無理なんだな,とわかりました。

 私は,進学のときに父や母の希望に沿えませんと言ったことがあります。家業が鉄骨屋なのですが,父と違って私は数学も物理も苦手で工作もヘタで,とても無理だと思ったのです。18歳のときでした。それなりに腹を据えて話をしました。亡父は特に何も言わずに了解してくれました。オヤジがオヤジとして何が楽しくうれしいかと言えば,子どもたちに何かを教えるとき。でも私は父に「あなたが学び,築いてきたものを私は引き継げません」と言ったのでした。父はそのとき46歳か。辛かったろうなあ〜。今,49歳になった私に家業があって,息子にそれを継ぎたくないと言われたらと思うと,胸が苦しくなります。すみませんでしたね,お父さん。それと,了解してくれてありがとね。

 私の父母義父母やオジオバを見ていると,「元気でみんなで仲良く暮らしていればいいじゃない」という素朴な根っこのある力強い価値観を感じます。戦争という私などには想像もできない悲惨な経験があればこそ,子どもをスーパースターに育てたいなんて,夢のような馬鹿な妄想を抱いたりしないのでしょう。「カエルの子はカエル」とか,いい言葉もあるのにねえ。過剰に期待されたら子どもは辛いわ。といって,まったく期待されていないと思うと,やる気も出なくなっちゃうんですけどね。むずかしいねえ。

 カルトの子たち(まず入信してしまった親ですが)は心が壊れてる。驚くのは,たとえば統一教会に洗脳されて社会不適応を起こすから壊れるのでなく,(本人の意思に反して)統一教会などのカルト集団から,「善意」の人たち(祖父母やオジオバなど)によって「救出」され,拉致監禁されて心が壊れてしまうという話。その結果,社会不適応になってしまう。本書が発行されたのは2000年。「カルトの子たち」の中にはやがて50歳になろうかという,私と同世代の人もいます…。


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