『こころの処方箋』河合隼雄(080609)

 これは名著だわ! 神様仏様ご先祖様稲尾様,矢でも鉄砲でも馬の耳でも豆腐の角でもともかく,感謝できるあらゆる何かに御礼申し上げちゃいたい気分。あ,何より河合隼雄先生か。先生,どうもありがとうございました。

■『こころの処方箋』(河合隼雄/新潮社/本体:1,068円)

 例によってちょっと抜書&覚書。

マジメな人は自分の限定した世界のなかでは,絶対にマジメなので,確かにそれ以上のことを考える必要もないし,反省する必要もない。マジメな人の無反省さは,鈍感や傲慢にさえ通じるところがある。(58ページ)
→そうなんです。私はこの「アタシが正義」「アタシは間違わない」「アタシがジョーシキ」的人間が大嫌いなんでございます。しかし,それでもその,活動を停止している知性と単純な精神構造からなる「強さ」は羨ましい。で,私がどうしているかというと,「アタシはロクでもない」「アタシは間違う」「アタシは非ジョーシキ」と,すっかり開き直って鈍感かつ傲慢に「マジメで鈍感かつ傲慢な人」に対抗しているわけなんでございますねえ〜。(^_^;) こうして書いてみると「バカじゃん」と思いますねえ。もうちょっと賢く対応しないとイカンですねえ。

・考えてみると,「努力すればうまくゆく」などということが本当に正しいのか,なぜそうなのかわからなくなってくる。(中略)人間が自分の努力によって,何でも解決できると考える方がおかしいのではないか(89ページ)
・解決などというのは,しょせん,あちらから来るものだから,そんなことを「目標」にせずに,せいぜい努力でもさせて頂くというのがいいようである。(91ページ)
→「努力が報われなくても,それを全部自分のせいにしたり,自分を責めすぎないように」というお話。要は「テンパッちゃダメなんだ」ということですよね。ココロの糸がピーンと張るってのは,高血圧みたいにヤバイことなんですねえ。いつプチっとココロの糸(や血管)が切れるかわからない。それと,「人間が自分の努力によって,何でも解決できると考える方がおかしい」というのは,環境問題への対応を余儀なくされている現在,近代以降人類がやってきたことへの批判にもなっていると思います。私たちは自然をいじりすぎて,他の生物だけでなく自分達も生きにくくなるところまで来てしまった…というところでしょうか。「自然に帰れ」と言ったとされるルソーは1700年代18世紀の人。

・自立と言っても,それは依存のないことを意味しない。そもそも人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないのだ。自立ということは,依存を排除することではなく,必要な依存を受けいれ,自分がどれほど依存しているかを自覚し,感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は,自立ではなく孤立になってしまう。(94ページ)
→この文章には,随分救われましたねえ〜。そうなんですよね〜。いま「依存」って,ものすごく悪いイメージがありますけれども,「甘えの構造」というか,やっぱり誰かとか何かに寄っかかったり,そこにいれば安心できる空間なりセーフティネットのようなものがないと,身が持たない。で,特に家庭に身の置き場がないと,ドラッグ,SEX,アルコール,ギャンブルなんてことに淫しやすいんですねえ。アル中の私自身,菜摘ひかるさん飯島愛さんのことなど,考えてしまいました。「虚無感」とか,「愛情飢餓感」とでも言いますか,これが生じたときがヤバイんですねえ。ココロの危機を避けるべく閉じた個室を「身の置き場」としていると,そこで妄想がやたら肥大化するなんてこともあるようですし(思い出したくもない事件多数。秋葉原無差別殺人も犯人も…),難しいなあ。適度な依存とか社会とのかかわりが大事なんだろうなあとは思いますけれどもねえ。

・老人に心配をかけることは,もちろん,その後で老人がする心配を共にわけ合うことを前提としている。できる限り,共に苦しんだり,共に心配したりすることこそが,人生の楽しみにつながってくると思われる。(中略)重荷を支えることに共に参加しているという感じが必要なのである。(203ページ)
→この心配をかけるのが,老人から見て「孫」というのが一番「マルい」パターン。老人から見て「子」とともに「孫」の心配をするというのは,結構楽しいことなのではないでしょうか(オタオタしがちな子どもたち夫婦より経験が豊富なので余裕があるのね)。でも,我が家では,この老人(母)に「心配をかける」のが,いまだに息子(=私)ってトコが情けない。すみませんねえ。オフクロ様。

・正しい答などはない。各人は己の器量と相談しながら,自分の生き方を創造してゆくより仕方がない。「幸福」は大切なことながら,人生の究極の目標にするのはどうかと思う(223ページ)
・「私が生きた」という実感をもったとき,(中略)それが明確になればなるほど一般的な社会的評価はそれほど気にならなくなるし,それはもっともっと普遍的な存在の一部としての責任を果たしたという自己評価につながってゆくだろう。(227ページ)
→これがねえ,すごい話なんですよねえ〜。先生は“幸福を究極の目標にするのはどうかなあ〜?”とおっしゃる。思い切り理想に燃えたアメリカ人が起草もしくはチェックしたらしい,われらが日本国憲法第13条(※)にも,しっかり「幸福追求」という文言があるというのに…。生命,自由と同じぐらい大事にされて然るべき権利とされているというのに…。

※日本国憲法第13条:すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。

 童門冬二先生がよく引き合いに出される,福澤諭吉が『瘠我慢(やせがまん)の説』で批判したのに対し,勝海舟が「行蔵(こうぞう)は我に存す,毀誉(きよ)は他人の主張,我に与(あず)からず我に関せずと存(ぞんじ)候」と言ったなんて話を思い出しますねえ。平たく言って「出処進退はオレだけの問題で,それについて他人がどう言おうと知ったこっちゃねえよ」ってことですねえ。この心境になれればいいじゃんということなんでしょうねえ。強迫的に「幸せにならなきゃ」と思い込むのはよくないよと,それもそうですねえと,思わせてくれるところも本書のいいところ。他人から見れば不幸のドン底にいるみたいに見えるかもしれないけれど,「おらあ,これでいいんだよ」なんてね,言えりゃいいじゃん。老子か。達磨さんか。一茶か。格好いいねえ。これも。オンナ子どもにゃわからんかもしれんが…。

 あれ? オンナにはこういう救われ方ってなさそうだ…。思考停止。今度,オフクロ様とかカアチャンに聞いてみよう。

 その他もろもろココロが楽になるようなお言葉満載。本書に収められた文章はそれぞれ5分もあれば読める分量です。聖書のように,気が向いたところをポツポツ読むことも可能です。

 本書を読むと落ち着きます。河合先生が「こういうときは,こんなことも考えてみませんか?」(きっと臨床ではもっとずっと柔らかい京都弁でお話しされていたと思いますけれども)と,多くのヒントを提供してくれ,凝りがちなココロをいろいろな方向からほぐしてくれるという感じです。「指圧の心は母心」(浪越徳治郎)。「ココロの指圧はオヤゴコロ」なんてことも思いましたですねえ。私は。「もっともっと普遍的な存在の一部」という感じが,自分より大きなモノ,親だったりお釈迦様の手のひらの間だったり,宇宙や自然の一部という感覚でしょうか,何かそのようなものが温か〜くわが身の周りにあるような気がしてきましたですねえ。ふうぅ〜。

 河合隼雄先生が亡くなってから(2007年7月19日),間もなく1年。

 下にリンクを貼ったのは文庫本。私が読んだのは単行本。で,単行本の造本がなかなかいいです。カバーの紙質や本文洋紙がよくて,本が手にしっくりなじみます。斜めにカットした帯も格好いい。個々の文章のすべてのタイトル下についている動きのあるハートのイラスト(まえの・まりさん)も可愛い。すみません。文庫本にリンクしておいてこんな覚書はナンなのですが,書いておかないと忘れてしまうので…,ご容赦くださいませ。


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