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『わたしたち消費 カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス』鈴木謙介・電通消費者研究センター(080531)
正直言って,この手の,マーケティングの本を読むのは苦痛。好きじゃない。「今の消費者はこうだから,こんなふうにしてみ」なんてのは,現場の人間にしてみれば,そう思った瞬間に可及的速やかに対応すべきものであって,本なんかにまとめたりしている間にお魚さんはいなくなってるんじゃないの? ってところ。
でも「この本にこう書いてある。だからこんな側面からもっと数字を集めてみよう」とか,「お勉強」が大好きでモラトリアム傾向の強い,わが上司との“時間つぶし会話”のネタになりそうだし,たまには我慢して勉強もすることも必要かなと,読み始めました。すみませんねえ,ヘボイ動機で…。
ちなみに,というわけで,わが上司は,新しく本を読んだりテレビを見たりすると“調べ学習”の課題を雪ダルマ式に増やそうとします。おかげで全然よく知らないのに村上龍さんのことを嫌いになってしまいました(笑)。わが上司には,「スキーの教本を何冊読んだって滑れるようにはなりませんよ」と,我ながら実に簡潔で的確なアドバイスをさせていただいておりますが,馬の耳とかのれんとか豆腐の角系人物らしく,変化なし。この人の下に「死ななきゃ治らない」あるいは「死んでも治らない」病気かつアル中の私がいて,その下に部下がおります。気の毒です。(^_^;)
■『わたしたち消費 カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス』(鈴木謙介・電通消費者研究センター/幻冬舎新書/本体:720円)
著者の鈴木謙介さんは1976年生まれ(私より18歳も年下。息子みたい)の社会学者。これはうれしかった。副題にある「カーニヴァル」という言葉が俄然輝きを増し,一気に本書への期待が膨らみました。例によってちょっと引用。「まえがきに代えて」より。
望ましい未来を作るためには,多くの人に「その未来像ならお金が儲かりそうだ」と思ってもらうのが,一番手っ取り早い手段になります。(4ページ)
→チッと舌打ちが出そうでした。確かにそうなんだけれども,この人々の「拝金性向」に乗っかる的考え方が私は大嫌い。ホリエモン的人間や企業は醜悪。それを恥じるどころか前面に押し出されちゃったりすると,もううつむくぐらいしか私にはできません。企業は利潤追求を目的とする集合体なので,「拝金性向」をもちろん全否定をするわけには行かないのです。こういう醜い部分は極力出さずに振る舞っていけるような仕事をつくるのが私の願い。それはともかく急いで補足しておくと,この鈴木先生の文章は,読者の気を引くための「ツカミ」として,こういう方法を採ってみましたというご案内の一部。鈴木先生は,「私自身は『お金儲け』とは縁遠い種類の人間です」(3ページ)とおっしゃっています。でも,じゃあ,よかったですね,先生。本書では随分儲かったでしょ!!
で,その鈴木先生の考える望ましい未来というのは,
「インターネット的な原理がうまく機能している社会」(中略)「コミュニケーションの盛り上がりによって,企業と消費者の関係が,商品とお金を交換するだけの一方的なものから,双方向的な協力関係へと変化する」ということになるんでしょうか。(5ページ)
とされています。いちおう総論賛成。ここで「コミュニケーションの盛り上がりによって」とわざわざ文中に入れておられるところに,「コミュニケーションの盛り上がり」=「カーニバル」で,これは社会の重要な装置だということですね。これもいちおう異議なし。インターネットの一要素として,「カーニバル」的なものがあることもわかります。
そして,こんなことを念頭に置きつつ,「コミュニケーション」ということを軸に「消費」についての話が展開していきます。知らなかったいろいろな事実にホホーと感心しつつ,私は特に最後の30ページ,「共振する社会の消費の行方」では大興奮。鼻の穴が膨らんでいるのがわかりました。面白かった。実にいい勉強になりました。でも,こういう大衆操作のノウハウ検討本みたいなのは,私はやっぱり嫌いだ,と思ったことでした。こういうことが社会にバチッとハマってしまうと「自由からの逃走」的になってしまうと思っているので…。すみません。鈴木先生。電通の皆さん。
お詫びの代わりというわけではありませんが,本書は,市場に何かを提供する人を念頭に書かれたものでありますが,ということは,だれにとっても,コミュニケーションをする際,知っておいてソンがない情報が掲載されているわけなのであります。本書は中学生以降なら理解可能なのではないでしょうか。
私は今回,心底驚きかつオソロシイと思ったのは,電通さんには,これだけの調査や鈴木先生の分析に対応できる優秀な方々が大勢おり,この実力が,たとえば政治(特に選挙/まあ,前回の衆院選以後その影がちらついてますが)の場面で発揮されたらどうなっちゃうのかということ。「自由からの逃走」もそうですが,もっと戦略的に範囲を広げて,宣伝後進国と思われる中国とかロシア(中国人の愛国心とかロシア国民のプーチンへの心服などを見るとホントに「君らいつの時代の市民なんだ?」と思ってしまいます)に,それこそ国策として国益を実現するために巧妙に反政府的カーニバルを仕掛けたらどうなるのか,また国際会議や外交の場などで,自国の利益のために仕掛けたらどうなる,さらには結局,国益ではなく,どこのだれの私益に貢献できちゃうのだろうかと考えて,頭がクラクラしました。ふうう。
それはまたそれとして,もう一度冒頭に戻って,私は,鈴木先生のおっしゃる「インターネット的な原理がうまく機能している社会」の,「うまく」というところに,希望を見いだしたい。カーニバル的な熱狂による変革が必要なときもありますが,長期均衡は,計画された経済や熱狂で実現することは滅多になく,自由市場でゆっくりと揺れながら最適点の周辺にボヤ〜っとあるものなのだと思いたい。そしてその最適点には「拝金」でなく「持続可能な共生」といった価値観の泉があることを願います。
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