『コミュニティ 安全と自由の戦場』ジグムント・バウマン[著]・奥井智之[訳](080111)

 カバーのエンドウマメが雄弁。アンデルセンの童話の『5粒のエンドウマメ』を思い出します。サヤ=コミュニティなんですね。本来そこは居心地のよいところのはずなんですが,近頃はそうでもないぞ,というのが本書の主張の大きな柱。今日的なテーマでございます(原著は2001年発行ですが)。

■『コミュニティ 安全と自由の戦場』(ジグムント・バウマン[著]/奥井智之[訳]/筑摩書房/本体:2,600円)

 要するに「コミュニティ」は,残念ながら目下手元にはないが,わたしたちがそこに住みたいと心から願い,また取り戻すことを望むような世界を表しているのである。(010ページ)

 コミュニティを失うことは,安心を失うことを意味する。コミュニティを得ることは―たまたまそんなことがあればだが―即座に自由を失うことを意味する。(012ページ)

 安心のない自由が,自由のない安心と同じぐらいまずい特性をもつことを考え合わせると,わたしたちは,コミュニティについて夢想することをけっしてやめないであろう。(中略)人間である以上,希望を満たすことも,希望を放棄することもできないのである。(012ページ)

 序章には著者のこんな「コミュニティ観」が示されています。コミュニティとアソシエーションとか,ゲマインシャフトからゲゼルシャフト的な話ももちろん出てきて,「コミュニティ」という「場」についていろいろと考えさせられます。

 免責条項のない結婚生活は,融通がきかず扱いにくいものかもしれないが,気まぐれに離婚できるという簡便さも,それと同様の(潜在的には同じくらい不愉快な)事態を生み出す。(074ページ)

 婚姻は「コミュニティ」の基本だと思いますが,そこにおいても,こんな葛藤があるのでございますねえ。

 ここら辺りで私は,“そういえば〜”と,われわれ夫婦のことを考えました。ツマたちが酒の席などでよく「私はダンナの母じゃない」と言うように思ってきたのですが,その意味が,ど〜んと深〜くわかった気がしました。

 子どもとの関係を念頭に置くと,私とツマと子どもたちのサークルは「コミュニティ」であり,私もツマも父母という役割を演じ,子どもたちには基本的に「お前ら心の底からリラックスして家にいていいんだぜ」というスタンスで接しています。子どもにとってこうしたコミュニティ=第一次集団,文句なく自分の存在を肯定してくれる親という存在が絶対に必要だということについては,私とツマの間には暗黙の堅〜い合意があります。

 でも,私とツマだけの関係でいうと,「アソシエーション」的な,何というか「家庭の共同経営者」というか「ただのルームメイト」みたいになってるんですね。これって淋しいことなのかもしれませんが,何せツマと私は小学校4年生=10歳ぐらいからもう40年も付き合っているので,もはやラブラブってのはちょっと無理でございます。

 気がつけばカアチャンはクールにそういう「使い分け」ができているのですが(私に敬語で話しかける場面も多くなってきた。これって明らかに“距離を取っている”んですね。彼女としては),私のほうは,まさに「そこに住みたいと心から願い,また取り戻すことを望む」(「代理母」を求めるようであったかもしれない。思えば亡父は死の間際までそうだった…)状態でいたために,「近頃,カアチャンは何かヨソヨソしくなってきたゾ」なんて思っていたのでした。

 そんな「願い」「望み」はとっとと捨てるべきだったんですねえ〜。私はカアチャンとの関係においては,アソシエーションのメンバーとして,節度を持った常識人として「油断なく」していなくてはいけなかったのですねえ。これ,今回の読書をきっかけに,本書の本筋ではない話なんですが,心底「悟った」気分になりました。

 で,本書では,「今日の世界では,伝統的なタイプのコミュニティは,どうやら間断のない分解の過程にある」(123ページ)ということが,繰り返し具体的な事例を交えて語られ(その辺のいろいろなニュアンスから私も「悟り」を得たのかもしれませんが),その他,読み応えのある「多文化主義批判」「エスニック・マイノリティ」「ゲットー」などについての考察を経て,「さて,じゃ,どうなりゃいいのよ」というところまで書かれています(ここがお楽しみ!)。日本の社会学者さんだとそこまで言う人は多くないのではないでしょうか(『階級社会 日本』で,橋本先生は提言をされていましたが,これは例外的なのではないかと存じます)。

 本書は,私の力量だと,上のように「夫婦関係」に置き換えて考えてみるだのの“変形”をしないと,理解しづらいところもありましたが,大変勉強になりました。訳者の奥井智之先生に感謝。どうもありがとうございました。お疲れさまでした。またまた,この本の本筋からはずれますが,奥井先生が「訳者あとがき」で,(多分,ちょっとした読者サービスで)紹介されているジョークを引用。

 エジプトを脱したモーセが四十年間荒れ野をさまよったのは,人に道を聞かなかったからである(219ページ)

 私は今回の読書で道を聞いた気分であります。亡父の誕生日(1月10日)に読了。

  


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