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『我が八十年の波瀾万丈』山高定三(080101)
いつもお世話になっている城北肝友会・山高定三会長の「自分史」です。サブタイトルは「大正・昭和・平成を生きて」です。私もちょっと編集のお手伝いをさせていただきました。
■『我が八十年の波瀾万丈―大正・昭和・平成を生きて―』(山高定三/定価:800円)
山高会長は,大正14(1925)年生まれ。宇都宮のご出身。本書は貧しい子供時代の話から始まって,終戦の年(!)に召集され,終戦後はシベリアに抑留,抑留から帰ってきた後は「アカ」と疑われて就職がうまくいかず,自営とならざるをえないでさんざん苦労され…と,書名のとおり,まさに波瀾万丈の生涯が語られています。
「戦争を知らない子供たち」と歌った人たちよりさらに若い私から見れば,「山高会長の波瀾万丈」=「メチャクチャってことですね」と言って差し支えないと思われます。多分,会長ご自身も,いくつの職業を経験されたのか,人に聞かれても即答できないのではないでしょうか(現代では職業を3つも替われば多いほうなのにね)。B6判・250ページ。読み応え十分。
最近は,身近で戦争の話や戦後の苦労話をしてくれる人が少なくなりました。それだけに,こうした記録は本当に貴重だと思います(たとえば「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」なんて落首1つで,その時代の雰囲気がわかるんですよね)。私は,南方や中国で戦った方の文章などは拝読したことがあり,映画でも観たことがあるのですが,「シベリア抑留」については,ほとんど知識がありませんでした。
何万人という何の罪もない若者が酷寒のシベリアで死んだのである。
戦死という言葉があるが,戦死には同じ死でもそれなりの価値がある。戦争が終わってまったく死ぬ理由がなくなってから,不法な大量拉致による強制労働という,人道に反する行為で尊い命を奪われた若者に対しては,誰が何と言って詫びたらいいのだろうか…。(226ページ)
編集のお手伝いをして,この文章は絶対に後世に伝えたいと思いました。なので,このサイトでも掲載させていただきます。何でこの「シベリア抑留」の悲惨が,日本の「常識」になっていないんですかね? 中国や韓国だったら思い切り伝承しようとするネタなんじゃないかと思いますけど…。大間違いだったら申し訳ないけど,それこそ日教組とか共産党とかの影響で,この件,「ほぼアンタッチャブル」になってないですか? という気がします。そうでないのであれば,シベリア抑留の件はもっと「教科書」に出てきていいと思うのですけれど…。
子供が使った中学の教科書(日本書籍・中学社会・歴史的分野/平成8年2月29日文部省検定済/平成11年1月25日発行)では,欄外で小さな文字で「満州にいた部隊はソ連によりシベリアに抑留され,以後数年間,強制労働につかせられた」と書いてあるだけ。
期待の『市販本 新しい歴史教科書(中学社会)』(扶桑社/2001年8月20日第5刷)では,全然触れられておりません。この本では,
戦争への罪悪感|GHQは新聞,雑誌,ラジオ,映画を通して,日本の戦争がいかに不当なものであったかを宣伝した。こうした宣伝は,東京裁判とならんで,日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい,戦後日本人の歴史の見方に影響を与えた。(295ページ)
…なんてことは書いてあるのに「ソ連もヒドイだろ」と,何で言えないのかな? 触れないことによって「戦後日本人の歴史の見方」から「シベリア抑留」を,この教科書を使ったら,ハズしちゃうじゃんと私は思いますねえ。ダサい。「憲法9条に触れない憲法の教科書」みたいだ。
ま,新聞でもテレビでもラジオでも,報道メディアはみんなそうですが,「取り上げない」「報道しない」という「究極の自己防衛」をすることがあります。これ公務員の「不作為」とよ〜く似てます。「バックレといて様子見る作戦」ね。でも,これは「流れるメディア」だからアリなんで(故に私は「流れるメディア」をほぼ信用しないことにしています),書籍それも教科書でやっちゃダメだわ。商品寿命やその役割がテレビなんかと全然違うんだからさ。
もう1冊。『Story 日本の歴史 近現代史編』(山川出版社)では,大正・昭和前期(「普選挙運動と米騒動」〜「極東国際軍事裁判とBC級戦犯裁判」)26項目中の1項目で「シベリア抑留」を取り上げています。シベリアに連行された人は約60万人(これは政令市じゃない普通のイナカの県庁所在地の全人口ぐらいですよね)で,抑留された人は最長で56年まで,なんてことが書いてあります。45年終戦なのに帰国まで11年。アン・ビリーバボーとしか言いようがないです。イマ語で言うと「60万人もの人が拉致られて奴隷にされ,長い人は11年間も酷使された」ってことですよね…。う〜…。
1931年が満州事変ですので,山高会長が物心ついた頃は,もう日本は戦争モードが普通だったようで,25歳ぐらいで生涯が終わるとお考えだったそうです。軍隊・シベリアでの苦役,帰国後のご苦労,商売上の浮き沈みなど,本当に拝読していて胃が痛くなるようでしたが,大変勉強になりました。ありがとうございました。山高会長。
戦争やシベリアに関する事以外の貴重な記録も多々あります。たとえば昔の宇都宮…
当時は行商が多く,毎朝早く来るのは納豆屋で,豆腐屋,越中富山の薬売りをはじめ,定斎薬,洋傘直し,生花,七色唐辛子,夏には金魚や風鈴など商売になるのかと思うような行商もあった。(22ページ)
私が子供の頃,昭和30年代後半頃は,東京・練馬でも,豆腐屋さん,薬屋さんはもちろんとして,一心太助みたいな魚屋さんもいました。納豆屋さんは記憶にありません。夏は金魚,風鈴,氷の行商はありましたねえ。昭和36年頃の東京・板橋区西台は…
当時私の家の周りは商店もなく,近い駅は東武東上線上板橋か東武練馬で,歩くと20分以上かかる。(中略)新河岸川の土手まで家が一軒もなく,「徳丸田んぼ」と呼ばれていた。カエルやザリガニがいて子供の結構な遊び場所でときどきヘビなども出た。(中略)高島平はかって日本一といわれた高層ビルの高島平団地や,地下鉄西台,高島平駅ができ高島通りをはさんで建物がひしめき合い,当時の面影はまったく消えてしまった。(124〜125ページ)
このような記述を拝読すると,郷土史的な価値からも,栃木県内や東京都や板橋区内の図書館に,この本を置いてほしいなと思いますねえ。
ご興味のある方は以下をクリックして,内容をお読みいただき,山高会長にお問い合わせください。送料等もろもろコミで定価の800円で送ってくれるとのことです。
→『我が八十年の波瀾万丈』ご案内
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