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『母に襁褓をあてるとき』舛添要一(071007)
年金の横領問題に関連して「市町村は信用ならない」と言い,それについて自治体が反発したら,さらに「小人のざれ言に付き合っている暇はない」と言ってしまった舛添さんの好著でございます。この著書・体験があるから,この人は厚生労働大人もとい大臣になったわけなんですね。多分。
これはこれでいい人事だったと私は思っています。しっかし,それにしても「小人」はイカンでした。「あんた何様のつもり?」と,みんな怒りますよねえ,舛添さんには若手でバリバリの国際政治学者として売り出した(朝までテレビでガンガン発言していた頃)昔から「愚民感」のようものがありました。でも人はお互いを比較して,勝っているところと劣っているところを比べたら「圧勝」ということはないんですね。わかりやすい例で言えば「月経を体験したことのある人の勝ち」と言うだけで,全人類の約半数(子どもも入るからホントはもっと多く)は「負け組」になるわけですし,舛添さんが多くの方に勝っているのは,せいぜい学歴(東大の学部を卒業してすぐ助手になった方だって大勢いらっしゃるけど)や国際政治学の知識“ぐらい”であって,それ以外の多くのモノサシで計れば,“月並み”か“小人”レベルのものが山ほどあるに決まってるんですね。だからこのご発言は,本当にひどかった。こういう発言をしてしまうこと自体で「シロウト政治家」であることを露呈してますし(柳沢「女性は子どもを産む機械」とかに学べ!)。
さて,でもでも,でございます。確かに「小人」発言はひどかった。それはそれとして,でも,そんな「揚げ足取ってる場合か」とマトモな人なら思いますよね。「小人」発言に抗議する前に自治体の首長さんには「本当に100%年金の管理ができていたことを証明するものを出せ」と言いたい。ウダウダ言う前に,全自治体で“潔白”を証明しないでどうすんだよと思います。おそらく“潔白”なところはそうはないのでしょう。であるならば,どうリカバリーするのかきちんと住民に説明しなくてはいけません。そうしたことをきちんとした上で「シロウト大臣」を批判するのがスジってモンです。わたくし的には同い歳の山口県柳井市の河内山哲朗市長に,こういうことをやってもらいたい。“自治体を信用できない国って何なんだよ!!!!”と言っていただきたい。で,FBIとロス市警みたいな話になるのね。ダーティ・ハリーだね。
年金横領に関与した職員については,銀行の職員が預金を横領した場合より厳しい措置をしてほしい。手厚い身分保障をされている公務員であれば,民間以上に厳しいペナルティがあって然るべきです(私は死刑には反対ですが)。これが普通の感覚。その普通の感覚を普通に(政治家としてはダメダメでしたが)表現した人を,何でマスコミは「面白がり」的あるいはさも大人ぶったスタンスで報道するのでしょうか? 「シロウト」が普通の感覚で(ちょっと言い過ぎたにしても)言ったことの本質を守らないで,お前ら何なんだよ,と,私は思いますねえ。ジャーナリストという好奇心だけで固まった「プロのドシロウト」の自覚はあんのか? と問いたい。『人民日報』じゃないんだと,君たち本当にそういうことを考えたことあんのか? と小さなネタ(政治部の扱うことなのか,こんなんが)ではあるけれども,私はハゲしく思いますねえ。私はもちろん(自民党の)舛添さんの応援団ではありませんけれども,今回のことに関しては,「ざれ言」につきあわず,もっと大事なことに集中するということでよろしいと,(超少額ですが)納税者の一人として思います。
■『母に襁褓をあてるとき』(舛添要一/中央公論社/本体:1,200円)
さて。本の話。母に襁褓(むつき)をあてるとき…が来たらと考えるとおそろしい。私はたとえば,わが子に対しては,その排泄物に触れることについてまったく抵抗がありません。風邪をひいただかの長女を抱っこしていたときに,いきなりお頭から吐瀉物をかぶったこともあるし,3人のオムツを換えているとき(これ,私,上手でした。紙オムツですが)に排泄物が手についたことだってもちろん数え切れないぐらいあります。だから子どもたちについては,こうしたことは,私は(ツマも絶対そうだと確信あり)ぜ〜んぜん平気。ツマについても同様。ツマのオムツを換えたことはないけれど(ツマのお尻に合うオムツがあればですけど…。手作りできないのはヤバイかも…。秘かにオフクロさんに布オムツの作り方を教えてもらおうかなあ? 爆笑)。
でも,実親・義父母はどうでしょう。おそらく,もし,そういう場面になったら私はそれはできる自信があります(「今日もうまそうなハンバーグだ」「ごめん。柔らかカレーになっちまったね」なんて言うのね)。しかし,自分自身が子どもに排泄物などの処理をしてもらうと考えると相当ツライ。だから親もそういう場面になったらきっとそれはかなりツライはずなんだ,と思います。そんな場面が私の生涯の中で“ない”ことを祈ります(絶対にそんなことをされたくなかったであろう父が亡くなっていることは,もしかしたら父の私たち兄弟へのプレゼントなのかもしれません。晩年の父に母が何をしていたか私は知りません。母も話しません。それはそれできっと2人だけの思い出なのでしょう。ですから私も聞きません。私と弟は,父は子どもたちなんかの世話にならない「ずっと俺たちの格好いいオヤジ」だったんだとやたら美化する今日この頃でございます)が,でも,私が子どもにオムツをしてもらうなんてことも,ありえなくはないという仮定は頭に入れておかなくてはいけませんよね。そうしたいわゆる「老醜」をさらけだすことも,もしかしたら3回も死にかけて生き延びてきた私の役割なのかもしれませんし…。
『老親の看かた、私の老い方』を読んだ後,介護の体験記としてこの本を読みました。舛添さん,これはいい本だわ。相当の勇気を持って書かれたものだと思います。家族の不和も含めていかに奮闘しなくてはならないか,すべてを体感できるわけではないですけれども,その少しはわかった気がいたしました。この体験があったからでしょうか,舛添さんは,ある時期からトンガッた生意気な政治学者ではなくなりました。つまらなくなったといえばそうかもしれませんが,私は今の舛添さんのほうが好きです。ホントのホントは厚生労働大臣じゃないだろ,ハードネゴシエーターとして外務大臣もしくは財務大臣をやりたいんでしょ? と思うのですが,私は舛添さんに今のポストで思い切り頑張っていただきたい。この本に書かれた体験などを拝読すると,当たり前ですが“専門外”のことで苦労するポイントを大臣はわかっています。それを存分に生かしていただきたい。
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