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『犯罪風土記』朝倉喬司(070707)
まったくもって情けないことに,キャッシュがない。本も買えない(まあ,多分に気分的なものなのですが)。というわけで,またしても本棚から古い本を引っぱり出してきて読みました。今となっては「伝説」と言ってもいい,朝倉喬司さんの『犯罪風土記』。朝倉さん絡みの本を読むのは『日本一あぶない音楽 河内音頭の世界』以来5年ぶり。
■『犯罪風土記』(朝倉喬司/秀英書房/定価:1,400円)
このところのイロイロな犯罪に関するニュースなどに接し,そういえば昔の犯罪ってどんなのがあったんだっけ? といきなり振り返りたくなったのでした。この本は1982年10月刊。私の手元にあるのは,誤植だらけのその初版第一刷でございます。すっかり忘れていたのですが,この本は月の輪書林さんから購入したもので,月の輪さんの自筆のお手紙が挟み込まれておりました。
やっぱりね。面白かった。名著なんですねえ。これは。誤植だらけという欠陥すら,(想定外でしょうが)人がすることだもの失敗もあるさと思わせてしまうような,朝倉ワールド(というか,社会の中にいながらにして,外〈時間的にも〉から社会を眺める視点に立っている感じ)に引きずりこまれます。「まえがき」から。
犯罪は「社会」の中で起り,それは既成の「社会」にとってもつ意味の範囲内で報道されるが,実はそれがよってきたる一番深い根拠は「社会」の外に,「社会」がおしつぶし,はねとばしてきた人間の,共同性の破片のようなものにあるのではないかと,いつのころからか考えるようになった。
(中略)興味深かったのは,犯罪にまつわる「社会」を相対化すればするほど,私の意識が空間的には,男と女のセクシャルな境域に,時間的には,現代の時間がすでに止揚してしまったとされる前時代(江戸期,中世,さらに原始)へ,ある種の必然性をもった力動で,むかいはじめたことである。
山口昌男先生がおっしゃるところの「中心-周縁」でございますねえ。中心と周縁の薄ぼんやりした境界には,芸能,遊郭,犯罪,墓地,病人や異形の人や,いわゆる狂人の世界などがあり,周縁の本質である「死の世界」につながっている…と。そうなのよ,人間社会の奥底には計り知れないドロドロしたものがあるのよ。それをきれいにさわやかに割り切れるなんて思っちゃってるらしいのが,安倍チャンや私の嫌いな「やたら“常識”を振り回す“正しい人”たち」でございます。
次の文章はいかがでしょうか。(97ページ)
分解する市民社会。これを統合するとすれば,その底の無名性に向かうエロスの流れに手をつけねばならない。(中略)この流れに,ある意図をもった政治過程を対応させるしかないのだが,既存の国家機構のパイプを通して,上からのプログラムでそれを遂行するとすれば,それは,ファシズムと名付けられよう。
安倍チャンの「美しい国」や,“正しい人”たちが思い描く「理想の世界」には周縁がない。私はその“嘘くささ”や“正義ヅラ”に絶えられない。もう少し言えば,そんな風に人間をとらえている(あるいはその美しいワクの中に押し込もうとする)から,人間関係が表面的で薄っぺらになり,親子関係は壊れ,教育も壊れ,だれも信頼できない「孤独な群衆」的状況が増えているのではないですかね? ちなみに,行政学者の新藤宗幸先生には,この朝倉喬司さんと同じような“匂い”がある,と,私は思います。朝倉さんはこの時点で,ファシズムの危険を感じておられたわけですが(これ,朝倉さんが30年も前の1977年=34歳ぐらいのときに書かれた文章です。いま,こんな文章を書ける30歳代前半のルポ・ライターって日本にいらっしゃるんでしょうか?),朝倉さんとほぼ同世代の新藤先生は,今,この市民社会の分解と統合の折り合いのつけどころを,地方分権改革(『いま、なぜ地方分権なのか』西尾勝・新藤宗幸)を通じて一生懸命探っておられるように見えます。
上は「無名性に向かうエロス」と題された章の文末。順番が逆になってしまいましたが,「無名性に向かうエロス」というのは,たとえば「“この女性を”強姦」(犯罪に関する本なので過激な表現が混ざってしまい,すみません)というのではなく,「食いつめて都市最下層の労働市場に身を投じた(中略)彼らのエロスの吐け口は,とりあえず,自分達の一段上,市民社会下限にひっかかった“弱い環”である女性に向けられる」(94ページ)ということです。人から直接狙われるのも怖いけど,“市民社会下限に属する一員”(上の文章では対象はその中の女性ですが)とか類型化されて標的にされるのも怖い。こういう犯罪も多いし,イジメの連鎖みたいなものも,この文章を読むと感じます。それと,これって,ビジネスの世界でよく聞く「ランチェスター戦略」の「弱いものいじめの原則」みたいでもあるなあとも思いますねえ。また,これを裏返しにした感覚が,電車の中での化粧や大股開き足投げだし座りやオバサンの隙間にケツつっこみだったりするんですよねえ。きっと。
そんな次第で,この本はいろいろなことを考えさせてくれます。アイヌ問題を扱った「よみがえるヨシン」などを読みますと,そのあまりのヒドサに眩暈がします。“アイヌを迫害した和人の末裔なんだね,私は”と,胸が苦しくなります。あっけらかんと「そら,しょうがない」と,“正しい人”たちのように,私は割り切れない…などなど。
再読だったのに新鮮に感動できてしまうところが何とも…。(笑) しかも,この本には「続編がある」と知り即注文したのですが,注文後「まさかな〜」なんて本棚を確認したら,その「まさか」がささっておりました。(爆笑)
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