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『二十世紀を精神分析する』岸田秀(061027)
『日本がアメリカを赦す日』,『不惑の雑考』に続いて,またまた岸田秀先生。
■『二十世紀を精神分析する』(岸田秀/文藝春秋/定価:1,500円)
この本は1996年の発行。だいぶ岸田先生の書かれる文章に慣れてきた感じ。ちょっと抜粋。
世界は医者のいない巨大な精神病院であり,歴史とは狂った個人,狂った民族,狂った国家がつくってき,つくりつづけているものである。したがって,世界の歴史は合理的現象としてでなく,病的現象として理解する必要がある。(13〜14ページ)
いじめ自殺について岸田先生はこんなことを書かれています。約10年前の本で。
いじめっ子と教師を非難するのは問題なくやさしいが,(中略)自殺する子どもにおいて,親子のきずなに問題はなかったであろうか。親とのきずなに支えられていると感じている子は容易に自殺しないのではなかろうか。(120〜121ページ)
私が,子を自殺で失った親が激しい言葉を校長等に浴びせているテレビ報道を見て,たまに思うこと。君たち親がそうやって,自分たちが被害者であることを強調して,子が自殺したことを全部学校のせいにするような人間だから君らの子供は「行き場」を失ったんじゃないのか? その雄弁は何?
いじめっ子の親を考えてみると,推量するに,いじめっ子の親というものはわが子が他の子どもをいじめていることを心のどこかで暗々裡に楽しんでいるのではないか。(中略)いじめっ子の親がわが子のしていることに気づいていないということはあり得ないと思われる。(中略)いじめっ子の親はあまり注目されないようであるが,もっと問題にすべきであろう。(121ページ)
わが子がいじめっ子であることに本当に気づかないでいて,わが子が他の子を死に追いやったことを知った親の痛恨に思いを致すと胸が苦しくなります。いじめっ子の親の責任を追及するのは酷な場合も多いことでしょう。でも,親の責任は追及されて当然です。親が,「自己実現」すべく熱心に働いていたり,何かの事情で子供とあまり一緒にいる時間を確保できない場合,わが子のしていることに気づかないことはよくありますよね。病院で生まれ,保育園と小学校と塾と学童保育で育ち,中学・高校になってからは,家の鍵と食費をもらっているだけのような子って少なくないんじゃないでしょうか。「だから仕方ない」と言いたいのではなく,そんな希薄な親子関係が少なくないことにも,深い根があると,私は思います。
岸田先生流に言えば,私たちは「本能が壊れている」ってコトなんでしょうねえ。やっぱり。岸田先生の本を読むと,いろいろなことを考えさせられます。オススメです。
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