|
『秋霜烈日』伊藤栄樹(050917)
ず〜い分前に話題になった本。奥付を見たら1988年7月初版。ホントに〜? という感じでございます。17年も前の本なんですね。カバーに「定価1,030円(本体1,000円)」というシールが貼ってあるのが懐かしい。消費税施行は1989年4月。3%でスタート。市場に出ていた商品の価格表示をどうするかで日本中がすったもんだしたのでした。1997年4月から消費税は5%。その5%のシールが貼っていないということは,その時点でこの本は「現役」ではなかった模様。
■『秋霜烈日』(伊藤栄樹/朝日新聞社/本体1,000円)
17年前の本ですか〜。この本が出たとき,私,29歳。ふーん。二女はまだ生まれておらず,長女3歳,長男2歳。カアチャンがチャリで前後に子供を載せていた頃でしょうか。我が家は今も楽しいけれど,あの頃はやはり私たち夫婦も,もっと「ヤング」で,子供たちも爆発的に元気だったような気がします。チビチビたちの「変な日本語」との会話を面白がっていた頃。奴らが蚊に刺されたときに「カニにさされた」と言ったり,家に帰ってきたときに「お帰り〜」と言って部屋に入ってくるので,「ただいま〜」と「お帰り〜」の使い方を教えたことなど懐かしい。そのときの声まで思い出します。2人とも天使のような声でした。ついでに子供たちとチューしたときの小さな唇の感触まで蘇りますな。はは。オヤジになれてよかった。よかった。願わくば早くジイサンになりたいもんです。小さな子供と散歩したい。男の子の孫とキャッチボールがしたい…。
さてさて。『秋霜烈日』(しゅうそうれつじつ)でございます。秋霜烈日というのは,「秋におりる霜と夏の激しい日差しのことで,刑罰や志操の厳しさにたとえられる」とのことで,厳正さを求められる検事さんのするバッジは「秋霜烈日のバッジ」と言われるのだそうです。この本の副題は,「検事総長の回想」。この辺の国の司法行政の仕組みが私にはよくわかりませんが,法務省と検察庁の中で一番エライのは法務事務次官ではなく,検事総長なんですね。今の検事総長の松尾邦弘氏の経歴を見ても,多少間を省略して,平成4年法務大臣官房人事課長,10年最高検検事,10年法務省刑事局長,11年法務事務次官,15年東京高検検事長,16年6月25日検事総長となっております(ちなみに私は15年ぐらい前〈平成2年かな?〉から今の肩書。これじゃ,ヤル気出ねーぞー。ま,ポストを増やせないマイナス成長企業では致し方ないといえばそうなんですが,対外的なことを考えれば肩書インフレ政策はやっちまっていいんですよね。そんなショボイ智慧すらないのでマイナス成長企業なわけなんですけど。肩書によって机とか椅子を変えるとかいう“牢名主”的慣行は堅持されております…。やれやれ。組織のダメなところを考えると,我が社はホントに実例の宝庫だわ)。
で。その司法行政のトップの検事総長を務めた方の回想録がこの本。朝日新聞社が大層ありがたがって「玉稿を賜った」という感じで制作しております。制作を担当された方々の伊藤氏への尊敬の念の現れかもしれませんが,ま,それはともかく。私の場合,情けないことに秋霜烈日の意味を示された文中の「志操」って何? と引っかかってしまいます。これは「堅く守っている主義。動かぬ志」だそうです。
うー。ムズカシイねえ。「堅く守っている主義。動かぬ志」ですか。憲法すら改正しようかという時代でございますからねえ。今は。古い=悪みたいにね,「戦後60年,時代は変わった,ゆえに憲法改正が必要」などという,意味不明のスローガンがまかりとおっております。何だソレ。これは「近頃オイラは太った,ゆえに古い背広は着ていられないので,新しい背広を買う」という怠慢オヤジの論理と大差ない。あるいはまた,細かいことまで決められないと動けない「マニュアル人間」のために「お辞儀はどのくらいが普通でしょう」とかいって,大きな分度器で腰の角度を決めてやるようなことまで「憲法」に求められているような気がします。基本的には,今の「国民主権,基本的人権の尊重,平和主義」を骨格にしとけばいいジャン,後は個別法でやろうよ,と思います。
単純に言って「平和主義」であるがゆえに「武力を行使しない」ということも,「平和主義」であるがゆえに「武力を行使して速やかに平時に戻す」という考えもいずれもアリではあります。しかしいずれにせよ,「平和主義であるがゆえに」という「志操」は譲れない。チャップリンではありませんが,「人殺しをしてはいけないが,時と場合によっては沢山殺した人が英雄」なんてアホな話がこの「平和主義であるがゆえに」という前提の下に容認されてしまう現状には,個人的には「異議メチャあり」ではありますが,前提のない場当たり的恣意的決定よりは,大義を持った決定のほうが,数段マシではあります。
おっとっと。興奮して話が随分大きくなってしまいました。まま,そんなイロイロなことを,この本は考えさせてくれるのです。憲法を直接取り上げたところはないのですが,「法を守る,違法な行為を摘発し是正する現場」が,このようにある,ということを,伊藤元検事総長は,淡々と示してくれています。私は,社会の中にあって,人は正義や公正を求めるものだと思っています。とはいえ,その「正義」も「公正」も基準や指標があいまいであるがゆえにいろいろな葛藤があって個々人の理想と一致しない。そして個々人の理想と一致しないがゆえに人間本来の願望である“社会的合意”を築こうとする,不毛ですが貴重な営みが担保されると信じております。
さてさて。とはいえ国政や自治体行政の現場では,その正義や公正(少なくとも当該事件につきどう考えるか)を,国家(あるいは自治体)として国民(住民)に明示しなくてはなりません。こういうシビアな事業を,公的部門で担当している方がいらっしゃるのだ,と改めて思ったことでした。そうね。私たちはね。安全とかね。安心とかね。平等とかね。暴力反対とかね。そういうことをかなり簡単に言うけれど,では,それらを,じゃ,誰に任せており,それを守るために誰が日夜奮闘しているのかについては思いがなかなか及ばない。こらあ,大変な仕事だわ。チビチビたちとの生活の見えないところでこんなインフラがあった(ある)わけなんですね〜。頭が下がっちゃうなあ〜。
失礼ながら朝日新聞社の担当者のように「達意の名文家」と,その文章を絶賛することができると私には思えませんが,この読後感は,ルオーの絵を見た後のように,ず〜んとお腹に染みました。変な言い方ですが,これは「男子一生の仕事」に殉じた方の回想録だ,と思ったことでした。私の仕事は…どうだろう。社会的に無意味とは思わないけどねえ…。
|