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『あらすじで読む日本の名著』小川義男編(050528)
長女が大学で課された課題(文学書と経営書(2005.5.7))つながりの便乗勉強第2弾。『遠野物語』はいいとして,そういえば便利そうな本があったぞと思い出して読んでみました。
■『あらすじで読む日本の名著』(小川義男編/中経出版/本体1,000円)
この本のタイトルを見たときには「世も末である。こういう断片的知識や新聞の見出しだけを覚えて知識があるフリをする輩,出る単的知識で受験を乗り切ろうとする子どもたちのお役に立っちまうような本が出るなんて…」と思ったものでした。
編者は私立狭山ヶ丘高等学校長。執筆者は狭山ヶ丘高校の先生方。「はじめに」で,校長先生は「私たちは言語で考え,言語で伝え,言語を通じて理解しあう。その言語という単一の素材で紡ぎ上げたのが文学作品であり,その意味で,文学は普遍的にすべての事象の根源をなすものである」と宣言され,とはいえ,現在の高校生に「文学に親しめ」と言ってもなかなか困難であるので,「『あらすじもの』をつくれば,高校生もそのおもしろさ,思想的深さを垣間見て原作を読んでみたいという気持ちになるのではないか」と考え,この本を編集されたとしています。そして,「たとえ,原作にあたることができないとしても,名作はあらすじに触れただけでも,人の心に消し去りがたい印象を残すものである」ともおっしゃっております。
「またまた,そういうキレイゴトを」と,この歳になると疑い深くていけません。大変失礼ながら「これはマユツバものだぜ」と怒る準備をしつつページをめくっていきました。いやはや。参りました。大変面白く拝読いたしました。『浮雲』『金色夜叉』『高野聖』『不如帰』『蒲団』ってそういうお話でしたか(高校生に読ませたいとはちょっと思えないとはいえ)とか,『五重塔』『高瀬舟』『土』は面白そうだと好奇心を刺激されました。また,『恩讐の彼方に』『奉教人の死』にはあらすじに触れただけで確かに感動してしまいました。
さてさて。読み終わった後,当初,「世も末である」思った私の根拠って何だったんだろうと,考え直さずにはいられませんでした。本を1冊読めばいいというものでもありませんよね。当然,忘れてしまうことや理解できないこともあります。そして,私たちは他人の話をするときに,だれがああしたこうしたという「あらすじ」や自分が見た他人の断片で話をしその人の評価をしています。もっと言うと自分のことだってすべてを記憶し,整理して理解しているわけではなく,そのときどきに都合のよい自分に関する記憶の断片をつなぎあわせた自分なりの「あらすじ」で自分を理解・評価し,行動しているのだよなあ,などと思いました。というわけでこういう本もアリなんだな…と思い直した次第です。オススメです。
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