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『ソクラテスの口説き方』土屋賢二(050220)
土屋賢二先生の本を読んだのは『紅茶を注文する方法』(2003.5.8)以来。まとめて読んだのは案外久しぶり。
■『ソクラテスの口説き方』(土屋賢二/文藝春秋/本体1,238円)
土屋先生のエッセイは,まあ,ココロに残るとか人生が変わってしまうとか,そういうものではないのですが,バカバカしい話の中に,「ん? そうかも…」と思わせるところや,酒場で「いやあ〜,まさにおっしゃるとおりでございます」と盛り上がりそうなネタが入っています。中学生の頃遠藤周作先生の「ぐうたら」シリーズを読んでいたような感じで,今,私は土屋賢二先生が書かれたモノを愛読しております。ちょっと引用。61ページ。
「人間は分類する動物である。あらゆるものを『スズキ目サバ科マグロ属』などと細かく分類する。腹を立てて相手をののしるときでさえ,やっていることは『馬鹿野郎』とかこの『大嘘つき』などのように,分類することである」
「こういう分類作業の結果,たいていの男は,(〜中略〜),最低の男,この野郎と分類されている(「最低」と分類されても,心休まることに,自分一人でなく,ほとんどの男が最低と分類されている)。」
こんな文章を読むのは楽しい。
で,ふと「ののしる」ときに相手にそれが理解されるためには,「馬鹿野郎はいけない」という前提を相手と共有していないとイカンのだな…なんて考えさせられたりするのです。これをコミュニケーション全般の話に置き換えると絶望的な気分になります。また,ここから教育のあり方なんてことを思ってしまったり…。土屋先生の文章のどこかにそういう“何かを考えさせてしまう装置”のようなものがあり,これは大きな魅力です。
さらに,男性がよく困惑する“女性の強さ”に関する考察が多々あり,これも面白い。思うに両性の“強さ”(元気度)は,一般の男性は精神的なものも含めて山型(一定年齢を過ぎると減退)であり,女性は身体はともかく精神的には右肩上がり(加齢に伴って強化)なんじゃないでしょうか。あるいは,下のように考えることができるかもしれません(こんなことをする時間があるなら仕事しよう…と思いつつも,かなりオモシロそうなので作図せずにはいられない)。
15歳ぐらいまでは女の子のほうがマセていて,15歳過ぎる頃から女の子は可愛くなって(「女の一生」の中で最も精神的に不安定な時期に入って/注:それでも元気度は下がらない),男の子は「女の子を守ってやらないかん」という勘違いを起こし(「男の一生」の中で最も充実している時期),35歳ぐらいから本来の「女にゃかなわん」という状況に気づいていく…というのが一般的ではないか,と。女性の元気度線の35歳以降は「右上がり」なのか「緩やかな右下がり」なのかは定かではありませんが,少なくとも男性のマイナスの傾きの大きさよりはマイナスの傾きは小さく,50歳ぐらいになると女性と男性の「元気度の差」はかなり大きくなると思うのですがいかがでしょうか。はは。あ〜,おもしろかった。と。で,もしかすると近頃はこうではなく,男性は15歳以降も女性の15歳の「元気度」の下にしかいないと考えると,近頃の「元気のある女の子」と「元気のない男の子」問題,15歳過ぎぐらいの女性全般から(納得行かないのは若い男性からも)「馬鹿にされまくるオヤジ」問題というのが理解できるような気もします。「晩婚化少子化」なんてことについてもコジつけて考えてみたいですが,ここらでヤメにしておきます。
…そんなわけで。さらっとも読めるし,ちょっと考えてみたくもなったりで,土屋先生の書かれるモノはおもしろいです。オススメです。
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