|
『終焉をめぐって』柄谷行人(040626)
課題図書として置いてあった本。柄谷行人さんは,私の分類では「ムズカシイ話をする人グループ」の1人。これまでに,短い文章をチラッチラッとは拝読していたものの著書は1冊も読んだことがなかったので,「1冊ぐらいは読んでおかねばな」ということでキープしておりました。
■『終焉をめぐって』(柄谷行人/講談社学術文庫/本体900円)
この本は柄谷行人さんが,主に1989年に書かれたエッセイをまとめたもの。文芸評論が中心です。「1970年=昭和45年―近代日本の言説空間―」「大江健三郎のアレゴリー―『万延元年のフットボール』」「村上春樹の風景―『1973年のピンボール』」といったタイトルが並びます。
予想通りムズカシイ本でしたが,「歴史の終焉について」と題されたところでは,資本主義と共産主義について語られ,これは面白かった。たとえば,
「総体としての資本(資本家)はもはや利潤を目指すというよりも,決済を先延ばしするために活動しているように見える」「この運動は中止することができない。何としてでも差異を創り出さねばならないのだ」「総体としてみれば,資本主義はいまここで決済を要求されれば崩壊せざるをえない。それは,自転車操業のようにたえず決済を無限に先送りすることによって存続している」(186ページ)
ここで,柄谷行人さんはどうも不自由そうに「資本主義」という言葉を使っていらっしゃる。私の見るところ,「共産主義」という思想はあったかもしれないけれども,「資本主義」なんてものはなく,それは単に「共産主義」なるものが出てくる前の状態であって,「共産主義経済」に対置するものとして「資本主義経済」という言葉が出てきたのではないでしょうか。柄谷さんが上で言っている「資本主義」は,「いわゆる資本主義経済」と,ちょっと補足して読みました。「共産主義」に対置するものとして,「自由主義」はアリだとは思います(これとて,平たく言えば「仕切られたくない」という,主義というより自然な“気持ち”程度のことだと思いますが)が…。それはともかく。上の文章は興味深い。確かに…ですよね。国債の状況を見てもよくわかる(^_^;)。とはいえ,これもまた人類史の基本的流れに即したものであって,人知でコントロールできないゆがみを多々含む大きな市場の中で,企業や国家が生き延びるために対応してきた姿がコレなんですね。
で,「共産主義」でないもともとのダラダラと続いてきた,自由主義的な,見えざる手に多くを委ねてきた,その現在の社会経済システムがほんとに破綻するかも…と,みんながビビっているのが環境問題で,環境問題に関する世界の取組みを見ていると,これってcommunismとそう遠くないじゃん(共“産”じゃなくて共“生”という意味で),これも共生“主義”じゃんと思います。なので,この“共生主義”も,結局,やはりこれまでの「慣性」に抗しきれず,われわれは環境問題も先送りし続けるのではないかと思わずにはいられない。なあ〜んてことをちょっと考えたりしました。
柄谷行人さんの文章は繰り返しが多い気がして,リズムが合わないし,博学&頭の回転の速い柄谷さんの議論にこちらが全然ついていけないところが多かったのが残念。『万延元年のフットボール』を猛烈に読みたくなったのが最大の収穫かなあ? 『終焉をめぐって』の周縁を巡っただけでしたあ〜というのが,今回の感想。
|