『ぐうたら人間学』遠藤周作(040618)
 いつか,困ったときに読むかも知れないと思って,実家から持ってきていた本。

■『ぐうたら人間学』(遠藤周作/講談社/定価290円)

 私の青年期までのものの感じ方,考え方の多くの部分に影響を与えてくれたのは,父母,小学校中学校の先生,そして遠藤周作先生。14歳のときに,何かの偶然でこの本を手にしました。練馬区桜台の書店に,この本は平積みになっていました。定価290円。安かった。松屋という牛丼チェーン店が桜台に出店された頃。当時中学生の私たちは喫茶店には行けなかったけれど,松屋には気軽に入っていました。ベチョベチョのカレーとサラダが私のお気に入り(牛丼の店だったのに!)。中学生が“お店”に入るなんてなかった頃の話。このあたりのニュアンスを,泉麻人さんや坪内祐三さんのように書けないのが残念。

 さて,で。このところ精神的にヘロヘロだった私は,いつものように童門冬二先生や遠藤周作先生の本を読み,その(申し訳ありませんが)主張でなく,語り口の中に安息を求めたのでした。この本について言えば,酔ったお父さんが,バカ話をし,息子はそれを聞きながら,わかるのは「どうやら俺にいい話をこの人はしたいらしいけれど,自分の生き様を見せたいらしいけれど,俺にはちっともわからん」という,あの感覚の中に身を置きたかったのでした。

 父は息子に大事なことを2つ伝えねばなりません。1つは「男一匹,社会のために有用な人間になり,身を立て名をなし,家族を養い」ってのは建前であって,それはできればそれに越したことはないが,大抵の場合,「社会では代替可能な人間であって,身も立たず(代替可能であるから経済的不安は解消されず),家族を安心させる環境を整えたいものの汲々としている」ということをうまく見せてやること。もう1つは,絶対に以上のようなことを見せないように振る舞うこと(でも,見えてしまうのですが)が“男親として格好いいことなのだ”ということを教えてやることです。遠藤週作先生は前者。私の父は後者。

 おそらく,父と遠藤周作先生は,お互いが最も嫌うタイプの“男”であったことでしょう。しかし,私が感じる共通点は,2人とも上の2つを理解していたこと。弱さと裏腹の強さ(遠藤周作先生は“踏み絵”を何度も踏んでしまうかもしれないけれど,隠れキリシタンとして生き延びる強さがあるのです),強さと裏腹の弱さ(父はおそらく“踏み絵”は踏まないタイプ。でも踏み絵を踏む人の弱さを彼は理解できた人でした。しかし彼自身はその場面ではおそらく“死”を選ぶ。それが父の強さと弱さ。私も多分,父と同じ。息子にとって,娘たちにとって“格好いい父”でいたいがために,ツマに“格好いい男”であったと思ってもらいたいがためにと言いつつ,その後の苦難を回避してしまうのかもしれない…。そして社会〈彼の拠って立つところの集団〉はおそらく,清く殉教する人を褒め称えるであろうことも計算しつつ…)。

 この本自体は,軽妙なエッセイなのだけれど,何でこんなとこに行ってしまいますかね。まあ,ね。14歳が読む本と45歳が読む本は,素材が同じであっても当然感慨は違ってしまうのですね。歴史は現在の状況によっていくらでも変わる。はああ。とはいえ。遠藤周作先生の本を読んでよかった。やっぱりね。細かなところの感慨は異なるけれど,“君ィ,頑張んなよ”という14歳のときに聞いたのと同じ,根っこの声はきっちりいただけた気がしたのでした。


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